竜との誓い

 予選が終わった日の夜、ラフーリオンは酒を飲みにフラフラと部屋を出ていった。リシュリオルも暫くは部屋にいたが、退屈な時間に耐え切れず、夜の街を見て回ろうと思い、部屋を出た。


 ゼールベルとラトーディシャが泊まっている部屋。ゼールベルは昨日と同じように女を連れ込み、盛り上がっていた。ラトーディシャはため息をつきながら、部屋を出ていく。




 リシュリオルがホテルの玄関から出ようとした時、ラトーディシャにばったり出会う。リシュリオルは口に出すつもりは無かったが、思わず呟いてしまった。


「……最悪だ」

「何がだい?」ラトーディシャは微笑みながら聞く。

「別に」リシュリオルはラトーディシャの横をさっさと通り過ぎようとした。しかし、ラトーディシャは背中を向けるリシュリオルを呼び止める。


「待って。昼の話の続きをしよう」リシュリオルは振り向かずに立ち止まった。リシュリオルの影からアリゼルが現れる。


「リシュ、ラトーさんの話を聞いて下さい。いや、聞くべきです。あなたの昼間の態度は余りにも無礼だった。あなたが彼の話を聞く事で、あなたの先の行動を詫びるべきだと思いませんか?」影から現れたアリゼルは、リシュリオルが昼間にしたことについて咎める。


「アリゼル、いいんだ。リシュにも何かあったんだろう?」ラトーディシャがアリゼルをなだめる。


「いや、良くないですよ。ラトーさんは何も悪くないし、彼女に怒鳴られる理由なんてない。さあ、リシュ。あなたは彼の話を聞きますか?」アリゼルの兜の奥に灯る赤い光が強く輝き始める。普段、見せることの無いアリゼルの態度にリシュリオルは萎縮した。


「……分かったよ。話は聞くから」リシュリオルは、しぶしぶラトーディシャの話を聞く事を承諾する。

「それで良し」アリゼルは機嫌良く笑った。


「なら、ホテルの庭園の方に行ってから話そう。今の時間なら、人も少ないだろうしね。それに、運河の向こうの街の夜景が見えるんだ。とても綺麗だよ」ラトーディシャは運河の方を指差しながら、歩き出す。


「どうでもいいよ、そんな事。話なんて何処でだってできるだろ」ラトーディシャの背中を見ながら、リシュリオルが愚痴を呟く。


「リシュ!」アリゼルが怒る。

「……わ、分かった。行くよ」リシュリオルはラトーディシャの後ろを付いていった。


 運河に近づくにつれて、街の景色が見えてくる。暖色で統一された街灯がレンガ造りの建物を照らしていた。向こう岸の水面に街灯の光が反射し、きらきらと輝いていた。リシュリオルは運河に波打つ眩い光の情景に息を呑んだ。


「綺麗でしょ?」ラトーディシャが振り向いて、言った。

「まあ」嫌そうな顔をして曖昧な返事を返すリシュリオル。二人は、煌めく夜の街を見ながら、運河の岸を歩いていく。


「ここら辺でいいかな」運河沿いに置いてあったベンチに座り込むラトーディシャ。リシュリオルは彼から少しだけ距離を置いて、ベンチに座った。


「さあ、話そうか。……まずは昼間に君が言っていた僕の正体について。……僕は君のいた雪の街を凍らせた氷の竜の弟だ」

「弟だと? やっぱり奴と関係があったんだな!」

「リシュ、最後まで彼の話を聞いて下さい!」アリゼルが突っかかろうとするリシュリオルを制止する。


「僕は雪の街には行った事はないよ。なにせ兄の張った結界の中にずっと閉じ込められていたんだからね」

「閉じこめられていた? 兄弟同士で何を……」


「それは、これから話すよ。そんなに気になるならしっかり聞いていてね」ラトーディシャは氷の竜の事、自分の過去の事を語り始めた。




 本来、ラトーディシャのような氷の竜達は人里から離れた雪深い地域に住んでおり、滅多に人前には現れない。


 氷の竜を含む竜族達はかつては異界中に存在し、その驚異的な力を奮っていたが、人間達との戦いによって、最強の君臨者としての立場を追いやられた。氷の竜達も同じように、人との戦いに敗れ、雪原の奥地へと逃れた。


 ラトーディシャは幼い頃、唯一の肉親である兄、アドラウシュナと共に雪原で細々と生活していた。両親の顔は知らなかった。物心ついた頃から両親は何処かに消えてしまった、と兄は言っていた。


 ある日、アドラウシュナが両親の居場所が分かったと嬉しそうに話した。雪原の奥の奥、容易に人が辿り着けないような場所。そこにラトーディシャ達の親がいるのだと言う。


 幼いラトーディシャは兄の言葉を信じて、彼の跡を付いていった。


 雪原の奥へと進む二人。ラトーディシャは必死にアドラウシュナに付いていったが、吹雪に見舞われ、彼を見失ってしまう。兄の姿は一向に見つからない。


 ラトーディシャは両親と見失ったアドラウシュナを探しながら、雪原を延々と彷徨い続けた。


 長い間、雪原を彷徨っていたせいで、ラトーディシャの肉体と精神は徐々に衰弱していた。竜の力はすり減り、その姿を保てなくなっていた。そんなラトーディシャの元に突然、人間の姿をしたアドラウシュナが現れた。


 愉快そうに笑いながら。


「久しぶりだな、ラトー。お前が馬鹿だったおかげで、簡単に結界を張れたよ。お前はこれでこの雪原から出られなくなった。お前の命はこの雪原の中で終わる」


 ラトーディシャはアドラウシュナが何を言っているのか分からなかった。唯一の肉親であるアドラウシュナが僕を騙す筈がないと、そう考えていた。


 ラトーディシャは自分の置かれた状況が理解できずに、その場にへたり込む。アドラウシュナはそんなラトーディシャを蔑むような目で見下しながら言った。


「まだ、分からないのか? お前は俺に騙されたんだよ。あー。あとな、お前が今まで必死に探していた両親なんてのは、この雪原に入る前からとっくに死んでるぜ。力を奪う為に俺が殺したんだからな。父親は手強かったが、まあ、なんとかなったよ。どうやら息子には手をかけられないらしい。最後の最後で隙を見せた。母親はお前みたいに鈍くさかったからな。すぐに始末できた」


 アドラウシュナは下卑た笑みを浮かべながら、へたり込むラトーディシャを思い切り蹴り上げる。ラトーディシャは雪の上にふっ飛ばされ、倒れ込んだ。


 アドラウシュナは痛みでうずくまるラトーディシャに向かってゆっくりと歩きながら、話し続ける。


「お前には期待していたから一生懸命、心を込めて育ててやった。俺と同じ血を分けた兄弟だ。父親みたいな素質があると思ったんだが、残念な事に母親の血の方が濃かったらしい。軟弱で、貧弱で、脆弱だった。それじゃあ、大した力は奪えない。それと分かったら、もう用済みさ。お前をこの雪原に閉じ込めてやった」


「どうして、……どうして僕を殺さなかった」ラトーディシャが嗚咽を堪えながら、アドラウシュナに聞いた。兄はラトーディシャの耳元で囁いた。


「お前が悔しがる姿が見たかったのさ」アドラウシュナの歪んだ笑みが間近に見える。


「理由はもう一つあるぞ。自分より下の立場の奴を踏み台にして見る景色は最高だからな、それを見に来た。人間の姿でここに来たのはその為だ。竜の姿だとお前を潰しちまうからな」


 倒れ込むラトーディシャの身体を踏みつけながら、嬉々として話すアドラウシュナ。ラトーディシャは兄の異常な嗜虐性に恐怖した。いつの間にか、頬に涙が流れている。


「泣くなよ、これからが本当に楽しいんじゃないか。お前はこの雪原で孤独に野垂れ死ぬんだ。あいにく俺は忙しいから、ずっとここにはいられないがな。お前の死に様を見ることができなくて残念だよ」


 アドラウシュナはラトーディシャの身体から足を降ろし、彼に背を向けた。その瞬間、ラトーディシャは最後の力を振り絞り、背後からアドラウシュナの腕を爪で引っ掻いた。


 数滴の血が白い雪面に跳ねる。


「痛いだろ」振り返ったアドラウシュナは無表情のままラトーディシャの腹を、足を、腕を、頭を何度も何度も踏みつけた。


「最低な気分だ。さっさとくたばれ」


 アドラウシュナは捨て台詞を吐いた後、巨大な翼を広げ、雪原を飛び去った。


 ラトーディシャは雪の上に落ちたアドラウシュナの血を雪ごと飲み込む。竜の血には強い生命力が含まれている。強大な竜ならなおさら強い力が得られる。思ったとおり、ラトーディシャの身体は少しづつ軽くなっていく。


 流れていた涙は枯れていた。代わりに、胸の奥底から怒りと憎しみの炎が湧き上がってくる。


「殺してやるッ! アドラウシュナ、絶対に殺してやるぞーッ!」


 ラトーディシャは力の限り叫んだ。そして、兄を必ず打ち倒す事を誓った。


 その後、彼は雪原の結界を解く方法を自力で調べた。偶然の出会ったゼールベルの力を借りて、忌々しい雪原から抜け出すことができた。ラトーディシャはゼールベルに連れられ、異界渡りになった。


 兄を倒すための知識を得るために。




 ラトーディシャの話を聞いたリシュリオルは言葉を失う。これまで彼に対してとってきた態度を、酷い言葉を掛けていたことを後悔していた。


 ラトーディシャはリシュリオルがいたたまれない表情をしているのを見て、優しく声を掛けた。


「リシュ、気にしなくていい。君だって、僕の兄のせいで酷い目に会ってきたんだろう?」

「だけど……」


「それより、他に聞きたいことはないかい? 知ってることなら何でも話す」リシュリオルは少し考えた後、口を開く。


「じゃあ、アリゼルが私の前に憑いていた宿主のことが聞きたい。『先生』とはどこで会ったんだ?」ラトーディシャはアリゼルに向けて、軽く頷いた後、リシュリオルの質問に答えた。


「彼と会ったのは、僕がまだ雪原にいた時だ。彼は街の人間に頼まれて、僕を退治しに来たと言っていた」

「でも、何もしなかったんだな」ニヤッと笑うリシュリオル。


「そう。彼は僕に何もしなかった。彼は僕の話を聞いたら、泣いていたよ」ラトーディシャもつられて笑う。

「そして彼は、街の人間には氷の竜は何処かへ消えていたと伝えると言って、雪原を去っていった」


「先生らしい」リシュリオルは『彼』に出会ったときのことを思い出して、笑った。

「ええ、彼はそういう人でした。だから、彼は……」アリゼルも昔を懐かしむように呟く。その声からは何処と無く寂しさを感じ取れた。


 リシュリオルは自身の記憶を更に思い起こす。冷たい孤独の世界から救い出してくれた恩人のこと、自分の無力さ故にその人が消えてしまったこと。


 そして、過去の出来事から逃げるのではなく、立ち向かうため、新たに決意する。


「私は今まで、ずっと心の何処かにわだかまりがあったのに、それを解消しようとはしなかった。あの街の出来事はもう過ぎたことなんだと、私には関係のないことなんだと……。でも、ラトーの話を聞いて、考え直した。やっぱり、奴は完全にこの世から葬り去らないといけない。未だあの街で、巨大な氷の塊の中で眠る奴を」


 リシュリオルはベンチから立ち上がり、ラトーディシャの目の前に立ち塞がる。


「ラトー、私は先生の敵を討ちたい。あの人の魂の安らぎのために。私に力を貸してくれないか?」リシュリオルはラトーディシャに手を差し出す。


「さっきの話を聞いて、そんな事を聞くのかい? 僕が断る理由が無いだろ」ラトーディシャは微笑みながら、リシュリオルの手を握り返した。


 二人は互いにラトーディシャの兄である氷の竜、アドラウシュナを倒すことを共に誓い合い、明日から始まる本戦に向けて、眠りに就いた。

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