旅の目的、新たな旅立ち

 二人は無言でホリーが置いてある部屋に向かう。ラフーリオンは廊下の窓から外の景色を横目で見る。穏やかに波打つ海が見えた。


(こんなにも平和な世界で、例え機械だとしても人と同じように話し、思考する者の命を止める事になるなんて)


 これからする事に対して、あまりにも平穏な海を見ると、胸の奥から虚しさが込み上げてきた。


 二人はホリーが置かれた部屋に着く。先に部屋に入ったリシュリオルが部屋の中央に置かれた直方体に近づいていく。ラフーリオンは部屋の扉の近くからリシュリオルを見ていた。


「ホリー、本当にいいのか?」心配そうに聞くリシュリオル。

「ええ、大丈夫です」ホリーの口調は落ち着いていた。


「……私は何をすればいい?」


「中央の箱の裏側に操作盤があります。その操作盤の中に大きなレバーがあるので、それを下に倒せば電源を停止できます」


 リシュリオルは箱の裏側に回り込み、操作盤の扉を開ける。扉の中の操作盤には大きな赤い取っ手のレバーが付いていた。リシュリオルはレバーの取っ手を両手でしっかりと掴む。


「ホリー、この船の甲板に穴を空けてしまったんだ。ごめん」リシュリオルが唐突に最初にこの船に乗った時に起こした事を謝り始める。


「いいですよ、お気になさらず」ホリーは何事も無かった、というように返事をした。

 ホリーの返事を聞いて、レバーを握り締めるリシュリオルの腕に力が入る。その腕は何かに耐えるように震えていた。


「……さようなら、ホリー」リシュリオルはレバーをゆっくりと下に倒した。


「さようなら、リシュリオルさん、ラフーリオンさん、アリゼルさん。先に船を降りた二人にもよろしくお伝えください」ホリーの声が小さくなっていく。

「ああ、伝えておく」ラフーリオンが頷く。


「ありがとうございます……」


 ホリーの声は部屋に騒がしく響いていた機械音と共に聞こえなくなった。




 部屋から出た二人は船から降りる為、甲板に戻った。甲板に着くと、ラフーリオンは遠く彼方まで広がる海の方を見て呟き始める。


「この辺りの海は戦争が始まる前までは、いつも波の少ない穏やかな海だったらしい。人々はこの海を『平和海域』と呼んだそうだ。……そうホリーから聞いた」


 リシュリオルは無言で海を見ながら彼の話を聞いた。人が居なくなった世界のその海は恐ろしい程の静寂に包まれていた。


 二人は暫くの間、海を眺めてから船を降りた。乗船所には先に船を降りた二人が待っていた。


「遅かったですね。何かあったんですか?」リーリエルデが不思議そうに聞いてくる。

「……はい。ホリーに頼まれ事をされて。最後に二人にもよろしくと言っていました」ラフーリオンはやや間を空けて答えた。リシュリオルは横目で嘘をつく彼の背中を見ていた。


「そうでしたか。ホリーさんにはもう少ししっかりとした挨拶をするべきでした」リーリエルデはホリーの事に殆ど気付いていないようだった。

 だが、イルシュエッタはどこか落ち着かない様子で、口を開くのを躊躇っているように見えた。


「……先輩は他人に気を使い過ぎですよ」笑みを浮かべるイルシュエッタ。


 彼女はラフーリオンとリシュリオルの態度から、ホリーに何かがあった事に気付いているようだった。しかし、イルシュエッタはその事については何も言わなかった。ラフーリオンは彼女の気遣いに心の中で感謝した。


 そして、直ぐに話題を切り替える為、ぎこちなく笑って言った。


「さあ、次の異界に行きましょう。扉は開いていますから」一行は乗船所から離れ、ホリーがいた船を見ながら次の異界の扉の気配がある街の中に向かった。



 街の中には、人の気配は全く無かった。建物の状態も廃墟同然になっており、戦争による被害の大きさが街の通りを歩くだけで見て取れた。


 ラフーリオン達とイルシュエッタ達の異界の扉は別の場所にあった。イルシュエッタとリーリエルデが向かうべき異界の扉は街の中心にあるレストランの扉だった。


「師匠、またいつか会いましょう」イルシュエッタはラフーリオンに向かってゆるく敬礼する。

「次に会う時は凄い道具をお見せしますね。これお店のカードです」リーリエルデが店の名前の書かれたカードをラフーリオンに渡した。

「楽しみにしています。イルシュエッタ、あまりリーリエルデさんに迷惑をかけるなよ」

「そんなことしませんよー」自信満々に言うイルシュエッタ。


「ははは……」リーリエルデは苦笑いする。これからも苦労するだろう、とラフーリオンは思った。


 リシュリオルの影からアリゼルが現れ、イルシュエッタの目の前に右手を差し出す。

「また手合わせ願います」

「こちらこそ」イルシュエッタは差し出された手を握り返した。


「リシュ、あなたからは何か言うことはないのですか?」アリゼルが振り返って言う。

 リシュリオルは何かを言いたげにしていたが、口をつぐんでいた。イルシュエッタが何も言おうとしないリシュリオルに何かを手渡した。


「はい、これ。体術の指南書。これに書かれてる事を続けていれば、私の次くらいには強くなれるよ」イルシュエッタの言葉に反応して、リシュリオルが口を開いた。


「イルの次くらい?」

「うん」笑みを浮かべながら、返事をするイルシュエッタ。


「ふざけるな、絶対にお前より強くなってやる」リシュリオルは笑顔を崩さないイルシュエッタを睨みつける。

「そうそう、その意気だよ」そう言って、イルシュエッタはリシュリオルの目の前にしゃがみ込み、彼女の体を急に抱き寄せて、耳元で囁いた。


「約束忘れないでね。師匠の事、よろしく」

「……分かってる」リシュリオルも小声で返事をした。


「頼んだよ」イルシュエッタはリシュリオルを更に強く抱き締めた。

「分かってるって」リシュリオルはイルシュエッタの腕を解こうとしたが、力強く抱き締められて彼女から離れることができなかった。


「ふふふ。私の事、師匠って呼んだら離してあげる」イルシュエッタは楽しそうに笑いながら、抱擁を続けた。

「それはもういいんだろ! 離せ!」リシュリオルはジタバタと暴れたり、イルシュエッタを突き飛ばそうとしたが、彼女はビクともしない。


「よしよし、元気になったね」イルシュエッタはそう言うと、パッとリシュリオルの体を解放した。

「く、くそ」イルシュエッタに抱き締められ、ぐったりとしているリシュリオルの様子は、あまり元気そうには見えなかった。


「本当に仲良くなりましたね」微笑ましそうに笑うリーリエルデ。

「本当に仲が良いんでしょうか?」ラフーリオンは不思議そうに二人の様子を見ていた。


「さて、そろそろ行きますか」イルシュエッタがレストランの扉を開ける。扉の先には異界の景色が広がっていた。

「もう、二人は行ってしまいますよ。お礼ぐらいは言ったらどうですか、リシュ」アリゼルがリシュリオルに向かって言う。しかし、リシュリオルは不機嫌そうな顔をして、そっぽを向いてしまった。


「じゃあね師匠、リシュ」

「さようなら、またいつか」イルシュエッタとリーリエルデはもう扉の向こうに進んでいた。


「待て!」リシュリオルが扉の先にいる二人に向かって叫ぶ。イルシュエッタは閉まりかける扉を止めた。


「ありがとう、リーリエルデ。料理、美味しかった」

「どういたしまして」リーリエルデはにっこりと笑った。


「ありがとう……。し、師匠!」リシュリオルは悔しそうな、恥ずかしそうな、真っ赤な顔でぎこちなく叫んだ。


 イルシュエッタはニヤリと笑った後、リシュリオルに叫び返す。


「強くなれ! 我が弟子よ!」叫び声の後、イルシュエッタは扉を閉めた。

 扉を閉める直前、笑顔で手を振るイルシュエッタの姿が見えた。


「行ったな」ラフーリオンが閉められた扉を見て呟いた。

「ああ」


 イルシュエッタ、リーリエルデと別れたラフーリオン達は、次の異界の扉の気配に向かった。




 次の扉は、小高い丘の上から気配を感じた。丘の上には小さな家が見えた。丘の上まで登り切り、振り返ってみると今まで渡ってきた海が見えた。乗船場にはホリーがいた大きな軍艦もあった。もうあの船が航海することは無いだろう。


「ホリー……」リシュリオルが呟く声がラフーリオンの背後から聞こえた。


 丘の上の家の周囲をぐるりと一周したが、当然のように人の気配は無かった。窓から家の中を覗くと、生活用品がホコリを被ったまま放置されていた。異界の扉の気配は玄関の扉から感じ取れた。


「さて、行くか」ラフーリオンがドアノブに手を伸ばす。

「ラフーリオン、次の異界に行く前に行っておきたい事がある」リシュリオルの言葉にラフーリオンの動きが止まる。


「何だ?」振り返り、リシュリオルの顔を見る。彼女はどこか悲しげな顔をしていた。


「ここに来るまで、ホリーの事を考えていた。アリゼルに言われた事も。あの時は頭の中がぐちゃぐちゃで、考えが及ばなかったけれど、この世界に独りで取り残されたら、私も同じ事をしていたと、今は思ってる。何となくだけど、……死のうとする者の気持ちが少しだけ、分かった気がする」


「……」ラフーリオンは何も言わず、リシュリオルの言葉に耳を傾けていた。彼女は必死に話し続ける。


「でも、やっぱり正しい事じゃないと思う。ラフーリオンがやろうとしている事は。お前は独りで取り残されてるわけじゃないだろ? 砂の街にはベルフリスやアルフェルネがいる。イルシュエッタとリーリエルデとだってまた会える筈だ。それに……それに、私がいる。……だから」


「……だから?」ラフーリオンは真剣な表情でリシュリオルの顔を見据える。


「だから、私はお前のやろうとしている事を止める。勝手に死なせたりなんてさせない」


 リシュリオルの鋭い眼差しがラフーリオンに刺さる。彼女の瞳に宿る光を見て、彼は酷く辛く感じた。まだ幼い少女の決意の言葉が彼の胸を苦しめる。自身の決意が揺らぐのを恐れて、ラフーリオンは彼女の言葉を冷たくあしらう。


「……勝手にすればいい」ラフーリオンはそう言うとすぐに振り返って扉を開けた。

「そうさせてもらう」リシュリオルはラフーリオンの背中を見ながら、次の異界へと足を進めた。




 とある異界。イルシュエッタとリーリエルデが船の世界の後に訪れた世界。


 最初に見つけたカフェで話す二人。イルシュエッタは注文した物に手も付けず、浮かれていた。

「先輩、ついに私にも念願の弟子ができましたよ。いつも周りには目上の人しかいなかったので嬉しいです」嬉々として話すイルシュエッタ。リーリエルデは彼女の勢いに押される。

「わ、分かりましたから少し落ち着いて下さい」リーリエルデは席を立ち上がり、声を上げるイルシュエッタをなだめる。


「早く会いたいなー、強くなっていればいいけど。会った時はまた抱きしめてあげないと」

「あんまり早く会っても、彼女はそんなに変わっていないと思いますよ」イルシュエッタの感情の昂ぶりにリーリエルデはついていけなかった。


「強くなれよー。我が弟子、リシュよ」

 イルシュエッタは楽しそうに笑い、何処か遠くの世界にいるリシュリオルに向けて、聞こえる筈のないエールを送った。

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