機械の心を聞いた
その日の夕食、ホリーは船がもうすぐ目的地に着くことを伝えた。
「ホリーとはお別れになるのか。寂しくなるな」そう呟くリシュリオルの体にはイルシュエッタの訓練のせいか、あちこちに擦り傷ができていた。
「また泣いたりするなよ。面倒だから」ラフーリオンがニヤニヤ笑う。
「うるさい!」リシュリオルが怒り出す。
「リシュはよく泣くの?」イルシュエッタが面白そうに聞く。
「すぐ泣くぞ」ラフーリオンはまた笑った。彼の笑い声を聞いている内に、リシュリオルの黒髪がざわざわと動き始める。
「ま、待って下さい。食事中くらいは喧嘩しないで下さい」リーリエルデが慌てて二人の間に入り込む。
「じゃあ、おかわり」リシュリオルが皿をリーリエルデに渡す。
「はい」リーリエルデは左手でそれを受け取る。
「俺には追加の酒を下さい」ラフーリオンが空になったグラスを差し出す。
「は、はい」リーリエルデは右手でワインを注いだ。
「はははは。先輩、良いように使われてますね」イルシュエッタが笑い声を上げる。
「ふふ、本当に面白い人達です。久し振りに会えた人があなた達で良かった」ホリーの笑い声がスピーカーから聞こえてくる。
「……この船の乗員の方々も甲板の上で、食事をする時がありました」ホリーは先程の笑い声とは対照的に、悲しそうな声で呟いた。
「ホリー……」ラフーリオンがスピーカーを見る。
「いいんです。私のお願いを聞いてくれただけでも、とても感謝しています。あとは皆さんにこの船旅を楽しんで貰えれば幸です」ホリーの口調が元に戻る。
「……そうか。なら、もっと酒がいるな」ラフーリオンはグラスに注がれたワインを一気に飲み干した。
「昼間から飲んでいるのに、まだ飲むんですか?」イルシュエッタが引きつった顔で、グラスにワインを注ぐラフーリオンに向かって言う。
「悪いか? イルシュエッタ、お前は俺の元弟子なんだから、酒を注げ」ラフーリオンがグラスをイルシュエッタの顔の前にぐいぐいと突き出す。
「め、面倒くさい……」
イルシュエッタはラフーリオンの酒癖の悪さに辟易しながらも、しぶしぶと突き出されたグラスにワインを注いだ。その様子をリシュリオル達が愉快そうに見ていた。
「ふふふ、それでいいんです。あなた達が楽しければ、私も楽しいですから」ホリーは嬉しそうに言った。
夕食後、酔いつぶれて眠ってしまったラフーリオンを除いた三人と精霊でホリーの解説を聞きながら、この世界の星空を眺めた。
どんな異界においても、この星空の美しさは変わらない。
次の日の早朝、ラフーリオンは一番に目を覚ます。二日酔いで彼の気分は最悪だった。
少しでも体調を回復する為、第一甲板に上がって風に当たろうとした。外に出てみると、辺りは濃い霧に包まれていた。
「何も見えないな」独り言を呟いた後、適当な段差に腰掛ける。そして、独りになった彼は考える。
(俺の望む異界はここではなかった。久し振りに元弟子にあったが、元気そうだった。なんだかんだ昔の知り合いに会うのは嬉しいものだ。だが、このままでは未練が残る。リシュリオルの事もそうだ。これ以上、彼女といるのはまずい。いつも考えてしまう事だが、異界に神様がいるなら教えて欲しい。『どうして俺をこの世界に連れてきた?』)
「……答えてくれるわけ無いか」また独り言を呟く。
突然、スピーカーからノイズが鳴る。
「おはようございます、ラフーリオンさん」いつもよりボリュームの小さなホリーの声が聞こえてきた。
「おはよう、ホリー。どうしてそんなに小さな声で話すんだ?」
「お願いがあります。ラフーリオンさんに」緊張した声で話すホリー。
「どうした? 何があった?」ホリーの今までに無い声色に不安を覚えるラフーリオン。
ホリーは更にボリュームを落として、ラフーリオンにスピーカーに近付くように促す。そして、囁くような小さな声でラフーリオンの耳元にその願いを伝えた。
「分かった。……本当にいいんだな?」
「はい。できれば他の皆さんには言わないようにお願いします」
「だが、その時になったらきっと皆も気付く」
「そうでしょうね。ですが、心は決まっています」ホリーの口調からは強い決意を感じた。
「分かった。もう何も言わないよ」
「ありがとうございます」
霧はいつの間にか晴れていた。昨日はまだ遠くに感じた陸地がすぐ近くに見えている。眩しい朝日が甲板を照らす中、ラフーリオンは誰かが目を覚ますまで、ホリーからこの世界の海の話を聞いた。
朝食を終える頃、船はホリーの故郷である街の港に着いていた。
そして、ラフーリオン達はその港町の何処かに異界の扉の気配がするのを感じ取った。一行はホリーに別れの挨拶をする為、制御システムが置かれた部屋に集まることにした。
「皆さん。ここまで連れてきていただき、本当にありがとうございました」
「どうもどうも。まあ、異界の鍵の為にやったようなものだけどね」イルシュエッタが呑気に笑う。
「イルさん、もうちょっと雰囲気という物を考えて下さい」リーリエルデが呆れた顔をする。
「ははは、あんまりしんみりされても嫌なので、そんなに気を使わなくてもいいですよ」
ラフーリオン達は和やかな雰囲気でホリーに別れの挨拶を告げた。ラフーリオンはホリーに聞きたい事があるから先に船を降りるよう仲間に伝えて、一人だけ部屋に残った。
「そろそろいいだろう。ホリー、俺は何をすればいい?」
「すみません、ラフーリオンさん。こんな事、本当は誰かに頼みたくはないのですが、自分ではできない事なので」
「いいんだ。ホリーの考えている事は、俺にも分かる気がするから」
「では、手早く済ませましょう。他の方々に気付かれる前に。まずは待機命令を解除した時に入った司令室に向かって下さい」
「分かった。すぐに行くよ」ラフーリオンは制御システムのある部屋を出て、駆け足で艦橋の隣りにある司令室に向かった。
司令室に置かれた画面にはマニュアルの様なものが映し出されていた。ラフーリオンは司令室に置かれたマイクに向かって話しかける。
「ホリー、司令室に着いた」
「分かりました。待機命令を解除した時と同じように画面のマニュアルを使いながら指示を出します」
「了解だ」ラフーリオンはホリーの指示に従い着々と作業を進めていった。
装置の操作を行っている最中、司令室の扉の方から足音が聞こえた。その音につられて振り返るラフーリオン。そこには怒りと疑心を含んだ表情をするリシュリオルと困惑するアリゼルがいた。
「必死に止めたんですが、言うことを聞かなくて」アリゼルが呆れ果てたように言う。
「さっきのお前の様子がおかしかったから戻ってきたが、……お前何してる」強い口調で迫るリシュリオル。
「……ホリーの調整を頼まれていたんだ」ラフーリオンは一瞬考えた後、嘘の言葉を吐く。リシュリオルはその一瞬の間を見逃さなかった。
「やっぱり、何か他の皆には知らせたくない事をしているんだな」彼女の剣幕にラフーリオンは目を逸らしてしまう。
「……ラフーリオンさん、本当の事を言いましょう」ホリーが弱々しく諦めの声を上げる。
「分かった。説明する」
ラフーリオンはホリーに頼まれて、ホリーの電源を完全に停止する為の作業を行っていたことをリシュリオルに話した。リシュリオルは彼が行おうとしていた事に憤る。
「その作業を続けたら、ホリーはどうなる?」
「……ホリーは二度と起動することができなくなるだろう」ラフーリオンは重苦しい口調で言った。
「どうしてそんな事!」リシュリオルは激しい剣幕でラフーリオンに向かって叫ぶ。
「リシュリオルさん、落ち着いて聞いて下さい。これは私が頼んだ事なんです。ラフーリオンさんは悪くありません」ホリーがリシュリオルの怒りを鎮めようと説得する。しかし、彼女は納得しなかった。
「だけど、どうして平然とそんな事ができる? お前も死のうとしているからか?」
「そうかも知れない」ラフーリオンは冷静だった。
「リシュリオルさん、あなた達が次の世界に行った後、この世界に残された私がどうなるか想像できますか?」ホリーが落ち着いた口調でリシュリオルに話し掛ける。リシュリオルはホリーの声がするスピーカーに見て、黙り込む。
「私はこの港に来るまで、この船に積まれたセンサーでずっと人の気配を探していました。しかし、センサーに反応はありませんでした。やはり、人は消えてしまったのだと思います」
「でも、何処か別の土地に、もっと遠い場所に行けば誰かがいるかもしれない」リシュリオルは悲痛な表情で言う。
「例え、何処かに人がいたとして、私に何ができるのでしょうか? 戦うために作られた私に。それに人を探してるいる最中に、燃料が尽きて何も無い海の真ん中に浮かび続けるなんて嫌ですよ」ホリーは冗談めいた声で笑った後、話を続ける。
「今回のラフーリオンさん達との出会いが、私を止める最後のチャンスなんです。あなた達が次の世界に行ってしまったら、私は世界に一人取り残されてしまいます」
「だけど――」リシュリオルが口を開いた直後にアリゼルが彼女の肩に手を置き、諭すように喋り始める。
「リシュ、ホリーさんの気持ちをよく考えて下さい。彼をこのまま、この世界に取り残せば彼は独りで思い出の街が朽ちていくのを見続けるか、燃料が切れるのを恐れながら、あてのない人探しをする事になるんですよ。私にはどちらも耐え難い退屈さです。リシュ、あなたが彼の今の状況にさらされた時、あなたならどうしますか?」
リシュリオルはアリゼルの問いに答えられず、小さな体を震わせながら俯いた。暫くの間、司令室に機械音だけが響く。ラフーリオンはリシュリオルを一瞥した後、画面に映し出されたマニュアルに視線を向ける。
「ホリー、作業を進めよう」
「……分かりました」ホリーはラフーリオンへの指示を再開した。
ラフーリオンはホリーの電源を停止する為、黙々と作業を続けた。リシュリオルは司令室の床を見ながら、その場に立ち尽くす。アリゼルは沈黙を保ったまま、俯くリシュリオルの背中をじっと見ていた。重苦しい空気の中、作業は終盤に入っていた。船内の設備を少しずつ停止している為、周囲から聞こえる機械音が小さくなっていた。
「ラフーリオンさん、そのコマンドを打ち込んだら、私が置いてある部屋に来て下さい。そこで最後の指示を出します」
「……分かった」ラフーリオンはキーボードにいくつかの文字列を打ち込んだ後、司令室から出ようとすると、背中から服を引っ張られた。俯いたままのリシュリオルが服の端を掴んでいた。
「私がやる」そう言って顔を上げたリシュリオルの瞳には強い意志が秘められているように見えた。
「……ホリーのいる部屋に向かおう」ラフーリオンは足早に司令室を抜け出した。
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