出航

 通信機から声が聞こえなくなった後、二人は機械室を出る。外の景色が見える窓付きの休憩室が近くにあったので、そこで一息つくことにした。窓際に置かれた椅子に座ったリシュリオルが口を開く。


「リーリエルデはイルシュエッタと、どうやって出会ったんだ?」

「イルさんとですか? 彼女と会ったのは仕事で開発した道具の試用をしていた時でした」リーリエルデがイルシュエッタと出会った時の話を始めた。


 リーリエルデは異界の鍵をより広い範囲で探知する為の道具を持って、多数の異界を渡り歩いている時にイルシュエッタととある異界で偶然出会った。リーリエルデとイルシュエッタはお互いが次の扉の鍵だった為、二人は共に行動することになった。


 二人で旅を続ける内、イルシュエッタもリーリエルデの仕事に興味を持ち、彼女が勤めている店で働くことになった。


「異界を探知する道具なんて凄いな。旅の負担がかなり減るじゃないか」リシュリオルが驚きながら話す。

「そうですね……。ですが、その道具はイルさんが仕事の途中で何処かに置いてきてしまいました」リーリエルデは話しながら、肩を落とす。


「そうか、リーリエルデも大変なんだな」リシュリオルは同情するように言う。

「リシュがそんな事を言える立場だとは思えませんが」

 アリゼルが真面目な態度でリシュリオルの言葉を指摘した。リシュリオルはちらりとアリゼルを睨みつけた後、直ぐにリーリエルデの方へと視線を戻す。


「私達はいつも怒られてばかりです。私もどこか抜けてるみたいで、イルさんはいつもあの調子なので」リーリエルデは話を進める度、俯いていく。

「……本当はあの人の役に立ちたいのですが」思い耽るように外の景色を見つめるリーリエルデ。


「あの人? 誰のことだ?」リシュリオルが聞く。


「えーと、私達の上司の事です。とても優秀な人でお店が開く時にも深く関わっていたんです。異界の事に本当に詳しくて、その知識を応用してたくさんの便利な道具を考えてきました。うちの店の道具の大半はあの人が作ったようなものなんですよ」

 目を輝かせながら、自身の上司の事を熱く語るリーリエルデ。リシュリオルはその熱気に少し気圧される。


「そ、そうか。凄い人なんだな」

「はい!」リシュリオルは笑顔で返事をするリーリエルデを見て、ふと昨日のイルシュエッタとの会話を思い出す。


(私は師匠が好きだから)


「リーリエルデは、その人の事が好きか?」リシュリオルは何気なく質問した。

「え……」リーリエルデが思いもよらぬ質問に言葉を失ってしまった。


「そ、尊敬してます。はい、尊敬です」焦りを隠すように、わざとらしく笑いながら話すリーリエルデ。


「好きなんだな」リシュリオルが再び、リーリエルデをじっと見つめながら聞く。

「そ、尊敬です……」リーリエルデはどんどん語気を弱めていく。


 アリゼルがその様子を面白がって追い打ちをかける。

「好きなんですね」アリゼルの甲冑の奥にある赤い視線がリーリエルデの顔をじっと捉える。

「……」リーリエルデは赤らむ顔を隠すように俯き、黙り込んでしまった。


 そんな彼女の様子を見て、リシュリオルは呟いた。

「……やっぱり、私にはよく分からないな」




 ホリーから船首、船尾の各機械室の準備が整ったという連絡が通信機から聞こえた。再びホリーの指示に従って、リーリエルデとリシュリオルは機械室で作業を行った。


「これで、私の方から船全体の設備を動かす事ができるようになりました。皆さん、一度、艦橋に戻ってきてください。そこでまた船を動かす為の指示を出します」


 リーリエルデは通信機を使って、船首側にいるラフーリオン達と連絡を取った。そして、艦橋に行く前に第一甲板で合流する事にした。


 リーリエルデとリシュリオルが第一甲板に戻る頃には、ラフーリオン達が檣楼に入るためのドアの前で既に待っていた。二人は全身が煤で真っ黒になっていた。


「お待たせしました。……お疲れ様です」リーリエルデがラフーリオン達の煤だらけの格好をまじまじと見ながら言った。

「そちらこそ。お疲れ様です」ラフーリオンは笑顔で返事をしたが、目は笑っていなかった。


「新しい服、似合ってるぞ」リシュリオルはラフーリオンの姿を嘲笑う。

「そいつはどうも」ラフーリオンは不機嫌そうにリシュリオルを見た。


「ま、まあまあ。ホリーさんを待たせてしまいますから、艦橋に行きましょう」リーリエルデが青空を背景に高々とそびえる艦橋を指差した。


「……そうですね。ホリーを故郷に送ってあげましょう」ラフーリオンが檣楼に入る為の扉に入っていった。他のメンバーもそれに続いていく。




 艦橋に到着すると、計器などが取り付けられたデスクのスピーカーからホリーの声が響き渡った。


「皆さん、お疲れ様です。早速で申し訳ないのですが、この船を私が動かすには待機命令の解除をしなくてはなりません」


「分かった、ホリー。命令の解除はどうやればいい?」ラフーリオンはホリーの声が聞こえてくるスピーカーの隣についているマイクに向かって声を出す。

「司令室で解除できます。その部屋に大きな金属の扉はありませんか?」


 ラフーリオンは部屋の壁をなぞるように見渡す。ホリーの言葉通り、今まで見た扉の中でもかなり分厚い金属の扉が付いていた。


「ああ、ある。そこが司令室だな」

「はい。司令室の扉のロックはこちらから解除してあるので、問題なく入室できる筈です」 ラフーリオンは司令室の扉を開けようとしたが、ドアは歪んでおり押しても引いてもびくともしなかった。


「任せて下さい、師匠」イルシュエッタがキーホルダーを人差し指で回しながら、扉に近付いていく。そして、鍵を扉の中心に向かって突き刺し、小さな扉を取り付けた。

「たまには、私も役立つでしょう?」

「たまにはな」

 イルシュエッタに目もくれず、彼女が作った扉の先へと進むラフーリオン。司令室は頑強な壁に覆われており、壁には多数の画面と通信機器が取り付けられていた。


「ホリー、次は何をすればいい?」ラフーリオンは部屋に響くように声を張り上げる。司令室のスピーカーからノイズ混じりの声が聞こえる。


「今、画面にマニュアルを写します。それを見ながら、私の指示で装置の操作をして下さい」司令室の壁の画面に装置の各部位の名称や操作方法が表示される。


「師匠、私も手伝いますかー?」イルシュエッタが司令室に入ってきた。

「誰か、そいつを司令室から出してくれ」ラフーリオンが艦橋に聞こえるように大きな声で叫んだ。


「は、はい」リーリエルデがイルシュエッタの腕を引っ張って、艦橋に戻っていった。

「そんなー」イルシュエッタの声が聞こえなくなる。


「ホリー、準備はできた。指示を頼む」

「了解です」ホリーの指示に従い、ラフーリオンは待機命令を解除を行った。作業が終了してから数分後、船全体に轟音が響き渡る。


「これから船を少しずつ動かしていきます。かなりの揺れが予想されます。揺れが収まるまでは、何かに捕まっていて下さい」


 一行はホリーの指示通り、艦橋で待機していた。時間の経過と共にそこかしこから機械の駆動音が聞こえてくる。艦橋に設置された計器も忙しく動き出していた。


 ふと、大きな揺れが起こる。窓から見える外の景色が大きくずれる。船が海の上を動き出した。スピーカーからホリーの声が聞こえる。


「皆さん、お待たせしました。本艦はこれより、私の故郷に向けて出航します。目的地に着くまでは三日程かかりますが、それまで当艦が誇る海上安定性による、快適な船旅をお楽しみ下さい」


「終わったみたいだな」艦橋の椅子に座っていたラフーリオンが立ち上がる。

「三日かー、結構掛かるね」伸びをするイルシュエッタ。リシュリオルが彼女に近づいていく。


「イル、体術を教えてくれ」

「ああ、そうだったね。……リシュは体力はある方かな?」

「精霊の力があるから、それなりにはあると思う」

「なら基礎的な訓練はすっ飛ばそう。まずは体術に一番必要になる足さばきを覚えようか」

「分かった」リシュリオルは頷いた。


 そして、イルシュエッタの過酷な訓練が開始された。




 船がホリーの故郷に着くまで、リシュリオルはイルシュエッタの指導による体術の訓練を受け続けた。


 アリゼルは彼女達の訓練を見ながら、リシュリオルが訓練でへたばった時、暇そうなイルシュエッタと模擬戦をしていた。


 ラフーリオンはホリーからこの世界の話を聞いたり、船内に隠してあった酒を飲んだりして、ぐだぐだと日々を過ごした。


 リーリエルデは異界調査の為、忙しなく艦内を歩き回っていた。


 船が動き出してから二日目、ラフーリオンが酒瓶を片手に艦橋から外の景色を見ている時、ホリーがスピーカー越しに話し掛けてきた。


「今、目的地の港がある湾に入りました」

「もうそろそろ到着するのか。確かに陸が見えるな」遠くに巨大な陸地が見えた。


「この船旅の間、何度か陸地に近付きましたが、船のセンサーに人の反応はありませんでした」

「ああ。やはり戦争でこの世界から人は消えてしまったんだろう」ラフーリオンは酒を一口飲む。


「はい。人は優れた能力があるのにどうしてその力で戦い、殺し合い、自らの首を締めるような事をするのでしょうか」


 ラフーリオンはまた一口、酒を飲む。

「……なんでだろうな。俺もいろんな世界を渡って、人間の良い部分も悪い部分も見てきた。だけどな、その良いとか悪いとかの見方は俺の価値観だ。きっと広い世の中には逆に考えるやつもいるんだと思う」


「その価値観の差が争いになるんでしょうか?」

「さあな。でも、俺は戦って死ぬなんて御免だ。だから、極力争いは避けてきた」


「世の中の全ての人がラフーリオンさんのような人だったら良かったのに……」

「そしたら人は飲んだくればかりになって、絶滅するぞ」ラフーリオンは笑いながら、瓶に入った酒を飲み干した。


「ははは、そうかも知れません」スピーカーからホリーの笑い声が聞こえた。

「そろそろ、夕食だな。ホリー、みんなを艦橋に集めてくれないか」

「お安い御用です」ホリーの声が船の中に響き渡った。

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