竜と出会った王女様
テレビに映った第三王女を見ながら、一行は彼女に近付く方法を考える。
「闘技大会に出るべきだ」リシュリオルが真っ先に口を開く。
「お前はただ、この大会で力を試したいだけだろ」ラフーリオンが呆れたようにため息をつく。
「だが、それしか方法は無いんじゃないか? 幸いにも、俺達には最強の精霊と氷の竜が着いているし、負けることはないだろ」ゼールベルがリシュリオルの意見に賛同する。
「僕は大会に出てもいいよ。アリゼルとも戦ってみたかったしね」ラトーディシャも続いて、大会に出場する事を押す。
「戦うのは、私だ」リシュリオルがラトーディシャを睨みつける。
このまま話し続けていると、また空気が悪くなりそうだったので、ラフーリオンはしぶしぶ闘技大会に出場することを承認した。
闘技大会の受付と予選は明日から始まる。一行は宿泊先を探した後、残った時間は各々自由に過ごす事にした。
リシュリオルとラフーリオンはホテルの部屋で荷物を整理していた。ラフーリオンはリシュリオルの機嫌を少しでも直すために、新しい服を繕ってやろうと考える。
彼女の今の機嫌の悪さはラフーリオンにとって、非常に居心地が悪いもので早急に解消するべき問題だった。この気まずい空気は思い出したくない過去を引き起こす一因だった。
「リシュ。闘技大会に出るのに、その格好だと動きにくいだろ」ラフーリオンの言葉を聞いて、リシュリオルは自分が着ている服を見直す。
ゆったりとした黒のブラウスとごわごわとした硬めのデニム生地のパンツ。上下とも身体を大きく動かすには不向きなデザインの衣服だった。
「まあ、確かに」
「俺が戦いに向いた服を新しく繕ってやる」
「珍しいな、お前からそんな事を言うのは。砂の街以来か?」リシュリオルはラフーリオンの突然の提案に疑惑の念を感じた。
「どうするんだ? やらなくてもいいんだが」ラフーリオンはリシュリオルの不機嫌のせいでやらなくても良い事をやる羽目になっている事に苛立っていた。
「……じゃあ、頼む」
ラフーリオンはテーブルの上に数枚の生地を用意した。そして、それぞれの生地の肌触りや厚みを確認した後、リシュリオルの身体に巻き付けた。
「また黒ばかりか」
「この生地は黒しかないんだ」ラフーリオンはその後も、黙々と生地の選定と巻き付けを繰り返した。
「これでいいだろう。今回の裁縫は複雑だから、いつも以上に時間がかかる」
「分かったよ、動かなきゃいいんだろ」
「そういう事だ」ラフーリオンは数種類の生地に数本の糸と針を取り付けた。
そして、ラフーリオンの力による自動裁縫を始めた。
数十分が経過し、リシュリオルの新しい服が完成した。身体に密着するインナースーツのようなデザインで、伸縮性の高い生地と耐久性の高い生地を織り交ぜて作ってあった。
「やわな刃物は通さないし、強い衝撃も和らげる。実を言うと、俺もこの下に似たような服を着ている」ラフーリオンが新しい服の機能について、長々と説明し始める。
透湿性が高く、汗をかいてもほとんど蒸れない。高温多湿な地域でも快適に過ごせる。それに加えて、防寒性能もしっかりと備えており、マイナス20度程度なら活動に支障をきたすことはない、……らしい。
ラフーリオンの説明に対して、適当に相槌を打つリシュリオル。彼の説明は次第に専門用語だらけになり、理解が追いつかなくなっていたが、いつの間にか現れていたアリゼルが熱心にその話に耳を傾けていた。
ラフーリオンの説明は途中から聞くのを諦めていたが、実際に身に着けていると、新しい服の着心地の良さを体感することができた。試しに四肢を動かしてみたが、体の動きを邪魔するどころか、上手い具合に筋肉へのサポートが利く為、非常に機能性の高い一着だという事は直ぐに認識できた。
「だけど、少し恥ずかしいな。この格好は」新しい服は身体に密着する為、ボディラインが強調されている。リシュリオルは何かを思いついた様に荷物の中から、以前、ラフーリオンに作らせた黒のパーカーと黒のショートパンツを取り出し、インナースーツの上から着込んだ。
ラフーリオンの長ったらしい説明が終わったのか、アリゼルと一緒にリシュリオルの方へと視線を向けていた。
「決まっていますね。カッコいいですよ」アリゼルが楽しそうに言う。隣りに立つラフーリオンは何かを手に持っていた。
「これは、オマケだ」ラフーリオンが赤色の生地を瞬時にマフラーに変え、リシュリオルに投げつけた。
「好きなんだろ、赤色」
「覚えているとは思ってなかった」無表情でマフラーを巻き始めるリシュリオル。しかし、マフラーを巻き終える頃には、彼女はにんまりと笑みを浮かべていた。
ラフーリオン達が泊まったホテルのとある一室。ゼールベルがバーで出会った女達を続々と部屋に連れ込み、お祭り騒ぎをしていた。ラトーディシャは最低な気分でその騒がしい空間から抜け出して、日の沈みきった街中を散歩する事にした。
夜になっても、街にはピリピリとした空気が張り詰めていた。
大通りから路地の酒場を覗いてみると、この街の空気に当てられたのか、酒に酔っているのかは分からないが、何かを叫びながら殴り合っている男達がいた。
ラトーディシャは大通りの灯りが消えるまで、夜の街を散策した。そろそろ部屋が静かになっている頃だと思い、ホテルに戻ることにした。
その道中、運河にかかる橋を渡っていると、橋の中腹に人影が見えた。ラトーディシャは不審に思ったが、橋を渡らなければホテルに戻れないので、仕方なくその人影に近付いていく。
彼の足音に気付き、人影がラトーディシャの方へと振り返った。人影は純白のシルクのローブを身にまとっていた。夜の暗さと被っているフードが顔を隠していたが、体格は小柄で少年か、少女のように見えた。
ラトーディシャは最初は関わらないように通り過ぎてしまおうと考えていたが、深夜に子供が一人でいる事を心配に思い、声を掛けることにした。
「こんばんは、こんな夜更けに何をしているんだい?」恐怖心を与えないように優しい口調で話し掛ける。
「……」相手は沈黙している。
ラトーディシャが顔を覗き込もうとすると、フードを深く被り、顔を隠してしまった。
「別に危害を加えようとか、そんな事は考えていないよ。ただ、君みたいな子供がこんな時間に一人でいる事が心配だったんだ」
「あなただって子供でしょ」フードの下に見え隠れする口元が動いた。
その声色からラトーディシャの目の前にいる相手は『少女』だと判別できた。
「やっと喋ってくれた。確かに僕の今の見た目は子供だけど、本当の姿はとても大きな竜なんだ。……信じてもらえないだろうけど」
「ふふっ、嘘ばっかり」少女は可笑しそうに笑う。
「本当なんだ。竜の姿を見せてやりたいが、ちょっと力が衰えていてね」ラトーディシャはわざと冗談っぽく言う。
「いいよ、無理しないでも。そんな嘘、信じる人はいませんよ」少女はまた可笑しそうに笑った。
「本当に、本当なんだ。大きな翼で空を飛べるのさ」ラトーディシャは微笑みながら、満点の星空を指差した。
「ふふふっ、うそうそ」少女は体を震わせて笑った。
笑う少女の体が少しだけ傾き、フードの下の素顔を一瞬だけ見ることができた。透けるような白い肌と白金色の髪、深い海のように青い瞳が、やわらかなオレンジ色の街灯に照らされ輝いた。ラトーディシャは彼女から溢れた一瞬の光に見惚れる。
異種族の価値観の差を越えた美しさがその輝きの中には、あった。そして、ラトーディシャは少女の胸の辺りで揺れているペンダントを見て、彼女が何者なのかを確信した。ペンダントには昼間のテレビに映っていた物と同じ印が刻まれている。
「君は王女様だろ」ラトーディシャは自身の確信をためらいなく少女に告げた。
「……もう、こんな被り物は意味がありませんね」少女はフードを外しながら、笑顔で言った。遮るものが無くなり、露わになった少女の優しげな笑顔にラトーディシャは引き込まれた。
「私はこの国の第三王女、リアノイエといいます。あなたは?」
「わたくしはラトーディシャ。異界渡りであり、氷の竜でもあります」わざとらしい丁寧な言葉遣いで自己紹介をした後、深々とお辞儀をするラトーディシャ。
「ラトーディシャ、あなたはとっても可笑しな人ですね」くすくすと口元を手で抑えながら笑うリアノイエ。ラトーディシャもつられて微笑む。
「リアノイエ第三王女、お聞きしたいことがあるのですが」ラトーディシャが堅苦しい口調で話し掛ける。
「『リア』でいいですよ。今宵だけ、私は王女である事をやめましょう」
「……じゃあ、リア。君はどうしてこんな夜更けに一人で橋の上にいるんだい?」
「答えましょう」リアノイエの即答にラトーディシャは少し驚いた。人気の少ない時間と場所にいたのは、何か他人には言い難い理由があっての事だと思ったからだ。
「答えないと思った? ……どうしてか分からないけれど、あなたになら話してもいいと思ったの」リアノイエは微笑んだ。彼女の笑顔にますます引き込まれるラトーディシャ。
「私は逃げ出そうとしたの。闘技場の報酬になるのが嫌だったから。でも、そんなことよりも、もっと嫌な事があったから我慢ができなくなった」悲哀に満ちた表情で俯くリアノイエ。
「その『嫌なこと』について、聞いてもいいかい?」
「ええ。誰かに話したら楽になるかもしれないしね」顔を上げ直したリアノイエは、先日の出来事をゆっくりと話し始めた。
それは、リアノイエが偶然聞いてしまった事だった。彼女は王城の中庭の温室で趣味であるガーデニングをしていた。ベンチに座って一休みしようとしたが、疲れが溜まっていたのか、彼女はそのまま眠り込んでしまう。
大きな声が聞こえて目を覚ますと、彼女の父である国王とその息子である王子が口論をしていた。彼らはベンチにいたリアノイエには気付いていないようだった。
リアノイエは静かに中庭から立ち去ろうとしたが、王と王子は温室の出入り口の前に立ち塞がっていた為、彼女はその場から動く事ができなかった。否応無しに王と王子の言葉がリアノイエの耳に入る。
「父上、正気ですか? これ以上、闘技場の参加条件や武器の使用の規制を緩和すれば、他国と戦争をしているわけでもないのに、我が国の中で多くの血が流れます。それに、リアノイエを闘技場の報酬にするなど、本当にどうかしている」王子が国王に向かって、非難の声を浴びせる。
「ああ、正気だとも。強き者を王族の血に加えて何が悪い。今の弛み切った兵士達の姿を見たことがあるか? 奴等を我が国が誇っていた最強の軍隊に戻すには、力を持つ王族の戦士による先導が必要なのだ」国王が唸る。
「確かに、我が国の軍事力は過去に比べても衰退していますが、大戦の時代が終わった今、国防に力を入れ過ぎる必要はありません。侵略を仕掛けてくる可能性のある近隣諸国は全て同盟国となっています」必死に説得しようとする王子。
「そんな生ぬるい考えを私の前で口にするな! 他国との同盟など所詮、信用に値しない口約束。いつ寝首を掻かれるか分からんぞ。その前に全ての他国を我が国として支配してしまえばいい。国は一つあればいい。それこそは我が国だ。闘技場の規制緩和もリアノイエを餌として強者をこの国に集わせる事も、その為の準備として必要不可欠なのだ。より強靭な戦士を生む為のな」血眼で王子の言葉に反発し、異常なまでの戦いへの執着を見せる国王。
リアノイエは自分が国王にとってただの軍事力の強化の為に利用されている事を知り、泣き声を押し殺すように口を塞ぎながら、涙を流した。
「……父上は闘技場から退いて以来、変わられてしまった。その身で戦うことができず、うずく自身の体を慰める為に、他の誰かを戦わせようとするあなたのやり方は間違っている」
「黙れ! 貴様の戯言などもう聞きたくはない! この場から消えろ!」
「私にはあなたを止めることはできないかもしれません。ですが、私は最後まで諦めるつもりはありませんよ」捨て台詞を残すように王子はその場から立ち去った。
「『誰かを戦わせようとする』だと……。違うな。生きている者は皆、『闘争』という欲望を必ずどこかに持っている。私はただそれを掻き立てようとしているだけだ。全てを戦いの海に呑み込んでやる。誰もが戦う事で生まれる力の大きさを知るだろう」
国王は誰かに語りかけるように独り言を呟いた後、温室から出ていった。
二人が去った後も、リアノイエはしばらく温室から出ることができなかった。国王の闘争心に溢れる歪んだ顔を見るのが恐ろしかったのだ。
温室に差し込む光が消え、辺りが暗くなり、城内を駆け回る従者達の足音が聞こえなくなった時、リアノイエは王城から逃げ出そうと決意した。
「そうして、君は今ここにいるのか」ラトーディシャがリアノイエの怯えた顔をじっと見つめる。
「そう。怖かったの。王城にいる事が。国王の、父のやろうとしている事が」リアノイエは自身の体を細い腕で抱き締めた。
恐怖で震える彼女の身体を見て、ラトーディシャの内から沸々と怒りが込み上げてきた。
「国王の話を聞いていると、心底嫌気が差してくる。僕が一番嫌いな類の人間だ」国王への敵意を口にするラトーディシャ。その声には強い怒気がこめられていた。
「ラ、ラトー?」先程と口調の変わったラトーディシャの態度に呆然とするリアノイエ。
「ごめん。僕がこの世で最も嫌っている奴の事を思い出していたんだ。自分の目的の為に、平然と人を貶め利用する最低な奴さ。僕の異界渡りの目的はそいつを倒す事だ。そして、君の父親にも相当に怒っている。大体の人間が理解不能で意味不明な、自分の欲望の為に、君を餌にするだと? いや、もしかしたら王様の事を理解できる奴がいるかも知れないが、僕にとってはそいつは精神異常者だ。いやいやいや、そんな事はどうでもいい。……とにかく君を我が物顔で利用しようとする奴が許せない」ラトーディシャは胸の内から湧き上がってくる気持ちを言葉にし続けた。
「ありがとう、ラトーディシャ。あなたの気持ちは十分伝わってきたわ」怒り、憤り、喚くラトーディシャを落ち着かせるようになだめるリアノイエ。
「……そうかい? ならよかった。それで、可哀想な君に僕からしてあげたいことがあるんだけど」
「何をしてくれるの?」リアノイエは首をかしげる。
「君を狙っている可能性がある闘技者の手から、君を救い出す。……僕が次の闘技大会で優勝する」ラトーディシャの金色の眼差しがリアノイエに向かう。彼の瞳からは揺るぎの無い意志を感じた。
「駄目よ。あなたみたいな子供が戦って、優勝するどころか生き残れる筈が無いわ」
「君は僕が竜である事をまだ信じていないんだね」
「そんなこと、信じられるわけ――」突如として激しい風が巻き起こり、リアノイエの言葉を遮る。
突風によって、反射的に顔を腕で隠したリアノイエが、次に見たものは背中から大きな翼を生やしたラトーディシャの姿だった。
「これで、信じたかい?」リアノイエは口をぽかんと開けたまま、何も言えないでいた。
「僕は優勝する。リアノイエ、必ず君の手を取るよ。……いいかな?」リアノイエは驚きで言葉を失っていたのか、静かにこくりと頷いた。
「それじゃあ、君を王城に送ろう。掴まって」ラトーディシャが手を差し伸べる。その手をしっかりと握りしめるリアノイエ。ラトーディシャは掴んだ彼女の手を引っ張り、身体を抱きかかえる。そして、大きな翼を広げ星が煌めく夜空へと飛び立った。
「あなたは、本当に氷の竜だったのね!」風を切る音の中、リアノイエは大きな声で叫ぶ。
「何を今更!」ラトーディシャは高笑いしながら、王城に向かった。
ラトーディシャは夜の闇に紛れて、王女の部屋に繋がるテラスに降り立った。夜更けの為か、警備は手薄だった。
「今日はありがとう、ラトー。あなたのおかげで、まだ私も現実から逃げ出さずに戦える気がする」
「どういたしまして。……どうか、無理はしないで」
「あなたこそ。……おやすみなさい」微笑むリアノイエ。
「おやすみ」ラトーディシャも微笑み返した。そして、再び夜空へと飛び立った。
ホテルの部屋に戻ると、酒臭い空間の中に、床に寝ているゼールベルがいた。ラトーディシャはゼールベルを足蹴にした後、ベッドの中に入り込み、リアノイエの輝く笑顔を思い返しながら、眠りに就いた。
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