「弟子」VS「元弟子」
「イルシュエッタ!」ラフーリオンは思わず声を出してしまった。彼の声に気付き、素早く身構える二人。だが、ラフーリオンの顔を見た茶髪の女性はすぐに警戒を解いた。
「あれ? 師匠じゃないですか! 久しぶりです」茶髪の女性が驚いた顔をした後、笑顔になり、馴れ馴れしくラフーリオンに話しかけた。
「ああ、久しぶりだな。……イルシュエッタ、まさかお前に会うなんて」ラフーリオンは未だ驚きを隠せないでいた。
「この方を知っているんですか? イルさん」金髪の女性がイルシュエッタに質問する。
「私に異界のことを教えてくれた人ですよー、先輩」
「そうだったのですか。私はリーリエルデと言います。彼女とは職場の同僚です」リーリエルデがラフーリオンに向けてお辞儀をする。
「俺はラフーリオンです。……職場の同僚と言っていましたが、何か仕事を為さっているのですか?」
「はい。異界渡りの旅を助ける為の道具の開発や販売をしています。規模の小さいお店なので、まだ試作品が多いですが、別々の異界同士を繋ぐ通信機なんかも作っているんですよ」リーリエルデが自慢気に話す。
「それはすごい。……ですが、イルがそんな仕事についていたなんて、信じられない。こいつが役に立つとは思えない」ラフーリオンはイルシュエッタの方へと視線を向ける。
「ひどいなー、師匠は。私はすごく役に立ってますよね、先輩」
「ま、まあ護衛役としては……他はさっぱりですけど」歪んだ笑顔で答えるリーリエルデ。
「先輩までそんなこと言うんですかー?」
「やっぱりな……。お前が役に立つ所は腕っぷしの強さだけだったからな」ラフーリオンがリーリエルデの言葉に納得するように頷く。
「そんなことないですよー、料理を作ったりしたじゃないですか」
「あんなに不味いものは人生で二度食うことはないだろうな」
「でも、異界の鍵探しは一級品でしたよね」
「どこかのアホが異界の鍵を排水口に流して、初めて下水道に入ったことがあったな。あれは良い経験だった」鼻で笑うように話すラフーリオン。彼の嘲るような態度に苛ついた顔をするイルシュエッタ。
「……でも、師匠との喧嘩には負けたこと無いですよ」イルシュエッタは自慢気に笑みを浮かべた。
「……確かにお前のほうが強かった。それなのに俺に迷惑ばかり掛けるから、お前と一緒の毎日は辛かった。まだアイツといた方がマシだ――」
自身の言葉でリシュリオルを待機させたままだったことを思い出すラフーリオン。
「忘れていた!」急に慌て始めるラフーリオンの姿を見て、不思議がるイルシュエッタとリーリエルデ。
「……もうここにいるぞ」不機嫌そうな顔をしたリシュリオルが砲塔の影から現れる。
「あんまり遅いから、アリゼルにお前の様子を見に行かせたんだ」
「とっても楽しそうに二人の女性とお話していると伝えました」アリゼルがケラケラ笑う。
「余計な事を……」ラフーリオンがため息をついた。
「人を待たせておいて、良いご身分だな」リシュリオルの髪がうっすらと赤みを帯びる。彼女は鋭い目つきでラフーリオン達を見据える。
(こいつら、どこかで見たことあるぞ)リシュリオルはイルシュエッタとリーリエルデの顔を二度見する。
(ああ、思い出した……)リシュリオルの中で沸々と怒りがこみ上げてくる。
「お前等、私を異界の扉に送った異界渡りだな!」リシュリオルの髪が一瞬で長く、赤く変貌する。
「うーん?」イルシュエッタがリシュリオルの顔を凝視する。そして、何かを思い出したように彼女に指を差す。
「ああ、雪の街にいた偉大な精霊憑きの子供か。今までよく生きてたじゃん」どうでもよさそうに頭を掻きながら、話すイルシュエッタ。その態度に更に怒りの炎を激しく燃やすリシュリオル。
「リシュを異界の扉に送り込んだのは、やっぱりイルシュエッタだったのか」ラフーリオンが呆れた顔でイルシュエッタの方を見る。
イルシュエッタの異界渡りの力は鍵。あらゆる場所に扉を作る。そして、彼女は異界の扉を作り出す特殊な力のある鍵を持っている。行き先は不明、一人だけしか通れない扉を。
「あと時のこと、忘れた事はないぞ!」リシュリオルの怒声が船に響き渡る。
「ふーん。私はすぐに忘れたよ」リシュリオルを嘲笑うように挑発するイルシュエッタ。
「くたばれ!」リシュリオルの叫びと共に空中に現れた複数の火球がイルシュエッタに向かって驀進する。それを軽やかな足捌きで躱すイルシュエッタ。
「あの時よりは強くなったね。……でも、そんなの当たらないよ。私の髪の毛先にすら当たりやしない」しなやかな体躯による無駄の無い動きが飛び交う炎を捌き続ける。
「ならこれでどうだ!」リシュリオルの周囲に黒い炎が巻き起こる。
「あれはまずい。……もうよせ、リシュ! 船が沈むぞ!」ラフーリオンが叫ぶ。
「うるさい! こいつだけは許せないんだよ!」リシュリオルは止まらない。
「聞き分けの無いやつだ。リーリエルデさん、少し下がりましょう。あの炎に巻き込まれたらまずい」ラフーリオンはリーリエルデを炎の届かない所まで誘導する。ラフーリオンが炎から遠ざかろうとするのを見つめるイルシュエッタ。
「……確かにその黒い炎は危なそうだね」イルシュエッタが呟いた直後、彼女はリシュリオルに向かって、素早く前進する。
「正面から来るなんて、いい度胸だ」
「まさか!」イルシュエッタは前進の速度を緩めて、小刻みにステップを踏み、左右への動きを加え始める。
「何だ? あの動き」リシュリオルはイルシュエッタの変則的な動きに気を取られる。
「リシュ。彼女、指で何かを飛ばしできましたよ。あっちと……そっちから」リシュリオルからやや離れた場所にいるアリゼルが指を差しながら、注意を促す。
(私の指弾、よく見えたな。流石は名前の通った精霊)イルシュエッタがアリゼルの優れた動体視力に言葉を呑む。
「何が!」リシュリオルはアリゼルの指差した方向へ視線を向ける。視線の先には何かが光に反射しながら、彼女に向かってきていた。
「それ、当たると痛いよ」イルシュエッタは薄ら笑いを浮かべながら、リシュリオルへの前進を再開する。
(クソ! 避け切れない!)イルシュエッタの攻撃に気付くのに遅れ、慌てるリシュリオル。
「なら、全部燃やす!」リシュリオルはかざした両手を振り下ろし、黒い炎を放射状にばら撒き、真っ直ぐ近づいてくるイルシュエッタと彼女が飛ばした何かをまとめて焼き払おうとする。黒い炎がリシュリオルの周囲から激しく音を立てながら、沸き起こる。
炎が収まると、リシュリオルの眼の前からはイルシュエッタは跡形も無く消えていた。
リシュリオルが安堵のため息をついた瞬間、背後から甲板を踏む靴音が聞こえた。その音にリシュリオルは反射的に振り返る。彼女の後ろにはイルシュエッタが余裕の笑顔を見せていた。
「今度はもっと高めに炎を撒いたほうが良いよ」イルシュエッタが空に向かって指を差す。
彼女は凄まじい跳躍力で燃え盛る炎を飛び越え、リシュリオルの背後へと回り込んでいたのだ。イルシュエッタは高所からの着地をものともしない、素早い走り出しでリシュリオルとの距離を一気に詰めようとする。反応に遅れたリシュリオルはイルシュエッタの接近を許してしまう。
「これは本当に痛いからね」イルシュエッタは鍵束をポケットから素早く取り出し、鍵が指の隙間から突き出るように握り拳を作った。そして、リシュリオルの顔面に向けて鋭い突きを放つ――。
だが、イルシュエッタの拳はリシュリオルの目の前で止まった。どこからか現れたアリゼルがイルシュエッタの腕を掴んでいた。
「危ない危ない。リシュ、大丈夫ですか?」アリゼルがイルシュエッタの腕の先へと視線を向けると、額に汗をかきながらへたり込んでいるリシュリオルがいた。
「さっきもそうだったけど、二対一はずるいんじゃないかな」イルシュエッタが不満気に言う。
「宿主に何かあったら困りますからね」アリゼルは掴んでいたイルシュエッタの腕を離した。
「はいはい、そうですか。せっかく盛り上がっていたのに。白けるなー」イルシュエッタは掴まれていた腕をぶらぶらと振る。
「お前、あの動きは何だ? それに今の跳躍、並の人間ができるものじゃない」リシュリオルが先程の戦闘でイルシュエッタが披露した独特の動きについて聞く。
「暗殺拳法」イルシュエッタが何もない空中に向かって拳で素振りをする。
「ふざけるな!」リシュリオルはイルシュエッタの茶化すような態度に怒号を放つ。その大きな声に彼女はしかめっ面をして、耳を塞いだ。
「リシュリオル、そいつの言っていることは本当だ。イルシュエッタは異界渡りになる前は幼い頃から俺にもよく分からない組織で暗殺の訓練を受けていたんだ」ラフーリオンが真面目な顔でイルシュエッタの過去について語り始める。
「そうそう。日夜、暗殺者になるための厳しい訓練で涙を流す私を可愛そうに思った師匠が、一緒に異界を旅しないかと誘ってくれたんだよ」イルシュエッタが一人でくだらない茶番劇をし始める。
「……それは嘘だ。俺が次の異界の扉を通ろうとしたら、無理矢理付いてきたんだ。俺をいきなり殴り倒して、連れて行かなきゃ殺すと言って。最悪な事にこいつには異界の扉を通れる適性があった」
「そうだっけ?」とぼけたような態度をするイルシュエッタ。
「……そうだ。後になって理由を聞いたら、毎日同じ訓練が続いてつまらないから、組織から逃げ出したとか」
「そんな得体の知れない組織からよく逃げ出せましたね、イルさん」リーリエルデがイルシュエッタの素性に驚いていた。
「言ってませんでした?」またとぼけるイルシュエッタ。
「イルさんは自分の事を全然喋らないから……」リーリエルデが困った顔をしながら、ため息を漏らした。
「暗殺拳法だかなんだか知らないが、私にもその技を教えろ!」リシュリオルが唐突に叫び出す。
(この状況でよくそんなことが言えるな)ラフーリオンがリシュリオルの言葉に唖然とする。
「この状況でよくそんなこと言えるね」イルシュエッタが呆れた表情でリシュリオルに言う。
「うるさい! 不公平だろ。私はずっと何も無い部屋に閉じ込められていたんだ。そんな技術を覚える時間も無かった!…………」リシュリオルは言ってはいけない事を言ってしまったように黙り込んだ。
「閉じ込められていた? お前がいた世界で、何があったんだ?」ラフーリオンは好奇心を抑えられず、リシュリオルを問い詰めようとする。だが、彼女は何も言おうとしなかった。しばらくの間、誰も口を開かない時間が続く。
イルシュエッタがその沈黙に耐えかね、ため息をついた。
「はぁ、人には色々事情があるから、これ以上君のことについては誰も何も言わないよ。その話はもう終わり」イルシュエッタの言葉に、少しだけほっとした顔をするリシュリオル。
「ただその前の話。私の体術を教わりたいって言うなら、条件がある」続けて話すイルシュエッタ。
「条件っていうのは?」今度は不安そうな表情をして聞くリシュリオル。
「私の事を『師匠』と呼んで敬う事。私、いつか弟子をとってみたいと思っていたんだ!」
「断る!」リシュリオルは即答する。
「じゃあ、教えない。この話は無かった事に」
「何か、他に無いのか? 他の条件は」
「無いよ。さあさあ、手始めに私を師匠と呼んでみなさい」
「…………し、ししょ……」リシュリオルは呟くような小さな声を上げる。
「声が小さいなぁ」悔しそうにするリシュリオルをいやらしい目つきで見下ろすイルシュエッタ。
「さあもう一回。ほらほら大きく息を吸って――」ミシッ、ミシッ。イルシュエッタの言葉の途中、何かが軋むような音がした。
「変な音がしないか?」甲板に響き渡る異音に気付き、周囲を見回すラフーリオン。
「この船、揺れているような気がします」リーリエルデが怯えた表情で言う。
「大丈夫でしょ。こんなボロ船でも、沈むことはないんじゃない?」イルシュエッタが一歩、足を進めたその時、床からバキッと音が鳴った。
「やっぱりヤバイかも」焦った顔でラフーリオン達の方を見るイルシュエッタ。
その直後、イルシュエッタとリシュリオルが立っていた床が大きな音を立てて崩れ落ちた。二人は甲板の下へと落ちていった。
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