異界の先生?
ラフーリオン達はアルフェルネとその父親が経営するホテルに泊まることにした。
その日はホテルを含む周辺の区画で大規模な改修工事が行われる関係で、道路が閉鎖される為か、ラフーリオン達以外の客はいなかった。
ラフーリオン達は各個人の寝室や食堂などの施設の案内をアルフェルネから受けた後、ラフーリオンの寝室に集まり、今後の予定について相談していた。
「夕食の後、異界についての勉強会を開くからな」強い口調で話すラフーリオン。
「面倒な事をやりたがる奴だ」リシュリオルが悪態をつく。
「俺だって面倒だとは思っているがな、俺の教育不足でそこら辺で野垂れ死んでもらったら困る。後味が悪い」
「私からもお願いします。宿主がポンコツだとこれからの旅に支障が出そうなので。ぜひラフーリオンさんの講義を受けて下さい、リシュ」
「どいつもこいつも、ムカつく言い方をする」リシュリオルの目つきが悪くなる。
ラフーリオンとアリゼルがじっと彼女を見つめる。リシュリオルは諦めたようにため息を吐いた。
「……わかったよ。異界のことなら、知らないよりは知っている方がいいしな」
「いつもそうやって素直でいてくれれば、助かるよ」ラフーリオンがリシュリオルの頭に触れる。
「うるさい! 触るな!」リシュリオルはラフーリオンの足を踏みつけ、ラフーリオンのそばから離れ、窓際へ街の景色を見に向かった。
ラフーリオンは足を抑えながらうずくまる。その様子を見て、アリゼルがふわふわとラフーリオンの傍へと近付く。
「我々、精霊が精霊憑きと共有できる力は、精霊が固有に持っている能力だけではありません。宿主の膂力にも影響を及ぼします。私のような強靭な精霊ならなおさらその影響は強く、宿主の身体能力は――」
「わかった、わかったよアリゼル。説明ありがとう、勉強になった。以後気を付ける」
「異界渡りは普通の人と違って頑丈ですからね。あれぐらいの蹴りならば、折れてはいないと思いますよ」アリゼルの笑い声が部屋の中に響く。
「うん、折れてはいないと思う……」足に響き渡る激痛に悶ながら、ふらふらとラフーリオンが立ち上がったその時、夕食の合図のベルが鳴った。
部屋を出て、食堂に向かう一行。食堂のドアを開けると、食事がテーブルの上に並べられ、その横にアルフェルネが立っていた。
「お待ちしていました。今日の主菜は砂の海を泳ぐ魚のムニエルです」
「砂の海ってなんだ?」リシュリオルが首を傾げる。
「街の外にある砂漠の一部の地域では、さらさらとした細かい砂が海のように波打つ場所があるんです。そこにある砂は建材としては使えないのですが、いろいろな生き物が泳いだり、隠れたりしながら住んでいて、この魚はその中でも食用として市場に出回っている種類の魚なんです」
「ふーん、美味いのか? この魚」目を細めて魚を見るリシュリオル。
「今の時期は脂がよく乗っていて美味しいですよ。食べてみて下さい」アルフェルネが笑顔で答える。恐る恐る料理を口に運ぶリシュリオル。
「美味いな! この魚!」魚を一口食べた途端、リシュリオルは勢いよく残りの魚を食べ始めた。
「いいですねー、人は食事が出来て。精霊は食事が出来ないので味も分からない。まあ、飢えることはありませんが」残念そうに皆の食事風景を見ながらぼやくアリゼル。
「いいんだか、悪いんだか。でもこの味が分からないのは可愛そうだな。……うん、うまいな」ラフーリオンも魚に手を付け始めた。
「そういえば、お父様は今日は帰られないのですか?」ラフーリオンが魚を食べるリシュリオルを横目で見ながら質問する。
「ええ、会議が行われる場所までは車を使ってもそれなりに距離があるから、どこかで泊まっていくとさっき電話で連絡がありました。それに改修工事が本格的に始まったら、道が完全に封鎖されて、このホテルに辿り着くのは難しいですから」
「そうですか、ならあまり心配する必要も無さそうですね」
「はい。きっと会議が終わるのが、遅くなったんでしょう。会議の日はよくある事なんです」
「ごちそうさま」
夕食を食べ終えたリシュリオルが席を立つと、すぐさま窓際に行き、街の外の様子を目を輝かせながら見つめ始めた。
「そんなに街の景色を見るのが好きなのか?」リシュリオルの子供っぽい仕草を見て、微笑するラフーリオン。
「 ああ、凄く好きだ。私がいた街はいつも雪の中だったからな。窓から見えるのは雪だけだ」視線を窓の外に向けたま、リシュリオルは答える。
「まあ、あんな街にいても全然楽しくなかったから、街の外に出られて清々したよ」リシュリオルはラフーリオン達の方へと振り向いて、少しだけ笑って言った。
「夕食の後は、勉強会をやるんだろ? さっさと始めよう。それで、さっさと終わらせてくれ」
「分かったよ、そろそろ食べ終わるから」ラフーリオンは食事の手を早めた。
皆が夕食を食べ終わったあと、予定通りラフーリオンによる異界についての勉強会が食堂で始まった。
ラフーリオンは数時間に渡り、異界の基礎について説明したが、勉強会の半分程はリシュリオルは眠っていて、話を聞いていなかった。
隣に浮かんでいたアリゼルだけは興味深く話を聞いていた。そして、ラフーリオンが予定していた内容まで進む前に、リシュリオルは完全に眠りについてしまった。
ラフーリオンは泥のように眠るリシュリオルを寝室まで運んだあと、食堂に戻った。食堂ではアルフェルネが夕食の片付けをしていた。
「まだまだ先は長くなりそうです……」ラフーリオンは自分の教育計画が微塵もうまくいかなかったことに項垂れていた。
「リシュもまだまだ子供ですから、この時間でも眠いのでしょう。今日はいろいろあったのだから、ゆっくり休ませてあげませんか?」
アルフェルネがホットミルクの入ったカップをテーブルの上に置く。
「いかがですか? 体が温まりますよ」
「ありがとうございます。俺もミルクを飲んだら、明日に備えてさっさと寝ます」
「私も明日は早いので、もうお休みしますね」アルフェルネが自室へ戻るために食堂から廊下へ続く扉を開けた。
「頑張って下さいね、先生。おやすみなさい」閉まりかけの扉から顔を覗かせて、くすくすと笑うアルフェルネ。
「よして下さい。先生なんて柄じゃないですよ。……おやすみなさい」思わず苦笑いしてしまうラフーリオン。静かに扉が閉められた。
ラフーリオンは一人だけになった静かな食堂で、ホットミルクを飲みながら、物思いに耽る。
(俺はこんなことをしていていいのか? 心残りができるだけだ。異界の扉はどうしてあの子を鍵に選んだ? 俺はどうすれば……。いや、約束した筈だ。俺の決意は揺るがない)
ラフーリオンは空になったカップをテーブルの上に置き、寝室に向かった。
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