第一章:砂に埋もれた手紙
砂と建築
ここはどこかの世界、どこかの街。広大な砂漠に囲まれた巨大建築の集合体。見るものを圧倒する建築物は砂漠の砂から造られる。この世界の砂は自由自在に変化し、硬くも柔らかくなる。街は人々の創り出す建築によって、生き物のように拡がり続け、砂漠という空白の地を埋めていく。
ここはどこかの世界、どこかの街。レンガ造りの小さなホテルが佇む。男と少女が異界の扉を抜けた先。ホテルはかつてこの地で男が身を置いた場所。異界の扉が懐かしさを運ぶ。
ラフーリオン達が倉庫の扉を抜けた先は、レンガ造りの小さなホテルのカフェテラスだった。
「ここは……もしかして」
ラフーリオンが辺りを見回す。ホテルの正面からは幅の広い道路が真っ直ぐ伸びており、百メートルなど下らない高さの巨大な建物がその道路を挟んで立ち並んでいた。
地平線まで伸びる長い道路の向こうには砂漠が広がっている。そして、砂漠の先に見える夕日が街並みを真っ赤に照らしていた。
「あんな大きな建物、初めて見たぞ!」少女がテラスからの景色を見て、はしゃいでいる。
「この巨大建築の群れ! 異界の景色は何度見ても素晴らしい!」アリゼルも感嘆の声を上げている。
「この異界は砂漠で採れる変わった砂で、建物を延々と建て続けてるんだ。増築を繰り返して、どんどん街を大きくしているから、ここに来る度に街の地図を買わないといけない」
「ふーん」ラフーリオンの話を聞く素振りも見せず、街の景色を見入る少女。
「おい、俺の話を聞けよ。異界を渡って生き残る為には異界の特徴を知る事が必要だ。お前はまだ異界の事を何も知らないだろ」
「私には精霊の力がある。大体のことはこの力でなんとかなるだろ」
「そんなことはない。異界渡りだって金が必要になるから働くことも必要だ。それに危険なことも多い。異界渡りを狙う盗賊みたいな輩がいたり、逆に異界渡りの犯罪を取り締まる組織だってある。下手なことをしたら、そういう奴らに追われながら、異界を渡り歩くことになるぞ」
「ふーん。結構面倒なんだな、異界を渡るのも」
「そうだ、だから少しくらいは俺の話を聞けよ」
「はいはい」生返事のあと、少女はまた街の景色を見つめ始めた。
「出会ったばかりなのに、仲が良いですね〜」アリゼルが楽しそうに二人のやりとりを見ている。
(こんなことでこいつに異界の事を教えられるのだろうか?)ラフーリオンの胸中は不安でいっぱいだった。
不意にホテルとテラスを繋ぐ窓付きのドアが開き、中から若い女性が現れた。ドアの音を聞いて、アリゼルは反射的に少女の影の中に隠れる。
「こんにちは。御宿泊のお客様ですか?」接客的な質問の後、女性はラフーリオンを見てハッとする。
「もしかして、ラフーリオンさんですか?」
「久し振りですね、アルフェルネさん。お父様はお元気ですか?」
「はい、今は区画の代表が集まる会議に出掛けています」
「なんだ、知り合いなのか?」少女が街の景色を見つめるのをやめて、二人の会話に参加してきた。
「ああ、彼女はこの世界でお世話になった人の娘さんで、アルフェルネさん」
「この子は誰ですか?」アルフェルネの質問の返答に少し戸惑うラフーリオン。
「えー、この子はとある事情で異界渡りの旅に連れて行くことになったのですが、まだ前にいた異界で出会ったばかりなんです」
「そうなんですか」アルフェルネはしゃがんで、目線を少女に合わせた。
「お名前はなんて言うの?」アルフェルネの質問を聞いて、ラフーリオンは少女の名前をまだ聞いていないことに気付く。
「名前……」少女は黙り込んでしまう。
何も言えずにいる少女の影からアリゼルが現れる。
「あ、あなたは?」アルフェルネが突然、現れた赤黒い甲冑の姿に驚きの声を上げる。
「おっと失礼。私はアリゼル・レガと申します。以後、お見知りおきを」未だ驚きの表情を浮かべるアルフェルネに向かって、丁寧にお辞儀をするアリゼル。
「アリゼル・レガ? あの伝説の精霊の事ですか?」
「そうです。黒い炎の精霊、アリゼル・レガそのものです」ラフーリオンが付け足すように言う。
「こんなうら若いお嬢さんにまで我が名を知って頂けているとは。嬉しいものです」ケラケラ笑うアリゼル。ラフーリオンは笑うアリゼルを尻目に少女の方に視線を向けた。
「そんな事より、お前の名前を教えてくれないか? 俺もまだ聞いていなかった」ラフーリオンが少女に向かって、改めて名前を尋ねた。
黙り込んでいる少女の近くにアリゼルが寄り添い、呟き始める。
「本当の名前でなくてもいいのです。彼が付けてくれた名前でいいのですよ」
「そうか。……それなら、リシュリオルだ。私の名前はリシュリオル」
少女はリシュリオルと名乗ったが、ラフーリオンはアリゼルがが口にした『本当の名前』という言葉が気に掛かった。
「本当の名前というのは?」ラフーリオンは好奇心に負け、リシュリオルに質問する。
「それは……」リシュリオルはまた黙り込む。
「私から説明します」アリゼルがリシュリオルを庇うように、ラフーリオンとリシュリオルの間に立ち塞がった。
そして、リシュリオルがいた街の事を話し始めた。
リシュリオルがいた街は、雪の多い街だった。四季の変化は無く常日頃、雪が降っていた。
リシュリオルの両親はある事故で彼女が幼い頃に亡くなっていた。
その事故の際に彼女は記憶の一部を失ってしまい、自身の名前を思い出せなくなった。その名前が『本当の名前』らしい。
『リシュリオル』という名は、自分の名前を忘れてしまった彼女を哀れみ、とある人物から名付けてもらったのだという。
アリゼルが話している間、リシュリオルの表情は常に曇っていた。ラフーリオンもアルフェルネも悲痛な表情でリシュリオルの顔を見つめた。
アリゼルはその場の重い空気を変えたかったのか、続けてラフーリオンとリシュリオルが出会ったバーに来るまでの経緯をやけに明るい口調で話し始めた。
リシュリオルはアリゼルの宿主となった後、街に対して反乱を起こした。
アリゼルのような強大な精霊の宿主になるには、適性を持つ人間でなければならない。
しかし、その適性を持つ人間は非常に珍しく一つの異界に一人いるかいないかの極少数で、無理に適性のない相性の悪い者に取り憑くと、宿主は死んでしまう。
リシュリオルはその適性を持った事に慢心し、力を見せつける為に街の人々と一悶着を起こした。
精霊憑きとしては素人同然のリシュリオルだったがアリゼルの力でなんとか街の人々と戦っていた。
困った人々は偶然街に訪れていた異界渡りを雇って、その異界渡りの力でリシュリオルを異界に飛ばしてしまった。
そして、その飛ばされた先があのバーだったのだ。
話の最後の方には、アリゼルは愉快そうに大きな声で笑っていた。笑う精霊の後ろにいたリシュリオルは嘘をつくなと怒鳴り声で叫んでいる。
アルフェルネは楽しそうにその様子を見ていた。アリゼルの話題変更はそれなりの効果があったようだ。ラフーリオンもさっきまではリシュリオルに同情していたが、アリゼルの話を聞いて自分自身に同情し始めていた。
(どうして、アリゼルのさっき話した事とは無関係の俺がこんな目に会うんだろうか)
アリゼルに怒鳴っていたリシュリオルは今度は自分を異界に送り飛ばした異界渡りの事に怒っていた。
「思い出すだけでも、ムカついてくる。アイツさえいなければ……」
ラフーリオンはその異界渡りの事に心当たりがあったが、面倒な事になりそうなので、そのまま心の内にしまっておいた。
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