黒炎と白布の異界渡り

みやこけい

プロローグ

黒炎と白布の出会い

 ここはどこかの世界、どこかの街。太陽の光を遮るビルの群れに囲まれた大都市。今日も数多の人々が忙しなく行き交う。


 ここはどこかの世界、どこかの街。ビル群の路地裏、小さなバーが一軒。都会の喧騒を避けて、酒を楽しむ場。その倉庫の扉にとある男がいた。白を基調とした民族衣装。ボサボサの白い髪。男は異界を渡り彷徨う。ある目的の為に。




 扉が開く音がした。ほとんど使われることの無い倉庫の扉。倉庫からは民族衣装を着た白い髪の男が現れる。


「お久しぶりです」男は店主に挨拶をしながら、カウンター席に座った。

「久しぶり。君は相変わらず変わらないね」店主がちらりと男を見る。


「異界を渡り始めて10年くらい経てば、見た目は変わらなくなりますから」

「そうだよな、俺も君と初めて会った頃に比べて随分老けたな。親父がいた頃が懐かしいよ」


「まだまだやれますよ、二代目。……それにしても本当に久しぶりだ。ここに戻ってくるのは。何か特別なことでもあるのかもな」男の言葉を聞いて、少し気まずそうな表情をする店主。


「……あるんだ、それが。君に頼みたいことがある」

「なんでしょう。面倒事なら御免ですよ」


「悪いが、君にとっては面倒事かもしれないな。ある人を一緒に異界に連れて行ってほしいんだ」

「ああ、確かにそれは面倒だ」男は眉をひそめる。


「彼女を連れてきて下さい」店主がウェイトレスに指図する。

「はい」ウェイトレスが了解の返事をしたあと、階段を上っていった。


「彼女?」首をかしげる男。

「うん。彼女は急に倉庫の扉から出てきたんだ。異界の扉を通ってきたからか、言葉は通じるんだけど、恐ろしい力を持っていてね……」


「恐ろしい力……?」疑問だらけの状況に男の不安はますます大きくなっていく。

「彼女がいた世界で、色々とあったみたいで――」


「連れてきました」ウェイトレスが十代前半くらいの厚手のコートを小脇に抱えた寝起きのようなボサボサの黒髪の少女を連れて戻ってきた。


「子供……」男はきょとんとしている。

「彼女を君の異界の旅に連れて行ってもらえないかな」頼む店主。


「嫌です」即答する男。

「絶対に嫌です」更に強く否定する。


「俺の旅の目的は確か知っていますよね。目的の場所を見つけたら、彼女はどうすればいい?」


「……彼女が異界の仕組みを一通り知るまででいいんだ。一つの世界に居続けたら、彼女は死んでしまうんだろう? それに、この世界はどういう理屈なのかは分からないが、異界渡りが来る事がほとんど無いんだ。君を覗いては」


「いや、駄目です。奇跡的にこの世界に来た誰かに頼んで下さい。第一、こんな女の子を連れていたら、目立ってしょうがない。彼女には可愛そうだけど、俺は一人で旅をしたい」


「そこをなんとか、頼む。この通り」頭を下げ始める店主。

「頭を上げて下さい。どうしても俺が連れて行かなければならないってことはないでしょう」店主をなだめる男。


 頭を下げたままだった店主が、何かを閃めいたように急に頭を上げて、鋭い目つきで男を見据えて質問する。


「そういえば、次の異界の扉は開いているかい?」

「いえ、まだですけど。扉が開いた気配は感じられません」


「もしかしたら、彼女を連れて行くことが次の異界の扉ができる鍵なんじゃないかな?」


「……え?」男は当惑する。そして、胸中に抱いていた。もしかして本当にそうかも、という疑念を。

「本当にそうかも、と思っただろう」ニヤリと笑う店主。

「い、いや別に……」図星を突かれ、焦る男。


「異界の扉はなにかの物事がきっかけで開くものなんだろう? 例えば、女の子を異界に連れて行くとか」ニヤニヤと男の顔を見る店主。


「はは、そんなこと……」冷や汗をかく男。男は少女が現れた瞬間から、既に鍵の気配をほんのりと感じとっていた。


「取り敢えず彼女に近づいてみたらどうだい? 異界の扉を開く鍵とやらは、近づけば、それと分かるんだろう?」


「嫌だ、絶対嫌だ」語気を強め、店主の提案を拒否する男。

「そんなに嫌なのかい?」男のあまりの否定的な態度に逆に困惑する店主。


「おい!」男と店主のやりとりを見ていた少女の発した声が店内を沈黙させた。

「お前らの馬鹿げた茶番はもう見飽きた。私はこんなかび臭い所にもういたくない。そこの白いボサボサ、さっさと私を異界とやらに連れて行け!」


 店内に少女の怒号が響く。その声を聞き、男の顔はこの店に現れてから、最も不快そうな表情に変わった。


「今、俺の決意が更に固まった。絶対に連れて行かない。こんな生意気なガキがいたら精神が病んで、死んでしまう。あと、お前の髪だってボサボサだろ。大体な、それ人に物を頼む態度か――」

 

 男は少女を貶しまくった。その口は留まる事を知らない。少女は男の罵声を遮るように叫ぶ。


「そうか、そんなに私の事を連れて行きたくないか」

「全くもって」

「なら、連れて行かせて下さい、と言わせてやる」少女が小脇に抱えていたコートをカウンターのテーブルに置く。


「何を言ってるんだ?」少女の言葉を馬鹿にする様に男は笑った。だが、次の瞬間男の顔から笑みが消える。

 

 少女の髪がざわつき始める。ボサボサで短めの黒髪が長く真っ直ぐ伸び始め、炎の様な赤色に徐々に変わっていく。根本から毛先まで赤色に染まり切ると、店内の温度が急激に上昇し始めた。

 

 少女を中心に熱風が巻き起こり、少女の影から人型の炎が現れる。炎の形は徐々に人から角や翼を生やして、まるで悪魔のような形相へと変貌した。


 炎の怪物を前にして、とっさに首に巻かれたマフラーを解いて、身構える男。


「精霊憑きか、恐ろしい力っていうのはこのことだったのか」

「ま、待ってくれ。店の中ではもうやめてくれ」店主が泣きそうな顔で少女に訴える。


「もう遅い、こいつは私を怒らせた。全部、燃やしてやる」鋭い目つきで男を睨む少女。店内の温度は上昇を続け、刺すような痛みを感じるほどになっていた。


「燃えろ!」少女の叫びとともに赤い炎が男に目掛けて襲いかかる。男は手に持ったマフラーで、炎を薙ぎ払う。


「そのマフラーはなんだ?」


「俺の異界渡りの力だ。布の扱いは得意でね。丈夫な布は更に丈夫に、燃えにくい布は更に燃えにくくなる。あとは、こんなことだってできる」男はポケットからボールのように丸めた布を数個取り出した。


「少し痛い目を見てもらう」取り出した丸めた布を少女に向かって投げつけた。丸めた布は男の手を離れた後、網のように広がり、少女に向かって飛んでいく。


「ふん」少女が手をかざすと、黒い炎の壁が立ちはだかり、それに触れた布は一瞬にして灰も残らず蒸発した。


「なんだ、その炎は……」呆気にとられる男。

「私の炎は特別でな、燃やせないものはないぞ。なんならこの店ごとお前を焼き尽くしてやろうか?」その言葉に男は怯む。


(多分、こいつの言ってることは本当だろう。黒い炎を扱う精霊……。最悪な相手かもしれない)

「お前に憑いてる精霊はなんて名前だ?」


「誰が言うかそんな――」少女の言葉を遮るように、悪魔の形をした赤い炎が突如として、黒い炎に包まれた。


 炎の勢いが収まると、赤黒い甲冑に身を包んだ精霊が空中にふわふわと浮かんでいた。


「始めまして。私の名はアリゼル・レガと申します。この小うるさい娘に憑いた哀れな精霊でございます」精霊がお辞儀をしながら、自己紹介をし始める。


「黙ってろ!」少女が叫ぶ。

「ははは、本当にいつもいつもうるさい娘ですね」アリゼル・レガがケラケラと笑う。


「やっぱりそうだったか。黒い炎を出せる精霊は他に聞いたことがない」男の額に汗が流れる。


「私のことを御存知でしたか。ならば、実力差はお分かりでしょう。私も何度か異界を巡る旅に行ったことがありますが、貴方を見てまた興味が湧いてきましてね。彼女と共に連れて行って頂けると嬉しいのですが」


 アリゼルは手の平の上で黒い炎をチラつかせながら提案する。男はメラメラと燃える黒い炎を見て、諦めるように構えを解いた。


「わかった。連れて行く、連れて行くよ」男はしぶしぶ少女の同行を許可したが、当の本人は不満げだった。


「そうじゃないだろ、ちゃんとお願いしろよ」男はため息をつく。


「……連れて行かせて下さい」


「いいぞ、連れて行かせてやる」勝ち誇るように笑う少女。長く真っ直ぐな赤い髪も怒りが静まったのか、ボサボサの癖毛を残しながら、短めの黒髪へと戻っていく。


「ありがとうございます。私達、良い関係になれそうですね」アリゼルはまたケラケラと笑いながら、少女の影の中に消えていった。


 話がまとまった様子を見て、店主の口が開く。


「交渉が成立したようで何よりだよ。まあお店の方はちょっと焦げちゃったけど、異界渡りの持っている通貨じゃ、異界の事が浸透していないこの世界では通用しないからね。店の被害に関しては目を瞑っておくとするよ」

 

 店主の死にそうだった顔は、店が火の海にならずに済み、厄介な面倒事を押し付けることができたことで、満面の笑みに変わっていた。


(この店、もう少し燃やしておけばよかった)店長の嬉しそうな様子を見て苛ついた男は心の中で呟いた。


「おいボサボサ、さっさとこの陰気な店から出たい。どうすればいい?」壁に掛けたコートを回収しながら、粗野な態度で話す少女。

「さっきも言ったが、それが人に物を頼む態度か? あと俺の名前はボサボサじゃない、ラフーリオンだ」


「じゃあ、ラフーリオン。さっさと私を異界に連れて行け」そう言いながら、少女がラフーリオンに向かって歩みを進める。二人の距離が近づいた瞬間、お互いに何かに気付いたように、立ち止まった。


「やっぱり、お前が鍵だったのか」ラフーリオンはそう言って、残念そうな顔をする。

「なんだ、この感覚」少女は不思議そうにラフーリオンの顔を見た。


「次の異界の扉が開いた。お前もその感覚を感じたみたいだな。誰かさんが言った通り、お前を連れて行くことが次の扉の鍵だったみたいだ」浮かない顔で説明するラフーリオン。


「お前にも感覚で分かると思うが、倉庫の扉が次の異界への扉になってる」

「なら、さっさと行くぞ」倉庫へと向かう少女。

「はいはい」彼女に付いていくラフーリオン。


「異界の扉と言っても、ただ普通に扉を開けるだけでいい。扉を開けた先に次の異界が待ってる」それを聞いて、勢いよく倉庫の扉を開け放つ少女。扉の先には、巨大な建築物と広大な砂漠が見えた。生ぬるい風が店内に吹き抜ける。


「すごいな! どうなってるんだ?」少女は扉の向こうへ楽しそうに走り抜けた。


 少女に続いて、扉の先へ進もうとするラフーリオン。ふと店内へ目を反らすと、店主とウェイトレスが笑顔でこちらを見ている。


「いってらっしゃい!」店主とウェイトレスが手を振っている。

「……いってきます」生気のない声で返事をするラフーリオン。苦笑いで手を振り返す。


「早く来い!」大きな声でラフーリオンを急かす少女。

「……はいはい」ラフーリオンは扉の先へ抜けた後、静かに扉を閉めた。


 二人と精霊の異界の旅が始まる。

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