第7話 質の悪いもの
むかしむかし、あるところに妖精たちが営む靴屋がありました。
田舎町の外れで細々と靴造りをしていた彼らは、憐れな娘のために特別な靴をこしらえました。娘は皇太子と結ばれ、彼女にあやかりたい国中の若い娘の注文で靴屋の予約リストは瞬く間に埋まっていきました。
「四インチ。足の甲、高め。足の幅、広め」
アダムはリストの覚え書きを読み上げ、作業台に向かって杖を振り下ろしました。
杖の先から流れ出た光の帯が作業台の上で螺旋を描き、女性用の靴の形になっていきます。そして、花火の残り火のような最後の煌めきが消える頃にはガラス製の靴ができていました。
アダムはガラスの靴を持ち上げ、窓から射す太陽の光にかざしました。ガラスの靴は傷一つなく、水晶のようにとろみのある光を放ちます。
アダムが確認作業をしていると、木製のドアが乱暴に開けられ、真鍮のドアベルが悲鳴を上げました。
アダムは顔を上げ、不躾な態度の客人が誰かを知るために振り返りました。
開いたドアから現れたのは一人の娘でした。整った顔に怒りを滲ませ、靴箱を抱えています。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょう」
接客係のハンナが娘ににこりと微笑みました。
「お宅で買った靴が壊れましたの」
ハンナとは対照的に、娘は仏頂面をしています。
娘は抱えていた箱を放り投げるようにしてカウンターに置きました。
「確認させていただきますね」
娘の行動に面食らったように数回瞬きをして、ハンナは投げ出された靴箱のふたを開けました。
「あぁ。これは……」
ハンナは悲しそうに息を吐きました。
様子が気になったアダムも箱の中を覗き、眉をひそめました。
箱には全体に細かくひびが入ったガラスの靴が一足、入っていました。
「不良品よ。交換してちょうだい」
娘が腕を組み、高圧的に言います。
「それは大変申し訳ありませんでした。代替品を用意させていただきます」
ハンナが深々と頭を下げました。その姿を見た娘が満足げに口の端を上げました。
「ガラスの靴は受注生産ですので、お引き渡しまで少々お時間がかかりますことをご了承ください。同意いただけましたらこちらにサインをお願いします」
ハンナは事務的な態度で注文書をカウンターに置きます。
「それからもう一つ」
娘が署名したのを見届けて、ハンナは口を開きました。
「次にお渡しする靴はもう少し大切にしていただけますよう、お願いいたします」
「私が雑に扱ったから壊れたって言うの?」
娘の顔に、再び怒りの炎が点ります。彼女は目を三角に吊り上げ、ひび入りのガラスの靴をハンナに投げつけました。店の中にハンナの悲鳴が響き、床に叩きつけられたガラスの靴は粉々に砕けてしまいました。
「そっちが粗悪品を寄越したのよ。次もまた質の悪いものを寄越したらただじゃおかないから」
娘は下品に叫き、来店した時と同じ乱暴な動きで帰っていきました。
「怪我はない?」
アダムがハンナの手を掴んで助け起こしました。
「助けに入らなくて、すまなかった」
アダムが眉を下げます。
「いいえ。私が余計なことを言ったのが悪いんです」
どうしても我慢できなくて、とハンナが肩をすくめました。
「嫌な感じの人でしたもんね」
見習いのトムが散らばったガラスを箒で集めながら言いました。
「そうだ、アダムさん。さっきの人に渡す靴によく転ぶ呪いをかけてやりましょうよ」
「妖精の魔法は悪いことに使ってはいけない。トム、君も知っているだろう」
悪戯を思いついた子どものように目を輝かせるトムを、アダムは苦笑して諭します。
「でも、やられっぱなしなんて悔しいじゃないですか」
トムは口を尖らせました。
「やられっぱなしでは、ないさ」
そう言って、アダムがハンナに目配せします。
ハンナは笑顔で頷き、包装用のリボンとはしごを持って店の外に出ていきました。
「何をするんですか?」
「まぁ、見ててごらん」
訝しむトムに、アダムは不敵な笑みを返すだけです。トムは仕方なく、ハンナの様子をうかがうことにしました。
ハンナはドアのすぐ隣にはしごを立て掛け、すいすいと昇りました。そして、吊り看板のブラケットにリボンを結わえました。
「ただいま」
ハンナははしごを立て掛けたまま、店内に戻ってきました。
「ハンナさん。はしごを忘れてますよ」
「あのままで良いのよ」
トムが指摘するとハンナが悪戯な笑みでウインクしました。
程なくして、一人の初老の男性がはしごに登り、リボンを解きました。
「いつものを」
リボンを片手に店に入ってきた男がハンナに話しかけました。
「はい。少々お待ちください」
ハンナはメッセージカードの束から一枚を抜き取り、先程の娘の名前を書きました。
「どうぞ」
ハンナがカードを差し出すと、男はそれを受け取り、金貨を一枚カウンターに置きました。
「どういうことですか?」
店を出る男の後ろ姿を見送って、トムがアダムに尋ねました。
「彼は情報屋だ」
「情報屋?」
聞き慣れない単語に、トムは首を傾げます。
「金持ちは自分が損することに敏感だからな。問題を起こす人間の情報はよく売れるんだ」
「可哀想だけど、あの娘は一生玉の輿には乗れないわね」
アダムの説明に加えて、ハンナが歌うように言いました。
「ははっ。そいつはいいや」
トムはカウンターにもたれて愉快そうに笑いました。
楽しそうな二人を見てアダムも静かに笑い、作業台に戻りました。
傷やひびがないことをもう一度確認して、アダムは満足そうに頷きました。そして、用意していた箱に赤ん坊を寝かせるような慎重さでガラスの靴を納めます。
ふたを閉める前、アダムが杖の先で目に見えない小さなひびをかかとに入れたことは、彼の他には誰も知りません。
週一創作ワンライまとめ @2222anpan
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