第82話 弟子

 少しだけ、時は戻る。リアーナの一件によりカインが聖地に戻り、アクアの警護の為に様々な手配を行っていた頃の事だ。アクアの体育教師である紫龍はというと、祖先となる皇龍の所へと足を運んでいた。


「ふむ……」


 もう二十四世紀にもなろうというこのご時世にも関わらず、皇龍の起居する家は古めかしい武家屋敷だった。

 まぁ、彼の一族が代々受け継いできた屋敷だそうで、実際何度か内部の改修こそしたものの外観は数百年前からのものだそうだ。そんな中にある皇龍の私室にて、彼は本を読みながら紫龍の話を聞いていた。


「カイン・カイなる者を知らないか、か」

「はい……あの者、相当な腕前。もしやすると、私をも上回るかもと」

「ふむ……」


 使っていた武芸は明らかに自分と同じなのだ。直弟子なら凡そ全員は知っていると言い切れる筈の自分が、知らない。それなら確かに直弟子ではないというのが納得出来るが、逆に尚更あれほどの腕で直弟子でない事に納得が出来なかった。そうしてそんな紫龍の問いかけを受けた皇龍が本から顔を上げる。


「知らん。俺は残念ながら、カイン・カイなぞという名の弟子を取った事はない」

「……ですが、あれほどの腕です。そしてあの身のこなし……間違いなく傍流で学んだ領域とはとても。おそらく皇龍様の直弟子かと思われます」


 知らん。はっきりと断言した皇龍に、紫龍が重ねてあの腕が傍流とは思えない旨を告げる。これに、皇龍がため息を吐いた。


「はぁ……そう言われようと、知らんものは知らん。一応、これでも腕が立つと思った弟子はすべて覚えている。三百年前の一番弟子からすべてな。その中にカイン・カイという男は存在していない」

「……」

「兄様。お茶です」


 まだ何か言いたげな紫龍が口を開こうとした丁度その時だ。紅葉がお盆に茶菓子とお茶を持って部屋に入ってくる。

 共に伴侶もすでになく、子供にしたって同じだ。なので子孫とはいえ遠くなると他人にも近く、基本的には昔と同じ様に二人で生活しているとの事だった。というわけで、そんな紅葉に皇龍が微笑んで一つ頭を下げる。


「あぁ、ありがとう」

「はい……今日は兄様が好きな蓬莱堂のおはぎです」

「そうか」


 何時もの皇龍の物静かな気配の中に、僅かにだが喜色が混じる。そうしてそんな彼は一応の体面上として何時もの風を取り繕って、紫龍へと告げる。


「固くなる前に食べておけ」

「あ、頂きます」


 兎にも角にも祖先にして師匠がおはぎを振る舞ってくれているのだ。であれば紫龍としても否やはない。というわけで、先程までの若干胡乱げな風から一転、皇龍が茶飲み話程度で口を開いた。


「ふむ……それで、だが。カイン・カイという男を知らないのは事実だ。紅葉……お前も知らないな? 腕が立つ剣士という事だが」

「カイン……カインは存じ上げません。兄様のお会いになられた中で腕が立つ者は全員覚えています。が、一人たりともカインという名は」


 皇龍の問いかけに対して、紅葉は不思議そうに――そもそも彼女はここまでの流れを知らない――首を振る。そんな彼女の様子に、紫龍もようやく納得した。


「……そうですか。お手数をお掛けしました」

「良い。別に疎ましく思うわけではない。お前も随分遠くはあるが、俺の子のそのまた子に違いない。子の来訪を喜ばぬ親がどこに居る。些細な事でも来ると良い」

「ありがとうございます」


 基本的に寡黙かつ真面目なのでとっつきにくい人物に思われる皇龍であるが、存外悪い人物ではない。よほど機嫌が悪い時でもなければ普通に応対してくれるし、暇な時には稽古も見てくれたりする。

 実際、彼の起居する街の中には正式な弟子ではないものの剣の稽古をつけてもらったり、孤児を引き取ったりもしているそうだ。紅葉が軍務や政府の仕事に関わらないのは、そういった孤児達の世話もあったのである。

 なので今でも少し耳を澄ませば、どこからか皇龍や紅葉が拾ってきた孤児達が騒ぎ回っていたりする。二人共独特な性格ではあるものの、子供は嫌いではないらしかった。


「にしても……それでしたら、ぜひ一度カインの腕を見て頂ければ。彼の者、中々の腕。あのままにしておくのは勿体ないかと」

「ふむ……見る事に異論は無いが。そのままでも問題はないだろう。まぁ、先には知らぬ様な素振りをしたが、実は俺も聞いていた事は聞いていた」

「そうなのですか?」

「ああ」


 驚いた様子の紫龍に対して、皇龍は一つはっきりと頷いた。とはいえ、これは彼の繋がりを知っていれば特段不思議な話ではなかった。


「アレクシアの奴が話をしてな」

「アレクシア様が、ですか」

「ああ。知っているとは思うが、紅葉とアレクシアは仲が良い。なので事ある毎にこちらに連絡を入れてくる。ついこの間の一件においてもカイン・カイという男が活躍した事を奴が話していた」


 なるほど。それなら納得だ。基本誰にでも親しげなアレクシアであるが、殊更紅葉に対しては親しげだ。紅葉の事は数少ない親友と考えているらしく、逆に紅葉もアレクシアの事を親友と考えている。

 なので日に一度は連絡を取っているらしく、軍務に出ていた場合は皇龍よりアレクシアの方が紅葉と話すそうであった。


「それで、彼女はなんと?」

「腕が立つ、とは言っていた。詳しくは知らん、ともな」


 そもそもお互いに姿は見せずに言葉を交わしていたのだ。一応の礼儀としてねぎらいはしたものの、それだけだ。後はドライからの報告でしか、アレクシアはカインの事を知らないのであった。


「それで一応、その際にドライが話をしてはいたらしい。が、当然だが奴はオーシャン家の従属だ。軍に鞍替えするつもりはない、と」

「そうですか……まぁ、それは仕方がない事かと」

「ああ」


 カインがカインの意思で断ったのだ。そして相手を考えればヘッドハントも難しい。なら、紫龍としても仕方がないと諦められた。と、そんな彼に皇龍が問いかける。


「そうだ……紫龍。そういえばその目。どれほどになった」

「は……やはり目を閉ざすと感覚が研ぎ澄まされます。かなり気配を読める様になりました」

「そうか」


 そもそも皇龍は紫龍の師だ。故に彼の目を閉ざすのは、皇龍の指示だったらしい。と、そんな修行についてしばらく話をしていたのであるが、そこでふと紫龍が紅葉へと問いかける。


「そういえば、紅葉様……」

「はい」

「また弟子はお取りになられないのですか? 以前に隊の者何人か教えを授けた、とは聞いたのですが」


 基本的に皇龍は今でも剣を教えている。それに対して紅葉はアレクシアや皇龍が見込んだ者でなければ術を教える事はなく、公的には十年近く誰にも教えていないという事もざらにあった。

 というより、何だったら一年近く公に姿を見せない事だってあるらしい。まぁ、そもそも政府の仕事に関わらない彼女が姿を見せなくても問題はさほどない。なので誰も問題視はしないのであった。


「……教えても良いです」

「だめだ。お前は安易に人に教えて良い立場ではない。お前の魔術はアレクシアにも劣らぬものだ。安易にひけらかすべきではない。アレクシアとて、安易に教えていないだろう」

「……だそうです」


 相変わらず皇龍は紅葉の事になると激甘かつ過保護――であっても理屈は通っているのは彼らしいが――になる。紫龍はそんな二人の姿勢に僅かに内心で笑いを浮かべる。

 なお、紅葉の魔術の腕がアレクシアに次ぐものだ、というのは事実だ。その実、魔術の理論をアルマに教えたアクアを除けばこの二人こそがぶっちぎりのトップと言えるほどの腕前だった。


「貴様も、下手に紅葉をその気にさせる様な事を言うな」

「し、失礼致しました」


 これは藪をつついて蛇を出す結果になったか。先とは一転若干不機嫌さを滲ませる皇龍に紫龍は慌てて頭を下げる。そうして、紫龍はあまり師の機嫌を損ねるにも、と早々に帰る事にするのだった。




 さて、それから時は進んでカインが副聖都に戻って翌日。体育の授業で紫龍は改めてカインと対面していた。やはり同門になるのだ。話す事は多かったらしい。が、今回は更に別の者も一緒だった。


「ふむ……そういえば清十郎」

「なんだ」

「刀を変えたのか? 何か拵えが違う様に感じられる」

「刀そのものは変えてはいない」

「であれば、変わったのは鞘か」


 紫龍の問いかけに、清十郎が一つ頷く。やはり従者と主人では練度に差が出て来る。こればかりは本来は護衛も兼ねている従者と、年相応でしかない主人だ。差があって当然だろう。

 なので今回は一ヶ月近くで主従の実力が見えたので弟子だけでの組み手を行わせており、従者達は揃って場外に出ていたのである。

 というわけで、その空いた時間で清十郎と紫龍が話していたのであった。そこに、カインもまた加わっていた。彼もまた本来は刀を使う。なので刀の談義は分かるのであった。


「そういえば、カイン殿。貴殿の刀……何時も鯉口に布を巻いているが、あれで使えるのか?」

「ああ、あれですか。あれは基本は使いません」


 清十郎の問いかけに、カインは一つ首を振る。


「私はあくまでもアクア様の従者。その身を守る為に刃を抜くのであって、それ以外での私利私欲の為には抜かない、と決めているのです」

「ふむ……カイン殿の信条。拙もまた理解はする。が、何時有事が起こるかわからぬ以上、鯉口は何時でも切れる様にするべきではなかろうか」

「ごもっともです」


 清十郎の指摘に、カインは僅かに苦笑を浮かべる。確かに清十郎の言う通り、いくらカインが実年齢二百歳近くの腕利きだろうと、万が一はあり得る。そんな時、何時でも鯉口を切れる様にしておくのは当然の話だろう。そしてこの展開はカインも当然読んでいた。故に言い訳も予め考えていた。


「が……実は私の持つ刀はいわゆる、曰く付きと言われる物でして。性能は良いのですが……安易に抜きたくないのです」

「ふむ……触らせて貰っても?」

「清十郎さんや紫龍様でしたら」


 二人共、凄腕の剣士と言って過言ではない。なのでカインは清十郎と曰く付きの刀とあって興味を見せた紫龍に対して許可を出す。

 そしてこれはカインも別に隠している事ではなかったのか、普通に二人に差し出していた。そして触れてみて、二人もまたなるほど、と理解する。


「なるほど……」

「これは……村正か?」

「はい……戦前の物ですが、先代の旦那様が収集された品の中に偶然これが。幼少期より使って参りましたので、どうにもこれが手に馴染み、そして逆にこれもまた私の手に馴染んでしまった様子でして」


 どこか恥ずかしげに、驚愕に包まれる紫龍と清十郎にカインが告げる。幼少期から使っていた、というのは間違いではない。なので彼の言葉には殆ど嘘はなく、驚きに包まれている二人にはなんとかばれないで済んだ。


「が……ご存知の通りここはアトラス学院。安易に抜くべきではない、というのは当然ですが……不意の衝撃などで抜けてしまう事があるかもしれません。故にアクア様のご許可の上、安易に抜けない様にして頂いているのです。無論、このままでも切れますが」


 確かにこれほどの妖刀なのだ。それこそ鞘の中からだろうと、斬撃を放つ事は出来るかもしれなかった。万が一が起きた場合でも対応は出来るだろう。そして後は初撃を防いだ後に刀を抜いて、応戦すれば良いだけだった。


「そうか。これなら安心か。要らぬおせっかい。失礼した」

「いえ……ありがとうございます」


 清十郎の言葉にカインは感謝を示し、そんな彼に清十郎と紫龍が刀を返す。そうして、しばらくの間三人は剣術に関する談義を行いながら、主人達の訓練を見守る事になるのだった。

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