第81話 日常

 カインが聖地ラグナから帰還し、妹の夢を見て数時間。アクアに抱かれ眠った彼は、いつもどおり夜明けと共に目を覚ます。


「ん……」


 やはりアクアに抱かれ眠ったからだろう。カインは何時もより幾分穏やかな様子で目を覚ます。そしてこういう日はどうしてか、アクアもまた穏やかな眠りである事が多かった。


「……」


 穏やかな空気の中、カインはアクアの頬を撫ぜる。色々と苦しい事は苦しいが、彼女の寝顔を見る時だけは心が休まった。が、やはり眠る前が前だったからだろう。その顔は、どこか今までと違っていた。


「……あいつも、こうやって撫ぜてやったっけ」


 やはり思い出すのは、妹の事だ。二人だけの家族。そして妹は幼かった。こうして一緒に眠っていても不思議はないだろう。


「雷が怖い。嵐の夜が怖い……事あるごとに、人の部屋に来て……川の字になって眠ったんだっけ……」


 懐かしい。そう思った彼であるが、一転して首を振る。


「……そろそろ、起きないとな。今日は……まずは予定の確認からしないとだめか」


 そういえば結局昨日は拗ねるアクアのご機嫌取りを行って、結局今日の支度は何も出来なかったな。カインはそれを思い出して、若干笑いながら起き上がる。そうして起き上がった彼は着替える前に台所へと向かって、お湯を沸かして紅茶の準備を行っておく。


「ふぅ……」


 着替えて紅茶を入れて、一息ついて。それでようやく、カインはいつもどおりの状況へと戻ってくる。


「……さて。今日の予定だが……ああ、アクア様は体育があるのか。ということは、こっちにオレも参加、と……」


 リアーナの一件があったものの、あんなものは生徒会で起きた小さな事件に過ぎない。なので学院全体は至って平常運転で、今日もまたそんな一日になる予定だった。


「良し。とりあえず、これで今日に備えられる。後は……」

「カイン、おはようございます」

「ああ、おはよう……さて、朝食は?」

「いただきます」


 先に言われていたが、こうやってカインが夢見が悪く目を覚ました日は基本、アクアは普通に起きてくる。おそらく自分の事を気遣ってくれて、色々と女神としての力で動いてくれているのだろう。カインはそう思っていた。

 そうして、珍しく早く起きてきたアクアと共に、カインはアトラス学院へと登校する事にするのだった。




 さて、学院の授業が始まってからおよそ半日。午後になり、カインはアクアと共に合流。体操服というか戦闘服に着替えて、体育館へと足を運んでいた。その道中、カインはアリシアから問われて、マーカスの事を語っていた。


「そう。じゃあ、やっぱり軍が引き取る事になったのね」

「はい。あの後ですが、ドライ様が引き継がれるとの事でした。今は彼女が直々に事情聴取などを行われている、と」

「それなら、安心ね。あの方の腕は私も良く知ってるわ。伊達にアレクシア様の右腕ではない。リアーナの一件も遠からず解決するでしょう」


 そもそもアリシアはヴィナス家。アレクシアの子孫だ。なので他家に比べて<<神話の番犬ヘル・ハウンド>>の事は良く知っており、彼女が直々に動いているのなら安心だろう、と思った様子だった。そしてこれにはカインもまた同意する。


「はい……それに何より、もうマーカス自身の生存も確定しています。リアーナ様の持っていたカメラより、彼が会っていた高位高官もすでに判明しているとのこと。もう彼女が狙われる事は無いでしょう」

「そう。それが一番の朗報ね……一発ぶん殴れなかったのは悔しいけど」

「はい」


 アリシアの言葉に、アクアもまた頷いた。どうやらやはりあの一件で渾身の作が失われたのを、二人は心底恨んでいるらしい。まぁ、そういっても流石に軍に捕まった奴を殴りに行こうとは思わないので、それはそれで良いのだろう。


「そういえばアクア」

「なんでしょう」

「ミリア女史が復帰なさる、って聞いた?」

「そうなのですか?」


 アリシアの言葉に、アクアが僅かに驚いた様子でカインを伺い見る。それに、カインが一つ頭を下げた。


「申し訳ありません。伝え忘れておりました。はい。来週の頭から、ミリアリア女史が復帰されるとの事です。軍、政府共に許可を下ろしており、暫くは行動の自由は阻害されますが……いつもどおり学業にも復帰なさると」

「そうですか」


 そもそもアクアとしてもミリアリアの事は気に入っているらしい。なので彼女が復帰する事については一切の異論は無く、カインの言葉に微笑んで一つ頷いた。

 何より、彼女が自身の学園生活を円滑に行う上で重要なピースである事は聞いている。拒む意味もない事だった。


「そういえば……カイン。ミリアリア女史の妹さんはどうされているのですか?」

「……あ、あぁ、失礼致しました。ミリアリア女史の妹様ですね」


 やはり朝の事があったからだろう。カインは一瞬、この妹が自身の妹と勘違いしてしまったらしい。アクアの問いかけに反応が僅かにだが遅れていた。


「こちらについては容態は安定。特段の問題は見られない、との事です。また、女史のお父君にも社の方で取り合って、問題が無い事を確認しております」

「そんな事をしてたの?」

「はい……アリシア様もご存知とは思われますが……女史の妹様はかなり微妙な立場となります。特に女史のお父君については疎ましい存在ですので……」


 こればかりは不倫の挙げ句の事なのでアクアやアリシアらにしてみれば自業自得だろう、としか言い得ないのであるが、当人が疎ましく思う事については分かるといえば分かる事ではあった。

 が、こちらについてはカインからしてみればミリアリアを括り付ける首輪だ。そしてそのミリアリアはアクアが円滑に学院生活を送る重要な鍵である。もし万が一にも手出しをされない様に、オーシャン社が圧力を掛けたのである。


「ふーん……とりあえず、無事と」

「はい。要約致しますと、それで十分かと」


 アリシアの理解に対して、カインは一つ頷いた。と、そんな事を話している間に四人は体育館へとたどり着いた。


「良し……アクア。今日は負けないわよ」

「お手柔らかにお願いします」


 一応、今日の授業も主従揃っての模擬戦闘になるらしい。なのでアリシアが少しだけやる気を覗かせれば、アクアもまた楽しげに笑って頷いた。

 基本的にこの場に集まる様な面々は基礎的な戦い方は各々の家で叩き込まれる事になる。なので紫龍がする事と言えば模擬戦の監督や各々の動きにおかしな所があればそれを指南して手直しさせる事ぐらいだ。

 勿論、それが出来るのが腕利きの証拠と言えるので、並大抵の体育教師に出来る事ではなかった。そうして、二組の主従は体育館に入っていき、今日の体育の授業を行う事になるのだった。




 さて、カインとアクアが体育の授業を終えて二時間。二人は一日の授業を終わらせると、生徒会室にやって来ていた。今日は生徒会業務の日だった。と、そんな所にクラリスが口を開く。


「ああ、そうだ。アリシア、アクア」

「「なんでしょう」」

「明日には生徒会の会報の試作品が出来上がるそうだ。一度実物を確認しておいてくれ。やはりデータの形と紙媒体では色々と異なってくるものだろうからな」

「あ、はい……リアーナにはどうしますか?」

「ふむ……まぁ、一応データの形では送るつもりだが。確かに、出来上がったのなら確認してもらった方が良いかもしれんな……」


 アリシアの問いかけに、クラリスは一つ唸って考え込む。そうして少しして、彼女は結論を出した。


「アクア……確か今はリハビリなのだったな?」

「はい。数日前に見舞いに行った際、予定であれば今日から本格的なリハリビをスタートさせる、との事でした。早ければ再来週の頭には復帰と」

「そうか……なら、アクア。手間を掛けさせるが、明日で良いので生徒会に来る前に試しの一部を彼女へと持っていってくれ。今日からリハビリなら、今は疲れているかもしれんからな」

「わかりました」


 本人が至って平気な振りをしていようと、歩けなくなるほどの大怪我だったのだ。数百年前なら半身不随となりかねない怪我を負っていた以上、リハビリは必要になる。

 が、同時に本格的なリハリビに入るという事は、ある程度の回復は終えたと医者が判断したという事だ。それなら新聞を読むぐらいは問題なく出来るだろう、とクラリスは思ったらしい。


「頼んだ……さて、次は何があったか……」

「お嬢様。確か夏の合宿の予算編成の見直しなどが……」

「ああ、そういえばそうだったか」


 アクアに告げるべき事を告げると、クラリスは再び自身の仕事に戻っていく。そうしてそれにアクアもまた自身の仕事に戻るわけであるが、そこでふとアリシアが問いかけた。


「そうだ。そういえばアクア」

「なんですか?」

「そういえば貴方の家って従者はカイン以外も居るわよね?」

「はい」


 一応オーシャン家の従者達は揃ってカインに仕えている事になっているが、そのカイン自身がアクアの従者だ。なのでアクアにとっても従者と言っても間違いではなく、彼女も普通に認めていた。


「カインの妹さんも貴方に仕えているの?」

「カインの妹……ですか?」

「ええ……ほら。体育の前。ミリア女史の妹さんの話をした時、妙にカインの言葉に間があったでしょう? あれ、自分の妹の事を勘違いしたんじゃないか、って思ったのよ」


 鋭い。カインもアクアもアリシアの推測に思わず舌を巻く。そしてそもそもの話として、カインは双子の弟が一人居る事になっている。

 これについてはアクアの従者として動く場合とオーシャン家の従者として動く場合の利便性・隠蔽性を考えてのことだが、それなら妹が居てそちらもオーシャン家に仕えていても不思議はない、と思われたのだろう。が、この質問はカインとしても想定していない質問で、それ故にアクアは困った様子でカインへと念話で問いかけた。


『どうしましょう』

『ふむ……』


 そもそもその問題として、これはカインの不手際だ。なので彼は大急ぎで手を考える。そうして、彼は一つ妙案を思いついたらしい。


『アクア様。ひとまず妹については居る事にします。が、アクア様に仕えている事にはしません』

『と、言いますと?』

『リヴィア様に仕えている事にします……それなら、滅多に会えないでも不思議にはなりません』

『なるほど……リヴィアちゃんなら、当分起きそうにないですもんね』


 カインの言葉にアクアもまたそれなら大丈夫そうだ、と了承を示す。そうして刹那の間に相談を終えたアクアは、改めてアリシアに口を開いた。


「いえ……カインの妹は私の所には」

「そうなの?」

「ええ。私の友人にリヴィア、という女の子が居るのですけど、その女の子の……って、なんですか、その顔」

「い、いえ……アクアがお友達と言うものだから。びっくりしちゃった。人里離れた所で教団の方に教わって過ごしてきた、というのだからてっきり同年代はあまり居ないのかと」


 そもそもアクアは公的には魔力過多症と呼ばれる病で、最近になり医学の進歩などから外に出られる様になった、というのが公的なストーリーだ。なので同年代の友達はてっきり居ないものだと思っていたらしく、アリシアは大いに驚いた様子を見せていた。


「もうっ……私にだってアリシア以外の友達は居ます」

「ごめんごめん。そんな拗ねないでって」


 拗ねた様な様子を見せるアクアに、アリシアが笑って謝罪する。そしてどうやら、これは存外悪くない展開だったらしい。アリシアもカインの妹から興味を失い、そのアクアの友人とやらに興味を見せた。

 そうして、少し思惑とは異なったものの彼女の興味がそれた事により、カインの妹の話はこれで終わりとなるのだった。

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