第80話 家族の夢

 聖地ラグナにて教団関係者との間で邪教徒に関するやり取りを行ったカイン。そんな彼は副聖都に戻る直前、アルマと少しだけ話を行う事となる。そこで話されたのは、彼の過去とアレクセイの因縁だった。

 それに対して僅かな痛みを得た彼であったが、その最後にうっかり口にしてしまった容姿に関する言葉をアクアに聞かれ、妹を捨ててしまったという自責の念もどこへやら、という具合に拗ねるアクアのご機嫌取りに奮闘しながら、夜を徹して副聖都へと戻っていた。そうして深夜にたどり着いた彼は、お冠なアクアのご機嫌取りを再開していた。


「……だからごめんって」

「ふーんだ。良いですよ、どうせツルペタですよ。下も生えてないですし」

「だからそんな拗ねないでくれよ」


 どうやら他の少女らと関わる事により、アクアの精神には大分と年頃の少女としての意識が宿っているらしい。来た当時はそこまで気にしてはいなかったものの、今は気にしているらしかった。


「でもカインもあのはだけた着物の二人とかアリシアとかアレクシアさんとかドライさんとかの方が良いんでしょう?」

「お、おいおい……」


 相変わらずご機嫌斜めなアクアの言葉に、カインは思わず頬を引き攣らせる。確かに彼も男だ。いくら人間とはかなり違う状況になっていても、性欲は勿論ある。こればかりは生命体なので仕方がない。なので成熟した女性の魅力がわからないではない。というわけで、拗ねるアクアの額に自分の額を当てて告げる。


「アクア様。貴方の下僕である以上、それ以前の問題としてオレは貴方が良いんです」

「むー……キス一つで機嫌を直す様な都合の良い女の子じゃないです」

「じゃあ、いやですか?」

「嫌とは言ってないです」


 どこかキザったらしく問いかけたカインに対して、アクアはキスをねだる様に僅かに顔を上に上げる。


「ん……はぁ。わかりました。アルマを気遣っての言葉だと言うのもわかってます。でも、見てるんですから発言には気を付けてください」

「はい」


 どうやらキス一つで機嫌を直してくれたらしい。カインは僅かに頬を緩めながらも拗ねた様子を見せるアクアに、内心で胸を撫で下ろす。というわけで、彼は改めて口を開いた。


「さ、アクア様。とりあえずは寝ないと。もう夜の1時。遅い時間だ。明日も学校だ」

「はい。じゃあ、おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」


 最後に口づけを一つ交わして、カインはアクアを抱き寄せる。そうして、彼もまたゆっくりと眠りに落ちていくのだった。




 眠りに落ちたカイン。そんな彼であるが、やはり数時間前の事があったのだろう。夢の中へと落ちていった彼は、自身がアクアへと拾われる前の夢を見ていた。


『……あれが』

『……ああ』

『なんと恐ろしい……』


 自身に向けられる恐怖の声。近くを歩くだけで、誰もが道を空ける。ヒソヒソと声を潜める。そんな彼に声を掛けるのは、片手の指で十分だった。そしてその一人が、彼の語る妹だった。


『兄様』

『……』


 自身の後ろを必死で歩いてついてくる妹に対してカインが向ける目は、非常に寒々しいものだった。まるでゴミを見る様な目ではないが、少なくとも良く思っていない事だけは事実だった。


(……ごめん)


 疎ましげに視線を逸らす自身を思い出しながら、カインは内心で妹へと謝罪する。それは彼女を『捨てて』しまった事への謝罪か、それとも疎ましげに彼女を突き放す態度を見せるかつての自分に代わっての謝罪か。それがどちらかは、カイン当人にしかわからない。


『あの子が……?』

『何を考えていらっしゃるのだ、あの方は』

『ばかっ。そんな事もし聞かれてみなさい。どうなるか……』

『っ……』


 向けられるのは、恐怖とおぞましいものでも見るかの様な悪感情。そんな中で、カインは育った。そして妹にもまた、同じ視線は向けられていた。そんな二人の関係性が変わったのは、ある事件がきっかけだった。


『そいつに……オレの妹に手を出すな!』

『うぎゃぁ!? 腕がぁ! 腕がぁあああああああああ!』


 カインにより腕を握りつぶされ、男が苦悶の声と悲鳴を上げる。彼の妹は、誰もが認めるほどの美少女だった。

 それ故、ある時その美しさから攫われてしまったのだ。いや、攫われてしまった、というのは間違っている。彼ら兄妹に恐怖を向ける者たちが妹を売ったのだ。


(思えば……疎ましかったんじゃない。怖かったんだ……)


 かつての自分を見ながら、カインは僅かに苦笑する。疎まれ、恐怖され、蔑まれ。そんな視線の中で育った彼は、とある理由から失う事を極度に恐れていた。

 だから、後ろを必死で歩く妹を努めて視界に入れない様にして、合わせて努めて家族と思わない様にしていた。大勢の中に居ながらも、一人で生きてきた。


『なんだ、こいつ……』

『ば、化け物! 来るな!』

『……』


 化け物とオレを呼ぶのなら。化け物だと思うのなら。それでも良い。かつてのカインは、妹を攫った者たちを前に牙を剥く。


『化け物……それで良い。お前らを殺せるのなら。今だけは、オレは化け物である事を嬉しく思う……だって』


 だって。恐怖を見せて逃げ惑う者たちを前に、カインは狂った様な笑みを浮かべる。


『……お前らを殺すのに、ためらわないで良いから』


 どすんっ。まるで子供が紙障子を破るかの様な気軽さで、カインは妹を攫った者たちの一人の胸を貫いて、心臓を抜き取って握りつぶす。そうして握りつぶした心臓から吹き出る血で血まみれになりながら、カインは次の獲物へと狂った様な笑みを向ける。


『ひぃ!』

『き、聞いてない! こんなの聞いてないぞ! 単なるガキ二人じゃなかったのか!?』

『悪魔だ……売られたのは、俺達だったんだ……』


 恐怖。混乱。絶望。あまりに尋常ではない強さを見せるカインを前に、妹を攫った者たちは総じて交戦の意思を無くしていた。が、カインは一切の容赦無く、その全てを皆殺しにしていく。そうして、血の惨劇の開始から十分。彼は妹を攫った者たちを皆殺しにして、その血で出来た血溜まりの中に立っていた。


『……』


 これで良いんだ。幼き日のカインは、血溜まりの中でそう思う。徹底的に、殺し尽くした。これで妹には怖がられるだろう。たった一人の家族さえ失うだろう。

 だがそれでも、この子だけは守れた。今まで自身が突き放してきた罪滅ぼし。それで良かった。しかし彼もまた幼かった。故に、たった一度。最後に一度だけ、妹の声が聞きたかった。


『……大丈夫か?』

『あ……』


 血まみれの手で涙を拭い。告げられた自身を心配する言葉を、妹はどう思うのだろうか。泣かれても仕方がない。恐怖を覚えられてもしかたがない。今回ばかりは、カインもまた恐怖は仕方がないのだと受け入れる。が、そんな彼に対して、妹はやはり泣き出した。


『っ……』


 やはり、こうなったか。泣きわめく妹に、カインは仕方がないと泣きそうな顔ながらも手を下ろして背を向ける。が、そんな彼の後ろからタックルじみた『攻撃』が加えられた。


『がっ!』

『えぐっ! いっちゃやぁあ!』

『え?』

『兄様! 兄様ぁ!』


 泣きわめきながらも自身を兄と呼ぶ妹に、カインは思わず呆気に取られる。


『兄様……今私の事、妹って……びぇええええええ!』

『……』


 ぽかん。どうやら恐怖よりもおぞましさよりも何よりも、妹にとっては自分を妹と言ってくれた事が嬉しかったらしい。


『……お前……オレが怖く無いのか?』


 子供にして、数十人の武装した大人を皆殺しにしてしまえる少年。恐れられ、疎まれてもしょうがないと思っていた。だから妹が自分の後ろを必死でついてまわるのはそれを知らないから。そう思っていた。


『うん……兄様がそうだって……教えられてたから』

『それでも……オレを兄だって……』

『だって……兄様が居なくなると……私も一人ぼっちだから……』

『っ!』


 妹の言葉に、カインは思わず目を見開いた。仕方がない事であるが、やはりこの頃のカインはまだ幼かった。当然だ。

 彼も妹もまだ齢一桁。十歳にも満たない年頃だ。高度な教育が施された事により今の同年代の子供達に比べて格段に優れた知性を有するが、その根は年相応なのだ。だから、彼は自分の事だけしか考えられていなかった。


『ごめっ……ごめん……ごめん……ごめ……』


 自分の胸の中で歓喜の声を上げて泣く妹に、カインは自分の事しか見れていなかった事への謝罪と、こんな自分の正体を知っても兄と慕ってくれる事に感謝の涙を流す。そうして、血溜まりの中。カインは決意する。


(お前だけは、何があっても守ろう……たった一人の家族であろう。そう思ったんだけどな……)


 かつての気持ちを思い出し、カインは一人涙を流す。それは悔恨の涙。捨ててしまった事に対する痛みだった。それから、彼は暫くの間妹との事を思い出す。


『え……? 何……これ……ち……? なんで……?』

『……』


 あの子だけはオレが守らねば。カインはそう考え、自分達を売った者たちを徹底的に殺し尽くした。闇の中で。誰にも、それこそ妹にさえばれない様に密かに。それでいて徹底的に。一人残らず、殺し尽くした。


『兄様』

『ん?』


 殺す数が増える度。カインは自分に笑顔が増えていた事がどこかおかしかった。一つ一つ、彼女の安寧が得られている。墓標が一つ増える度、その実感があった。そして同時に血溜まりの中で彼女を守ると決めた時から、彼女との時間は増えた。


『このご本。教えて下さい。兄様に聞けって』

『あはは。お前は勉強熱心だな』

『早く兄様の役に立ちたいんです』

『あはは。ゆっくりで良いさ。急いだって良い事なんて何も無いからな』


 疎んでいた時から比べ、あの子の必死さも増したな。カインは妹があの頃以上に必死で追いすがってくるのを見て思わず苦笑する。そんな過去を微笑ましく思い出す。


『兄……様……っ……泣かない……で……私なら…くっ……大丈夫だから……っぅ』

『っ!?』

「!?」


 自身に向けられる涙の滲む妹の目。何かの痛みに耐える声。間近で感じるそれを思い出し、カインは跳ね起きる。


「はっ……はっ……はっ……っ……」


 ぐっと、カインはベッドのシーツを握りしめる。そうして荒い呼吸を整えて、ベッドに倒れ込んだ。


「お前……少しぐらい恨み言言えよ。こっちにとっちゃトラウマだってのに……あの後暫く寝れなかったんだぞ……」


 お前は全く。呆れた様に、カインは顔を手で多いながら僅かに笑う。が、それは自嘲気味な笑みでは決してなく、どこか微笑みにも近かった。


「てーか、オレ……確実に兄として失格だよなぁ……いや、妹捨てた兄なんて失格云々以前の問題だろーが」


 柔らかなベッドに沈み込みながら、カインは自嘲気味に笑う。と、そんな彼の異変に気が付いたのか、アクアが僅かに目を開く。


「カイン……?」

「なんでもない……少し、夢見が悪かっただけだ」

「……ほら」

「……あはは」


 そういえば。昔自分が拾われた頃もこうやって何か夢見が悪かった時にはこうされていたな。両手を広げて自分を迎え入れようとするアクアに、カインは僅かに笑う。

 あの頃からかなり成長した筈なのだが、今でも時折こうやって子供の様に扱われる事があった。そして、カインも今は少し甘えたい気分だったらしい。


「おやすみ、アクア様」

「はい、おやすみ、カイン」


 まだ朝日が昇るまでは少し時間がある。起きるには早すぎる。そうして、アクアに抱かれてカインは再びまどろみの中に沈んでいくのだった。

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