第74話 牙の実力

 アクアとアリシアのワガママを受けドライの許可を得て、<<神話の猟犬ヘル・ハウンド>>の脱走兵であるマーカスを追い込む事になったカイン。そんな彼はリアーナの暗殺を企んだ彼の企みを阻止すると、そのまま一気にマーカスを追い込んでいた。


「ちぃ!」


 追い込まれている。ビルの壁を蹴って高速で逃げるマーカスは、カインがある程度の間隔を空けて自身を追跡している事を悟って、思わず舌打ちする。

 元々彼とて猟犬に属していたのだ。狩りはお手の物で、それ故にこそ自分が狩られる側に回ったのをよく理解できたらしい。顔には自身の苦境が理解できればこその苦味が浮かんでいた。


「ふん……」


 逃げる事に必死で、攻撃はおざなりになっているか。カインは手刀で叩き斬る。そんな彼は一見すると自由にマーカスを逃している様に見えて、その実マーカスの読んだ通り追い込んでいた。


『カイン様。その次の道路。一撃を叩き込んで、曲がり角の先の工事現場の空き地に』

「わかった」


 オペレーターの言葉を聞いて、カインは僅かに速度を上げる。そうして、彼は言われるままにマーカスに肉薄。一気に交戦距離へと持ち込んだ。


「っ」


 来るか。来るよな。マーカスは事前調査で周囲一帯の地理を頭に叩き込めばこそ、ここでカインが仕掛けてくる事を理解していたようだ。しかめっ面ながらも、為すすべもなく交戦を意識する。そうして、直後。空中でカインとマーカスが激突する。


「ちっ!」

「ふっ」


 舌打ちにも似た声で大型の軍用ナイフを突き出したマーカスに対して、カインが真正面から拳打でそれを打ち砕く。が、次の瞬間にはまるで映像が逆再生するかの様に元通りになり、次のマーカスの攻撃に備えて漆黒の刀身を僅かに緑に染めた。


「む……」

「おら!」


 逆再生するかの様に復元したナイフを見て僅かに目を見開いたカインに対して、マーカスはここが好機とばかりに蹴りを叩き込む。そんな蹴りを受けて、カインが地面付近へと叩きつけられた。


「なんだ!?」

「人!?」

「おい、あんた! 大丈夫か!」


 唐突に飛来したカインに、周囲の住人達が大いに驚きを露わにする。改めて言うまでもない事であるが、この戦いは全て町中で起きていた事だ。

 マーカスがビルの壁を蹴って空中を移動していたのは、通行人が邪魔で逃げられない可能性があったからだ。そうして吹き飛ばされ地面に激突したカインを見る事なく、マーカスは背を向けて再度ビルの壁を蹴って加速する。が、そうしてビルとビルの間を縫って高速移動を開始した次の瞬間。ビルの合間からカインが現れた。


「何!?」

「はっ!」


 まさか地面に激突したはずのカインがビルの谷間から現れるとは露とも思わず、マーカスは思わず驚きに目を見開く。が、そんな彼に対してビルの谷間から現れたカインは意趣返しとばかりに容赦なく蹴りを叩き込み、先にあった工事現場へと叩き落とす。


「ちぃ!」


 ずざざっ、と地面を滑って着地したマーカスは、自身が蹴ったとは別のビルを蹴ってこちらに加速しようとするカインを見て舌打ちする。この展開を避けたかったからこそ、彼はあそこでカインを叩き落としたのだ。


(質量を持つ幻影か! おいおい! <<神話の猟犬ヘル・ハウンド>>の奴らでもそう安々出来ねぇっての! どこで入れ替わりやがった!?)


 なるほど、納得だ。マーカスはまたぞろアレクシアが無茶振りをしたか気まぐれを起こしたかで子孫の好き勝手を許したのだと思っていたが、カインが討伐を任されるだけの猛者である事を認識して顔を顰める。これならドライも納得しての事で、離れたのも納得だった。


(どこだ! どこに向かわせたい!)


 マーカスはカインの思惑を考えながら、自分が追い込まれる先を考える。カインが相手だ。彼も本気での交戦は避けられない、と悟ったらしい。そうなると考えるべきなのは、自分がどこへ向かっているかだ。

 カインを倒してしまえれば、逃げられる可能性が無いではない。ドライは近くには居ないのだ。倒してしまえば、ドライの介入まで逃げられる可能性は皆無ではなかった。ならいっそ、思惑に乗るのも手だった。そうして滑りながら一瞬だけ考える彼へと、加速したカインが襲い掛かる。


「くっ!」


 急降下して襲い掛かるカインに、マーカスはバックステップで距離を取る。そうして一蹴りで大きく距離を取った彼は、更に後ろに広がる歓楽街に気が付いた。どうやら気が付けば、街の外れにまで来ていたらしい。


(街の外れ……狙いは外か!)


 なるほど、思う存分戦うつもりらしい。それなら乗ってやるのも手だろう。マーカスはカインの思惑を察知して、僅かにほくそ笑む。そうして彼は敢えて虚空を蹴って、加速する。


「……乗ったな」


 加速したマーカスを見て、カインは僅かにほくそ笑む。改めて言うまでもない事であるが、敢えて街の外に誘導する様に見せていたのは彼の方だ。そしてドライを介してマーカスの性格も理解していた。

 なのでここで彼が乗ってくる事は想定通りと言うしかなく、彼の方こそほくそ笑んでいた。そうして、直後。地面を蹴って鉄骨の合間に入り込み、彼はビルの鉄骨の上に立つ二人の美姫に礼を述べる。


「三つ葉葵殿には感謝する、と伝えてくれ」

「「かしこまりました、お客人。またのご来店を」」

「ああ」


 一瞬だけの会話を二人の美姫と交わしたカインは、直後に鉄骨を蹴ってマーカス同様に加速する。そうして追うカインに対して、まるでマーカスは思惑がわかっているとばかりに副聖都の外まで一気に逃げていく。


「どこで仕掛けてくる……? 良いぜ、乗ってやるよ」


 一旦腹を括れば、マーカスも楽しげだ。当然だろう。追い込まれるとなると、それは自分の意図せずの事だ。が、敢えてそれに乗るのであれば、それは自分の意思で乗っている事になる。気分が違ってくるのは当然だった。

 とはいえ、このまま逃げ切れない事は彼もわかっていた。なので交戦が避けられないのは覚悟の上で、どれだけ自分に有利な状況で戦えるか、が肝要だった。そうして、数度建物の屋根を蹴った後。ついに本格的な戦闘が始まる事になった。


「っ」


 来た。マーカスはカインが強く地面を蹴って加速して仕掛けてくるのを察して、僅かに自身に気合を入れる。とはいえ、そんな彼も自分が叩き落される場所を見て、思わず目を見開いた。


「なにっ!」


 叩き落されたのは、治安の良い中心街から遠く離れてはいるもののまだ街の中。どこかの廃ビルを解体している解体現場だ。そこに、マーカスは叩き落されたのだ。そうして鉄骨に激突し足場の崩壊に巻き込まれながら彼はカインの襲撃に備える。


「ふっ」

「おせぇんだよ!」


 足場の倒壊に合わせて舞い上がる粉塵の中。自身の側面に現れたカインを読み取っていたマーカスは粉塵を隠れ蓑にして、更にカインの背後へと回り込んでいた。

 そうして背後からナイフを突き立てる素振りを見せたわけであるが、マーカスはナイフが触れた瞬間にそれが幻影である事を理解した。


「っ」


 そうだろな。マーカスはカインが幻影を繰り出してきた事を最初から理解していた。これほどの腕前だ。奇策を弄してくる事が当然と考えていた。そしてそんな彼は更に自身の背後にカインが立っている事を察知して、獰猛な笑みを浮かべる。


「ふっ!」


 刻一刻と迫りくるカインの貫手死の気配を知覚しながら、マーカスは乾く唇を舌で舐める。ここまでの猛者と戦うのは何時ぶりだったか。彼はここ暫く潜入任務という事で、自分が戦いに飢えていた事を理解する。

 そうして、彼は邪神の信徒として政府の特殊部隊に入る際に万が一という事で与えられていた力を解き放った。


「!?」


 唐突に放たれた邪神の力には、カインも流石に驚きを隠せないでいた。邪神と繋がっている事は最初から織り込み済みだったが、ここまで早々に見せてくるとは思わなかったようだ。そうして、カインは驚きの隙と先ほどまでを遥かに上回る超加速を見せたマーカスに背後を取られた。


「おぉおおおお!」

「ぐっ!」


 雄叫びと共に叩き込まれた踵落としを背後からモロに受け、カインはカエルの潰れるような音を出して肺腑から空気を漏れ出して、床に叩きつけられる。そうして意識を明転させる彼へと、マーカスは容赦なく更に足に力を込めた。


「おら! どうした!? まさかこの程度で終わりかよ!」


 マーカスは高速で何度もカインを踏み抜いた。そんな彼の踏み抜きを受けて、カインが床にめり込んでいく。これにカインは自身が地面に押し付けられている事を利用してマーカスの力を地面へと受け流し、床を打ち砕いた。


「!? マジか!」


 あれだけの魔術を使いながら、ここまで完璧な体術を使いこなすか。マーカスは自身が踏みつける力を利用されて下の階へと落下しながら、体勢を立て直したカインに思わず笑みを浮かべた。ここまで見事な戦士は<<神話の猟犬ヘル・ハウンド>>でも滅多に見ない。彼はそう思った。

 が、それ故にこそ本気で戦う意味があった。そうして、彼は着地すると同時に地面を蹴って、構えを取ったカインへと肉薄する。


「おァあああらぁあああ!」


 雄叫びを上げて、マーカスが渾身の力を込めてカインを殴りつける。それにカインは受け流す様に拳を振るい、そのまま一気に背負投げの様にマーカスを掴んだ。


(合気道! まった珍しい! が、良いねぇ! そうこなくちゃな!)


 この時代だ。合気道を使いこなす者は珍しくなっており、カインが数多武芸を使いこなした事にマーカスは投げ飛ばされながら賞賛を内心で述べる。そうして、そんな彼は投げ飛ばされる一瞬前に息を大きく吸い込んで、思いっきり解き放った。


「おぉおおおおおおおお!」


 びりびりびり、と放たれる魔力が乗った大音声で、地面に大きなヒビが入る。そうしてヒビの入った地面にマーカスは叩きつけられる事になるが、もろくなった地面だ。再度廃ビルの床が砕け、二人は更に下へと落ちていく。


「良いねぇ。お前、戦い甲斐がある」

「そうか」


 一瞬だけ、空中の二人が言葉を交わす。が、その有様は対照的。楽しげなマーカスに対して、カインは心底どうでも良いと言わんばかりだった。

 まぁ、彼の場合はアクアとアリシアのワガママでやりたくもない戦いをやらされているのだ。しかも殺せない。面倒極まりなかった。

 そうして、再度両者の拳とナイフが交わって、その衝撃で三度ビルの床が砕け散る。どうやらマーカスの大音声により、ビル全体が脆くなっていたらしい。


「……」


 どうしたものか。数度拳とナイフを交えて、カインは僅かにそう思う。邪神の力だ。なかなかに興味深かったし、マーカスの持つだろう邪神の情報はアクアの守護者でもある彼としても欲しかった。


「……まぁ、良いか」

「あ?」


 数度の攻撃の交わりで更に地面へと近付いたところで放たれたカインのつぶやきに、マーカスが訝しげに首を傾げる。これに、カインは面倒くさそうに耳に取り付けたヘッドセットに手を当てて呟いた。


「……もう良いぞ」

「!?」


 カインの言葉に合わせて、巨大な結界が展開される。それに、マーカスは絶体絶命を悟った。が、彼の思惑とは違い拘束の結界ではなかった。


「……なんだ?」

「……さぁ、本番だ。これで全力でやれる」

「なるほど」


 ようやく本気になったか。マーカスは僅かに風格の変わったカインに、ここからが本番だと理解したらしい。楽しげな顔を浮かべていた。そうして、女神の騎士と抜けた猟犬の牙の戦いが始まるのだった。

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