第75話 牙と従者
アクアとアリシアのワガママにより、<<
「で……これでまさか時間稼ぎか? まぁ、お宅の実力なら、確かにそれも不可能でもないかもな」
俺の邪神の力を勘案に入れていない事が前提だが。マーカスは崩れ落ちるビルの破片を無視しながら、油断なく軍用ナイフを構えカインへと告げる。
カインの腕前は間違いなく、<<
が、それはあくまでも邪神の力が付与されている、というマーカス側の本来の力を無視しての話だ。先に解き放ったのはあくまでも見せ札程度。本気ではない。これに、カインは僅かに獣の顔を見せる。
「時間稼ぎ? まさか……そんな事をしてはお嬢様とアリシア嬢に何を言われるかわかったものではない。今回、お嬢様がお望みなのは、貴様の単独撃破と捕縛。ドライ様のご助力を受けては怒られる」
「はっ……この期に及んでまだお嬢様かよ。ロメオは辛いねぇ」
「何……主人の無茶振りには昔から慣れているのでな。お嬢様がワガママを言って下さってオレとしては嬉しい限りだ」
敢えて同情する様な言葉を吐いたマーカス――当然単なる冗談だが――に対して、カインは少しだけ歓喜を滲ませる。カインに関する以外の事では滅多にワガママなぞ言わないアクアが、自分の為にワガママを言ってくれたのだ。
実を言うと、カインとしてもそのアクアの姿が嬉しくて、何だかんだ言いながらも乗ったのであった。なので今回は抜刀を許可されていないが、全力で事に臨むつもりだった。それ故、彼も僅かに強く白手袋を手に嵌める。
「……さ、これで思う存分やれる。お前だって下手に事を荒立てて、無駄な増援が来てほしく無いだろう?」
「そりゃ、そうだ。俺からすりゃ、お前とのせっかくの戦いが邪魔されちまうからな」
「だと思った」
数度の交わりの間、カインはマーカスが戦闘に魅せられた戦闘狂の類である事を見抜いていた。それ故に一対一で邪魔もなく戦える現状をマーカスは喜んでいると思われ、逆にこれで逃げられる可能性を潰したのだ。無論、結界を破壊してカインから逃げられるとも思っていないだろう。
「ま、高い買い物だったが。お嬢様にあの二人の存在を許容して頂けた。これでオレとしてもやりやすくなる」
「あん?」
「こっちの話だ」
カインは少しだけ笑いながら、腰を落とす。今回、この策を打つにあたって彼がした事は三つ。一つ目は、オーシャン社のオペレーター部門に支援を入れさせここに追い込む手はずを練らせる事。二つ目は、この廃ビルを三つ葉葵を通して買い取る事。三つ目が、芙蓉と雛菊を使ってこの場に結界を展開してもらう事だった。
実のところカインがマーカスを追い込む更に後ろから彼女らが追走しており、上で二人が戦っている間に結界を展開してくれたのである。元々仕掛けられていれば、マーカスも気づく。なので戦闘に集中した隙に、仕掛けたのである。
「さて……一応貴様が邪神の使徒なのであれば。こちらも一応は言うのが筋だろうな」
「なる……いいぜ。乗ってやる」
両者腰を落とし、いつでも襲い掛かれる状況だ。そこで口を開いたカインに、マーカスは何を言うのかを理解して楽しげにその言葉を待つ。ここでこう言った以上、出される言葉は一つだけだからだ。
「女神ラグナの名において。神罰を開始する」
「我らが破壊と無滅の神よ。
両者共に、奇しくも神に仕える者。それがぶつかるというのだ。であればまず言うべきなのは、お互いの神への祈りだ。それだけは、邪神の使徒も女神の使徒も変わらない。そうしてお互いに神への祈りを告げた直後。二人は同時に消え去った。
「はぁ!」
「おらっ!」
交わりは、丁度両者の中心で起きた。カインが拳に蓄積した魔力を刃として振るい、マーカスもまたナイフに蓄積した魔力を使いナイフの強度を核シェルターとて安々と切り裂けるだろう切れ味へと変貌させる。そうして、素手とナイフの衝突のはずなのに、金属同士がぶつかる様な澄んだ音が鳴り響く。
「っ」
やはり強い。一撃をぶつけたマーカスは、カインの強さに僅かにほくそ笑む。そもそも彼とて好き好んで邪神の信徒になったわけではない。
元々彼は傭兵で、戦場に立っていた。そこで出会った雇い主の一人が悪かった。言われるがまま戦った結果、邪神に魅入られてしまったとでも言えば良い。
そこで邪神の決して人の身では逆らえぬ力を知ってしまい、為す術もなく入信してしまったのである。こんな相手が裏に居る以上、人類の滅亡は避けられるわけがない。そう思ったらしい。彼がカストの前で知らないで良いのなら知らない方が良い、と思ったのはそういうわけだった。
(いいねぇ……こいつには、おそらく俺が素じゃ勝てない。邪神様はおっかないんで好きじゃないんだが。あの方が下さる力は素直に良いと思える……こいつなら、使うに値するな)
たった一撃。それを交えてカインの素が自身を上回る事をはっきりと認識したマーカスは、今までの様子見をやめて本気でカインを倒す事にする。そうして、次の一撃が交わる前に彼は与えられた力を解き放つ。
「っ」
やはり早々に切ってきたか。カインはマーカスの身体から漂った力に、警戒を隠さない。それは以前の夜会での襲撃で感じた力を同じ力。紛うことなく邪神の力だった。しかも先の上層階での戦いとは濃度が違う。勿論、先の夜会で戦った信徒達とも遥かに濃く強い力だった。そうして、彼はマーカスが不可思議な力で自身の背後に回り込んだ事を理解する。
「おぉ!」
「はっ!」
雄叫びと共に振るわれる軍用ナイフの振り下ろしに対して、カインは背中に障壁を張って対応する。流石に邪神の力を上乗せされた<<
「おせぇんだよ!」
自身の背後を取ろうと動いたカインに対して、マーカスは振り向きざまにナイフを振るう。そうして自身を追撃してくるナイフを見て、カインは移動を中断。その場で滑り込む様に姿勢を低くする。
「っ」
「はぁ!」
滑り込む様にしてナイフを回避したカインは、頭上をナイフが通り過ぎた直後に跳び上がる様にアッパーカットを繰り出した。それに、マーカスは既の所で仰け反る様にして直撃を回避する。とはいえ、顎を擦っており、鋭い痛みが彼を襲った。
「つぅ! あぶねっ!」
僅かに屈んで背後に跳んで距離を取るマーカスは、痛みと僅かに入った赤い筋を魔術で治療して楽しげに笑う。今の一撃、カインが手刀を構築する魔力を切っていれば衝撃でアウトだった。カインの判断ミス。そうマーカスは判断しようとして、一転して思い違いを理解する。
「っ!?」
消えた。確かに仰け反った一瞬だけ視線が外れたのは事実だ。こればかりは人体の構成上、そして肉体の限界の関係で仕方がない。その瞬間にカインが居なくなったのを受けて、マーカスは目を見開く。
(うしっ……違う!)
この相手が後ろなぞ取ってくるものか。マーカスは思わず振り返りそうになる自身の条件反射を強引に制御する。そうして、彼は更に地面を蹴って後ろに跳んだ。その直後、彼の居た場所へ向けて斜め上からカインが飛び蹴りを叩き込んだ。
「……ちっ。避けたか」
「……」
助かった。マーカスは長年の経験から回避した事に僅かな安堵を浮かべる。確かに、性能なら自分の方が上かもしれない。だが、経験値や技術なら決してカインも負けていない。そう判断するしかなかった。が、それ故にこそ彼は油断なく、しかしどこか興味深げにカインへと問いかけた。
「……お前、何者だ? 明らかに大企業のお嬢様に付き従うロメオには見えないぜ」
「お嬢様の従僕だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「それ以前は?」
「……それ以前も同じく、従僕だ。今も昔もオレは従者。それ以外であれた事もそれ以外であった事も無い」
大方ラグナ教団が懇意にしているオーシャン家に差し出した護衛の騎士。マーカスは僅かに言い淀んだのを受けて、そう判断する。そうでなければ、ここまでの実戦経験があろうハズもない。一介の従者であるにはあまりに強すぎるのだ。が、これはあくまでも興味本位で、別にどうでも良いといえば、どうでも良かった。
「……そうかい。ま、俺にはどうでも良い事か。ちょっと貴様が強いんで、来歴を知っとけば楽になるか、ってだけだ」
「そうか……っ」
今度はこちらの番。そう言わんばかりのカインが地面を蹴る。そうして、一瞬でマーカスへと肉薄する。が、マーカスはその一瞬をコマ送りで認識しており、問題なくカインの正拳突きを身を捩って回避する。
「おぉら!」
身を捩った勢いを利用して、マーカスが裏拳の様に逆手に持ち替えたナイフをカインへと叩き込む。が、突き立てたかに思われた次の瞬間。カインの姿がブレて消えた。
「残像か! だが!」
「ふっ!」
外れた。そう認識したマーカスは屈んで回避して自分の腹を狙うカインに対して、強引に急制動を掛けて停止。斜め上気味に放たれる拳に対して、カインの頭を目掛けてナイフを振り下ろした。
「っ」
これは流石に無理か。カインは振り下ろされるナイフを見て、このまま腹を殴っても逆に自分が頭を貫かれるだけと理解する。そうして彼は握りしめていた拳を開いて、手にためていた魔力を解き放って強引に距離を取らせた。
「ぐっ! てめぇ……」
「仕留めきれなかったか」
「はっ。この程度のボディーブロー。効くかよ。戦場じゃ、衝撃波だけでこのぐらいは何時も受けてたぜ。なんだったら、頭にも受けるしな」
僅かも残念そうにしていないカインの言葉に対して、マーカスは楽しげに笑う。が、その顔がどこかつらそうだったのは、気の所為ではないだろう。直撃ではないし苦し紛れではあったが、至近距離だ。ダメージはあった様子だった。
「そうか……なら、頭にも受けてもらおうか」
「っ」
速い。マーカスは直後に背後から響いたカインの声に、思わず目を見開いた。ここに来て、カインの速度が増したのだ。そうして、直後。どごんっ、という音が鳴り響く。カインがマーカスの頭を思いっきり殴りつけたのだ。
「ぐっ! ちぃ!」
今のは流石に効いた。明転する意識を強引に再起動させ、マーカスは必死で意識をつなぎとめる。そうして、直後。彼は今まで抑えていた力を全て解き放った。
このままでは勝てない。そう判断したのだ。そして、その判断は正しかった。その御蔭で彼は直後の前からの攻撃を認識する事に成功。振り抜かれるより前にナイフを突き出す。
「ちっ」
元々邪神の力を持つ事は勘案に入れていたが。カインはそれでも予想以上の速度と出力を見せたマーカスの刺突に対して、舌打ちしつつも距離を取る。そうして距離を取った彼の背後に、マーカスが回り込んでいた。
「はぁ!」
「ちっ!」
背後に回り込んだマーカスであったが、カインが即座に背後へと蹴りを繰り出してその攻撃を牽制する。そうして背後に跳んで距離を取る彼へと、カインは即座に背後へと振り向いて地面を蹴って追撃する。
「はぁ!」
「ふっ!」
マーカスが地面に着地すると同時。カインが拳を振り抜いて、一方のマーカスもまたナイフを振り抜いた。そうして、再度両者の拳と刃が交わって澄んだ音が鳴り響く。
「っ」
先に次の攻撃に転じたのは、今回もやはりマーカスだ。両者の攻撃が交わった直後に彼は蹴りを繰り出していた。彼の得物はナイフ。攻撃力がずば抜けて高いわけではない。が、その分振り抜きの速度と身軽さは群を抜く。故に体術を織り交ぜるのが、本来の彼の戦い方だった。
そうして繰り出された蹴りに対して、カインは右腕の前腕部に力を込めて障壁を展開。まるで盾の様に強固に仕立て上げる。
「つぅ!」
硬い。カインが構築した障壁の盾を蹴って、マーカスは思わず顔を顰めた。彼とて元々は<<
その一撃をして、硬いと感じるのである。間違いなく核シェルター以上の強度だろう。現にヒビ一つ入っていなかった。が、それでも彼は足に込める力を抜かなかった。
「おぉおおおお!」
「!?」
更に込められた力に、カインが僅かに目を見開いた。この状態から力を込めるとは。そう思った。直後。僅かにカインの身体が持ち上がり、そのまま吹き飛ばされる。そうして吹き飛ばされたカインは、倒壊したビルの破片を吹き飛ばして土煙の中へと消え去った。
「いってぇな、おい……俺の蹴りでくだけねぇかよ」
「はぁ……燕尾服が破れた。高いんだがな」
「……そうかよ」
思いっきり吹き飛ばされてもそれかよ。瓦礫を押しのけ土煙を上げてぼやくカインに、マーカスは思いっきり顔を顰める。そうして土煙の中を悠然と歩くカインが、少し楽しげに問いかける。
「……一つ、聞いておこう」
「ん?」
「何故オレが結界を展開したか。その理由だ」
「うん……? そりゃ、俺と思いっきり戦いたい……もしくは、俺を逃さない様にする為、だろう」
楽しげなカインから出された問いかけに、マーカスは不思議そうに問いかける。どう考えてもそれしかないのだ。が、これにカインは笑った。
「ははは……そうだな。それもある……が、主な理由は違うのでな」
「っ」
何だ。あの土煙の先に何が居る。マーカスは漂う気配に、僅かに身を強張らせる。
「今回、抜刀は殺してしまうから、と許可されていないが。お前をぶちのめせるのなら力を使っても良い、とお嬢様に言われていてな」
土煙を切り裂いて、僅かに髪の青色を深めたカインが現れる。そう。この結界の本当の意味は、中の戦闘を外から見えなくしてしまうためだった。
三つ葉葵とドライには、下手に中が見えてしまって周囲の住人達がパニックになっても困る為、と説明してある。が、本当の理由はもし相手が邪神の力を使って来た場合、アクアの力を使わねばならないかもしれないので、それがばれない様にする為だった。
「……言っただろう? 神罰を開始する、と。これから始まるのは戦いではない。一方的な聖伐だ」
ここに来て、マーカスも遂に悟る。自分が今戦っていたのは、単なる騎士ではない。おそらくラグナ教団でも超上位の騎士。使徒と呼ばれる存在なのだ、と。そうして、次の瞬間。蒼い閃光と化したカインが消える。
「二発で沈め」
「ぐっ!」
真正面からカインの拳打を頭に受け、マーカスは頭を大きく揺らす。その威力は先の比ではなく、流石にマーカスも意識を手放さない様に堪えるのが必死だった。が、その次の瞬間。斜め後ろに立ったカインが、まだ揺れる彼の頭へと裏拳を叩き込む。
「ふぅ……こんなものか。案外雑魚だったか」
少し本気を出せばこれだ。手応えの無い。本気でやって一切届かなかったマーカスに対して、カインはどこかつまらなさそうだった。そうして、彼はマーカスを縛り上げてドライの所へと向かうのだった。
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