第73話 狩り

 アレクセイの脅しに屈したカストの裏切りにより、全てが筒抜けの状態で来日することになった元<<神話の猟犬ヘル・ハウンド>>隊員のマーカス。そんな彼は勿論のこと、裏でそんなことが起きているとは知る由もなく、事態は進んでいた。


「そうですか……良かった」


 三つ葉葵を介してカインがマーカスの来日を掴んで翌日。アクアとアリシアの二人は従者を伴って、リアーナにカメラのデータの復元についてを話していた。そんな彼女だが、大半がなんとか復元出来たことを聞いて安堵を浮かべていた。


「ええ。とりあえずこれで記事については問題なく執筆出来そうよ」

「そうですね……ああ、そうだ。今日お医者様から、背骨の修復は終わったから明日からリハビリで来週には復帰出来そう、と言われました」

「そう。じゃあ、もう腕も?」

「はい、この通り」


 アリシアの問いかけに、リアーナが腕を動かしてみせる。この時代、医療技術についても数百年前とは格段の進歩を遂げている。

 結果、ナノマシンによる治療や魔術による治療で数百年前なら後遺症が避けられなかったり、酷いリハビリが待っていたりすることでもものの数週間で退院出来たりするらしかった。


「本当ね」

「はい……あ、そういうことですから、会長にはこちらでこのまま執筆はこちらで、と伝えておいてください。リモートでは入れますし」

「そっか。大学病院だと学内のネットワークも使えたんだっけ」

「ええ。授業もそれで受けていますし」


 アリシアの言葉に、リアーナは一つ頷いた。ここらやはり病院には滅多に来ないし、入院となると尚更に無いからだろう。病院で学内のネットワークに接続して学内の業務が出来ることをすっかり忘れてしまっていた様子だった。


「そっか……じゃあ、大丈夫ね。それなら、貴方の分のスペースはそのままにしておくわ」

「ありがとうございます」


 アリシアの言葉に、リアーナは一つ礼を述べる。どうにせよ新しく二人増えた所で、業務はまだわからないことの方が多い。一番重要な所の執筆を任せるわけにもいかないし、かといって会報を作ったことのないアリシアやアクアが執筆するのも些か不安が残る。結果、リアーナがやれるのならやるのが一番だろう、というのがクラリスの判断だった。


「じゃあ、戻るわね」


 アリシアはそういうと、アクアと共に戻ることにする。そうして二人が去って少し。リアーナは自分の布団の中に、一枚のメモが忍び込まされていたことに気が付いた。


「……あれ?」


 いつの間に。リアーナはそう思いながら、メモを開く。


「……」


 なるほど。そういうことらしい。リアーナはメモを読んで納得する。そうして、彼女はその指示に従って動くことにするのだった。




 さて、それから数時間。リアーナは言われる通りの指示に従って、夕食を食べて眠りについていた。怪我の治療の為、ナノマシンにより脳内物質も制御され、夕食を摂って一時間と少しで自動的に眠る様になっていたのである。

 というより、こうしないと怪我が急速に回復する影響で痛みや違和感を感じる者が居るらしい。それに対応する為、そして怪我の治療で不具合が出ない様にする為、強制的に眠らせることになっているとのことであった。

 そんなリアーナの睡眠を遠くで見ていた者が二人。片方は言うまでもなくマーカスだ。彼は何かしらのデバイスを操作しながら、リアーナの眠りを観察していた。


「……」


 今回、マーカスが取る手は非常に簡単だ。暗殺だ。リアーナの治療にはナノマシンが使われており、それに<<神話の猟犬ヘル・ハウンド>>所属時代に手に入れた情報を利用して暗殺するつもりだったのである。


「よし……これで、後は勝手に暴走するか。ちっ……面倒なことばっか言いやがって」

「ほぅ……<<神話の猟犬ヘル・ハウンド>>でも確か医療系のナノマシンへアクセスすることは不可能だったと思うんだが……時代は変わったか?」

「!?」


 背後で響いた声に、マーカスが驚いて後ろを振り向いた。そこに居たのは、ドライではなくなんとカインだった。


「お前は……あの時のロメオか。何故ここに?」


 大凡理解していながらも、マーカスは思わず問いかけずにはいられなかった。そもそも今回の案件はカイン達には知られずに起きていたことの筈だ。

 なのに何故彼が動いているのか。ヨーロッパに居た所為で事情がはっきりと理解できていなかった彼にわからないでも無理はなかった。


「アクア様とアリシア嬢のご命令でな。オレが仕留められるのなら仕留めろ。そうお望みだ」

「……? なんだ、そりゃ」


 言っている意味が一切理解できん。マーカスはカインの返答に理解不能という顔で首をかしげる。これで来たのがまだドライなら、彼も裏切り者の始末に彼女が動いたのだと理解できた。が、居るのはカインで、言われた言葉がこれである。理解できた方が可怪しいだろう。そんな彼に、カインはため息混じりに首を振る。


「言うな。オレとて出来ることならドライ様に場を譲りたかった」

「っ……あのメス犬も裏にいやがるのか」


 なるほど、どうやら自分はチェックメイトらしい。マーカスは気付け無いまでもドライが居ることを言われ、盛大に顔を顰める。

 この言葉が嘘とは、彼は思わなかった。嘘なら何故オーシャン社の従僕がこんなことをしているのか、と疑問だし、何より軍に報せない意味が無い。そしてドライが自分より上の猛者であることは自明の理だ。

 悟られずに隠れていても不思議はなかった。というわけで、マーカスは何時ドライが影から襲いかかってきても良い様に身構えながら、カインに問いかける。


「さて……それで? お前は俺をどうするんだ?」

「当然、捕縛するだけだ。オレやオーシャン社だけなら、殺しても構わないんだが……何分、ドライ様が今回の案件でオレが出ることを許してくださってな。捕らえねば彼女の顔を潰すことになってしまう」


 面倒な。カインは内心の面倒くさいという感情を隠すことなく、マーカスへと告げる。今回の一件の前。実はドライと一度手合わせを行っていた。

 そこで彼女よりカインが<<神話の猟犬ヘル・ハウンド>>の隊員より遥かに強いことを認めさせており、捕縛は十分に可能と判断されたのである。

 結果、アリシアとアクアの憂さ晴らしとして、カインが単独で彼を捕縛することになったのであった。せめてこれぐらいはしないと気が晴れなかったらしい。


「……なるほど。そうかよ!」


 この期に及んで、リアーナの暗殺なぞやっている場合ではない。マーカスはそう判断したようだ。手で持っていたデバイスをカインへと投げ捨てて、ビルから飛び降りて逃走を図る。先のカインの言葉から、ドライが近くに居ないと踏んだ――実際居ない――のである。


「はぁ……」


 うざったげに、カインは投げつけられたデバイスを手刀で叩き割る。これでひとまず、リアーナの安全は確保された。


「アクア様。アリシア様……リアーナ様の安全は確保されました。後は、そちらで」

『はい』

『ええ……そちらも必ず捕らえなさい』

『ええ。カイン……絶対に捕らえてください。一発は殴って良い、と許可も出ていますので』

「はい、かしこまりました」


 アクアにそう言われては仕方がない。珍しく報復するつもりのアクアの命令を聞いて、カインは通話にいつもどおりの返答を入れるとそのままため息混じりにビルを飛び降りる。が、そうしている間にもすでにマーカスはどこかへと消え去っていた。


「……オペレーター」

『はいはいー……追跡中です』

「よし……追い込む。常に位置は補足しておけ」


 そもそも、カインの背後に控えるのはオーシャン社。ありとあらゆる所に伝手を持つ大企業だ。しかも今回はドライまで背後に居る。

 なので万が一に彼女が控えているのは勿論のこと、軍の支援の結果街に展開されている監視カメラの映像も普通に手に入ったのである。勿論、マーカスもそれは想定に入れており、監視カメラの死角に入って逃げていた。


「さて……狩りの時間だ。存分に逃げてくれよ」


 町中でマーカスと戦えるわけがない。当然だが相手はいくら裏工作があったとはいえ<<神話の猟犬ヘル・ハウンド>>に所属出来たほどの腕利きだ。それと町中で戦えば被害は馬鹿にならないだろう。となると、戦える場所まで誘導するしかない。そうして、カインは僅かに楽しげにマーカスを追い込んでいくことにするのだった。




 さて、一方その頃。ドライはというと、カインを遠くから見守りながら僅かに疑問を得ていた。


「あの……本当によろしいのですか?」

『ええ、良いわ。貴方が認めたのでしょう? あの子なら捕まえられるって』

「まぁ、そうですが……」


 ドライはアレクシアの問いかけに一つ頷きながらも、それで良いのだろうか、と思っていた。当然であるが、今回の一件はあくまでもアレクシアの許可があってのことだ。真面目な彼女がそれを怠るわけがない。とはいえ、これだけならまだ彼女の何時もの気まぐれと言い切れたのであるが、今回はそれだけでない事情があった。


「あの……ですが、その。どうにもアレクセイ様が今回の案件に噛まれているご様子なのですが」

『ええ、構わないわ……でも、わかっていると思うけれど』

「それは勿論です。ツヴァイ姉さまには絶対に教えていません」


 アレクシアの言葉に、ドライははっきりと頷いた。今回、この一件についてはツヴァイには一切報告していない。というのも、この裏にアレクセイが何かしらの策略を噛んだからだ。


『それで良いわ。あの子は本当にアレクセイのことが嫌いだから……』

「あの……結局ずっとはぐらかされているのですが、何があったのですか? 姉さまはアレクセイ様のことを聞くなり、見たこともない様な顔をされます。喩え刺し違えてでも殺したいという様な顔を……私が生まれるよりも前に問題があった、とは聞いているのですけど……」


 少しだけ訝しげに、ドライはツヴァイのことを問いかける。ツヴァイのことを姉と呼んでいる彼女であるが、その実年齢には大きな隔たりがある。

 無論、そう言っても百五十年前の時点ではドライの存在は確認されているので百歳以上の差ではないが、それでも数十年単位での差はあるらしい。なのでそれ以前にあったことは知らないのだ。


『今と一緒よ。あの子が馬鹿なことをして、私とツヴァイのとても大切なものを奪ったの……それ以来、私の屋敷にあの子は立入禁止にしているわけね』

「はぁ……」


 それは聞いたのだが。ドライはアレクシアの返答に、そう思うだけだ。そしてこれを言われたということは即ち、また答えははぐらかされたということなのだろう。

 そう思い改めて監視に精を出そうとした、その時。アレクシアが何時もとは違って話を続ける。


『でも、そうね……そろそろ貴方にも教えても良いかもしれないわね』

「ふぇ?」


 予想外の返答を言われ、ドライが思わず素っ頓狂な声を上げる。


『ふふ。でもまだよ。少しだけまだ早いわ』

「は、はぁ……」


 結局、今ではないのか。ドライはそう理解してたたらを踏む。


『あらあら……あ、屋上だから気を付けなさいね?』

「は、はぁ……」

『……そうねぇ。その監視を頑張ったら、教えてあげちゃおうかしら』

「そんな簡単に決めて良いんですか……?」


 なにせ今の今まで百年ほどもはぐらかされ続けたことなのだ。それをあっさりそんなことで決めて良いのだろうか。相変わらずといえば相変わらずなアレクシアの言葉に、ドライはがっくりと肩を落とす。彼女の場合、本当にそんな簡単に重要なことを決めてしまうことがあるから、判断に困った。


『……良いの良いの。じゃ、頑張ってねー』

「何があるんですか、一体……」


 非常に楽しみそうな声を上げるアレクシアに、ドライが再度がっくりと肩を落とした。これはもしかしたら別に面倒なことになるのかもしれない。そう思ったらしい。

 そうして、ドライは妙にやる気が削がれた様子で、カインとマーカスの追いかけっこを監視することになるのだった。

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