第72話 抜けた猟犬の牙

 少しだけ、時は遡る。それは今より数週間前。サイエンス・マジック社の首脳陣が一斉検挙された直後の事だ。


「と、いう感じです」

『そうか……迂闊な事をしてくれる』


 一人の男が森の雑木林に隠れてどこかへと連絡を入れていた。その彼は遠目に顕になったサイエンス・マジック社の地下研究所を見ており、どこか剣呑な様子があった。が、周囲の者たちはそれに気付いていても、何も言わない。

 各所で戦闘が起きたり、連携を取るべく本部と連絡を入れている様な者が大勢いるこの状況だ。どこかと連絡を取り合っていても不思議はないからだ。


「どうします?」

『……私が彼らから賄賂を貰っていた形跡を消せ。わかっているとは思うが……』

「わかってますよ。あんたが捕まれば俺も終わりだ。あんたと俺は一蓮托生。俺がここに入れたのも、あんたのおかげだ」

『それがわかってるなら良い』


 がちゃん。どこかレトロな効果音と共に途切れた通信に、男は僅かに嘲笑を滲ませる。


「はっ……貴族主義に没頭する俗物め。まぁ、良いか。どうせ御方が滅ぼされる。一時を愉しめば良い」


 どうせ何時かは滅ぶのだ。であれば、一時の享楽ぐらいは許してやるか。男は吐いて捨てる様に、そう述べる。と、そんな彼に声が掛けられた。


「マーカス。ここに居たのか……どうする?」

「ああ、バートンか」


 マーカス。そう声を掛けられた男に声を掛けたのは、背に神狼の意匠が施された隊服を身に纏う男だ。無論、マーカスの背にも神狼の意匠があった。どちらも、<<神話の猟犬ヘルハウンド>>の隊員だった。そんな彼に、バートンが僅かに焦った様に告げる。


「ヤバいぜ。奴らが捕まったら、軍の情報を流してたのがバレちまう」

「その心配は無いだろうさ。ほら、見てみろ」

「あ?」


 マーカスの言葉に、バートンはヘリから半ば乱雑に引きずり降ろされる形のサイエンス・マジック社の幹部達を見る。誰もが血の気が無く、生きているか死んでいるかも定かではなかった。そんな彼らを見るマーカスの目は僅かに怪しい光を湛えていた。


「魔眼使えよ。見ろよ。何人かはもう駄目だな」

「おっと……わーお。こりゃエグい。生命力も精神力もギリギリまで無くなってやがる。ありゃぁ、何人かは死んだな」


 死ぬか生きるかの境目。魔眼と呼ばれる特殊な目を使った二人の目には、サイエンス・マジック社の幹部達の生命力とでも言うべきものが可視化して見えていた。

 それによると、誰も彼もがカインの妖刀<<村正>>により生命力がギリギリまで吸いつくされており、本当に少し油断すれば死ぬかもしれない様な状態だった。

 そんな様子に安堵と笑いを浮かべた――これなら隠蔽する時間が得られた、と踏んだらしい――バートンは、少し安堵したからか笑いながらマーカスへと問いかける。


「どんな手を使ったんだ? あの優男のロメオさんがやったんだろ?」

「知るかよ。俺もお前もアレクシア様の命令で緊急で出動しろ、って言われて来ただけだろ。で、来てみれば事もあろうにサイエンス・マジック社の捕縛だ。わかるわけねー」

「あっはは。そりゃそうか」


 やっぱり焦ってやがったな。マーカスはバートンの言葉を聞きながら、そう思う。そうして、彼はこの数日後。今回の一件を受けてサイエンス・マジック社から賄賂を受け取っていた事実をどうやって隠蔽するかを話し合うとして、隠れ家に今回の一件で自分と共に賄賂を受け取っていた者たちを集めて、自分を含めた全ての者を火の中へと葬り去るのだった。




 さて、それからおよそ一ヶ月。カインがマーカスの生存を掴んだ日の前日だ。日本から遠く離れたヨーロッパの某所のパーティ会場に、マーカスは居た。

 と言っても勿論、過日の隊服ではない。サングラスを掛け髪型を大きく変えて、とある要人のボディーガードの一人に扮していた。そのとある要人とは、夜会の折りに会っていたカストだった。


「と、いうわけだ」

「なるほど。しくじった、と」

「そういう事になる。一応、データの削除には成功したとの事だそうだが……相手はあのアレクシアだ。目撃者も一切を消す必要がある」

「はぁ……」


 マーカスは呼び出された理由を改めて聞かされて、深くため息を吐いた。元々自分達の密会の証拠が撮られたかもしれない、とは聞かされていた。

 なので特殊な魔術を用いてステファノの部下を殺したわけであるが、それと共にリアーナのカメラにも密会の写真が入ってしまっている事も知っていた。なのでこちらも消そうとしたのが、今回の事件の顛末だった。


「だからパーティ会場は駄目だ、っつったんですがね。どこにカメラがあるかわかったもんじゃない」

「ふんっ……あの時はあそこで接触するしかなかったのだから、仕方がないだろう。私とて嫌だ。何より、あの化け物の近くだ。が、私が日本にバレずに入るにはあのタイミングしかなかった」


 まぁ、そうなんだがな。マーカスはカストの言葉が正しいが故に、返す言葉はなかった。とはいえ、それは彼も承知の上での接触だ。仕方がない、というカストの言葉は道理だった。


「そもそも、あのタイミングで、と指定したのはそちらだろう。星辰が整わないとかなんとか……」

「わーってますよ。ただそれでも、パーティ会場で無くても、って話です」

「それこそ仕方がない。私とて軍である程度の地位を持っている。聖都に来た以上、会わねばならない相手は多い。どうやっても、タイミングが合わなかった。それにそれで君達も利益を得ているのだから、文句を言う筋合いは無いだろう」


 そのタイミングの調整をするのが、あんたの仕事なんだがね。マーカスはカストの弁明に対して、内心でそう毒づいた。とはいえ、最終的に了承してしまった事実はある。仕方がない、と毒は吐かずに引っ込める。が、少しむかっ腹は立ったので、敢えて彼は神経を逆撫でする様な事を告げてやる。


「はいはい……にしても、化け物ね。よくもまぁ、人望厚い最高指導者様に、かの七星様にそんな事が言えるもんだ。今あんたが美味い飯を食えるのは彼女のおかげだろうに」

「……そうか。貴様は知らないのだな」

「……?」


 どこか憐れむ様に向けられた視線に、マーカスは首をかしげる。曲がりなりにも彼とて<<神話の猟犬ヘルハウンド>>に所属していたのだ。アレクシアが一方ならぬ策略家である事は知っていた。

 が、それとはどこか別の様に思えたのである。とはいえ、カストは口にするのも恐ろしいとでも言わんばかりに、これについては言及をしなかった。


「知らないのならそれで良い。知る必要も無い事はこの世には多いからな」

「……それは同意しますね」


 例えば、俺達が仕える神の詳細とかな。マーカスはカストに対して、内心で僅かに自嘲気味にそう告げる。彼自身、知らないで良いのなら知りたくはなかった。が、知ってしまった以上、今更昔には戻れなかった。


「とはいえ、わかりやしたよ。その女の子を殺せば良いんでしょ」

「ああ。早急に頼む」


 踵を返したマーカスに、カストは一つ頷いた。そうして、マーカスは二度と戻らないだろう、と踏んでいた日本へと、再度戻る事になるのだった。




 カストがマーカスと会って数日。すべての手配を終えたマーカスがヨーロッパを経った直後。カストはとある人物の所へと連絡を入れていた。が、その顔は真っ青で、今にも失禁するのではないか、というほどに怯えが見え隠れしていた。


「と、言うわけです。確かに、マーカスは日本に渡りました。私がすべての手配を行わせて頂きましたので、確実です。出ていったのも私の部下がしっかり見ています」

『そうか。上出来だ』


 楽しげに、アレクセイは一つ頷いた。アレクシアの影に隠れてあまり着目されないが、カインが述べていた様に彼もまた策略家・軍略家として優れた腕を持つ。

 なので彼はマーカスが生きていた事を別の方法で掴むと、それをネタに姉がなにかをしようとしている事を察知。自身の考えで動いていたのである。が、それ故にこそカストは怯えていた。


「こ、これで私はすべてお咎め無しなんですよね?」

『ああ、勿論だ。ほら、俺は良い姉貴を持ってるからよ。約束は守るぜ?』

「ふぅ……」


 上機嫌に見逃す事を明言したアレクセイに、カストは心底安堵を滲ませる。マーカスを日本に向かわせろ。それは確かにマーカスの依頼であったが、同時にアレクセイの指示でもあったのである。

 彼が何を考えているかはわからない。知りたくもない。が、彼に自身が裏でやっている悪行の数々を知られた時点で、運の尽き。カスト出来るのは、ただ彼の享楽の矛先が自分に向かない事を願うだけだった。そして幸いな事に、彼の享楽の刃がカストに向かう事は無かった。


『さって……じゃ、俺もちょっくら日本に向かうとするかね。あ、悪い事はほどほどにしとけよ? 俺は別に気にもしねぇがよ。クラウディオは経済全部見てるからな。あんま裏に金回すと、あいつが怒るぜ』

「き、気を付けます」


 カストは上機嫌なアレクセイの助言に、ペコペコと頭を下げながら了承を示す。ただでさえ、アレクセイという七星の中でもアレクシアとは別の意味で特別厄介な奴に見付かったのだ。これ以上、七星に目をつけられたくはなかった。

 そうして日本に向かうからか通信を切ったアレクセイを見送って、カストは腰が抜けた様にへたり込んだ。


「ふぅ……」

「そんなに怯える事ですか? ただの通信ですが……」


 あまりに無様としか言いようのない姿を見せたカストを、どうやら側近は訝しんだらしい。なにせ相手は今は遠くに居るのだ。いくら何でも手出しが出来るとは思わなかった。が、それにカストは現実を知ればこそ、震えを隠さず注意深く目を見開いて周囲をキョロキョロと見回していた。


「お前は知らんのだ。アレクセイ様がどれだけ化け物的な戦闘の才能を持っているか、というのを」

「アレクセイが?」

「馬鹿者! アレクセイ様だ! 様を付けんか、様を! 殺されても知らんぞ!」

「は、はぁ……」


 影では自分もアレクセイやアレクシアと呼び捨てにしている癖に、今更様付けをするカストを見て、側近は若干気圧されながらも頷いた。とはいえ、そんな彼はやはり訝しげに問いかける。


「で、ですが、そのアレクセイ様があの場からここまで攻撃出来ると? まさか。皇龍様でも無理な事を出来るとは到底……」

「出来る。出来るのだ……私は一度見た。大昔の事だが……」


 どうやら、その時の恐怖が今でも頭を離れないらしい。カストはビクビクと怯えながら、身を掻き抱く。


「あの方なら、やろうとすればあの場から私を……いや、マーカスの奴とて殺せる。それも、たったの一撃で……」

「……」


 この怯え様だ。側近にも嘘とは到底思えなかった。そしてそれ故に、今もこれほど怯えているのだろう。いつ何時、アレクセイが翻意して殺されるかわかったものではなかった。


「にしても……そんな方が何をなさるつもりなのでしょう」

「知らん。知りたくもない。特にあの方の思惑なぞな」


 アレクセイの性格は表裏が無いという意味でなら信頼出来るが、同時に嫌な性格しかない、という意味で信頼できない。

 それを考えれば、アレクセイが何を考えているかはやはりカストは知りたくもなかった。だから、ただ言われるがままにマーカスを売ったのである。


「私はしばらく、何もせん。あの方が何をなさるかはわからんが、少なくとも下手を打って機嫌を損ねたくない」


 少なくともアレクセイが気付いたという事は、他にも何人かには自分の悪行がバレている可能性がある。そう考えたらしい。カストはゆっくりとだが立ち上がり、何度か躓きながらも歩き出す。そうしてこのあと少しの間は、カストが鳴りを潜めた事とアレクセイが去った事によって、ヨーロッパは少しだけ平和になるのだった。

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