第52話 ダイヤモンド

 カインとアクアの二人は聖地ラグナにおける隠蔽工作と空いた時間でのデートを終えて、アリシアらに遅れること半日で聖都グランブルーに到着する。

 そうして到着してアリシアより明日の夜会に備えて勲章を受け取った後、しばらくの歓談を行って彼女はアクアの部屋を後にしていた。その一方、アクアはカインの膝に座って先程の小箱を一度開いていた。


「へー……勲章ってこんなのなんですね」

「ああ。それは<<七星勲章しちせいくんしょう>>。まぁ、名誉勲章か。最も授けられている勲章、と言って過言ではないだろう」


 基本的な一般常識は叩き込んでいるアクアであるが、こういった殆ど使われないような知識については殆どわからない。なのでそんな彼女にカインは今回与えられた勲章について解説する。


「意匠としては、七つの星をイメージしたダイヤを翼の様に配置した物だな。シンプルだが、これはまぁ、仕方がない事だろう」

「へー……あれ? 全部ダイヤモンドなんですか?」

「ああ。と言っても、流石に一品物ではないからな……中央以外は人工のダイヤモンドだ。中央だけはオレの聞いた時代から変わっていないのなら、天然物だ」

「いえ、そういう話ではなくて」


 アクアはカインの解説を聞きながら、七色のダイヤモンドが散りばめられた勲章を再度見る。内訳としては中央に透明のダイヤモンド、その左右に六色のダイヤモンドを翼の様に配置している、という所だ。


「ああ、色か。知られていないが、ダイヤモンドには幾つか色があってな。特に天然物のレッド・ダイヤモンドはカラット単位で数億、数千万で取引されている。確か……アレクシア様に妊娠祝いとして、2090年代に発見された世界最大級のレッド・ダイヤモンドが献上されていたな。大きさはカッティングされて9.83ctだったか。献上品なので値段は無いが……おそらく数百億は下るまいよ」

「へー……そう言えば、今日の授与式でも胸元に赤い宝石のネックレスをしていましたね」


 アクアはドレス姿のアレクシアを思い出し、そういえば、と頷いていた。これにカインもまた一つ頷く。


「ああ。一説にはレッド・ダイヤモンドには『不滅の愛』を意味するとの事だ。子どもたちにいつまでも変わらない愛を持っている、という意思表示なのだろうな」

「なるほど……」


 今回のアレクシアはあくまでも偉大な祖先として子孫を表彰する立場だ。その立場から、レッド・ダイヤモンドを身に着けていたというわけなのだろう。と、そんな事を説明したカインであったが、投影させた授与式の映像をスロー再生させる。


「まぁ、そう言っても。天然物のレッド・ダイヤモンドは七星様は全員が持っている。えっと……ほら、ここ。アレクセイの胸元」

「あ……赤い宝石」

「ああ。基本的に公式の場では、彼らはレッド・ダイヤモンドを身に着けている。民を自身の子に捉え先に言った意味合いから、というわけだ。ま、その結果レッド・ダイヤモンドは三百年前の倍以上の値段に跳ね上がったがな」


 とどのつまり、七星達は公的な場では必ずと言って良いほどレッド・ダイヤモンドを身に着けているのだろう。

 現に紋付袴と着物という古風な衣装で来ていた皇龍と紅葉の二人も、揃いの意匠のレッド・ダイヤモンドが嵌められた指輪を右手の薬指に嵌めていた。

 特に皇龍はシックな紋付袴なので微妙に悪目立ちしていた。衣服に合う合わないではなく、これはある種の決まりのような物なのだろう。


「今ではこのレッド・ダイヤモンドを結婚指輪に、というのも割りと一般的だ。勿論、天然物なんぞ三桁もないから、全体的に人工ダイヤモンドだろうがな」


 レッド・ダイヤモンドの発見は1990年代と比較的遅い。更には産地も限定されている上にその産出量も非常に少なく、二度の戦乱で幾つかは失われていた為、発見から三百年が経過した現代でも天然物は百個も無いとの事であった。

 が、アレクシアの一件でプロポーズにはこれ、という印象が出来上がったのか人工物であってもレッド・ダイヤモンドを選ぶ、という若者は多いそうであった。


「そうですか……それは少し残念ですね。あ、もしカインがプロポーズしてくれるなら、その時には私もレッド・ダイヤモンドを期待しますね」

「あっははは。天然物を探しましょう」


 少しの茶目っ気を見せたアクアに、カインは優雅に腰を折る。一応彼は世界最大の企業のトップでもある。レッド・ダイヤモンドの天然物ぐらいは入手出来た。と、そんな彼は一転、茶目っ気を滲ませる。


「と言っても、もう永遠の愛は誓いましたけどね」

「あら……でも結婚指輪は貰ってません」

「残念ながら、アクア様の手に入る指輪が作れませんでしたからね」

「今なら、入りますよ?」


 愛しげにカインの膝に座るアクアは、彼の手を導いて確かめさせる様に左手の薬指を触らせる。


「あはは。作っても良いんですが……流石に学生の身分で結婚指輪をするのは、ね」

「そうですか……少し残念です」

「あはは」


 本当に僅かな残念さを見せるアクアと、カインは愛しげに口付けを交わす。と、そうして二人の唇が離れた所で、再度アクアは映像を見た。


「あれ……?」

「どうした?」

「いえ、このアレクシアさんの左手の薬指。青い宝石じゃないですか?」


 アクアが見ていたのは、アレクシアの左手の薬指に嵌められていた指輪だ。先にカインはレッド・ダイヤモンドがプロポーズに使われる、と言っていたが彼女の左手に光り輝いていたのは、どういうわけか薄青色の宝石だった。


「そちらはブルー・ダイヤモンドだな。正確にはアイスブルー・ダイヤか。アレクシア様の時代まではレッド・ダイヤモンドを送る、というのは一般的ではなかった。それに対して、ブルー・ダイヤモンドは欧米では一般的に花嫁に好まれる宝石だからな」

「いえ、それならブルー・ダイヤモンドが流行る筈では?」

「うん……? そういえば、そうだな……」


 アクアに言われ、カインは今更何故レッド・ダイヤモンドが一般的なのだろうか、と疑問を得る。勿論、今も変わらずブルー・ダイヤモンドも普通にダイヤモンドと共に一般的に使われる結婚指輪の宝石だ。と、そんな事を思って、カインは一転首を振った。


「いや、単に昔からブルー・ダイヤモンドとダイヤモンドは一般的で、レッド・ダイヤモンドが一般的になったのがアレクシア様の一件の後、というだけなんだろう」

「あー……確かに、そう考えれば自然ですね」

「ああ……にしても、珍しいな」

「何がですか?」


 カインの唐突なつぶやきに、アクアが首を傾げる。これに、カインはアレクシアの結婚指輪を指し示した。


「ああ。アレクシア様の夫が亡くなってもう百年以上が経過している。彼の死後、結婚指輪を身に着けていたという記録は無いんだが……知らないだけか……?」

「一応は子孫の前なので、という所じゃないですか?」

「まぁ、その可能性もあるが……いや、それ以前に……」


 そう言えば結婚指輪はこんな形じゃなかった気がする。カインは内心でアレクシアの指輪を訝しむ。と言っても、彼女の結婚式を知っているわけでもないし、当時は少しの事情からカインは外には出ていない。

 彼がオーシャン社を作ったのは今から百五十年前で、アレクシアが結婚したとされているのがその四十年前だからだ。とはいえ、資料には残っているはずだった。


「ふむ……少し結婚当時の写真を確認してみるか……?」

「カイン」

「ん?」

「シワ、出来てますよ。あまり深く考えると、ハゲちゃいます」

「っと」


 つん、と笑いながら自身の眉間を突いたアクアに、カインは少し考えすぎていたと思い直す。そうして、彼は気を取り直してそろそろ良い時間か、とアクアの夕食の手配を開始するのだった。




 それと、時同じく。そんな事を話し合われていたとはつゆ知らずなアレクシアはというと、そんなブルー・ダイヤモンドの指輪を楽しげに転がして遊んでいた。


「……アレクシア様、どうされたんですか?」

「何がです?」

「いえ……私が生まれてから百七十年ぐらい。左手の薬指に指輪をしている所なんて一度も見ませんでした。しかも、あそこまでご機嫌に指輪を弄ぶなんて……」


 首を傾げたツヴァイに、ドライが訝しげに問いかける。この二人はほぼ常にアレクシアと一緒なのだ。故に彼女らが知らない時点で、アレクシアが結婚指輪をしていない事は明白だった。


「そういえば……急にどうされたんでしょう。まさか彼に気を遣って指輪を嵌めるような方では決して無いですし……」

「あ、ひどーい。私だって結婚指輪ぐらい嵌めるし」

「「……」」


 聞いてたんですか。唐突に自分達の背後に忍び寄っていたアレクシアに、二人はそう思う。相変わらずこの二人をして、接近を気付かせないほどの腕前だった。


「というか、二人共。何気にひどいわよ? これ、公的に公表した結婚指輪じゃないし。忘れたら可愛そうじゃない」

「じゃあ、なんなんですか、それ」


 どうやらさほど大切な物ではないのか、アレクシアの指輪の扱いは中々にぞんざいだ。そんな彼女にツヴァイが問いかけると、アレクシアは楽しげに嘯いた。


「結婚指輪」

「「……」」


 今しがた自分で結婚指輪じゃないと言ったばかりだろうに。二人はアレクシアの返答に思わずジト目となる。が、そんな二人に、アレクシアは彼女が策を練っている時特有の、どこか妖艶な、聖女に似つかわしくない目をする。


「ふふ……嘘じゃないわ。これは結婚指輪に間違いは無いわ」

「「……」」


 また何かを企んでいる。おそらくこの結婚指輪とやらの意味がわかる者こそ、次の策略の犠牲者なのだろう。二人はそれを理解し、ツヴァイは僅かな恐怖を、ドライは僅かな畏怖を露わにする。

 アレクシアが何か企んでいる時は決まって、良い事は起こらない。注意する必要があった。が、そんな二人に、彼女が笑う。


「大丈夫よ。貴方達には決して不幸な事は起きないわ。そう警戒しないで頂戴な。それに、今まで私があなた達を不幸な目に合わせた事があって?」

「「……申し訳ございません」」


 アレクシアの問いかけに、二人は跪いて謝罪を口にする。アレクシアは確かに企み、そして今までに何人もの犠牲者を出している。

 彼女は確かに聖女であるが、政治家でもあるのだ。当然、こういう悪辣さや強かさはあった。が、そんな彼女は決して、その策謀の犠牲に家族を選んだ事は一度もない。しかし、それがわかっていてなお、ツヴァイには彼女の策は恐ろしかった。


「そう。今回は誰にも不幸は訪れないわ……誰ひとりとして」


 強い慈愛の滲んだ言葉に、ツヴァイは僅かな恐怖を滲ませる。彼女の慈愛は全く以って真実の愛に滲んだ物だ。が、それだからこそ、いや、その愛を知るからこそ、彼女にはアレクシアが恐ろしかった。


「ふふ……本当に愛らしい子。私が恐ろしくて堪らないのね」

「……」


 見透かされている。ツヴァイは跪き顔を上げない自身に向けられるアレクシアの言葉を聞くまでもなく、それを理解していた。


「大丈夫よ、ツヴァイ。私の可愛い可愛い義妹いもうと……貴方を不幸になんて、私がさせないわ」


 蕩けるような声で、アレクシアはツヴァイを抱き寄せてその頭を幼子をあやす様に撫ぜる。それに、ツヴァイは逆らう事が出来なかった。

 彼女は、犬。首輪の付いた犬だ。そしてその首輪に繋がる鎖の先には、主人が居る。主人の恐ろしさも、主人の愛も理解させられてしまっていた。

 逆らう事が出来ようはずがない。そんなアレクシアはまるで母が眠る子にするように、その額に口付けをしてツヴァイを手放した。


「……さぁ、ツヴァイ。明日は夜会。貴方もとびきりのおめかしをしなくちゃいけないわ。そのためには、夜ふかしは厳禁。今日は早めに夕食を食べて、眠りましょう?」

「……かしこまりました」


 これが、アレクシアに絡め取られた者の末路。ツヴァイはそう理解しながらも、同時にアレクシアの慈愛により癒やされる自分も理解していた。そうして、聖女は聖女のまま、何かを企むのだった。

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