第39話 闇の匂い
ゴールデンウィーク間際のある朝。アトラス学院高等部の生徒会では、朝の挨拶活動が行われる事となる。
と、これそのものは平素の生徒会活動の一環と言っても良かったのであるが、そこには今年より新たに生徒会総務として活動する一年生の内、現段階から生徒会への参加を内諾した生徒が加わる事となっていた。ある種の顔見せ、というわけだ。
というわけで、朝にその話を生徒会長のクラリスより聞いたアクアであったが、その会話が丁度終わった頃に、ヴァレリーと紫苑の二人が生徒会室に戻って来た。
「会長。ティーシアさんとリュバンさんをお連れしました」
「ああ、朝からすまなかったな。二人共、朝一番からよく来てくれた」
ヴァレリー達と共に入ってきた男女二人の生徒を、クラリスが笑顔で招き入れる。この二人が、今回生徒会総務への参加を内諾した生徒というわけなのだろう。
なお、すでに言われている通りこれ以外にも何人か声を掛けており、早期に受諾したのがこの二人というだけだ。
「ティーシアくん。君の事はお兄さんから話を聞いている。君の生徒会への参加を感謝しよう」
「いえ……兄は生徒会を途中で辞めた事を悔やんでおりました。兄の無念も含め、しっかり働かせていただく所存です」
「そうか。是非とも、頼りにさせてくれ」
クラリスがまず声を掛けたのは、先程アクアとの会話で話題に挙がっていた女子生徒だ。彼女は腰より少し上ぐらいのストレートの茶色に近い赤髪で、前髪をヘアピンで留めていた。顔立ちはまぁ、悪くない。十人並みと言えるだろう。
どこか神経質そうな顔立ちだった。スタイルも年相応と言えるだろう。アリシアの様に年並以上に育っているわけでもなく、アクアの様に年並以下というわけでもない。平凡ではないが、この生徒会では比較的平凡に近い部類と言えた。
「さて……それで、リュバンくんもよく来てくれた。院長がひどく褒められていたよ。数学の国際大会で金メダルを取ったそうだな」
「いえ、そんな……たまたまあの時は問題と僕の相性が良かっただけです」
「そうでもないさ。今どき、何でもかんでもパソコンで出来るから、と計算もパソコンで終わらせてしまう者は少なくない。そんな中で、自分の頭と手でしっかりとした計算が出来るのは十分にそれだけで一つの才能だ。君はシャーロット……あそこのアストライアの下で、その作業を学んでくれ。君にはぜひ、次期生徒会でも会計を頼みたい」
「シャーロット・アストライアです」
「ありがとうございます!」
リュバンと呼ばれた生徒は、クラリスからの期待に深々と頭を下げる。どうやら緊張しているらしい。見ている側が思わず苦笑したくなるほど、勢いよく頭を下げていた。
そんな彼であるが、シャーロットと同じく小柄は小柄だ。無論、それでも女性として小柄なシャーロットと、男性として小柄なリュバンなので差はある。
が、リュバンは男性としては小柄な方と言って良いだろう。また体つきもそこまでよくはない。あくまでも頭脳仕事が専門と言って良いだろう。
「さて、皆一つ聞いてくれ。改めてになるが、紹介しておこう。前年度も居た者は知っているだろうが、彼女はリアーナ・ティーシア。前年度、生徒会に居たダリオの妹で、彼と同じく生徒会総務の中でも広報を担当してもらう。ダリオ曰く、彼女も中学校にて生徒会の広報を担当していたそうだ」
「お願いします」
「うむ……そしてこっちが、カミーユ・リュバン。本年の外部入学者向けのテストで総合首位を取った生徒だ」
「お願い致します」
クラリスの紹介を受け、二人が各々頭を下げる。なお、今のクラリスの言葉からも分かる様に、本来は生徒会には広報やその他幾つかの役職があったらしい。
が、先に彼女が言っていた通り、現在はまだ人手が足りていない。なので現在は生徒会総務が代行しているそうだ。今後半年の間に仕事に慣れて貰って、次期生徒会発足の時には正式な役職として就いてもらうとの事であった。
「よし。では、すでに生徒会の役員となっている面々の紹介を行おう」
新人二人の紹介が終わった所で、クラリスは改めて他の面々の紹介に入る事とする。そうして一通り挨拶を終えた所で、一同は連れ立って高等部正門前へと向かう事にするのだった。
さて、クラリス率いる生徒会役員が朝の挨拶活動を行い、校門の閉鎖を待った後。アクアはアリシアと共に教室に向かい、合わせてカインはカインで従者の専用の待合室に入っていた。
「カイさん。少々、お話をよろしいですか?」
「これは……ナナセ様。どうされました?」
「少々、お耳に入れたい事が」
今日も今日とて幾つもの企業からパーティの招待状が送られているアクアの予定の調整に奔走していたカインであるが、そんな彼にナナセが小声で声を掛ける。それに、カインもコンソールから顔を上げて問い掛けた。
「はい……おまたせ致しました。如何致しました?」
「はい……聖都に居る当家の者より、少々耳に入れたいお話が。こちらをご覧下さいますか?」
「かしこまりました。コンソールは私の物で?」
「大丈夫です」
ナナセはカインへと小さな情報端末を手渡すと、カインはそれを自らのコンソールのコネクタに差し込んで読み込ませる。そうして表示されたのは、先にドライ達が追跡していた一件だ。
「これは……」
「我々が捕縛したSM社に軍より情報を横流ししていた軍の者です」
「ふむ……『
馬鹿な奴らだ。書かれていた情報を見ながら、カインはそう思う。『
が、だからこそ何より、この内通していたという兵士達が愚かにしか思えなかった。カインがもし『
「わかりました。それで、これがどうされました?」
「ええ……カインさんは今朝のニュース……聖都での火事のニュースはご存知ですか?」
「ええ。ニュースになっておりましたので……軍関係者が数名死亡した、との事でしたか」
「はい……その数名が、そちらに記載された者達となります」
ナナセの言葉にカインは改めて、先程の資料に目を向ける。そうして、彼女が何を言いたいかを理解した。
「……意図的な物を感じますね」
「はい……折しも、ゴールデンウィークには先の一件に関するパーティが開かれる。何かを狙ってこないとも限りません。それ故、奥様もアクア様の事をご心配なさっており……」
「そうでしたか。ありがとうございます」
やはりカインもこの状況で悪事を働いた者が洗いざらい死んだ事に、違和感を感じたようだ。そして彼らが感じるという事はもちろん、『
なので表彰式なりパーティなりに参加する予定の高位高官達には万が一にも何らかの被害が及ばない様に、こうやって密かに警戒を促していたのだろう。
「はい。では、確かにお伝え致しました。私は他の参列者の方々にもお声がけをさせて頂きますので、失礼致します」
「ありがとうございます。こちらも何かわかれば、またご連絡差し上げます」
「ありがとうございます」
カインの返答に、ナナセが一つ腰を折った。そうして少し観察してみれば、彼女と共に初音やリーガと言った『
「ふむ……」
あちらは、ナナセ達に任せれば良いか。カインは自分が出る幕ではないと理解すると、アクアの警護に問題が出ない様に先程の情報を確認する事にする。
「……」
一応、資料によれば配管の老朽化に伴う事故と言われていた。が、これがもし事故ではなく作為的なものであれば、何が目的だろうか。カインはそれを考える。
「……隠蔽、だろうな……」
事故に見せかけた作為的な暗殺。カインはとある理由から、今回の一件がまだ終わっていないと判断する。そんな彼は、資料に記載されていたある一文に目を向けていた。
「……アレクシア様のご指示か」
アレクシア。世界最高の聖女にして、現人類の最高指導者。その才能はカインでなかろうと、誰もが知っている。彼女以上の指導者は居ない。それが、カインの下す彼女への評だった。
「先の一件はこのあぶり出しか? いや、あの方の事だ。この程度、と言い切るだろう」
カインの脳裏には、サイエンス・マジック社との一件の事があった。あの時、アリシアはドライという『
カイン自身、あの程度の案件に部隊最強の一角である彼女が動くとは思っていなかった。であれば、この件のあぶり出しを行う為に来たのだろうか。そう思ったが、自身で否定していた。
「何が理由だ……? 副隊長が動くほどの案件とは……」
『
「何かが、裏で起きている……いや、まさか……」
様々な状況が、カインの頭の中を駆け巡る。そんな中で彼が考えるのは、どうすればその状況下でアクアを守りきれるのか、という事だ。
「……副隊長が動くほどの事態となると……内通者を更にたどれば邪教教団に繋がる場合か……? あれだったら、面倒なんだが……」
邪教教団。これは通称という所で、世間一般ではテロ組織と認識されている。その概要を一言で言ってしまえば、終末論を唱える者達だ。
核戦争で世界が崩壊した頃からある、現在の地球で最も古いテロ組織と言える。時代背景を考えれば仕方がない側面はあった。
その主張としては世界は崩壊するので、復興しても無駄。ただ滅びを受け入れよ、という事だ。邪教教団というぐらいなので、更にはラグナ教団と同じく信奉する神、それも女神まで居るらしい。が、カインは一切興味はなかったので詳しくはない。
「ふむ……暫くはアクア様の近辺の警護を厳重にしておくか……」
並大抵の者ならどうでも良いが、世界的に厄介な邪教教団であった場合は面倒だ。曲がりなりにも女神に仕える身。神が実在しない与太話とは思っていない。
故に、万が一には彼が知り得ない魔術だってあるかもしれないのだ。出来る限り警護は厳重にしておくべきだろう。
「とりあえずアルマさんに連絡を入れて、一度騎士団に情報を探ってもらうか……」
アルマの配下には、アクアを守る為の各種騎士団が揃っている。そして世界政府さえ動かせる世界的な宗教組織だ。この情報網は有用で、これを使わない手はなかった。というわけで、カインは通信機を起動させる。
『はい。私です』
「お久しぶりです、アルマさん」
『あら、カイン。珍しいですね。何かアクア様関連でご用事ですか?』
「いえ……いえ、正確にはそうなのですが……」
アルマが個人的に保有している通信機に連絡を入れたカインは、時間が無い事もあって単刀直入に話に入る。そうして、彼はヴィナス家よりドライが動いている事、ただの横流しの案件とは思えない事を語っていく。
「と、いうわけです」
『ドライ……確か『
「ええ……お会いになられた事は?」
『これでも、ラグナ教団の開祖ですよ?』
カインの問い掛けに、アルマは笑って言外に当然あると告げる。ドライの主人であるアレクシアもアルマも、どちらも世界的な指導者だ。
故に何度かは顔を合わせる機会があったようだ。であれば、その従者が本職であるツヴァイとドライに会わない筈がないのだろう。
「あはは……そうでしたね」
『ええ……確かに、彼女達が動くのなら並大抵の事ではないのでしょう』
「ええ……杞憂であれば、良いのです。アレクシア様は時に気まぐれに職権乱用の無茶振りしますので……」
『が、気まぐれでなければ不安要素しかない、と』
「そういうわけです。あの方の気まぐれと本気は一切見分けがつかない。それこそ、理解出来るのが数年後という事もある」
アルマの言及に、カインもまた頷いた。これがまだ、アレクシアの気まぐれであれば良い。彼女の気まぐれは知る者は知っている有名な事だ。
それが時として仕事に及ぶ事も、それなりには知られている。単に気まぐれにドライに動け、と言っているだけならまだ良いが、そうでなければかなりの大事になりかねないと判断したのであった。
『わかりました。こちらでも調べましょう。結果次第では、こちらから護衛を出しましょうか?』
「本当なら、頼みたいのですが……もしそうなら、邪教教団が何を考えているか次第ではアクア様の身に危険がある。うかつにアクア様がラグナ教団の重要人物である事を知られるべきではないでしょう」
『……そうですか。わかりました。ですが、何時でも介入出来る様にこちらで手配はしておきます』
「お願いします。邪教教団相手であれば、ラグナ教団は縄張りを気にしなくて良い」
アルマの申し出にカインは一つ頷いて、更に明言する。邪教教団、というようにあちらも一応は宗教組織だ。なので同じく宗教組織であり、復興の為に活動するラグナ教団は彼らにとって主敵に近く、逆もまた然りだった。
この時のみは、聖都だろうと副聖都だろうと変わらず動く事が出来たのである。そうして、カインは更にアクアの警護に問題が出ない様に数々の手配をしながら、昼までの時間を過ごす事になるのだった。
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