第38話 何時もの日々
アクアの朝の目覚めからおよそ二十分。カインはひとまずアクアの身だしなみを整えると、朝食をテーブルに用意していた。
結局寝ぼけていようと寝ぼけていまいとアクアが世話をされるのは変わらないらしい。というわけで、カインは用意の終了と共に椅子に座らせていたアクアの前に朝食を整えて優雅に一礼した。
「お嬢様。本日のご朝食は焼き立てのクロワッサンにコンソメスープとなっております。サラダのドレッシングはお好きなものをお選びください」
「もう起きてます」
「あはは……それと今日のドリンクはアップルジュース。良いりんごが手に入った。他、小ぶりのオムレツもご一緒に」
拗ねた様に口を尖らせたアクアに対して、カインもまた自席に腰掛けながらメニューの説明を行う。変に思われるかもしれないが、二人は食事は一緒に食べる。なお、基本朝食はパンらしい。が、気分によっては和食も作るとの事であった。
「ふぅ……ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした」
「今日も美味しかったですよ」
「ありがとうございます」
やはり当然といえば当然なのかもしれないが、百年以上も料理をしていれば嫌でも上手くなる。それどころか、カインは暇にかまけて料理教室にも通った事があるらしい。アクアが寝ている事が多い為、時間は余るそうである。
そもそも今の様に毎日起きる事が稀なのであって、普段は年単位で眠る事も珍しくないとの事だ。時間があって当然だろう。それでも、カインが居るので睡眠時間は大昔よりは随分と短くなっているとの事であった。
なお、それで体調等に問題が無いのか、と言われると無いらしい。そもそも神なので睡眠も必要無いとの事であった。
「ふぅ……」
カインが使った食器を食器洗浄機に入れている間に、アクアは用意されていた紅茶を口にする。そうして口にして、ふと眉を上げた。
「あら、カイン」
「ん? なんだ?」
「紅茶、また変えました?」
「ああ。社の方で再生計画を行っていたダージリンがなんとか実販売に漕ぎ着ける事が出来たんだ。これで、二つ目だな」
カインは少し上機嫌にアクアの問いに答える。彼の趣味の一つには紅茶があり、第三次世界大戦で失われた銘柄の再生をしていたそうだ。無論、これは彼の趣味もあるがオーシャン社としての利益にもなる。
「世界三大銘茶の再生でしたっけ?」
「ああ。日本で言われているだけのものだが……まぁ、オーシャン社も本拠地が日本だし、今の世界の中心はある意味では日本だからな。文化風習もそれの名残りがある。それを目玉の一つに、という方針だ」
世界三大銘茶。それはカインの言った通り日本で主に言われている言い方で、今回彼というかオーシャン社が再生に成功したインドのダージリン、中国の
とりあえずここら一帯でわかりやすいので、という理由でカインはその再生をプロジェクトの目玉として据えていたらしい。数十年単位で計画されていたらしいのだが、その二つ目が遂に日の目を見たという事なのだろう。
「セイロンが核の影響がほとんどなく、ウヴァは早々に再生産まで漕ぎ着けられたが……インドは核の影響が大きかったからな。放射線汚染された一帯からダージリンの苗木を見つけ出すのに苦労した。まぁ、幸いどこかの豪族がシェルターに種と苗木を保管しておいてくれたのを見つけ出せたから、再生は容易だった。後は、
「難しそうなんですか?」
「まぁ、こればかりはな。あの地域……当時安徽省と言われた所は沿岸部に近い地域だった。核戦争で特に被害が大きかった所だ。生きていた苗木も既に自生していて、当時の状況に近づけるのは中々に難しい」
プロジェクトの現状を語るカインは苦い顔だった。ここらは、やはり第三次世界大戦の影響と言えるだろう。三百年の月日が経過したとはいえ、まだ放射能汚染が完全に無くなったわけではないのだ。
ユーラシア大陸であれば特に中国あたりは相当ひどい汚染が残っているそうだ。生産地もほぼ野生に還ったと言える状況で、三百年も放置された所為で
今は何世代も掛けて当時の茶木に近づける様にしている所で、後最低でも二十年ぐらいは必要だろうというのが、カイン、ひいてはオーシャン社の研究部門の見立てだった。
「とはいえ、だ。なんとか世界的に有名だったダージリンの再生はこれで完了だ。今はまだ内外で懇意にしている極一部の富裕層にファーストフラッシュを提供しただけだが……反応は悪くなかった。セカンドフラッシュからは、大々的に宣伝を打つ」
「嬉しそうですね」
「まぁな」
嬉しそうな顔のカインを見て、アクアもまた笑みを浮かべる。彼は本当に子供の様に嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
なお、この結果今年の夏のこの部門の営業利益は前年比で倍以上になったらしい。プロジェクトのビックタイトルは伊達ではなかった、という事なのだろう。
「さて、ではお嬢様。お紅茶のおかわりは、如何ですか?」
「頂きます」
上機嫌かつ紅茶の話をしていたからだろう。食器洗浄機へのセットを終えたカインがアクアの前で再び優雅に問いかける。そうして、二人は少しの間朝の優雅な一時を過ごして、何時もより少し早目に学院に登校する事にするのだった。
さて、そういうわけで学院に登校したアクアであるが、そんな彼女は登校してすぐに教室に向かうではなく、生徒会室に入っていた。今日は朝から仕事なので先にこちらに顔を出す必要があったのだ。
「よし。アクアも来たな」
「おはようございます、皆さん」
「ああ、おはよう」
アクアの挨拶にクラリスが笑顔で頷いた。そんな生徒会室だが、まだ全員来ているわけではなかった。来ていたのはクラリスと同寮らしいアリシア、シャーロットの三人だ。ヴァレリーと紫苑の二人はまだ来ていない。そうして朝の挨拶が交わされた所で、クラリスが一応念の為、と問いかける。
「アクア。何故この時間に集まったかは……覚えているな?」
「はい。朝の挨拶活動ですね」
「ああ。なら、大丈夫だな……ああ、それで、なんだが……アリシア、お前も聞いてくれ」
アクアの返答に一つ頷いたクラリスはそう言うと、机のコンソールを操って何かを探す。そうして少しして、一つの資料を探し出した。
「ああ、あった。これだ……この資料を一度確認しておいてくれ」
クラリスはそう言うと、二人の机に向けて数枚のデータを送信する。どうやら数人の生徒の情報らしい。最近撮影されたらしい顔写真と共に、今までの経歴がざっと纏められている様子だった。
学年は全員一年で、ネクタイを見るに全員外部入学生だろう。性別は男女どちらも居るし、出身も様々だ。そうして資料を見る二人に向けて、クラリスが手早く教えてくれた。
「ゴールデンウィーク明けに、彼らを引き入れようと思ってな。丁度内偵調査が終わったんだ。勿論、受けてくれればの話だがな」
「はぁ……」
自身の時と同じ根回しという所なのだろう。アクアはクラリスの話を小耳に挟みそう理解しながら、特に興味も無さげに資料を見る。
選ばれた生徒は全員で五人だが、男が二人の女が三人だ。やはり学院が学院だからか、その半数程度はどこかの企業の幹部の子女や社長令嬢の様な感じだ。
と、そんな彼女の横で同じ様に資料を見ていたアリシアがふと問いかけた。それは去年も知っているからこその質問だった。
「……そういえば、お姉さま。今年は多くないですか?」
「うん? ああ、新入りか。ははは。まぁな。アリシア、ほら、確か入学前に生徒会の話を聞いて今年は新入生が二人抜ける、と話さなかったか?」
「そういえば……合わせて二年生も一人抜ける、という話でしたか」
アリシアがクラリスに生徒会に勧誘されたのは入学前の話だ。これについては中等部においてアリシアも生徒会役員であった事があって、内部進学組からすれば妥当かつ家柄を考えれば当然と判断された話だ。その時に話したという事なのだろう。アリシアもそういえば、と記憶を探っていた。
「ああ。彼はご家庭の都合でな。で、今年はその分、帳尻合わせに多めに取っておく事にしたんだ。多すぎても困るが、少なくても困るからな」
「新入生で残ってるのは確か……ヴァレリーさんとシャーロットさんでしたっけ。純粋に言えば、シャーロットさんだけとも言えますが」
「ふぁー……え、あ、そうですね。去年入ったのは私を含めて四人でしたし……その内、ヴァレリーさんは中等部からの引き継ぎですから」
急に水を向けられたからだろう。シャーロットはあくびをしていた様子であるが、慌てて頷いた。なお、当然だが非常に恥ずかしげであった。
「ああ。一人は部活に専念したい、という事でもう一人は……な」
「あははは」
クラリスのどこか苦笑気味の笑みに対して、アリシアが楽しげに笑う。と、そんな二人にしかわからない会話をされた為、アクアが首を傾げた。
「何かあったんですか?」
「ああ、悪い。別に問題が起きたわけじゃないんだ。実はこの一人がちょっと風紀委員の方で引き抜きにあってね。まぁ、当人も申し訳ないとは思っていたらしく……ほら、そこにティーシアという名の家名はないか?」
クラリスの指摘に、アクアは資料を捲って名前を確認する。するとたしかに、ティーシアという名の生徒が一人含まれていた。
「私が風紀委員やらとの折衝の中で風紀委員に増員を、となって彼女の兄君があちらに鞍替えする事になったんだ。レヴァンの依頼でな。まぁ、あの時期はまだ学期半ばでな。それしかなかったんだ」
「それでその帳尻合わせに妹を推薦した、と」
「ああ。レヴァンからは妹も風紀委員に、と言われたそうだが……彼女の兄が去年最後まで勤め上げられなかったので是非とも生徒会を頼む、と言われたそうだ。彼女は既に生徒会入りの内諾をくれているよ」
クラリスの説明を聞きながら、アリシアはなるほど、と納得した。その兄とやらは生真面目な性格なのだろう。自分が出来なかった分、そして途中で抜けねばならなかった分、是非とも妹に頑張ってもらいたいと考えた様子だった。と、そんな事を語ったクラリスはそういうわけで、と話をもとに戻した。
「まぁ、そういうわけでね。実は今年の生徒会は前年度に比べて人数が少ないんだ」
「それで今回は多めに増員を、と」
「ああ。全員が引き受けてくれるとも限らないからな」
アクアの再度の確認にクラリスははっきりと頷いた。と、そこまで語って、彼女はふと気が付いた。
「っと、いや、そういう事じゃないんだ。いや、関係が無いわけではないが……実は今紫苑とヴァレリーが居ないのも、その関係でな。既に内諾をくれている生徒に関して向かえに行ってもらっているんだ」
「来られるんですか?」
「ああ。通例として、既に内諾をした面子については今日の朝の挨拶から一緒に加わって貰う事になる。放課後も同じ様に、だな」
アクアの問いかけを受けて、アリシアはアトラス学院高等部の通例を語る。まぁ、これも根回しの一環と言って良いそうだ。
追加人員とてまだ確定ではない。内諾である以上、翻意も可能だ。なので実際に少し業務に関わって、生徒会側も本人側も最終的な判断を下すという事であった。言ってしまえば試験採用とでも言えるだろう。
「朝早いのはその顔合わせの側面もあってね。もうすぐ、来ると思うんだが……」
クラリスはそう言いながら机をタップして、時計を表示させる。時間としては朝の七時四十五分。朝の挨拶の開始が登校が本格化する八時からなので、確かにそろそろ来る頃だろう。
と、噂をすれば影が差す、という所なのだろう。電子音が鳴り響いて、数人の生徒と共に紫苑とヴァレリーが入ってきたのだった。
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