第二章 抜けた猟犬の牙編

第29話 幕間 ――猟犬の牙――

 ミリアリアの記者会見が開かれた日から少しだけ、時は巻き戻る。それはカイン達がサイエンス・マジック社の幹部達を捕縛した少し後の事である。彼らはその後もしばらくその場で留まる事になっていた。

 当たり前の話であるが、捕縛してその場に放置してはもし目覚めた時に逃げられるだけだ。捕縛した者達については後から来る事になっている軍に引き渡す事になっていた。というわけで、最奥の地下ヘリパッドにてサイエンス・マジック社の重役達を捕らえたカインはその場で重役達を見張りながら軍の到着を待っていたわけであるが、そんな所にアクア達がやってきた。と言っても軍と一緒に、だ。


「アクア様。それに皆様も……ご無事で何よりです」

「カイン。そちらも無事の様子ですね。ご苦労さまです」

「はい、アクア様。ありがとうございます」


 アクアのねぎらいの言葉にカインは深々と頭を下げる。と、そんなカインへと黒い狼の意匠のコートを羽織った兵士の一人が問いかけた。どうやら、『神を支える者キュベレー』の意向でこちらにも『神話の猟犬ヘル・ハウンド』の兵士達が来ていたらしい。


「それがサイエンス・マジック社の幹部か?」

「はい。一応、生きてはいるのですが……少々抵抗されましたので意識を奪っております」

「わかった……」

「ああ」


 『神話の猟犬ヘル・ハウンド』の兵士は仲間に頷きかけると、兵士達が手早くサイエンス・マジック社の幹部達を拘束していく。と、その作業が終わるのを待っていると、上からヘリコプターの音が響いてきた。


「ん?」

「……少し待て」


 唐突に響いたヘリコプターの音を訝しむクラリスに対して、『神話の猟犬ヘル・ハウンド』の兵士が通信機を起動させて本部へと問いかける。そうして少しの後、状況が掴めたらしい兵士が教えてくれた。


「ヴィナス家の軍用ヘリだそうだ」

「「っ」」


 ヴィナス家。そう言われてアリシアとクラリスがわずかに目を見開いた。言うまでもなくヴィナス家は二人の実家だ。

 であれば、それに乗っているのはヴィナス家の誰かという事になる。そんな軍用ヘリは誰もが見守る前で地下ヘリパッドに着陸すると、中から金髪の女性が降りてきた。年の頃は三十代後半という所だろう。が、年齢以上の若さと美しさが見て取れた。そして何より、アリシアとクラリスに非常に似た容姿だった。


「お母様!?」

「母さま!?」


 案の定というべきか、どうやら降りてきた女性は二人の母親らしい。が、それ故にこそ二人はびっくり仰天という具合で驚いていた。そんな彼女は驚きを浮かべる二人に一つ頷くと、口を開いた。


「二人共、今回の一件は見事でした。戦いについても悪くはない腕と言えるでしょう。初音、七瀬。二人もご苦労さまです」

「「ありがとうございます、奥様」」


 アリシアとクラリスの母親のねぎらいに初音とナナセの二人が頭を下げる。こちらには驚いた様子はなかった為、どうやら彼女の来訪は予め教えられていたのだろう。

 そうして手短に四人にねぎらいの言葉を掛けた後、彼女は少しだけ一同を見回してカインとアクアを見付けるとそちらへと歩き出す。


「貴方達がオーシャン社の方?」

「はい、ヴィナス様。こちらはアクア・オーシャンお嬢様です」

「アクアです」


 アクアはアリシアの母親へと頭を下げる。当然であるが、二人も彼女が来ている事は聞いていた。が、直に顔を合わせるのはこれが初だった。


「カリーナ・ヴィナスよ。先程は娘を助けてもらったようね。ありがとう」

「いえ。友人として当然の事ですから」


 カリーナというらしいアリシアの母親はどうやら、アクアが先程傭兵たちの不意打ちからアリシアを救っていたのを知っていたらしい。頭を下げて感謝を示していた。

 初音とナナセの二人の胸元にはブローチがあり、中に隠しカメラが仕込まれているとの事であった。それを介して戦いを見ていたのである。それ故、アリシア達が自分で討伐したのもしっかりと知っていたというわけであった。


「そう、ありがとう……本当ならもう少しお話をしたい所なのですが……今は状況が状況。許してくださいね」

「いえ」

「ありがとう」


 カリーナの申し出にアクアは首を振って、それにカリーナは再度感謝を述べる。そもそも『神話の猟犬ヘル・ハウンド』がここに来ている理由は第一にはアリシアらがもし万が一取り逃がした場合に介入する為で、第二には彼女が事後の総指揮を担っているからでもあった。

 まだ戦いは終わったわけではない。『神を支える者キュベレー』の幹部が入る以上、警護に万全を期すというわけであった。と、そんな所にこの場に居た『神話の猟犬ヘル・ハウンド』の兵士とは別の兵士が現れた。


「カリーナ様」

「報告を」

「はっ」


 カリーナの指示を受けて、『神話の猟犬ヘル・ハウンド』の女兵士が報告を開始する。どうやら今まで外で待機していた軍も幹部の捕縛を受けて介入を開始したとの事だ。


「そう。なら、制圧に関しては軍に一任します。ただし、『魔の兵士デーモン・ソルジャー』には注意する様に指示を」

「そちらについてはアレクシア様より『神話の猟犬ヘル・ハウンド』が対応する様に指示を受けています。ご安心を」

「そう。なら、問題はないわね」


 『神話の猟犬ヘル・ハウンド』の女兵士よりの報告にカリーナは一つ頷いた。サイエンス・マジック社の幹部達も映像で見ていたが、『神話の猟犬ヘル・ハウンド』の兵士達は一人で『魔の兵士デーモン・ソルジャー』数体を難なく討伐出来る。彼らが介入しているのであれば、軍としても安心だろう。


「クラリス、アリシア。貴方達はもう戻りなさい。貴方達が乗ってきた車は軍に回収させます。街へはこちらで用意させた車で戻りなさい。後始末はこちらで行います」

「はい……アリシア。皆も出よう。このままここに居ても邪魔になるだけだ」


 カリーナの指示を受けて、クラリスは自分達の出番がこれで終わった事を理解する。であれば、ここから去るだけだ。どちらにせよ学園の事もある。あちらは総会長がなんとかしてくれているし、『神話の猟犬ヘル・ハウンド』も介入しているという。問題は無いだろうが、出た以上は無事を見せる必要があった。と、そんなクラリスの背にカリーナが声をかけた。


「ああ、二人共。後で話があるから、時間がある時に連絡を頂戴」

「あ、はい。わかりました」

「ええ……ああ、後それと出る時にはあそこの緊急用のエレベーターを使いなさい。コントロールは奪取しているわ」

「はい」


 クラリスはカリーナの指差す方向にあった扉を見て、一つ頷いた。どうやらこの地下ヘリパッドから直接外に出れるエレベータがあるらしい。そうして、一同は連れ立って地下を後にして外へと出る事にするのだった。



 地下施設から出た一同であるが、そんな一同を出迎えたのは臨時で設営された軍の野営地だった。と言ってもまだ設置中で兵士達が忙しなく動いている様子である。

 と、そんな中から一人の執事服の老年の男性が歩み出た。年の頃としては五十半ばに見えるが、おそらくもう少し年上だろう。彼は一同を見るなり、優雅に腰を折った。


「お嬢様。お待ちしておりました」

「セドリック……いや、母さまが居る以上、お前も居るか」


 一瞬驚いたクラリスであるが、即座に思い直した様に首を振る。このセドリックというらしい執事はカリーヌの専属というより、ヴィナス家に代々仕えている執事だそうだ。なので当主たるカリーヌが動いた以上は彼も居ると考えるのが自然との事であった。


「はい……お車の方をご用意させて頂いております。ご案内致しますので、どうぞこちらへ」


 どうやらセドリックがここに居たのはカリーヌが言っていた車を用意していたかららしい。そうして軍の設営する野営地から少し離れた道路沿いに、二台の車が停車していた。どちらもこの時代の高級車だった。ヴィナス家が用意した車だった。

 というわけで、カイン達は二台に分かれて車に乗り込んだ。その片方にはカインが運転席に乗り込み、もう一方にはセドリックが乗り込んだ。


「カイさん。万が一の襲撃に備えて道中に軍が密かに待機しております。なのでナビゲーションに従って動いてください」

「わかりました」


 セドリックの指示に従って、カインがナビゲーションシステムを起動させる。自動操縦もあるわけだが、流石に咄嗟の判断が出来ない上に現在は非常時だ。万が一に乗っ取られた場合を考えて使わない事になっていた。というわけで車のエンジンを掛けた所で、カイン側の車に乗り込んでいたアリシアが口を開いた。


「あ、カイン。ちょっと待ってもらえるかしら」

「? 構いませんが……どうなさいました?」

「知り合いが居たのよ。まさか彼女が居るなんて……」


 小首をかしげたカインに対して、アリシアが軍の野営地の方向を見ながらそう告げる。その視線の先には、一人の少女ぐらいの若い女兵士の後ろ姿があった。

 後ろを見ているのでカインには誰かはわからないが、背中には『神話の猟犬ヘル・ハウンド』の黒い狼の意匠があったので『神話の猟犬ヘル・ハウンド』の兵士という事なのだろう。


「あの銀髪の女性ですか? 三つ編みに束ねた……」

「ええ。『神話の猟犬ヘル・ハウンド』で三つ編みにしているのは彼女しか居ないの」

「はぁ……」


 何故三つ編みがその知り合いしか居ないと言い切れるのかはカインにはわからないが、アリシアははっきりと断言していた。どうやら何かそう言い切れるだけの理由があるらしい。というわけで、アリシアはカインの合図を待っていたセドリックに向けて連絡を送る。


「セドリック。お姉さまにケルベロスさんがいらっしゃったとお伝えして頂戴。流石に挨拶もせずに立ち去るのは無礼でしょう。即座に立ち去る必要は?」

『ございません。クラリスお嬢様にもお伝え致しましょう』

「っ!?」


 ケルベロス。それは勿論、本名ではない。コードネームだ。が、そのコードネームをカインは知っていた。いや、知らない方が可怪しい名だった。

 それ故に浮かんだカインの驚きに対して、アリシアはそれを気にする事なく車を降りた。そしてそれと同時に、クラリスもまた従者同伴で車を降りていた。


「ケルベロスさん」

「これは……アリシア嬢。お久しぶりです。クラリス嬢も」

「ああ。まさか貴方までとは……」


 クラリスとアリシアはケルベロスなる女兵士に対して頭を下げる。それに、カインがそちらを見た。

 が、残念ながらケルベロスの顔貌は四人の影になっていてよく分からなかった。と、そんなある意味では警戒混じりの興味を滲ませたカインへとリーガ――彼が助手席――が小声で問いかけた。


「……やはり、ご存知ですか」

「ええ……ケルベロス。『神話の猟犬ヘル・ハウンド』の副隊長ですね」

「はい」


 カインの言葉にリーガがはっきりと頷いた。だからこそ、カインも驚いたのだ。確かに、この案件はカインが主導して『神話の猟犬ヘル・ハウンド』を動かす様に根回しをした。

 が、せいぜいそれは『神話の猟犬ヘル・ハウンド』の一般兵程度での話だし、それで十分だと判断される案件だ。まさか副隊長まで出て来る事は流石に彼も想定していなかった。


「『神話の猟犬ヘル・ハウンド』最強の片割れ……何故ここに?」

「さぁ……」


 やはりカインの驚きを見れば、リーガにもケルベロスの来訪がオーシャン社の意図したものではない事ぐらいわかっていた。故に彼の小声での疑念の声にリーガもまた首を振る。どう考えても副隊長が来る様な話ではないのだ。

 自分達が知る以上のことが起きているかもしれない。リーガはそう判断し、一方のカインは内心ではリーガに見せている以上に警戒をしていた。


(……ケルベロス。紅葉くれは様より直々に教えを受けた戦士の一人……詳しくは知らんが……)


 紅葉。それは七星の一人の名で、『神話の猟犬ヘル・ハウンド』の教導役の教導役でもある皇龍とは兄妹で、二人で教導していた。直接的な戦闘に長けた皇龍に対して、紅葉は魔術を含んだ戦いに長けた人物と言われている。

 『神話の猟犬ヘル・ハウンド』の中でも隊長のオルトロスと副隊長のケルベロスのみは七星より直々に教えを受けていたのである。


(何が狙いだ……?)


 ケルベロスなる少女がこちらを見る気配は無いし、こちらを探る素振りもない。が、少なくとも警戒しないという事だけはありえない。

 と、そんな風にリーガと二人してアリシア達の様子を探ったわけであるが、彼女らは特に何かを話すわけでもなく普通に少しの雑談と協力への感謝を述べて戻ってきた。


「ごめんなさい。まさか彼女があんな所に居るなんて思わなかったから、一応挨拶だけは、と」

「いえ……それで、もうよろしいのですか?」

「ええ。彼女も軍務の真っ最中。あまり邪魔してはならないものね」


 カインの問いかけにアリシアははっきりと頷いた。それを受けて、カインは再び車を起動させる。と、その道中でカインの様子を見て取ったアクアがアリシアへと問いかける。


「お知り合いなのですか?」

「ええ。ツ……オルトロスさんとケルベロスさんはアレクシア様の秘書も兼ねてらっしゃるから……どうしても見かけてスルーは出来ないの。ご機嫌伺い、という所かしら」


 アクアの問いかけにアリシアはわずかに苦笑気味に頷いた。『神話の猟犬ヘル・ハウンド』が七星の秘密部隊である事は知られた話だ。それ故、部隊長と副隊長が英雄アレクシアの直接の部下であっても不思議はない。であれば、子孫として見知っていても不思議はないだろう。


「それで、何かお話に?」

「そうね。まぁ、大した事じゃないわ。協力して頂いた事に対するお礼と、彼女から戦いはどうだったか、と少し聞かれたぐらいよ。向こうも私達が居る事を知らなかったみたいで、驚いていた様子だったわ。近くで任務があって関係があるかも、とこちらに協力したそうよ」


 アクアの問いかけにアリシアは教えられる限りを教えてくれる。これが本当かはわからないが、少なくとも別命で偶然近くに居たという方が筋は通る。カインもリーガも訝しんでいたが、明らかに彼女が来るのは場違いと言える話だからだ。


「そうですか……ありがとうございます」

「いいわよ。こっちが唐突に言って待たせたのだもの。事情ぐらい語らないとね」


 アリシアは頭を下げたアクアに対して笑って首を振る。これ以上聞いたとて彼女も何も知らないだろう。というわけで、カインもアクアもこれ以上は無駄と判断してアトラス学院へと帰還する事にするのだった。

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