第30話 俗世と聖地の境にて

 サイエンス・マジック社によるミリアリアが開発した『魔力循環薬』を巡る戦いから数日。カインとアクアは学院が土日に入った事を受けて、一旦オーシャン家の館へと帰ってきていた。

 改めてアクアがアトラス学院への転入を望んだ事で本格的にあちらに一時的な滞在が可能なだけの準備を整えよう、という事だったのである。


「「「おかえりなさいませ、カイン様」」」


 そんなカインを出迎えたのは、沢山の従者達だ。従者に従者が仕えているというのも不思議な話であるが、そもそもオーシャン社にせよアクアが偽名として使っているオーシャン家にせよカインがアクアの為に作り上げた組織だ。

 そしてカインは現時点で既に百年以上生きている。なので彼の家に仕える者たちも総じて訳ありの者たちが多かった。と、そんなカインに声を掛けたのは、先の事件で彼のオペレーターを務めていたメイドだった。


「ああ、帰った。アクア様は?」

「既にお部屋に」

「わかった。アクア様の移動の準備を整えておいてくれ。オレも一旦、自分の部屋で準備を整える」

「かしこまりました」


 カインの指示にメイド服の少女が頭を下げる。少女のような見た目であるが、実際にはこの家では最古の人物らしい。カインがオーシャン家を立ち上げた頃からの付き合いで、アクアの正体も知っている。


「……」


 カインは一通りの指示を出すと、自室に戻って一つ深呼吸する。そうして、久しぶりに帰宅した自宅とでも言うべき館とその従者達の事を思い出した。


「……第四次世界大戦……その時、世界にはありとあらゆる悪徳が溢れた……人体実験、遺伝子を使った新生命の創造……」


 こんなものでは飽き足らないほどにおぞましい事が山程あった。カインはそれを思い出す。ここで暮らす従者達は全員がその悪徳や背徳、人類史では決して語られてはならない違法行為の果てに生み出された者たちだ。

 わかりやすい者であれば先のメイドの様に不老不死の実験の最中で生み出された実験生物の様な少女も居る。彼女はそれ故、今も生きているというわけだ。他にも猫などの遺伝子をかけ合わせ、しかしその研究者達の望む様な姿とならなかったからと捨てられた様な者もいた。いや、捨てられたならまだ良い。時には慰み者にされた者も居た。そういった者達をカインは見てきた。


「その邪悪な研究の一つが、先の合成獣キメラとなるわけなんだが……それを守る為に作り上げた家がなんともまぁ、大きくなたものだな」


 ここはそんな悪徳と背徳の果てに生み出された者たちの隠れ家と言っても過言ではない。オーシャン家の実情が語られない。三つ葉葵がそう思っていたのも当然だ。そもそもオーシャン家に居る者たちは大半が身体的に見ればわかる様な異質感がある。だから、語られない。


「……」


 カインは当主の部屋から、外を眺める。そこから見えるのは言ってしまえばオーシャンビュー。非常に綺麗な海の光景だ。が、これは今では殆ど見受けられない光景でもあった。第三次世界大戦にて核爆弾の影響で色々と消し飛んだからだ。

 そんな汚染され、無主の地となった場所をオーシャン社が再生し、オーシャン家として買い上げたのである。

 今ではラグナ教団支援の下、ある種の治外法権的な場所となっていた。世界政府さえ、この島の実態を把握してはいない。どうしても発端から世界政府はラグナ教団には強く出れないのだ。と、そんな海の光景を見るカインへと、後ろから声が掛けられた。


「カインさん」

「アルマさん。来ていらっしゃったんですか」


 カインは後ろから声を掛けた銀髪の女性を見て、驚いた様に頭を下げる。アルマ。彼女はラグナ教団の開祖にして、三百年前の第三次世界大戦で崩壊した世界で魔術を世界的に広めた女性だった。

 彼女もまた、カインと同じ様にとある事情からアクアの手によって不老不死に近い状態となっていた。生きた聖女。七星の一人アレクシアと並ぶこの地球でたった二人だけの聖女だった。


「ええ。しばらくこちらには来ていませんでしたし……ここも貴方も特段の変わりなく、ですね」

「ええ」


 アルマの問いかけにカインは頷いた。彼女とカインはカインがアクアに拾われて以来の付き合いだ。なのでカインは彼女は先輩として敬っていたし、アルマは後輩として親しげだった。

 敢えて言えばカインがこのラグナ教団の秘密の島と聖域を守る管理人で、アルマはアクアの教えた魔術を使って世界を浄化する宣教師の様な感じだ。なお、ラグナ教団とアクアは特段の関係はない。

 アクアを祀ってはいるものの、アクアはその活動に一切関与していない。そもそもアクアはアルマに世界の海を浄化してくれ、とも言った事はなく、浄化しているのは完全に彼女の信念によるものだった。

 が、やはりアルマとしては救われた恩義やアクアを慕っている事もあるので、何かと気にかけていたのである。


「聖域の様子はどうですか?」

「今は浄化の真っ最中、という所でしょうか。浄化が終わるまでは使えませんね。SM社の魔物の退治は終わりましたが……しばらくはどうにせよアトラスに居た方が良いでしょう」

「それは良かった。あの方の寝相の悪さはまさに神様級ですからね」

「いや、本当にね」


 少しだけ冗談っぽく告げるアルマに、カインもまた笑いながら同意する。この寝相の悪さ、というのは勿論アクアの事だ。カインも先の事件の折りに言及していたが、彼女の寝相の悪さと寝付きの悪さは折り紙付きだ。

 神様らしく一度眠ると年単位で眠る事も珍しくない彼女であるが、その寝相と寝付きは素晴らしく悪いらしい。現に今朝も朝起きるとカインの頭に蹴りが入っていた。眠る時は同じ方向を向いていたらしいのだが、上下逆転していたそうである。


「で……そっちはどうですか? 特にジルベルトは」

「相も変わらず、と言う所でしょうか。困ったものです」

「あはは……まぁ、海が好きですからね、あいつは」


 カインとアルマはここには居ないラグナ教団の教皇の事を思い出す。かつて彼もここに居た。カインが孤児だった彼を引き取って育てたのだ。だから、彼は呼び捨てにしても問題がないのである。


「日に一度はサーフィンしたい、とぼやいていますよ」

「相変わらず、ですね。まぁ、元気があって良いことかと」

「老いて益々、と言う所ですね」


 とりあえず、世は並べて事も無し。二人はひとまず事件が解決し、何事も起きていない日々に対して善き哉、と笑いながら頷いておく。

 何よりもの懸案事項だったアクアの寝床――聖域の事――を騒がせる原因は絶った。後は聖域が浄化されるまでアクアにアトラス学院に居て貰えば、二人としてもラグナ教団としても問題はない。というわけで、しばらく二人はこれからについてを語り合う事にする。


「では、またしばらくはアトラスに?」

「どうやら、あの学園にご学友が出来たらしく……非常に気に入られておいでです」

「そうですか……噂は、聞きましたが」

「……大丈夫ですよ」


 どうやら、アルマがこちらに来たのは偶然や気まぐれではなかったらしい。カインはそれを理解して、わずかに苦笑する。アクアとの謁見などではなく、どうやらカインの精神状態が大丈夫か心配してくれていたという事なのだろう。


「<<神話の猟犬ヘルハウンド>>……第四次世界大戦における最大にして最強の特殊部隊。オルトロスとケルベロスが率いる神話の猟犬。七星達が表の英雄だとするのなら、彼らは裏の英雄……貴方にとっては因縁でしょうに」

「全ては、アクア様のご機嫌が優先されます。学園に被害を出さない事。そのためにはあの部隊が一番良かった」

「<<青海騎士団ブルー・ナイツ>>では駄目ですか?」


 アルマは自分の抱える騎士団の中でも最優と呼ばれる騎士達の事を言及する。ここならそれこそカインでも動かせる。というより、カインの事を鑑みればこちらの方が遥かに良かった。

 無論、アクアの身分を考えればこれを動かすのが筋だろう。が、カインは敢えてこれをしなかった。それは常識的な判断から、だ。


「副聖都で<<青海騎士団ブルー・ナイツ>>を動かすのは駄目でしょう。彼らは確かに生真面目でこういった案件であれば率先して動いてはくれるでしょうが……生真面目すぎて融通がきかない。政治的な判断も難しい」

「……」


 まぁ、そこが確かに悩みどころなんですが。アルマもカインの指摘には同意するしかなかった。


「今回は高度な政治的要素も含まれた。特にあの学院の保護者会……『神を支える者キュベレー』が面倒です。流石に教団としても、『神を支える者キュベレー』と厄介事を起こしたくはないでしょう?」

「……それは、そうですけど……」


 カインの問いかけであるが、やはりアルマは不満げだ。とはいえ、カインもその心情はわからないではない。アルマは確かにアクアの名と威光を借りているだけに過ぎないが、それでもアクアに対して尊敬と畏敬を抱いている事は間違いない。

 そのアクアに仕える神使に近いカインが直々に動いた。それはある意味、彼女らの立つ瀬がない。宗教における信徒はある種、神の奉仕者とも言える。その神に迷惑を掛けている者がいるのなら率先して解決するのが筋だ。それを最後の切り札に近いカインが自分達をスルーして動けば不満もあるだろう。


「それを考えれば、今回はオーシャン社として動くのが最良だったんです。オーシャン社は金を握っている。彼らは世界政府の高官だ。金持ちには逆らえない。自分達の地位に関わってきてしまいますからね」


 政教分離の原則。それは今の世界政府でも原理原則として守られている。政治の中心が聖地ラグナではなく聖都グランブルーに置かれている事からもそれは明らかだ。

 それ故にアルマもジルベルトとやらも政治からは一定の距離を置いている。確かに世界政府はラグナ教団を祖としているが、祖としているだけでそれは荒れ果てた世界をまとめるには信望アルマ信仰アルマの教えが必要だったからだ。影響力は限定的にしか行使出来ないのである。そしてそこらを説かれて、アルマもようやく納得した。


「彼らが、良い顔をしませんか」

「ええ……副聖都だと特にね。聖都は英雄が。聖地はアルマさん……ラグナ教団が。そうなると、彼らが最も影響力を行使出来るのは副聖都になりますから。縄張り意識の問題ですよ」

「……」


 むっすー、とアルマはしながらも、カインの言葉が道理であればこそ拗ねつつも同意するしかなかった。というより、元々合意の上でカインとアクアを送り出した。

 が、不満は不満らしかった。そこに先の一件での最後の一手を聞いて思わず不満を述べるしかなかった、というわけであった。


「はぁ……わかりました。もう言いません。そもそも、政治的・経済的な話だと私、一度も貴方に勝てた事ないですもん」

「ありがとうございます」


 少女っぽく拗ねるアルマにカインは笑いながら頭を下げる。実際、ラグナ教団が今程大きくなったのはカインの手腕が大きい。確かに元々世界的な組織ではあったが、それだけだ。体系化し組織的な運用を可能にしたのは、二百年ほど前からだった。

 元々アルマは普通の女性だ。それがアクアから魔術を教えられ、聖女と呼ばれる様になっただけだ。政治的な話や経済的な話は殆どわからない。

 世界政府の基礎を作り上げた者たちがラグナ教団を持ち上げたのも、彼女らが力を持ちながらもそこらが拙かったからでもあった。利用出来る、と踏んだのである。

 無論、その結果世界には魔術が広まりラグナ教の教えが広まり、ラグナ教団は今の世界最大の宗教組織となっている。悪いばかりではなかった。


「あ、アルマ!」

「「アクア様」」


 どうやら、アルマが来た事がアクアの耳にも入ったらしい。学生服に身を包んだ彼女がカインの私室で話をしている彼女を見付け、笑顔で駆け寄ってくる。


「どうしたんですか?」

「聞いてください、アクア様。カインがひどいんです」

「あ、ちょっと! アルマさん!?」

「カイン?」


 ふふふ、と楽しげに冗談めかしてカインとの一幕を話し始めようとするアルマに、カインが大慌てで誤解だと制止する。そうして、久方ぶりに三人で揃った事もありこのあとは三人でのんびりとした時間を過ごす事にするのだった。

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