第28話 エピローグ

 サイエンス・マジック社が引き起こした事件から数日後。新進気鋭の医薬品メーカーの首脳陣の一斉逮捕は世界中を賑わわす事になっていた。

 それは数日が経過した今でも変わらない。そんな中、カインはミリアリアと共にとある女性の記者会見をモニター越しに見ていた。

 事件が解決したから、と愛しの女神様と共に聖域に引きこもる事は出来ない。後始末がまだまだ残っていた。故にしばらくは、このまま滞在する予定だった。


『では、貴方は一切ご存じないと?』

『はい……私としても『魔力循環薬』がこんな事に使われていたなんて……心外でした……これを防ぐ為の薬なのに……』

「……どうでしょう。上手いものでしょう? 今の涙ながらのセリフなぞ、一切の混じりけがない」


 カインは画面の中で今回の騒動においてある意味のキーパーソンとなる『ミリアリア・カシワギ』の涙ながらの会見を見ながら、ミリアリアへと問いかける。彼女は表向き、一切この騒動で使われた『魔物化薬』の製造には関係無い事になっていた。

 無論、アトラス学院の生徒達の大半――つまり高等部役員以外全員――も彼女がこの製造を主導していた事は一切知らない。無論、警察や軍の調書でも彼女は白と出る。そうして悔しげな『ミリアリア』の会見の横に同席していたアクアの父とされていた男性が口を開いた。会見には彼も一緒だった。


『我が社と致しましては、彼女が白と判断された時点で彼女の研究をサイエンス・マジック社より買い取り、その研究を引き継ぐ所存です』

『オーシャン社が、ですか?』

『はい。皆様はご存知では無いかもしれませんが……私の娘もまた、魔力過多症です。幸い最先端の医療により症状も安定し、とある学院に通院しておりますが……この薬があれば、娘を安心して学院に通わせられる。我が社としても、そして一人の父としても、この薬はまさに待ちわびた物なのです。研究の遅延は可能な限り、避けたい。故にカシワギ女史へと接触し、この場を設けるに至った次第です』

『調査もまだ終わっていない段階ですが……良いのですか?』

『ええ。万が一の場合には我々が責任を持つ。そうラグナ教団の方にも説明し、ご納得を頂いております。そして何より、彼女が白であると我々は確信しております。必ずや、近年中に新薬を皆様の下にお届けする事をお約束致しましょう』


 アクアの父とされた男性は逐一、記者の質問に答えていく。そこには一切の淀みはなく、綿密に計算されつくした姿勢が存在していた。と、そんな映像を見せられていたミリアリアがようやく、口を開いた。


「……どういうつもりなの?」

「はぁ……どういうつもり、と申されましても。旦那様が仰られた通りです。お嬢様の今後の健康を考えた場合、貴方のご助力はどうしても必要。お嬢様の為になら寮を一つ新築される旦那さまが社としての利益も手に入るのであれば、別に脅されて従わされていたに過ぎない女性を一人白にした所で驚くほどの事でもございません」


 ミリアリアの問いかけにカインは困った様な顔でわかりきった事だ、と明言する。が、これにミリアリアが反論した。


「嘘よ。新薬はもう私の手が必要も無い段階。わざわざオーシャン社がリスクを取ってまで私を開放する理由は無いわ」

「ふむ……まぁ、そうでしょうね」


 そのぐらいはわかるか。ミリアリアの発言は正鵠を射るものだった。だから、カインも改めて真顔に戻って口を開く。


「我々はどういう経緯であれ、アクア様のお望みに沿うべく行動をしております。貴方の確保はその一環に過ぎません」

「どういうことわけ?」

「貴方は今後、SM社ではなく我が社に命脈を握られます。言ってしまえば子飼いにされる、と言っても良い。おわかりですね?」

「いやというほどね」


 ただ飼い主がオーシャン社に変わるだけ。ミリアリアは今まで数年の自分の立場から、それを嫌という程理解していた。というわけで、カインも念を押す必要も無く話を続けた。


「……実のところ、お嬢様が魔力過多症というのは嘘です」

「……まぁ、そうでしょうね」


 おそらくアクア・オーシャンという名さえ偽名だろう。ミリアリアは今回の一件でのオーシャン社の動きと二人の実力を鑑みて、そう考えていた。


「貴方もアクアさんもラグナ教団……貴方は騎士。アクアさんは神官。そんな所かしら」

「いえ、違いますよ。それは誓って違います」


 そもそもアクアこそがラグナ教団の祀る女神だ。そしてカインは確かにアクアに仕えているが、組織としてはラグナ教団に属していない。この言葉はそれ故、真実だ。


「アクアお嬢様はラグナ教団には属しておりません。アクア・オーシャンという名は真実。そして私は正真正銘、アクア様にお仕えする従者です。もう十年以上お仕えしております」

「ま、まさか本当にオーシャン社の令嬢が内偵調査に乗り出していたってわけ!?」

「はい」


 カインはミリアリアの問いかけに、柔和な従者としての表情ではっきりと頷いた。彼女がオーシャン社の令嬢である事に間違いはない。

 オーシャン社が出来ておよそ百五十年。その間何かがあり彼女が外に出る際には必ず、その立場で登録してある。なので嘘ではない。

 まぁ、それでも通常はカインとのデートで使うだけだったが、今回はどうしても使える駒の関係でカインが直々に動く事になり、彼と長い間離れる事を厭った彼女もついて来たというだけであった。

 甘いとは彼も思うが、彼はアクアの従者。恋人であり騎士であり伴侶であり、しかし同時に従者なのだ。故に全ては、アクアの意向が優先された。彼女が一緒に来たい、と言えばその手はずを整えるのみである。


「お嬢様は今まで人里離れた地にいらっしゃいました。それについては嘘はございません。それ故、この度ご学友が出来て非常に充実した毎日を送っておいで……が、一度吐いた嘘は貫き通さねばなりません。今更病ではない、とは言えない。お嬢様が魔力過多症である事は公然たる事実。そうする為にも、貴方のご助力は必須なのです」

「……アクアさんの嘘を真実にする為に協力しろ、というわけ?」

「はい」


 ミリアリアは間違いなく魔力過多症の研究においては第一人者の一人と言って間違いがない。このアトラス学院であれば、間違いなく彼女がアクアの補佐として配置される。

 が、それ故に彼女が居なくなれば学院はまた別の専門家を呼び寄せるだろう。それに隠蔽が可能かどうかは、わからない。なら、いっそ首根っこを押さえている彼女を内部協力者として使ってしまえば良い。それだけの事だった。


「どうでしょう」

「嫌味ね」

「あはは。失礼致しました。どうしでも職業柄、ご意見をお伺いするのが癖になってしまっている様子で……」


 ミリアリアに睨まれたカインであるが、少し照れくさそうに笑って頭を下げる。ミリアリアに拒否権はない。オーシャン社の意向一つで彼女は逮捕だし、そうなれば彼女の妹は如何な庇護も失う。

 彼女の妹は今、オーシャン社の経営する付近の病院に転院させられている。状況としては人質も一緒。ただミリアリアからすれば自由に会いに行ける様になった、というだけだ。


「……良いわ。やりましょう。今度は小さな嘘を言うだけで、全部なんとかなるんでしょう? なら、もう今さら嘘を言う事に躊躇いは無いわ」

「ありがとうございます。旦那様にもそう、お伝え致しましょう」


 ミリアリアの応諾を見て、カインは改めて頭を下げる。彼女はこの会見やしばらくの調書の間、このホテルに缶詰だ。なので出ていくのはカイン一人だ。そんな彼はアトラス学院近隣のホテルを後にすると、アクアの下へと帰還する。


「アクア様。ミリアリア女史との会談が終わりました」

「そうですか」


 カインの問いかけに対して、アクアは物憂げだ。後数日で、彼女のアトラス学院での日々は終わりだ。それを理解した日から、彼女は物憂げな表情を浮かべる時間は多かった。


「……ねぇ、カイン」

「なんでしょうか、お嬢様」

「なんでもない」


 何かを言おうとして、アクアがやめる。それに、カインは従者としての仮面を取り払った。


「アクア様。あの二百年前のあの時、貴方に救われたオレだ。オーシャン社は貴方の我儘を叶える為にある」

「あら……確か外の状況を偵察しないと駄目だ、その為には橋頭堡となる足場が必要だ、じゃなかったでしたっけ」

「そ、そんな百ウン十年も前の事を揚げ足取るなよ……」


 楽しげなアクアに対して、揚げ足を取られたカインは恥ずかしげだ。オーシャン社の社長はあのアクアの父親とされた男性ではない。実際にはカインその人だった。

 ただ、何十年何百年と姿が変わらないと人前に出る時に不都合だ。故に、彼を表に出しているというだけであった。

 ラグナ教団の言う聖域に常には引きこもる二人であるが、その為にも外の事を常に知る為のアンテナが必要だとカインが提案したのだ。

 が、ラグナ教団ではカインは納得しなかった。自由に使えないからだ。故に彼は自分独自の手勢となるオーシャン社を設立したのである。それが紆余曲折を経てラグナ社の幹部やオーシャン家としての従者達を手に入れ、今の世界的な大企業となったのである。


「ん……二人の日々も良いですけど……」

「ときには気まぐれに生きてみるのも良いものだろうさ。どうせ、時間なんてオレ達には腐るほどあるだろう?」

「……」


 カインと愛おしげに口づけを交わし、アクアは少しだけ無言になる。基本的に聖域で何かをしているわけではない。ただ日がな一日いちゃついているだけだ。

 神である彼女に食事も睡眠も必要はない。生きるのに何も必要がない。カインを得て寂しさを得たが、その孤独はカインが癒やしてくれる。何の問題も出ない。

 そんな日々で良いとアクアは思っていたし、カインも思っている。今でもそれは変わらない。が、瞬きの間の一瞬ぐらい、永遠の中の刹那ぐらい、気まぐれが起きてもよいかもしれない。


「カイン。我儘を一つ、良いですか?」

「……はい、アクアお嬢様。私はお嬢様の従者。そのお望みを叶える者です。お嬢様のお望み、察しておりましたとも」


 アクアの言葉にカインは恋人としての素顔を覆い隠し、従者としての仮面を被り直す。それに、アクアもまたお嬢様としての仮面を被り直した。


「もうしばらく、このままで。では、カイン。学院に参りましょう。世間はおやすみだけど……アトラスの生徒会はこの一件で出ないと駄目だものね」

「はい、お嬢様。昼食は私が腕によりをかけご用意致します」

「楽しみにしています」


 従者カインの言葉に、アクアお嬢様は優雅に立ち上がる。が、その直前。一度だけ彼女は仮面を取り払った。


「……ん」

「……はいはい」


 来た時と同じ様に、アクアがカインへとキスをせがむ。それに呆れながら、しかしそんな小さな女神にカインはどうしようもない愛おしさを感じていた。

 そうして、二人は恋人としてのキスを交わし合う。それはわずかに感じる二人だけの日々への別れ。しばらくの決別の為のキスだ。それが、全ての答えである。


「……では、お嬢様」

「はい」


 カインの開いたエレベーターの扉をアクアが通り、その後ろにカインが続く。それはここしばらくの二人の常だった。そして、もうしばらくの間の常でもある。

 そうして、二人はもうしばらくだけアトラス学院にて『アクア・オーシャンお嬢様』とその『従者カイン・カイ』としての日々を続ける事にするのだった。

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