第5話 体育の時間

 アクアとアリシアが昼食を買って少し。今度はナナセとカインの二人が食事を買う事になるわけなのであるが、これには少しの工夫が必要だった。というのも、流石にお嬢様二人だけにするのは従者の外聞から憚られる。というわけで、席に戻ったカインへとナナセがやり方を教えてくれた。


「というわけで、貴方の方にデータを預けますので私の分も一緒にお願い致します」

「かしこまりました……では、確かに」


 どうやらメニューは席からでもアクセス出来るらしい。支払いも本来はここから出来るそうでアリシアも何時もはそうしているらしい。今回はアクアへの説明もあったので向こうに向かったとの事であった。

 というわけで、カインはアリシアがやっていたと同じ様に自らのメニューを決めると、ナナセの料理が出来るのを待って自分の物と共に三人が待つ席へと向かう。


「おまたせ致しました……ですが、よろしいのですか?」

「何がですか?」

「いえ……お嬢様方とご一緒させて頂くなぞ……」


 カインの問いかけを受けたアリシアの問いかけに、アリシアは一つ頷いた。確かに、従者と主人が一緒に食事を食べるという風景は稀だ。が、これにアリシアが笑った。


「ああ、大丈夫です……えっと、一応聞いておくのだけど、アクアさん。世話役はお一人……よね?」

「はい」

「なら従者もここで食べておかないと、従者の方がご飯を食べられなくなっちゃうもの。まさか授業中にご飯を食べに行くわけにもいかないものね」


 それが正しいといえば正しいのだろうが。どうやら授業中の呼び出しに備える事を優先させるらしい。と言ってももし複数の従者が居るのであれば、一緒に食べない事もあるそうだ。従者が一人なので、この様な形になっているという事なのだろう。

 なお、なら食べないのはどうなのか、という指摘もあるだろう。が、それは主人としての器量と見識を問われる。腹が減っては戦は出来ぬとも言う。従者に万全の世話をさせる為には、従者に万全の状態を整えさせる事。それも主人の務めだった。


「さて。じゃあ、食べたら更衣室に向かいましょう」


 アリシアはそういうと、自らのサンドイッチにかぶり付く。そうして、一同は揃って食事を食べる事にするのだった。




 さて、食事を食べて少し。腹がこなれた頃に一同は再度更衣室に戻っていた。とはいえ、今度は外を見るだけではなく、中に入っていた。そんな中だが、廊下は赤い絨毯が敷かれ、調度品も整えられていた。


「ここが、私の更衣室ね。まぁ、何かがあるとは思わないけど……もし何かがあればノックして頂戴」

「はい……私はこっち……ですね」


 アクアは投影される情報を見ながら、自分に割り振られた部屋を見る。アリシアが最初に教えてくれた通り、彼女の更衣室の隣だった。鍵は腕輪が兼任しているらしく、かざすだけで扉は開いた。


「じゃあ、着替えたらまた合流しましょう」

「はい」


 兎にも角にも次の授業は体育だ。そのためには着替える必要があるだろう。というわけで、アクアはカインを伴って更衣室として与えられた部屋へと入る。そうしてまずしたのは、盗聴盗撮の確認だった。


「……問題は?」

「ありません、お嬢様。ついでに言えば、防音も大丈夫だな」

「そうですか……にしても……」

「あはは……せーの、で言うか?」

「はい」

「じゃあ、せーの」

「「何ここ」」


 カインとアクアはこのアトラス学院の更衣室に対して呆れ返っていた。というのも、ここは更衣室だというのだがまず間違いなく豪華過ぎる。豪邸と言っても過言ではない。


「そもそもこの更衣室……? もう更衣室で良いか。更衣室にツボとか必要無いだろう。シャンデリアも必要は無いだろうし……」


 カインは部屋の明かりとなっている様子のシャンデリアを見て、大きくため息を吐いた。更衣室なのだからロッカーと貴重品を置く為の金庫でもあれば十分なのだろうに、どういうつもりかベッドまであった。


「わ! カインカイン! ふかふかです! 弾みます! 沈みます!」

「はぁ……アクア様。お願いだから、そう無邪気にはしゃがないでくれ」

「楽しいですよ?」

「はぁ……」


 満面の笑みでベッドに深く沈むアクアにため息を吐く。というわけで、楽しそうなアクアは放置してカインは体育の授業を整える事にした。そんな彼はデバイスを取り出すと、学校が管理する荷物管理システムへとアクセスする。


「コンソール……アクセス。ロッカー……解除。承認」


 カインがデバイスを操作して何かの解除を申請してすぐ。彼の前に一つのトランクが顕現する。学園の中では魔術を使った物質転移システムが確保されており、彼らが保有する倉庫の中に保管されていた荷物を取り出したのである。そしてトランクの中に入っていたのは、アクアの為の戦闘服だった。

 残念ながら二十一世紀の様に体操着としてジャージやブルマなどを着用する事はない。そのかわり、魔力を通す特殊な素材で出来た専用の戦闘服『バトルドレス』を着用するのである。アクアの物はオーシャン社が開発した軍事用にも使われる物で、最高級品だ。


「さて……アクア様。『バトルドレス』の用意が整いました」

「はい……」

「……?」


 にこにこと笑顔で自分を見るアクアに、カインが首を傾げる。そんなカインをアクアはじーっと見るだけだ。そんな彼女はまるで意図を示す様に、手を広げた。


「はい」

「はいはい……着替えさせろ、ね。イエス、マイ・フェア・レディ」

「ミレディが正解です……あ、変な所には触らないでくださいね」

「逆にベッドに押し倒したりしないでくださいねー」


 アクアの冗談にカインもカインで冗談を返す。というわけで、カインはアクアの我儘に従って着替えを手早く終わらせる事にする。そうして白い制服を脱がすと、純白の彼女の肌が顕わになる。そこで、彼女が少し楽しげに口を開いた。


「……どうです?」

「まぁ、色っぽいんじゃないですかね」

「むぅ。もうちょっと何か言い方あるでしょう?」


 制服を脱がされたアクアを守るのは、後は彼女の容姿にしては色っぽい黒の下着だけだ。と、そんな下着姿を晒したわけであるが、カインは平然としたものである。

 それに不満げだったアクアなのであるが、カインは当たり前といえば当たり前の事を指摘した。


「……いや、朝にアクア様が着替えてる所にも居たんだが。朝からベッドの横で何をごそごそしてるのかなー、とは思ったがどうせそんな所の悪戯だろうと思ってた。この程度は想定の範囲内ですよ?」

「……迂闊でした……何年一緒だったのか忘れてました……」


 がっくり、とアクアが肩を落とす。どうやら、カインを驚かすつもりだったらしい。が、それに意識を割かれてカインが一緒だった事を完全に失念していたらしい。

 というわけで、そんな脱力したアクアへとカインは手早く『バトルドレス』を着用させる。それはぴっちりとして動きやすい白をベースにした――別に白がベースである必要はない――特殊なスーツだった。

 身体のラインがはっきりと露わになるが、決してエロティックではない。露出も手と足だけだ。通気性も確保されている素材なので、蒸れる事もない。

 そうして、その露出する足へとカインは専用のブーツと専用の手袋を装着させる。それで、完成だ。


「出来ましたよ、アクアお嬢様」

「……カイン。少し良いですか?」

「なんでしょう」

「もしかして従者の役目……気に入ってます? なんだか何時もよりずっと楽しげです。嫌いだとばっかり思ってたんですけど……」

「……改めて従者の仕事をしてみたんですが……ちょっと好きだった見たいです」


 アクアの問いかけにカインが少し恥ずかしげに頬を赤らめる。それに、今度はアクアがため息を吐いた。


「まぁ、良いんですけど……従者としての役目に熱中しすぎて、本来の仕事を忘れない様にしてくださいね」

「それはどの口が言うのでしょうねー」

「うにゅ……ひたひでふー」


 先程のベッドではしゃぐ姿を見れば、確実にアクアの方がはしゃいでいるだろう。というわけで、カインがアクアの頬を引っ張った。

 と、そうしてアクアの頬を引っ張って少しのじゃれ合いをしたわけであるが、カインはすぐに手を離した。というのも、彼自身も着替える必要があったからだ。


「さて……次はオレも着替えないとな」

「着替える必要、あるのでしょうか」

「どの意味でも無いな。無くても問題はない……が、この燕尾服は高いんだ。破けると面倒だ」


 燕尾服を手早く脱いだカインはもう一つのトランクに仕舞われていた男性用の戦闘服『バトルスーツ』に袖を通す。こちらも動きやすく肌にぴったり張り付く様な構造だ。素材も勿論同じで、通気性も確保されている。


「にしても……従者同伴ね。まさか主人はそれの見学を、なんて言わないよな」

「本末転倒じゃないでしょうか」

「あはは。でもまぁ、それがお偉いさんというもんだ」


 呆れ混じりにカインは自分従者にも命ぜられていた戦闘服着用の旨を思い出す。そうしてしばらく着替えて授業時間までの時間を潰すべく更衣室でのんびりしたわけであるが、そんな所に爆音にも似た大声が響いてきた。


『うむ! どうだ、リーガ! 今日も決まっているだろう!』

『はっ! 今日も大変勇ましいお姿であります! いえ、昨日より遥かに勇ましいお姿かと!』

『うむ!』


 響いてきたのは二人の男の声だ。どちらも非常に声量は高く、堂々として勇ましい様子でさえあった。が、防音処置のおかげかくぐもっていて、何を言っているかまではわからなかった。


「……な、なんだ?」

「……行ってみますか?」

「……あ、ああ」


 兎にも角にも何を言っているかはわからないが、大声で何かを言っているのだ。しかも防音を通り抜けて聞こえている。

 自分達に関係があっても困るので二人は従者と主人の仮面を被り直すと、更衣室の外に出る。そうして外に出た先に居たのは、金髪の髪を短めに切りそろえた偉丈夫と銀色の髪を短めに切りそろえた偉丈夫だった。金髪の方に銀髪の方が跪いている所を見ると、金髪の方が主人で銀髪が従者というわけなのだろう。


「それで、リーガ! 今日の授業はなんだったか!?」

「はっ、ヘルト様! 今日の講義は戦闘技術の実技となっております!」

「「……」」


 何なのだ、この見るからに暑っ苦しい主従は。カインとアクアの二人はアリシアとはまた逆側の更衣室の使用者らしい主従に呆気にとられていた。

 と、どうやらそんな主の方にアクアは見覚えがあったらしい。恐る恐るという具合でアクアが話しかけた。


「え、えーっと……ヴィーザルさん?」

「む? おぉ、これはアクア嬢。隣室はアクア嬢であったか」

「は、はい……えっと……どうされました?」


 にかっ、と灼熱の太陽の様な豪快な笑顔を浮かべるヘルトにアクアが少し気圧されながら問いかける。このヘルトという男であるが、アクアと同年齢にも関わらず背丈は二メートルを超えているのではと思えるほどの巨漢だった。

 しかも痩せ型ではなく、アメフトの選手としても即レギュラーとして通用するだろうほどにガッシリとした巌の様な体躯だ。同年代の少女をして小柄なアクアからすれば50センチ近くもの体躯の差があった。

 顔立ちは整っているが、獅子を思わせる高貴さがある。総じて、獅子の様な王者の貫禄を兼ね備える男と言って間違いではないだろう。と、そんなヘルトはアクアの問いかけに笑みを消して小首を傾げた。


「む? どうした、とはどういう意味だ?」

「いえ……その……」


 どうやら、ヘルトは気付いていなかったらしい。それを理解したアクアは指摘するべきかごまかすべきか悩む。が、これに助け舟を出してくれた人物が居た。


「貴方の大声が部屋にまで響いていたのよ。何も知らない奴が何事か、と思っても不思議はないでしょう」

「おぉ、アリシア嬢か! 『バトルドレス』に身を包んだ姿も美しいな!」

「良いわよ、そんな世辞は」


 豪快に己を褒め称えたヘルトに対して、アリシアはため息混じりだ。彼女も彼女で赤を基調とした『バトルドレス』に身を包んでいたので、身体のラインが強調されていた。

 とはいえこちらはアクアとは違い、出る所は出ている事が強調されていた。なので健康的ながらも僅かながらのエロティックさが見受けられた。


「そうか。素直な称賛だったのだが……っと、そう言えばアクア嬢には紹介していなかったな。リーガ」

「はっ……私、ヘルト様付きの従者でリーガ・オルデンと申します」


 ヘルトの指示を受けて、今の今まで傅いていたリーガが立ち上がる。こちらも体躯はがっしりとしており、ヘルトに負けないほどの筋肉の鎧だった。僅かにヘルトの方が背は高いが、がっしりとした様子であればリーガの方が鍛えていそうだった。

 と、そんな彼の顔には左頬から首筋に掛けて大きな怪我があった。その傷を見るアクアの視線に、リーガも気付いた。


「む? ああ、これですか……ヘルト様。よろしいですか?」

「うむ! 戦士の傷よ! そなたの誇りを語る事にためらいなぞ要らぬ!」

「はっ!」


 豪快に許可を下したヘルトに対して、リーガもまた声を大にして応ずる。どうやら彼らの会話は基本、声が大きいのだろう。


「この傷は十年ほど前、不遜にもヘルト様を狙ったテロリストに付けられたものです。その際、旦那さまよりこの傷とその戦いを称賛して頂き、以降傷跡はそのままにしております」

「うむ! なんとリーガはたった一人で数十人のテロリストを殲滅したのだ! あの時の獅子奮迅の様! まさにオルデン家の男に相応しいあっぱれな戦いっぷりであった! 我輩もあれを見習うべく、今日に至るまで鍛えているのだ!」

「ありがとうございます、ヘルト様!」

「うむ!」


 なんだ、この暑苦しい主従は。背後にざぱーん、という波の音さえ聞こえる様に堂々とした二人を見て、アクア達四人が呆気に取られる。

 と、そんなある意味では二人の世界に入り込んだヘルトとリーガを見ながら、アリシアが小声でアクアへと語りかける。


「……ま、まぁ……この二人は基本暑っ苦しいけど……うん。悪い奴じゃないから」

「「は、はぁ……」」


 見るからに裏表の無い様子の主従を見て、カインとアクアも生返事で頷いた。というより、この二人に裏の顔があったらアクアは人間不信になりそうだった。


「……で、二人とも。一応言うけど、アクアさんの従者も居るのだけど」

「む? おぉ、失礼した。流れとはいえ無視してしまったのは我輩の不手際……お名前をお聞かせ願えないか?」

「……失礼致しました。カイン・カイ。アクアお嬢様の世話役をしております。アクア様のご学友との事。以後、お見知りおきください」

「うむ……では、行こうか。何時までもここでぼさっとしていてもな」


 そもそもここで時間を食っていたのは誰のせいなのだろうか。アリシア――とナナセとカイン――はそう思いながらも、口にはしなかった。そうして、そんな一同はヘルトとリーガの主従と共に訓練場へと向かう事にするのだった。

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