第4話 昼休憩
私が彼女を初めて見た時思ったのは、こんな可愛らしい少女が居て良いのだろうか、という事だ。私も大抵きれい、美しい、愛らしいなどの美辞麗句を並べ立てられ幾度となく社交界では告白されてきたが、彼女の美というものは私がまだまだだと思い知らされるには十分だった。
「女の子は常日頃から美しさにも気を遣わないと駄目よ? 特にヴィナス家の女なら、女神の名に恥じぬ美しさを保ちなさい」
始祖にして開祖アレクシア様。慈愛の聖女。<<
無論、開祖アレクシア様の美しさには負けると思っている。あれは別格だ。女としての成熟した美しさ。聖女そのものと言って間違いのない慈愛に満ちた顔。それでいて時折見せる少女の様に無垢な笑顔。女として完璧な全てを彼女は持っていた。あれを上回るのはとてもではないが子孫である私にも不可能だ。
が、彼女と自分を比べる事はそもそもで烏滸がましい。なのでアレクシア様という特例を除けば初めて負けたと思わされたのは、彼女だった。
「アクア・オーシャンです」
彼女の声は浄化され澄んだ海の様に透明度が高く、澄んだ鐘の音よりも清らかだった。病気だったからか成長が遅いらしいのがまた、彼女の愛らしさを引き立てていた。雪の妖精。魔力という超常の力を手に入れた人類にも珍しいアルビノの姿が尚更、その印象を強くしていた。そんな彼女が連れていたのは、こちらは存在そのものが海を思わせる男だった。
でもこれは豪快な海の男、という意味ではない。彼の見た目は優男。燕尾服の優男だ。海の様に澄み渡っていて、しかし何か得体の知れない危険な香りがする。そんな妖艶とも言い得る不思議な印象を与える男だった。
「アクアお嬢様。おくすりをお忘れでしたので、お持ち致しました。お食事の際、忘れずにお飲みください」
「あ……ありがとう、カイン」
こちらもこちらで非常に、類まれなを付けたくなるほどの美丈夫だ。彼が来た途端、クラスの女子達がざわめいたのもよく分かる。社交界で数々の美男子を見てきただろう私をして、そして彼女らをして思わず見惚れるほどの美男子だった。
「お嬢様」
「あ、え、ああ。そうね、ナナセ。アクアさん、更衣室へ案内します」
「あ、はい。お願いします」
アクアの笑みは純真そのものだ。一切の曇りのない眼に、純真な笑顔。隔離されていたからか、一切スレた所の無い少女。思わず私も頬ずりしたくなるほどの愛らしさだ。と、そんなアクアを見て蒼い男が私に頭を下げた。
「アリシア嬢ですね。お嬢様を有難うございます。私はカイン・カイ。アクアお嬢様の世話役です。カイン、とお呼びください」
「はい、カイン。では、貴方もついてきなさい」
「かしこまりました」
ああ、二人に見惚れている場合ではなかった。そもそもお昼ご飯を食べないと駄目だし、その前に道中で更衣室へ案内する必要もあった。
なので、私は気を取り直してノブレス・オブリージュとして、そして学友としてアクアを案内する事にするのだった。
アクアがアトラス学院に入院してよりおよそ半日。朝の講義は終わり、学院は昼からの講義に備えて昼休憩に入っていた。
なお、各時間が長くなったからと昼休憩も長くなったという事はない。おおよその大学と同じく一時間が目安とされていて、アトラス学院では一時間の時間が取られていた。
「アクアさん。それでは道中で更衣室の説明をしておきます。ここからだと食堂へ向かう間に更衣室を通る事になるから」
「はい」
午後からの一コマはどうやら体育の授業らしい。なので昼休憩の間に着替えておく必要があるそうだ。何故この時間なのか、と疑問に思う生徒はそこそこ多いそうであるが、放課後との兼ね合いなど色々あるらしい。
というわけで、食堂に向かう途中、カインとアクアの二人はアリシア、ナナセの主従に案内されて更衣室へとやってきた。そこはアクアとアリシアが常には学ぶ学舎の横。従者を連れた生徒の為に設置された建屋だった。
「ここが、更衣室です」
「……更衣室、ですか?」
「疑問はわかります。でも、更衣室です」
「……」
どう見ても更衣室ではなく一つの建物の様にしか見えないのだが。アクアは思わず呆気にとられる。
確かに大きさとしてはそこまで大きくはない。四階建てである学舎の横にある建屋は二階建ての一軒家程度だ。が、その一軒家も普通の一軒家というより豪邸に近い一軒家を想像した方が良い。部屋数は間違いなく十数個はあるだろう。
「アクアさんもそうだろうけど……私達はどうしても身に付けるものは高価なものが多いの。一応学院の出入りには門番は設けているけど、中は見ての通り警備員が少し居るだけ。泥棒が出ないわけではないから……それに、ウチの学園では自分で着替えが出来ない様な方も少なくないの。従者連れは通例、ここで着替える事にしているというわけね」
「は、はぁ……」
アリシアの言う事は確かにもっともと言えばもっともな意見ではあった。アクアはそうではないしアリシアもそうではないが、学友の中には一体何の意味があるのだろうか、と思う様な豪華なネックレスやイヤリングをしている者も見受けられた。
となると、高価な物を壊さない為にも外す必要がある。が、貴重品だ。盗まれない様にする必要がある。
そして更には着替えに際して従者を入れる事もあるのだが、アクアとカインの様に異性の従者を連れている者も居るわけだ。
となると必然として、個室を設けるしかなかったのだろう。流石に自分の従者でも無い異性に肌を晒して良いとは誰も思わない。
「まぁ、貴方達がどうするか私は知らないけれど……とりあえずここを使って頂戴。部屋についてはえっと……」
アリシアは解説を続けると、手を一振りして空間に情報を投影させる。ナノマシンを使って大気中に映像を映し出したのである。
彼女の右手首にはナノマシン制御用の腕輪があった。同様のものがナナセの腕にもあったので、おそらくヴィナス家が懇意にしているメーカーの物で間違いないのだろう。無論、これと同じではないが同じ機能を持つ物をアクアとカインも腕に嵌めている。
「ああ、あった。ああ、私の隣の部屋ね」
「はぁ……」
「ああ、ごめんなさい。とりあえず実際に使う時にはまた案内するわね。部屋は基本、共用だからきれいに使う事は忘れないで」
「はい」
アリシアの言葉を聞いていればわかった話だが、どうやらアクアの更衣室はアリシアの隣らしい。おそらく彼女が世話役だからそれに合わせて設定された、という所なのだろう。というわけで、頷いたアクアを見たアリシアは一つ頷くと、再度移動すべく踵を返す。
「じゃあ、次に行きましょう。次は食堂ね。一応、腕利きの料理人が作っているから味は保証するわ。自宅の料理には負けるかもしれないけどね」
くすり、と笑ったアリシアはそのまま再び移動を開始する。そうしてしばらく学内を歩いて、たどり着いたのは体育館ほどもある大きな建物だった。
外にはテント付きの机と椅子もあり、外で食べる事も出来る様子だ。ちょうど昼時である事もあって、周囲は生徒達で溢れかえっていた。
「もし昼ごはんを各自で用意していない、というのだったらここで食べて。他にも食堂はいくつかあるけど……中央の食堂を除けば各部で保有する食堂だから、立入禁止。ここは高等部の為の食堂というわけね」
「中央……あの建物ですか? 学院長に案内された……」
「そう、行ったことがあるなら話は早いわね。あれは教師達専用の部屋のある建屋で、ミリアリア女史も職員室以外にあそこに部屋があるわ。もし放課後で職員室に女史がおらず、何か用事がある場合はあそこに行くのが一番確実ね。女史だと最近研究でお忙しいらしいし……あそこからなら連絡を取って貰えるはずだから、覚えておいて」
「カイン」
「はい、かしこまりました。後ほど、手続きなどの確認を取っておきましょう」
アリシアの説明を聞いたアクアはカインへと指示を出しておく。一応、転入生でアクアの事については学院長から何か問題があった時にはミリアリアを通す様に指示が出ている。であれば、一度手続きなどについてきちんと確認を取っておくべきだろう。
「そうした方が良いわね……さて、それじゃあ中に入りましょう」
「はい」
説明を終えて再度歩き出したアリシアの後ろを、アクアとカインが歩いていく。と、そんな中なのであるが、やはりこの二人だ。周囲の注目を一身に集め、周囲に停滞を生んでいた。
「……わ、わかってはいたけど……」
「どうしたんですか?」
「な、なんでもないわ……」
何時もならアリシア様だ、やっぱりきれいだよな、云々の己に対する美辞麗句が聞こえてくる場であるが、流石に今回ばかりは話が違うらしい。いや、勿論彼女に対する美辞麗句もある。が、それと同等に、しかし今回は女性の声も混じっていた。
「とりあえず、行きましょう。あそこのカウンターに行けば、メニューにアクセス出来るわ。ナナセ、とりあえず席の確保をお願い」
「かしこまりました」
どうやら相当有名になっていたらしい。アリシアはあれが、だの聞きしに勝る、だのといういくつもの言葉が聞こえている事に気付いていた。アクアは世界で有数の徳の高い企業オーシャン・リカバリー社の令嬢だ。誰もが興味があったようだ。
と、実は自分に一切の原因が無い様に思っているアリシアであるが、実は彼女にも原因がある。というのも、彼女は英雄の子孫。それも英雄の中で最も有名かつ人気のある聖女アレクシアの子孫だ。
更には自身もアクアとは別種の美少女と言って過言ではない。アクアも内心でアリシアを美しい少女だと思っていたほどだ。
その彼女が大企業の令嬢の世話役。それは瞬く間に学内を駆け巡ったそうで、ここに集まっていたのである。昼は通例、アリシアは学食で食べているらしい。
「カイ様。お嬢様をしばらくお頼みします。後で我々の食事に関してもご説明致しますので、ご購入はしばらくお待ち下さい」
「かしこまりました」
アリシアの指示を受けて席の確保――と言っても特例での指定席の様な場所らしいが――に動いたナナセからアリシアを任されたカインが頭を下げ、それを受けてアクアとアリシアの二人がいそいそとカウンターへと移動する。そうして移動したカウンターには誰も居ない。ただいくつかの機械があるだけだ。
「えーっと……基本的には腕輪をかざせば代金の支払いはされるから、メニューを決めてかざしてね」
「はい」
「あ、それともしこれ以外が食べたい場合は、寮に戻って作る事。でも学生が外へ出るのは禁止だから、そこは注意してね」
「はい……あ、カインは? 外に出て良いのですか?」
「従者は問題無いわ。学生が外に出るのは、だからね」
どうやら、カインは学生ではないので自由に外に出られるらしい。各々の学生の机に取り付けられているコンソールから直接従者の所に通信が可能な装置があるらしく、何かがあった時にはそれで即座に呼び出せるらしい。なので主人の命令であれば外に出る事もあるだろう。
「はい……えっと……じゃあメニューは……えっと、こう……」
「慣れてないの?」
「あ、はい……その、家だと紙媒体だったので……」
「珍しいわね」
何か慣れない様子で情報を投影させたアクアに対して、アリシアは意外そうな様子だった。というのも、実は紙媒体の本や情報媒体を手にする事は非常に稀だ。空間に映像を投影でき、更にはインターネットやクラウドの上位互換とでも言うべきシステムが整えられたこの時代。どこでも自由自在に情報にアクセス出来るのである。
もはや紙媒体で情報を受け渡す意味が無いのだ。なので紙の本なぞもはや誰が読むのだ、という程度だ。カインは相当に珍しい部類と言って良いのだろう。
アリシアも数度博物館に飾られている紙の本を見たぐらいで、実際に紙の本持った事は殆ど無いぐらいだった。なお、紙の本が無いだけで紙は今でも使われているし、アリシアも使っている。なので皆無というわけではない。
「いえ、その……病気で。コントロール出来るまで紙を使う様に、とお医者様から」
「あ……そうね。ごめんなさい」
「いえ、大丈夫ですよ」
アリシアはここしばらくあまりにアクアが普通に見えたので忘れかけていたが、アクアは実際にはついこの間まで病気で隔離されていたのだ。
その症状を考えれば、動力に魔力を使うこの腕輪を迂闊には使えなかっただろう事は簡単に想像出来た筈だった。それを出来なかった事を素直に反省し、謝罪していた。
「ありがとう……じゃあ、ご飯にしましょう。何を食べる?」
「そうですね……じゃあ、サンドイッチで。飲み物は……ミルクティーで」
「私もそれにしようかしら……ああ、それでメニューを決めたら、腕輪に情報をインプットしてここの機械にかざせば大丈夫よ。後は自動で出て来るのを待つだけね」
アリシアはアクアに説明する為に一度自分の腕輪に情報をインプットすると、カウンターの前にセットされていた機械に腕輪をかざす。すると、機械音が鳴って支払いが終わった事が確認され、しばらくお待ち下さいという表示が現れた。それを見て、アクアも同じ様に腕輪をかざす。
「……よし。大丈夫ね。もし時間が掛かるメニューだったら呼び出し機能もあるから、活用してね。今回はサンドイッチだから特に問題は無いけどね」
「はい」
「良し……ああ、出来たわね。じゃあ、行きましょう」
「はい」
カウンターの先が開いて出て来たサンドイッチを二人は受け取る。生徒によっては従者に持たせる者も居るそうだが、アリシアは基本自分で持つ様子だった。
それにアクアも倣う事にしたらしい。そうして、二人はナナセが確保してくれていた外の席にて昼食を食べる事にするのだった。
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