第3話 転入

 アクアとカインの主従がアトラス学院を訪れた翌日、二人は朝一番に学院の職員室に向かっていた。理由は敢えて言う程でもない。転入すれば必然、まずは職員室に挨拶に向かうだろう。それだけの話だ。


「おはようございます、カシワギ女史」

「ミリアで良いわよ。カシワギだと見た目もあって怪訝な顔されちゃうものね。カインさんもそれでお願い」

「はい、ミリア女史」

「かしこまりました」


 そんな職員室で朝一番に訪れたのは当然、ミリアリアの所だ。アトラス学院はエスカレータ式の一貫校であるので、高校一年生でも学友達は大半が顔見知りだ。

 なので教師が仲介する転校生と似た形だった。なお、女性の教諭を女史というのはこの学院では普通の事らしい。

 基本的にこの学院の教師は何らかの学者だ。女史というのが相応しい、という事で女史で統一されているそうである。そうして暫くの話し合いがアクアと彼女の間で持たれた後、カインが口を挟んだ。


「それではミリアリア女史。お嬢様の事を後はお任せ致します」

「はい、しっかりこちらで勉学に励んで貰います」

「お願い致します」


 当たり前といえば当たり前の事であるが、授業中に従者同伴を許可するとクラス次第ではとんでもない事になりかねない。

 半分が生徒ではなく従者だ、という事が起こり得るのが現代だ。なので従者には従者専用の待機室があり、基本はそこで待機する事になっていた。勿論、カインもそちらである。


「さて……」


 待機室は把握していたし、カインとて従者にまで道案内がもらえるとは思っていない。なのでアクアをミリアリアに任せると、己は一人待機室へと向かう。


「しばらくはこのカードキーを使え、でしたね。腕輪にデータを入れられるまでの辛抱、という話ですが……」


 幾ら従者の待機室とはいえ、その主人は大半が大企業の子女だったり名家の子女だ。その世話役でさえかなりの地位や高度な教育を受け、それ相応の物を身に付けて振る舞う事を求められる。

 なので出入りは主従にのみ与えられる鍵が無ければ出来なかった。これはアクアの教室も同様だ。筆箱で家が買える、とさえ言われるのがアクアのクラスだった。

 と、そうして待機室――正確にはその前にある小部屋だが――に入ったカインへと一人の女性が頭を下げた。


「カイ殿ですね?」

「はぁ、そうですが……失礼ですが、貴方は?」

「申し遅れました。アリシア・ヴィナス様の従属でナナセと申します」


 警戒を滲ませるカインに対して、メイド服の女性が腰を折る。その姿勢は清く正しいメイドの姿だろう。

 無論、メイド服といっても二十一世紀に流行った創作向けのメイド服ではなく、露出の無い古来からのメイド服だ。


「貴方がヴィナス家の。申し遅れました。私はカイン・カイ。アクアお嬢様の世話役を任されております」

「ありがとうございます。通例として、主人が世話役となれば従者はその世話役に勝手を教える事となっております」

「ああ、そういう……ありがとうございます。主従共々、世話になります」


 ナナセからの言葉に、カインは柔和な笑みで頭を下げる。ナナセの主人というアリシア。これは言ってしまえば生徒としてのアクアの世話役だ。

 基本エスカレータ方式のアトラス学院では内部生の所に転入生が来る事は稀だ。外部入学もあるが、それはそれで別のクラスに纏められるのが通例だ。

 それでも来たのなら大半が彼女らの様に従者同伴の者達、つまりは高貴な身分だ。訳あり、と断じて良い。

 周囲に馴染める様に同じく高貴な身分の者がノブレス・オブリージュの精神を、というわけであった。


「いえ……では、こちらへ。今は新たに人が来られるということで、全員が揃っています。紹介しましょう」

「それは願っても無い。光栄な事です」


 ナナセの招きを受けて、カインは歩き出す。が、その裏はしっかりと理解していた。やはり世界的な大企業の令嬢の従者だ。誰もが伝手を得てこいと主人、ひいてはその親達から言われていたのだろう。そうして更に奥にあった扉を彼女が開くと、そこには巨大な円卓があった。


「円卓……ですか?」

「はい。七星様のご意向です。従者は従者。仕える者が主人の威光を笠に着ることなぞあってはならない事。故に従者は須らく円卓に腰掛けるべし、と」

「七星の……」


 なるほど。それなら納得だ。カインはこの奇妙といえば奇妙な部屋に納得を抱いた。基本的にやはり同じ従者といえど、主人の格に応じて扱いの差は生まれてくる。

 その点で言えばカインは最上位とまでは言わないが、最上位の一個下の扱いは受けるだろう。最高位は七星の子孫だ。カインがそれの一つ下なのだから、世界的な大企業かつ世界的な宗教組織が背後にある、というのは伊達ではなかった。


「しばらくは貴方は私の横、カンナギ殿の横となります」

「カンナギ殿……ですか」

「はい……まぁ、見ればわかるかと」

「あの一人だけ和服の男性……で間違いないですよね」


 カインの視線に気が付いたからか、カンナギという和服を着た男性が頭を下げる。彼はいわば古来の侍という所だろう。着物の腰には刀があった。


清十郎・神薙せいじゅうろう・かんなぎ飛鳥・大神あすか・おおがみ様の従者を務めている」

「大神家の……失礼致しました。カイン・カイ。お見知りおきを」


 やはり、世界各地の名家の子女が集うだけの事はあるな。カインは清十郎の主の名を聞いて、恭しく頭を下げる。大神家というのは日本全土の魔力の流れを整えている名家の事だ。

 英雄達やラグナ教の様に世界的な信仰を集めているわけではないが、この元日本とでも言うべき地ではそれに匹敵する信仰を集めている名家だった。その子女も通うというのだから、アトラス学院の名の巨大さがわかろうものだった。


「さて……それではとりあえず自己紹介を交わしましょう」

「ありがとうございます……では、筋として私が最初に述べるのが筋でしょう」


 どうやら世話役としてナナセが司会進行を務める事になっていたらしい。というわけで、カインはまずは紹介される側として自分を紹介しておくのが筋だろう、と立ち上がる。そうして、彼は彼で従者達との会合を行う事にするのだった。




 さて、一方その頃。カインが従者達との間で会合を行っていた頃。アクアもアクアで教室にて自己紹介を行っていた。


「アクア・オーシャンです。持病故に最近まで学び舎に通う事は叶いませんでしたが……この度、病状が安定した事でお医者様の承認を受け、アトラスに入院させて頂く事になりました」


 アクアの側はミリアリアに紹介を受け、自己紹介を行っていた。とはいえ、一応は普通の学び舎。なのでこちらは各々が紹介を交わし合うという事はなかった。アクアが自己紹介をして、世話役を教えてそれで終わりだ。


「はい。というわけでオーシャンさんにはこれから皆さんと一緒に学んでもらう事になります。詳しいお話は休憩中にでもしてください……と、いうわけでヴィナスさん。お世話は任せます。オーシャンさんは彼女の横の席へ」

「はい、ミリアリア女史」


  ヴィナスさん。そう呼ばれた一人の少女が立ち上がり、頭を下げる。彼女も彼女でかなりの美貌だ。背丈は小柄なアクアより十センチ近くは高いだろう。

 それに合わせて、身体的にも成熟している様子がある。年相応より少しは成長しているだろう。ヴィナス。美の女神の家名に相応しい美しさが顕れ始めている少女だった。そうしてアクアが彼女の横の席に移動すると、そんな彼女が微笑みと共に頭を下げた。


「アリシア・ヴィナスです。オーシャンさんのお世話を学院より頼まれました」

「アクア・オーシャンです。有難うございます」

「教科書などは……整っていますね」

「はい。昨日の間にカイン……私の従者が整えてくれています」


 どうやら、このヴィナスとやらがナナセの従者にしてアクアの世話役らしい。やはりこれから授業である以上、教科書などの勉強道具を何より気にしていたようだ。

 なお、もし何かがあって用意が間に合わなかった場合でも大丈夫な様にアリシアも色々と手配をしてくれていた。が、それは役に立たない方が良いので役に立つ事はなかった。そうして、そんなある意味では学友というより事務的な話を少しだけ交わして、アクアは一限目の授業を受ける事になるのだった。




 さて、二人が各々の居場所で自己紹介を交わし合ってから二時間近く。ひとまずの授業を終えて、学院は大休止に入っていた。

 この時代には時代の変化や環境の変化など色々な影響から学校教育も大きく変化しており、小学校以外は大学の講義の様に長めの授業時間と少し長めの休憩時間が取られていたのである。無論、その分一日に出来る授業の数は減るが一つの授業における理解度は深められる。専門性を高めた授業が出来るのであった。

 というわけで、一限目の終了後。アリシアはノブレス・オブリージュとしてアクアに話しかける事にした。


「オーシャンさん」

「アクアで良いですよ。そのかわり、アリシアって呼んで良いですか?」

「……ええ、そうね。せっかく学友になれたのだもの。名字で呼び合うのもおかしな話ね」


 アクアの求めに応ずる形で、一瞬だけ考えたアリシアも頷いて同意する。というわけで、アリシアはアクアへと改めて問いかける事にした。


「アクアさんはかなり勉強が出来ていた様子だけど……一体どうやって学んでいたの?」

「勉強……ですか? 勉強は一応、家庭教師の先生が居ましたので……彼から」

「在宅で、というわけ?」

「はい……病気がありましたから」


 特に気にする事でもない、とばかりにアクアはアリシアの問いかけに笑いながら頷いた。と、そんな気軽な様子にアリシアはこれは聞いても良いのだろう、と判断してその病気とやらを問いかけてみる事にした。


「そういえば、転院してきたのも病気が安定したから、と言ってたわね。一体なんの病気だったの?」

魔力過多症まりょくかたしょうです」

魔力過多症まりょくかたしょう!?」


 アクアの返答に泡を食ったのは他ならぬアリシアの側だ。魔力過多症まりょくかたしょう。それは読んで字の如くだ。現代の学術によると、人が保有できる魔力には限度があるとされている。この症状に見舞われた者はその保有する魔力が限度付近にあるか超えてしまい、身体に変調を来すのである。

 それは大抵生まれながらにして発病するもので、そして原因が魔力が多すぎるというだけなので医師ではどうしようもない。魔力の放出にも限度があり、しかしそれ以外に対処の仕様が無いからだ。

 結果、大抵の場合は変調に耐えきれず若くして死んでしまうのが常だった。アリシアもその症例に見舞われながら同年齢まで生きている人物を初めて見たほどであった。


「え、えっと……大丈夫……なの?」

「はい、この通りピンピンしてます」


 若干の不安さを滲ませるアリシアに対して、アクアはニコニコと笑顔で力こぶを作ってみせる。なお、力こぶは一切無い。どこまでも見た目は非力な少女なのであった。


「そ、そう……と、とりあえず、よ、良かったわ」


 とりあえずは元気そうだし、無理をしている様子は無い。が、いくらお嬢様として何枚も猫を被り仮面を身に着けたぬきや狐の様に化けまくるアリシアでさえ、心の底からこれで良いのだろうか、と素直に引きつった笑みで同意するしかなかった。


「え、えーっと……一応聞いておくのだけど……まさか夜中にわおーん、なんて吠えたりはしない……わよね?」

「狼男さんですか? 私は女なので……変身は出来ません」

「あ、そう」


 確かに冗談は冗談なのであるが、ど天然が故にか気付かれなかったらしい。アリシアは目を瞬かせて頷くしかなかった。

 そんな彼女が何を危惧していたかというと、魔力過多症まりょくかたしょうに陥った者の末路の一つ。魔物化と呼ばれる状態だ。

 魔力の影響で肉体が変質し、理性さえ失った化物となってしまうのである。魔力によって生まれた怪物。略して魔物というわけであった。

 幸か不幸か人は環境の激変に耐えれる超常の力を手に入れたわけであるが、その結果力に耐えられず魔物化してしまう生物が散見されてしまっていた。総じて理性を失っているが為、人類の敵として認識されていたのである。


「あ、違う違う……えっと、そうじゃなくて。脱線してしまったわね。アクアさん。貴方、運動は出来るの?」

「あ、はい。大丈夫です。お医者様からきちんと許可も頂いています。魔術の講義も受けて大丈夫、と言われています」


 どうやらアリシアは体育の授業に参加出来るか否かという所を心配していたらしい。アクアも思い出してみれば、確か今日の授業の中に体育が入っていた。病気だったというのなら、確かに気にするべきだろう。それに、アリシアも笑顔で頷いた。


「そう。それなら安心ね。体育の用意は勿論?」

「はい、大丈夫です」

「良し。じゃあ、昼休憩でお昼を食べたら、更衣室に案内するわね」

「はい」


 アリシアの言葉にアクアは素直に頷いて、少しだけどんな授業なのだろうかと心躍らせる。やはり彼女にとって学校は初めてだ。色々と楽しみな事が多いのだろう。そうして、そんな会話をしながら少女らは休み時間を過ごす事にするのだった。

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