第2話 入学

 国立アトラス学院。創立はおよそ今より二百年前。かつて世界の為に戦った七人の英雄達が作った、滅びに瀕した世界を支えるための学院だ。

 由来はギリシア神話の神アトラス。天を支える神だ。それの如く世界を支える人材を、という意味である。そこに、アクアは入学する事になっていた。

 上流階級の子女達も多く通う学院だ。世話役同伴は別段珍しいことではなかった。が、それでも学院の学院長を筆頭にお偉方が勢ぞろいして出迎えるのは、珍しいと言えた。


「いやぁ、喜ばしい限りです。まさかかのオーシャン・リカバリー社のご令嬢が当院にご入学下さるとは」

「学院長……お出迎え有難うございます」

「いえいえ。アクア様のお父上にはこの学院は多大な恩が御座います。そのご息女がいらっしゃるというのであれば、学院を上げて出迎えるのが筋というものでしょう。いやはや、まさか世界最高かつ世界で最も徳の高い企業の社長にわが校の理念をご理解いただけているとは……有り難い限りです」


 アクアの感謝に対して、学院長は満面の笑みかつ揉手して頭を下げる。時代が変わっても、何をするにしても金が掛かるのは変わらない。

 アクアの父が経営する企業はアクアの入学に際して多大な寄付をしたらしい。それ故、学院側も勢揃いで彼女を出迎えていたのであった。


「学院長。ご存知の通り、お嬢様はあまりお身体が丈夫ではございません。昨今暖かくなり始めたとはいえ、あまりご無理は……」


 長々とアクアの父に対する賛辞を述べそうになった学院長に対して、カインは言外に制止を掛ける。それに、学院長も慌てて同意した。


「お、おぉ、そうですな。これは失礼を致しました。貴方がアクア嬢の世話役の?」

「はい。旦那様よりアクア様の世話役を仰せつかっております。旦那様の秘書を務める弟より私とお嬢様の事は?」

「伺っております。貴殿の為にもきちんと一室設けさせて頂いております。支度にはそちらをお使い下さい」

「ありがとうございます」

「いやいや。他の生徒の手前もあり、受けた恩に対してこの程度しか出来ぬ事が心苦しい限りですよ。ささ、どうぞこちらへ」


 どうやら、学院長が直々に案内してくれるらしい。そうして大名行列の様に教師達を引き連れて、二人は学院長室へと案内される。そこは広大な敷地を誇る学院中央の建物で、教務棟と言われているらしい。教師達の個室もここにあるとの事であった。


「では、改めまして……ようこそおいで下さいました。当院はアクア嬢の入学を快く受け入れさせて頂きます」

「有難うございます。旦那様も学院長の手厚い歓迎にはお喜びくださるでしょう」

「ははは。いやいや、私は学院を率いる者として当然の事をしているまでの事です」


 学院長は内心のガッツポーズをおくびも見せず、カインの言葉に笑って謙遜を示す。と、暫くの社交辞令の後、学院長は1人の女性を紹介する。


「おぉ、あまり長々とお話ししても明日からの準備に差し障りますな。重要な事をいくつかご説明させて頂きます。まず、カシワギくん」

「はい、学院長」


 学院長の言葉を受けて進み出たのは若い女教師だ。年齢は二十代中頃。見た目としてはかなり良い。スタイルも整っていて、モデルでも通用しそうだ。顔立ちは明るく花があるが、今は真面目な場だからか真剣そうだった。


「ミリアリア・カシワギ。当院きっての秀才で、数年前には当院を首席で卒業したほどの才女です」

「そんな、学院長。持ち上げすぎですよ」

「ははは。謙遜はよしたまえ。君の才能は当院の誇りの一つで間違いない。例の薬の開発も彼女が主導しております。まさに、当校の誇りですよ」


 ミリアリアの謙遜に学院長は笑いながら彼女の偉業を称賛する。そんな二人の一方、カインは彼女がアクアの担任だと理解していた。そんな二人に、学院長がはっきりと明言する。


「おぉ、失礼しました。彼女がアクア嬢の担任となります。カイン殿、何か学院で困ったことがありましたら、是非とも彼女とご相談を。最大限取り計らう様、尽力させて頂く事をお約束致します」

「ありがとうございます」

「ええ……では、後のことはカシワギくん。君に任せる。お二人を部屋にご案内して差し上げなさい」

「わかりました……こちらです」


 どうやらここからはミリアリアが案内を引き継ぐらしい。そしてそれに合わせて、大名行列も終わりらしかった。というわけで、その道中。ミリアリアが苦笑気味に謝罪した。


「ごめんね。アクアさん、だっけ? オーシャンさんの方が良い?」

「あ、アクアで大丈夫です……それで何の謝罪ですか?」

「え、いや、あの……大名行列?」

「あれは普通じゃないんですか?」


 ミリアリアの発言にアクアはきょとんと目を丸くする。それに、ミリアリアは一瞬呆気にとられた。が、すぐに思い直したらしい。


「あ、そっか。オーシャン社のご令嬢だもんね。そういう事もあるか」

「はぁ……」


 何が何だか分からないが、ミリアリアは勝手に納得していたらしい。それならそれで良いか、とアクアも頷いていた。世界的な大企業なので、お付きも本来は大量に居るだろう、と思ったらしい。

 と、そうして暫く学院内を歩いていると、一つの建物にたどり着いた。そこは非常に綺麗で清潔感のある近未来的な建物だった。

 と、そんな建物の入り口には一人の女性が立っていた。柔和そうで、優しそうな人だった。敢えて言えば包容力のある、というところだろう。年齢はわからないが、非常に若そうではあった。


「ここが、アクアさんの寮になります……寮監。連絡は入っていたと思いますが、今日からここに住む事になる二人です」

「伺っています。私がこの寮の寮監で、エアルと申します」

「有難うございます。今日からお世話になるアクアです」


 見た目通りの柔らかな声のエアルに対して、アクアが頭を下げる。大企業の令嬢だろうとここでは寮生。彼女の指示に従うのが筋だった。それにエアルが微笑んで頷き、ミリアリアを見た。


「はい……それで、ミリアちゃん」

「ミリアちゃんはここではやめてくれないかなー」

「あらあら……駄目かしら。何時もの呼び方なんだけど」

「駄目というか……私が院長に睨まれるのよ」


 どうやら二人は古くからの知り合いらしい。同じ学院に勤める者とは考えられないほどに親しげだった。後に聞けば、初等部時代からの同期らしい。十年以上の付き合いだそうだ。


「まー、良いわ。とりあえず兎にも角にも部屋に案内してあげないと」

「それもそうね……じゃあ、付いて来てね。まぁ、わからなくなっても最上階だからわかるだろうけど」

「有難うございます」


 エアルの言葉にカインが頭を下げる。というのも、実はこの最上階を指定したのは彼らの側だった。その依頼通りに動いてくれたので、というわけだろう。


「にしても……凄いわねぇ。流石は世界最大の海洋再生企業。世界でも数少ない聖地ラグナでその活動を認められている法人、というところなのかしら」

「有難うございます」


 道中のエアルの言葉に、カインが再度頭を下げる。アクアの父が経営しているという企業は大企業と言って間違いないだろう。この学院にも何人かその幹部の子女が通っている。幹部で名門校に通えるぐらいには大企業と言って良い。

 その活動であるが簡単に言えば二つの世界大戦で荒れ果てた海を再生させ、その最中で得られた旧文明の遺産をリバース・エンジニアリングして世の中に貢献する、というところだ。また、それと共に海の保全活動も行っていた。

 となると必然として海に信仰を見出しているラグナ教団はその活動に理解を示して積極的に支援してくれていたし、政治的にも後押ししてくれていた。それを言っての言葉だった。が、これには別の意味もあった。


「まさかこんな建物を一つぽん、って学院に寄付してくれるなんて……ねぇ。私もびっくりしちゃった」

「あ、あははは……」

「やれやれ……お父様の過保護にも困ったものです」

「それだけお嬢様が心配なのです。旦那様のお心をご理解なさってくださいませ」


 エアルの言葉に苦笑しか浮かべられなかったミリアリアと、どこか呆れた様にため息を吐いたアクア。そんなアクアに対してカインが頭を下げて諫言する。

 とまぁ、そういうわけだそうだ。この寮はそもそもアクアの為に新たに作られた寮らしい。新たに設備のきちんとした寮を作り、病弱な娘をそこに入れたい。そのかわり、娘が卒業した後は自由にしてくれ。そんな感じのやり取りがあったらしい。

 寮一つに備品の山、他にもいくつかの施設は修繕されていたらしい。学院長が直々に出迎えに来ないわけがなかった。


「わかっています……でも、やり過ぎだと思うんです」

「……まぁ」


 アクアの苦言にカインも少しだけ苦い笑いを浮かべながら頷いた。どうやら、彼も立場上苦言を呈せないだけで思ってはいるらしい。

 と、そんな会話をしながら歩く事しばらく。一同はエレベーターに乗って最上階へたどり着いた。というより、最上階全部がアクアの為の部屋だった。


「ここが、アクアさんのお部屋です」

「ここが……」

「はい、これマニュアルです。一応寮だから門限とかもあるし、食事が必要な場合は申請が必要なの。そういう基本的な事も記されているから、絶対に読んでね?」

「あ、はい」


 アクアはエアルから受け取った本へと一度目を落とす。一応寮に応じて――勿論ここ以外にも寮はある――それぞれ独自の規則もあるらしく、これはこの『青の旅籠』という寮のマニュアルらしい。

 今年出来た寮なので規則はまだ基本的な物だけらしいが、それでも基本的な物は守らないと駄目だろう。というわけで、アクアは今日中に暗記する事を決める。その一方、カインはエアルとミリアリアの二人に対して頭を下げていた。


「ここまでのご案内、有難うございます。後は、こちらで。お嬢様も長旅の疲れがございます。本日の夕食等の手配はこちらで行いますので、ご心配なさらず」

「はい。じゃあ、もし困った事があったら言ってください。内線には私の部屋へ直接繋がるアドレスもありますから」

「有難うございます」

「じゃあ、アクアさん。また明日」

「はい、また明日」


 エアルとカインが世話役としての会話を交わし、その一方でアクアとミリアリアが教師と生徒という立場での会話を交わす。そうしてそれを最後にミリアリアとエアルが出ていって、部屋には二人だけとなった。


「さて……では、お嬢様。まずはそのソファに腰掛け、しばらくお待ち下さい。手早く作業を終えてしまいますので……」

「はい」


 部屋のリビングに当たる場所の中央にあったソファに腰掛けたアクアに対して、カインは部屋の中心に立つ。そうして、彼は少しだけ深呼吸して意識を集中させた。

 すると、どういうわけか彼の周囲に蒼い光が漂い始める。が、どうやら別に可怪しい事ではないらしい。アクアも別に驚くでもなく、ただカインの作業を見守っていた。


「……」

「……」


 暫くの間、蒼い光を漂わせたカインは集中して何かを行い、アクアはそれを柔和な顔で見守っていた。そうして、少し。カインが目を開くと共に、漂っていた蒼い光が消失した。


「何もございませんね」

「カイン。それなら別に口調、戻して良いですよ」

「……そうだな。魔術的・科学的な盗聴は一切なし。問題はない」

「これで、自由に話せますね」

「まぁ、そうといえばそうなんだがな」


 アクアの指摘を受けたカインが口調を変え、内向きのものに変える。キスしたりしていたのでわかりきった話ではあったが、二人は主従であると同時に恋人と言って良い仲でもある。

 それで従者としての口調を、というのは少し可怪しいだろう。なのでここでは二人だけだし私人として振る舞ってくれ、という事だった。


「とはいえ……魔術的には一度アクア様がしてくれると助かる。どうしてもこちらに掛けてはオレよりアクア様の方が数段上だからな」

「あ、それならもう終わりましたよ。大丈夫、ここは何も無いです。あっても消します」

「……オレ、やる意味あったのか?」


 先程までとは違い、カインはどこか苦笑する様にアクアの言葉に問いかける。魔術。実は現在の地球ではかつてはファンタジーの産物でしかなかった魔術や魔法と呼ばれる物が見つかっていた。

 かつての核戦争で荒れ果てた地球に対応する為、人類は進化を迫られた。その進化の一つが、この魔術だった。ラグナ教が今日世界的になったのも、開祖アルマがこの魔術を一番最初に発見し、独占する事なく世に広めたからだ。

 魔素マナと呼ばれる科学では捉えられない物質を使い、超常の現象を引き起こす。これを今を生きる地球人達は総じて『魔術』と呼んでいた。


「にしても……少し気を使いすぎです」

「そういうけどな……アクア様は外を知らないだろう? スラムが無いのは日本列島とグレートブリテン島だけなんだ。そこらを考えてもし万が一を考えると、下手に普通を望むよりこれの方が良いんだ」

「むぅ……まぁ、外の事は貴方の方が良く知ってるんでしょうけど……」


 絶対にやり過ぎだ。アクアは華美でも豪華でもないものの寮のワンフロアを全て使った己の寮室を見て、そうため息を吐く。

 デザイナーか依頼人の考えからか、基本的にはシックに統一されている。お嬢様の部屋というよりセンスのある若者の部屋と言った方が良い。落ち着きもある。

 が、やはり大きい。今後はここで二人で暮らすのだが、それでも明らかに大きかった。二人ならこの半分でも十分過ぎるだろう。


「それはともかくとして、だ。とりあえず規則に目を通しておいた方が良いな。下手に門限を過ぎて出歩いているのを見られると面倒だ」

「それもそうですね。じゃあ、一緒に見ましょう」

「ああ」


 この場には二人しか居ないし、今日はもう休むとエアルには伝えてある。そしてエスカレーターは基本その階の住人か、寮監のエアルの持つマスターキーがなければそのフロアには止まらない仕組みだ。

 なので今日はもう誰かが来る事もないだろう。というわけでカインが立ち上がろうとしたところに、逆にアクアがその膝の上に腰掛けた。


「……どうした?」

「えへへ……駄目ですか?」

「やれやれ……まぁ、時間の節約にはなるか」


 どうやら、アクアの事に関してはカインはほとほと甘いらしい。嬉しそうに問いかける彼女に、カインは若干ため息混じりに了承を示す。そうして、二人はしばらくイチャイチャしながらこの寮のマニュアルを記憶する事にするのだった。

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