第十九頁

 ★


 フィルム1は今日は閉館日だそうだ。

「相変わらずいい椅子だね」

「でしょ。これも、お父さんの特注なんだってさ」

 歩はそわそわする様子もなくオレを迎え入れた。

「松岡さんが高坂さんが明るくなってたって言ってたよ。終わったんだね」

 松岡と歩はいつの間にか仲良くなっていたらしい。

「そっか」

「僕にも教えてくれるのかい」

「もちろん。依頼人には報告する義務がある」

「では、お願いするよ」

 オレは音楽室で明らかにした事実を歩に伝えた。歩と一緒に鉢田が襲われたという住宅街を見に行けたことが大きな証拠になったことも。そして、もちろん、高坂の件もすべてだ。

「あとは、これが問題の日記の写真。おじさんに追加されたページだけ写真を撮っておいてもらったんだ」

 これは、日記に細工をすると言って事務所で日記を預からせてもらったあの時に撮らせてもらったものだった。歩は現像されたそれらの日記を隅々まで読んでいった。

「これはまた執念というか―――もはや怨念めいたものまで感じるね」

「うん。手が込みすぎていると言えばばそうだけど、それだけ鉢田さんは吹田さんを想っていたと言えばそういうことになるのかもね」

「うん。とはいえ、これは明らかにやりすぎだ。吹田さんでなくても、友人に仇討ちまがいにこんなことをされるのを喜ぶ人はいないと思うよ。あとさ」

 歩はそこで言葉を切る。

「ん」

「当然のこと聞いちゃうのも失礼なんだけど、これのこと夏目くんは気が付いていて黙っていたんでしょ?」そう言って歩は日記を指さす。

「さすがだなぁ。もちろんそれを指摘すれば騒ぎはもっと大きくなる。だから、今回は伏せたままにしたよ。でないと、吹田さんにはいつになっても平穏が訪れない」

 歩が目敏く気付いたのは犯人である鉢田が日記に施した仕掛けだった。ただでさえ気味の悪い内容が書かれた日記は、その行頭の頭文字を繋いでいくことでより一層、悪意に満ち、これでもかと言うほどに呪詛を孕んだものになる。おじさんとも相談をして今回は伏せたままにすることになったのだった。

「そっか。心遣いに感謝だよ」

 しかし、ここでオレは歩に一つ重要なことを聞かなければいけなかった。

「歩は勘づいていたんじゃないの? 鉢田さんが自作自演で騒ぎを起こしていたこと」

 これは歩がオレに依頼をしてきた時から暫くして、歩が吹田葵に対する思いを改めて吐露した際に感じたものだった。自分たちを似た者同士と言った彼の思惑はここだったのではないだろうかと思っていたのだ。歩はしばらく黙っていた。その横顔が何を考えているのかはまったく分からなかった。すると不意に歩は手を打ち鳴らした。映画も流れていない劇場に一人分の拍手がこだまする。

「やっぱり、夏目くんには敵わないね。でも、僕にはそれを公表する力も勇気もそして、確証に至る決定打もなかったんだ。そしてなにより―――」オレはその次を知っている。

「吹田さんがあんなことをしても喜ばないし、余計に学校に戻りにくくなるって思ったんでしょ? もし自分だったらそうだから」

「大正解。正直、誰がやっているのかは分からなかった。とはいえ、鉢田さんが怪しいとは思っていたんだ。日記がだめになっても唯一損をしない人だったからね。知っているかい? なんたって、鉢田さんは来月転校する。でも、あんなことをしたら吹田さんは余計に学校に戻りたくなくなる。何せ、そこには鉢田さんはいないし、禍根だけが残るからね。僕や彼女みたいなタイプは存在感を感じられてしまった途端に過ごしにくくなるんだよ。難しいし、面倒でしょ? だから、学校にいない間、自分のことが話題に上るなって論外さ。そんな環境には戻りたくなんてないんだ。だから、忘れた頃にひょこっと戻るくらいの再開が一番性に合ってる。だから、正義感なんだか、女の友情なんだか、僕には理解ができないけどお呼びじゃないんだよね。だから、一刻も早くことを明らかにしてあんな暴挙を止めたかったんだ。でも、高坂さんが協力者だったとは驚いたなぁ」

「吹田さんっていろんな人に好かれてるんだなって今回の依頼を通して本当に思ったよ」

「そうだね。彼女はそれだけ魅力的だ」

 なんだか歩は誇らしそうだった。

 誰かを大切にしたい思いが交錯した結果、それを本人が喜ぶかというのはまた別の話である。

「オレの報告はここまで。日記の件はこれでなくなるし、歩が望んだとおりにこれから吹田さんは徐々に話題には上がらなくなっていくんじゃないかな」

「あ、一つだけ聞かせてよ」

「ん、なんのこと?」

「僕が吹田さんにフラれた時の話をしたときに、どうして『同族嫌悪なんかじゃない』って言いきれたんだい?」

「あ、あれは吹田さんが歩みたいに良いやつなら、そんなことを理由に人を拒絶したりしないんじゃないかなって思ったからだよ」

 歩はぷっと噴き出す。そして、「なんて、非論理的なんだろうか!」と両手を高い劇場の天井にあげた。

「でもね、ありがとう。実は、あの言葉に勇気をもらったんだ」

 そして、歩は次の瞬間、驚くべきことを口にした。

「実はさ、吹田さんと会ったんだ。待夢で」

「え」

「ほら、篤夫さんがよく行くって言ってただろう? だから、調査の状況を聞いてみようと思って行ったんだ。そしたら偶然。彼女がいてね。気が付いたのは吹田さんの方が早かったけどね。あっちから近づいてきてくれたんだ。意外だろ?」

「うん。普通なら知らない振りしちゃうと思う」

「『あら、関谷くん、こんなところで珍しいね』だって。不登校になっている生徒とは思えないよね。でも、それが彼女の魅力なんだ。そして僕たちは例のソファで少し話したんだ。そこで言われたんだけどさ、『告白はうれしかったの。でも、人生は長いでしょ。今は関谷君が一番だけど、これから先、関谷君以上の男子が現れたらと思ったら怖くなっちゃった』って。どこまでも意外性しかなさすぎるだろ?」

「それはつまり、現時点では両思いだってこと?」

「そういうことでいいよね? だから、もし『その時』が来たら『その時』に考えてくれたらいいよって言ったんだ」

「そしたら」

「『うん』って」

「それはおめでとうでいいの?」

「たぶんね。ありがとう」

 歩は名前に負けることなく無事一歩前進信したようだった。そして、驚くことにこの調査を通じて、オレにも少し変化があったことを歩には話しておきたかった。

「あのさ」

「ん」

「こんな話、おじさんには聞きにくくて歩ならと思ったんだけど」

「うん」

「松岡さんいるじゃん」

「いるね」

「歩はどんな話してるの?」

「どうしたんだい急に」歩はまた噴き出した。失礼極まりないやつだ。

「ごめんごめん。そうだなぁ、好きな音楽とか漫画とか―――そんな大したことないことを話した気がするけど。もしかして夏目くん―――」

「なんだよ」

「松岡さんのこと好きなの?」

「え」オレは呆気にとられてしまった。

「僕が松岡さんと話してるのが気になるんでしょ?」

「まぁ、そんなとこ。時々ね」確かにそれは否定できない。松岡を問い詰めてしまってからオレは話ができていない。歩がオレとのことを何か話していないかを気にしていたのも事実だった。とはいえ、それよりも前から気になっていたのもまた、事実なんだが。

「ふとした時に松岡さんが何してるかなとか思ったりする?」

「それも、時々なら」思い当たる節はいくらでもあった。

「それを好きっていうんだよ、夏目くん。探偵として一つ知識が増えたね!」

 そう言って立ち上がるとオレの手を取った。オレはまだぽかんとしてしまった。

 高坂に誘われたカラオケの帰りに声を掛けてきた松岡、調査の進捗をことあるごとに聞いてきた松岡、「あんた、すごいんだね」と笑った松岡、階段の踊り場で寂しそうな顔をした松岡。有体に言えば、いつの間にか心を奪われてしまっていたということなんだろうか。

「オレ、どうしたらいいかな?」

「そのままその気持ちを楽しんだらいいと思うよ」歩は飄々と答える。「相手に想いを伝えるだけが恋じゃないって僕は学んだところだしね。まぁ、それもそれでありなんだけどさ。参考にしておくれよ」

 明日こそは松岡に声を掛けようと思えた。ちゃんと謝らないといけない。結果的に高坂亜子と松岡は切れていた。あの絶交は本物で、二人が内通して事件を誘導していたというのはオレの想像力の行き過ぎでしかなかったのだ。

「わかった、歩が言うならそうする」

 この松岡への感情に加えて、オレは歩に対しても今まで同級生に対して抱いていたのとは違う感情が芽生えていたことを感じていた。頭に浮かんだのは的確でありきたりな言葉だった。

「友達か」

「なんのこと?」

「いや、歩はオレの友達でいい?」

「なんだ、そんなことわざわざ言わないでよ。僕らは既に友達だ。恋バナもしたしね」

 歩は憚らずにこういう表現ができる。オレはなんだかそれが嬉しかった。

「今度、映画見にきていい?」

「ダブルデートかい?」

「なんでそうなるんだよ!」

「冗談さ。もちろん一人でも見に来てよ。ほら、夏休みは新しい映画もたくさんやるし!うちの父さん、気合が入ってるんだ。その時は二人でポップコーン食べよう」

 女子も男子も本当に不可解な生き物だ。でも、その不可解さが魅力なのかもしれない。

 オレは久々に満たされた気持ちで心地よい椅子に体を預けて目を閉じた。

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ペルセポネの日記 そらりす @sorarisx

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