第十八頁

 沈黙。それを破るのは決まって探偵の役である。

「基本的には今迄、聞き込みをさせてもらった時と、久遠 花蓮から日記が差し込まれた度に日記を見せてもらっていたよね。都度、印を確認させてもらうと鉢田さんが書いた次の日に必ず印が消えていた。つまり、そこから考えられる方法はたった一つで日記が別のものになっていたってことなんだよ」

「でも、今までのあたしたちの日記はどうしたっていうのよ。そのまま残っていたじゃない」

 珠依が当然浮上するであろう疑問を呈す。しかし、これはおじさんの調査によって明らかになっている。

「みんなの筆跡を真似て日記をすべて書き直していたんだよね。そして、その時に久遠 花蓮からとしてあの日記を書き足していた。まさか、ノート一冊書き直してるなんて想像もできないよね。だからこそ、その先入観で誰にもばれなかった。鉢田さんが例のノートを毎回大量に購入していたことは店主のおじさんから確認が取れている」

「何それ……そこまで手の込んだことをして朋子は何がしたかったのよ」

 燕がもう困惑を隠す様子もなく声を漏らした。

「鉢田さんは吹田さんを学校に戻したかったんだよね。その為に、珠依さんを懲らしめたかった」

「あらあら、もうそこまで分かってしまっていたですね。葵は私の大切なお友達なんです。もちろん、晴ちゃんだってそうだった。でも、今回のことだけはどうしても許せなかったの。そこで当初は私たちのグループ4人でやる予定だったこの交換日記を使って葵と同じ気持ちを晴れちゃんにも知ってもらいたいと思ったの。そうすれば、自分が何をしてしまったかに気づいてもらえると思って。でも―――」

「珠依さんは気付くどころかまた誰かを証拠もなく貶めるようなことを始めた」

「高坂さんたちへのバッシングだね」

「ええ」と鉢田は目を伏せた。本当に心を痛めているようにも見えた。

「だから、私は晴ちゃんを徹底的に追い詰めることに決めたの」

「なによそれ……」珠依は鉢田を直視することができていない。

「どう? 葵の痛みは分かった? いわれのない咎で学校に来ることができないくらい心をぐしゃぐしゃにされてあの子の痛みが。葵は別に亜子ちゃんと内通をしているわけでもないし、晴ちゃん自身が亜子ちゃんに比べて人望がなかった。客観的に見ればそれだけの話じゃない。少しでも反省してもらえれば、葵を学校へ呼び戻す時の手土産にでもすることができるかと思ったんだけどね。あなたは他人の痛みに鈍感で、目も当てられないくらい高慢だった。だからこそ、自分の痛みで知ってもらおうと思ったの。でも、残念ながら私がこうやって直接伝えないと分からなかったみたいね」

「朋子、あんたそれ、本気で言ってるの」燕が震える唇で鉢田に言った。

「ええ。全部、本当の話。全部、私がこの子を懲らしめるためにやったの」

 おっと、そこはオレが口を挟まなくてはいけない。鉢田は嘘をついている。探偵としては真実を明らかにしなければいけない。

「ちょっと待った。オレは全部を鉢田さん一人がやったなんて一言も言っていないんだけど」

「何を言ってるのかしら。全部、私が一人でやったの。探偵さん、証拠もなくそんなことを言うのは止めて頂きたいわ」

「証拠はあるんだ。美術館だよ」

「急に何の話をし出すの?今回の件とは全く関係ないじゃないの」

「それが関係大ありなんだ。まぁ、最後まで聞いてよ。オレの助手は調査に息詰まると美術館に行くのが癖なんだ。それで、ここ数か月、不思議な女子がいるって言っててさ。その子は絵を見ていないんだ。吹き抜けになった中庭を見ているだけ。それで、もしかすると思って、ある人の写真を見せたらドンピシャ。その人は待っていたんだ。部活を休んで日記を届けに来る鉢田さんをね。中庭ってガラス越しなんだけどさ、反射した自分の背中側の様子も見えるんだよね。密会するにはぴったりなわけだ。そうだよね、高坂さん。そんなところで盗み聞ぎするようなことしないで出てきたらいいのに。残念ながら、鏡に映ってるんだ」

「え」、音楽室の後方、ベランダ寄りにある合唱部員が姿勢を確認するための姿見に高坂亜子が写っていた。三人の女子がオレの視線の先を見る。

 すると、ガラッと扉が開き、高坂亜子が現れた。美術館での密会と同じ方法で彼女がこの場にいることが分かってしまったのは完全に偶然だったが、なんだかなるべくしてそうなったような気もする。

「探偵くんは何でもお見通しなわけね」

「いや、そうでもないよ。高坂さんがまさか変装してまで美術館に現れるなんて最初は信じられなかった。でも、うちの助手は優秀でね。写真を見せたら100パーセント間違いないって言っていたよ。そして、しばらく遠巻きに見ていたら鉢田さんが合流して何やら話していたって。あれはコインロッカーのカギの受け渡しをしていたんでしょ? 美術館に先に到着した高坂さんはロッカーに複製した日記を預けると、鍵を後から来る鉢田さんに受け渡す。あそこのカギは館外に持ち出せないように防犯用のチップが埋め込まれているからね。どうしてもあそこで渡さないといけないんだ。そうして、少し打ち合わせをした後で高坂さんが先に美術館を出て鉢田さんが日記を回収して帰る。高坂さんはどうしても髪の色が目立つから、変装までしてね。葵さんにそっくりの変装をしてね」

 はぁ、と高坂は分かりやすくため息をついて「もういいの?」と鉢田に問う。「ええ」と頷く。

「わかった。そう、日記をすべて書き換えてたのは、ウチ。あんた達がウチらのことを好き放題言ってくれてたあの日記をね。部活やってる朋子には全部を書き換えるような時間はどうしても取れないしね。初めに朋子からこの話をされた時は正直、驚いた。そこまでするのかってね。でも、この子は昔から言い出したら聞かないし、ウチは協力することにしたの。葵が不登校になった理由はウチにもあるからね」

 そこまで言った高坂を見届けるようにして鉢田がため息を一つ吐くと話し出す。

「亜子ちゃんには本当に申し訳ないと思っているの。きっと協力してくれると思って頼んでしまったから。だから、自転車のパンクや下駄箱に動物の死骸を入れてもらうのもお願いしてしまった。ほんと、汚い仕事ばかりね。だからこそ、久遠花蓮からの日記だけは私が書いたの。あれだけは私がやらないと意味がなかったから。みのりちゃんも、ごめんなさい。あなたは悪くないのに巻き込む形になっちゃったことは本当に申し訳ないと思ってるの」

 急に話を振られた燕はパクパクと口を動かすだけで何も言えない。

「ちなみに、美術館に吹田さんが来ているっていう噂を流したのも鉢田さんだよね」

「それもお見通しなんだ」

「これはおじさんの成果なんだけど、連日あの美術館に張り付いてもらったけど吹田さんは現れなかったんだ。学校の同級生を寄せ付けないために流したんだよね」

「ええ、その通り。日記のやり取りは学校の人に見られるわけにはいかないもの」

「なによ、あんたち、寄って集ってあたしのことを……」珠依は隠された真実をすべてぶつけられて自分の周りが敵意に満ちていたことを噛みしめている様子だった。

「『吹田さんはそんなことで喜ばないよ』なんてことはオレからは言えない。分からないからね。だから、別にオレは誰かを責めたりするつもりもない。日記にまつわる今回の事件を解き明かすだけ。それも、ここまでで終わり。小説や映画の探偵みたいに諭したり導いたりはできないし、するつもりもない。受け入れがたくても、事実は変わらないし、どんなに逃げ出したくても人生はここでは終わらない。あとはみんなそれぞれ決めてほしい。調査協力ありがとう。報告はここまでだよ」

 そう言ってオレは踵を返して音楽室の出入り口に向かう。残された4人は何も言わなかった。言えなかったのかもしれない。残酷に見えるかもしれないけれど、オレにできるのはここまでだった。今後あそこの関係性がどのようになるかは火を見るよりも明らかではあるが、それはオレとは関係のない話だ。それよりも、本当の依頼人に報告をしなければいけなかった。

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