第十七頁

 ☆


 3人を事務所に迎えて話を聞いてからきっかり一週間。夏休みまであと1週間と迫っていた。オレは律義に昼休みになると音楽室に通い詰めて日記を確認した。

 予想をしていた通り、七月十二日以降、久遠花蓮による闖入はなく犯人は『細工』を非常に警戒しているようだった。ここまで来れば、ほとんど犯行の手口ははっきりした。おじさんのおかげで裏も取れているわけだから。調査報告とする。

「一週間、協力してくれてありがとう。大変な収穫だった」

 がらんとした音楽室。今日は吹奏楽部の顧問が市の教育学会に出席するために休みになっていた。オレの呼びかけで集められた女子三人は、ようやく真相を知ることができるのかとそわそわしている様子だった。

「もったいぶらないで、早く犯人を教えてよ」

 燕がやはり一番初めに急かしてくる。

「その前に、一つはっきりしておかなきゃいけないことがあるんだ」

「なによ」珠依も焦っているのだろうか、キッとオレを睨んでくる。

「吹田さんのことだよ」鉢田をはじめ3人の表情が凍り付いた。

「どうして今さら葵の名前が出てくるのよ。まさか、犯人が葵だとか言わないでしょうね?」

 珠依は苛立ちを完全に抑えられていない。

「とんでもない。吹田さんはこの件には全く関わっていないよ」

「じゃあなんで、葵の名前が出てくるのよ」燕もどこか焦りを感じさせるように早口になっている。当然、珠依が吹田葵に対して行った仕打ちを知っているが故なのだろう。

「それは、恐らく日記の犯人の目的は『告発』だったからだよ。珠依さん、キミの告発だよ」

「えっ」

「申し訳ないどけど、知らないとは言って欲しくないな。今年の4月に珠依さんと高坂亜子さんが激しく衝突したのはクラスでもたくさんの人が知っている。そして、問題なのはその後、珠依さんが吹田葵さんに対してどんな対応をしたかってこと」

 珠依の顔が怒りで真っ赤に染まっていく。

「みのり、朋子、あんた達、喋ったの?」

 珠依は否定をすることもなく、真っ先に2人を疑った。オレはなんだか悲しい気持ちになる。

「アタシは何も」燕は嘘を言っていない。

「じゃあ、朋子なの?」

「い、いや、私も何も。その、晴ちゃんと亜子ちゃんがぶつかったことは話したけど、それはクラスのみんなも知ってることだから」朋子の声は少し震えている。

「じゃあチクったのは誰なのよ!」

 叫ぶように言い放って珠依は防素材が張られた音楽室の天井を仰いだ。

「悪いけど、それは教えられない。でも、その事実を認めるってことでいいんだね。そして、その後から吹田さんは学校に来なくなった」

 スッと珠依の青白く血の気が引いた。感情が沸点に達したんだろう。

「なによ、あれは葵が悪いんじゃない。亜子と裏ではつるんで、アタシの前ではウチらのグループの一員の振りをして。あたしを元々小馬鹿にしてたのはあの子の方じゃない!だからそれを正直に伝えただけ。それが何、不登校になった途端、アタシが悪者なわけ?」

「オレは探偵だから、私情は挟まないよ。客観的に見れば、吹田さんの不登校の直接の原因を作ったのは珠依さんであるということ。これが、今回の日記事件の最大の重要事実だったってことなんだ。表立っては吹田さんは高坂さんグループとの衝突で不登校になっているんじゃないかという憶測が飛び交っている。でも、今回の犯人は『真実はそうではない』ということを珠依さん自身に突きつけたかったんだ。それが今回の犯行の目的さ」

「なにが、『犯行の目的さ』よ、気取るのも大概にしてよね。あたしに向けてこんな嫌がらせをしているのはいったい誰なわけ?そのために日記に細工をするのにも協力したっていうのに、吊し上げられるのはアタシって話が違くない?」

 鉢田と燕は黙ったまま喚き散らす珠依を見ていた。

「珠依さん、ごめん。でも、今回、日記事件の犯人を突き止める上では今オレが話したことは明らかにしておかなければいけなかったんだ。でないと―――」

「でないと、なんなのよ」

 珠依が詰め寄ってくる。頃合いだろう。

「でないと、鉢田さんが犯人だっていう話が通らなくなっちゃうから」

「え」

 珠依と燕が豆鉄砲を食らったような顔をした。鉢田は無言だ。

「どういうことなの? 朋子が日記に悪戯した犯人って。だって、朋子は襲われてるし、自転車だってパンクさせられてるし、被害者じゃないの! しかも、あの吹奏楽部の事故だって。朋子は晴を殺そうとしたってことなの?」

 燕は早口でオレをまくしたてる。その指摘はもっともである。

「燕さん、指摘はもっともだ。でも、オレがこれから話すことを聞いてからにしてもらえないかな。この一週間、毎日日記を見せてもらった。でも、犯人からの悪戯はなかった。そうだよね」

「ええ」燕は奥歯を噛みしめる様に答えた。

「つまり犯人はこの一週間を非常に警戒していた。もしかすると、犯行がばれてしまうのではないかと。でも、実を言うと日記に細工なんてしていないんだ」

「は?」珠依が明らかに苛立ちを声に出した。

「騙すようなことをして、ごめん。細工をすると言って犯人を警戒させることが今回の目的だったからね。もし犯人が細工をしたことを知りえる立場でなければこれまでのペースで今週も少なくとも一回は日記に差し込みがあったはずなんだ。でも、なかった。つまり、この細工の事実を知っている人間が犯人であるという最後の確証になったわけなんだ」

「ってことは、あたしたち3人が容疑者だったわってわけでしょ。だったらなんで朋子が犯人なのよ」燕の声がわずかに震えた。隣で何も言わずに床を見ている鉢田朋子が徐々に5分前までの彼女とは同じに見えなくなってきているのかもしれない。

「それは、それぞれに日記を見せてもらった時だよ。無断でやったことは謝るけど、メモを取りながら日記の方にも印を付けさせてもらったんだ」

「でたらめ言わないでよ、そんなもの無かったわ。あたしだって日記は確認してたんだから」珠依が鉢田を擁護するかのように声を上げる。

「いや、目には見えないんだ。これだよ」

 そう言ってオレはズボンの右ポケットから一本のペンを取り出す。

「なによそれ」

「ブラックライトに当てないと確認できない特殊なインクの入ったペンだよ。これを日記を見せてもらうたびに確認させてもらっていた。これ、ペンのお尻の所にブラックライトが内蔵されててさ、ここのボタンを押すとほんとに小さい灯りだけどインクを光らせることができるんだ。明るい時にやらせてもらったから、ほとんど肉眼では確認できないけどね」

「そんな―――卑怯じゃない!結局アタシたちを初めから疑っていたってことじゃない」

 燕がヒステリックに声を上げた。しかし、そこは否定をできない部分だから仕方がない。

「いつから私を疑っていたのかしら?」

 鉢田朋子がようやく口を開いた。落ち着き払ったその声は、この時が来ることをあらかじめ知っていたかのようだった。

「鉢田さんから住宅街で襲われた話を聞いた時だよ。あの時、鉢田さんは髪の長い女に追いかけられたと言っていた。きっと睨みつけるような表情で、とも。それで、現場を見に行ったんだ。でも、鉢田さんが追いかけられた位置関係だと、犯人の顔は逆光で見えないんだよ。表情はおろか、あの時間帯だったら男女の区別も難しい。でも、鉢田さんはしっかりと女である、睨むような狂ったような目つきだったと証言していた。そんなおかしいことはないよね。それで、自作自演だったんじゃないかと思ったんだ。自転車のパンクだって、ネズミの死骸だってそう。自分が被害者になることで、日記に書かれることは実現していくということを周囲に意識させたかった。そうすれば、最後のあの日記は一番大きな効果を得るからね。でも、吹奏楽部で起きたあの事故は本当に偶然だったんだよね。それは、当事者である珠依さんが一番よく知ってると思うけど」

 オレから目を逸らした珠依はその事実を認めたようだった。差し詰め全部を日記のせいにして犯人を罵ろうとでも思っていたのだろう。それに、ティンパニは相当高価な楽器だ。自分のミスで壊してしまったともなれば大変なことになるのもわかる。それも日記のせいにしてしまえばと思ったのかもしれない。

「ふふっ、本当に初手の初手でバレてしまっていたんだ」

 鉢田は何一つ動揺したそぶりも見せずに一連の行為を暗に認めた。それはまるで、某急行列車内で発生した殺人に加担したことが明るみに出た時の伯爵夫人の貫禄だった。当時事情聴取をした警察官も少女のヒステリックな訴えを疑うことがなかったのだろう。隠して彼女は悲劇のヒロインとなり、今回の計画により効果をもたらすことができると考えたのかもしれない。

「そして、日記の細工だよ。決まって鉢田さんの担当の次の日にインクの印が消えていたんだ。つまり―――」

「つまり」燕がオレの次ぐ言葉を促す。

「日記帖が鉢田さんによってすり替えられていたんだ」

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