プロローグ その2 カレとヤツと陰謀と

プロローグ その2 カレとヤツと陰謀と


 彼は想定外の事態に非常に混乱していた――。



 ここは地球から約3万5千キロメートル離れた静止衛星軌道上。彼はここで独り作業を行っていた。危険な場所ではあるが、デブリや宇宙塵などによる微小天体の衝突や太陽フレア等の宇宙線なら彼を覆っている10層にも及ぶ防護服が守ってくれる。万が一、損傷しても想定内の状況であり、対処の方法は幾らでもある。


 しかし、今回事情が違うのは明らかな人為的ジャミングと共に敵性物体からの攻撃を受けている事である。このまま何らかの有効な対処をしないと、自分自身がそのうち活動停に追い込まれてしまうと予見していた。とは言っても彼は死ぬわけではない。


 なぜなら、彼には命がないのだから――。


 彼は、アメリカの宇宙開発ベンチャー企業『スペース・ロボティクス』社が開発・運用している『ドール』と呼ばれる極限環境作業ロボットである。

 『ロボマックス』――それが、彼に与えられた名だ。外観はゴツい宇宙服を着た人間の様な姿をしている。だが、明らかに人間と違うと思わせるのはその全長が10メートル余りあるという事と、腕が4本付いている事である。


 ロボマックスは、地球の軌道エレベーターに設置されたステーションの専用コントロールセンターから衛星通信を介して操作されていた。

 今回の作業は静止衛星軌道を周回する気象観測衛星のメンテナンスを行う事になっていた。破損した気象観測衛星の太陽電池パネルを交換する作業だ。いつもと変わらない簡単な作業であるが、重要な業務だ。

 この程度の作業ならコントロールセンターの操作指示をいちいち受けなくてもロボマックス自身に搭載されている人工知能AIの判断で充分に対応できる。ロボマックスにとってはいつもの作業、いつもの日常だ。

 そこへ突然のジャミングと共に『ヤツ』はやって来た。


 最初は極限環境作業ロボットドール強奪を目的とする宇宙海賊の仕業かと思われた。奴ら宇宙海賊はジャミングによる電子攻撃で行動不能になった一瞬を突いて大型輸送船で急I襲、人力で極限環境作業ロボット《ドール》を解体し部品を強奪、輸送船に収容した後に急速離脱する荒っぽい手口が一般的だ。

 だが、ロボマックスは最新式の極限環境作業ロボットドールである。宇宙海賊に妨害される様な貧弱な無線コントロールシステムを使用していない。幾重にも電子攻撃に対するプロテクトが施されている。仮にコントロール不能に陥っても人工知能AIの自律稼働で対応できる。


 宇宙海賊相手なら手の打ち様は幾らでもある。ロボマックスには万が一に備え、救難ビーコン発振ドローンが内蔵されている。それをジャミング外まで射出し救援を待つ。管轄の連合警察、若しくは宇宙軍が到着するまでの数時間、宇宙海賊の攻撃を凌げればそれで良い。


 相手がセオリー通りに攻撃を仕掛けてくるのであれば、こちらは行動不能を装えば良い。相手は輸送船を近づけて来るはずだ。その僅かな隙を突いて相手輸送船の推進系をロボマックスの左右第二腕に装備されている格闘用装備、電磁拳エレクトリック・ナックルでダメージを与える。相手輸送船を航行不能にした所で、この宙域から急速離脱すれば良い。これで充分な時間は稼ぐことが出来る筈だ。


 だが、今回は事情がかなり違っていた。


 突然やって来た『ヤツ』は、ロボマックスの三倍――全長30メートル強―はあろうかという巨体を持ち、恐らくは全身に取り付けられていると思われる空間制御バーニアで縦横無尽にロボマックスの周囲を飛び回る。まるで宇宙船そのものがアクロバット飛行をしているかのようだ。

 『ヤツ』のジャミングがあまりにも強力の為か、ロボマックスの無線コントロールだけでなくセンサー類もほとんどが役に立たない。『ヤツ』の全体像をぼんやりと掴むのが精一杯だ。こんな状態では『ヤツ』の隙を突いての攻撃など、とても出来ない。


 『ヤツ』は自らが発しているとは言え、強力なジャミング内で自由に動き回る事が出来た。ということは『ヤツ』は遠隔操作ではなく、有人制御による宇宙船そのものなのだろうか。しかし、宇宙船にしては動きが機敏すぎるし、極限環境作業ロボットドールにしては大型過ぎる。そもそも、『ヤツ』自身のセンサーには影響が無いのであろうか。『ヤツ』は総てが規格外であった。


 今頃、ステーションのロボマックスのコントロールセンターでは突然のジャミングによるコントロール障害で大混乱に陥っている事だろう。もちろん、コントロールセンターを通して既に救援依頼は出されているだろうが、救援到着までの数時間は正体不明の『ヤツ』の攻撃を耐えねばならない。


 コントロール外に置かれた状況で未知の敵性物体と相対してロボマックスは非常に混乱していた。


 突然のジャミングによりコントロールを離れたロボマックスは自身に搭載された人工知能AIのみで正体不明の『ヤツ』と相対せざるを得なかった。とは言っても、敵性物体である『ヤツ』とは大きく劣っている点が少なくとも三点あった。


 一つは体格差。ロボマックスの三倍近くある『ヤツ』との体格差はそれだけで充分に脅威である。単純計算で質量は3の3乗、27倍以上の差がある。

 もう一点はジャミングによるセンサー類の障害である。ロボマックスには高性能レーダーから光学センサーに至るまで複数のセンサー類が搭載されている。その殆どが使い物にならない。当然、コントロールセンターからの支援情報も得られない。辛うじて光学センサーが使える程度だ。ロボマックスにとっては目隠しをして戦闘を強いられている様なものだ。


 そして最後の一点が決定的だ。戦闘経験の差である。元々、ロボマックスは宇宙開発を目的に開発された極限環境作業ロボットドールである。彼の人工知能AIには宇宙事故の想定された事例のデータベースと彼自身の経験が蓄積されている。それによりある程度の事故は自身で対処ができる。

 しかし、戦闘については全くの素人同然である。せいぜい宇宙海賊相手の時間稼ぎが関の山だ。無線コントロールが繋がっていれば、何らかの有効な対処指示があったかもしれない。しかし、ロボマックスは宇宙戦闘等が想定されていないのだから無理もない。


 ロボマックスは彼方より襲いかかる『ヤツ』に電磁拳エレクトリック・ナックル振るうが、その拳は虚しく虚空を舞うのみだった。


 『ヤツ』は巨体にもかかわらず、完全にその空間の支配者となっていた。全身に取り付けられていると思われ空間制御バーニアはその役目を充分に果たし、巨体の機動を見事にコントロールし、ロボマックスの周囲を飛び回る。そして巨体に取り付けられた建設重機を思わせる巨大なマニピュレーターを自在に操りヒット&アウェイでロボマックスを徐々に破壊していく。


 ロボマックスにとっては正に悪夢そのものであった。


 まず最初に破壊されたのはロボマックスのメインバーニアだった。『ヤツ』の巨大なマニピュレーターでバーニアをいきなり挟まれ、まるで蝋細工のように歪められ、瞬く間に間に割られてしまった。これでは満足に空間を移動する事など出来ない。こちらが宇宙海賊相手に行っていた「足止め」戦術をそのまま『ヤツ』にそっくり真似されてしまっているのだ。


 そして次に4本の腕を一本づつもぎ取られていった。彼も電磁拳エレクトリック・ナックルで反撃を試みるがその巨体にはほとんど効果がない。『ヤツ』の巨大なマニピュレーターでロボマックスの腕をもぎ取る様は正に人形の腕をもぎ取る様であった。


 移動手段を封じられ、唯一の武装である電撃拳エレクトリック・ナックルはもぎ取られ、彼はただひたすら相手の攻撃を耐えるのみだった。だが、それも時間の問題だった。今、正に『ヤツ』がロボマックスの胴体を巨大マニピュレーターでギリギリと締め上げているのだ。特殊アルミニウム合金とカーボンファイバーの複合フレームが軋み出したかと感じた瞬間、彼の体は真っ二つに切断されてしまった。


 『ヤツ』は一方的な破壊にも関わらず、戦いに勝利した戦士の雄叫びを上げるかの様なポーズをとった後に満足したのか、この宙域を後にした。


 後には宇宙を漂うデブリの一つとなったロボマックスの残骸だけが残った。会敵から僅か三十分余りの出来事だった。



 今からそう遠くない未来。宇宙時代を迎えた地球の彼方で起こった小さな出来事だった。しかし、これはこれから起こるであろう、大きな陰謀の始まりかも知れない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る