宇宙(ソラ)のヒトと地上の人と その1

宇宙(ソラ)のヒトと地上の人と その1


 漆黒の闇に浮かぶ青いグラス――。



 もし、誰かが地球を神の視点で眺めたとすれば、このように表現したのかも知れない。確かに透き通る様な真っ青な飲み物を注いだグラスに見えなくもない。よく見ると、その巨大なグラスに長いストローの様な物が二本刺さっている事が判る。軌道エレベーターだ。


 軌道エレベーターは計画発表から1世紀近くかけて太平洋側と大西洋側の赤道付近に一基づつ建造された。地上と宇宙を結ぶ総全長10万キロメートルにも及ぶ人類史上最大の人工建造物である。

 それぞれの軌道エレベーターは地上搬入搬出口アースポートである人工島の名称にちなんで、太平洋側を『ムー』、大西洋側を『アトランティス』と呼ばれている。


 地上から人や機材、大きな物では宇宙船や建設資材を積載したゴンドラが宇宙を目指して登って行き、宇宙からはチタン、ニッケル等のレメタルやヘリウム等の重要な宇宙資源を満載したゴンドラが地上を目指し降りて行く。成程、物資を宇宙へ吸い上げる様だけ見ていると巨大な神のストローに例えられるかも知れない。

 今や、その巨大な神のストローは人類にとって重要な宇宙への出入り口であった。


 広大なエレベーターの壁面には、様々な姿形をした保守用の極限環境作業ロボットドールが軌道エレベーター保守作業をしている様子が見て取れる。まるで地上の大きな農園で働くヒトの様に見える。


 極限環境作業ロボットドールは、その殆どが遠隔操縦で操作される。『ドール』という名称の由来は、「衛星軌道層の活動用装置」を意味するDevice for Activity of the Orbital Layerの頭文字の略称「DAOL」とも、「極限層の活動装置」を意味するDevice for Activity of the Absolute Layerの頭文字の略称「DAAL」が鈍ったものだとも言われている。一説では単純に人間が遠隔操作で操る様子が人形(Doll)に似ている為だとも言われているが、定かではない。現在では分かりやすく、人形を意味する「DOLL」」で表記が統一されている。


 極限環境作業ロボットドールは軌道エレベーターと共に発展していったと言っても過言ではない。元々は宇宙船の外部作業用マニピュレーターに端を発したと言われ、軌道エレベーターの建設を契機に発展していった。


 最初は宇宙船からの有線制御による操作の単純な船外作業ポッドであった。次第に有線制御式から無線制御式へと移り、人工知能AIの機能向上により、複雑な作業が可能となった。

 更に軌道エレベーター建造終了間近にエレベーターの利権を巡る紛争が勃発し、数多くの軍用ドールが開発され、実践投入された。その間、整備向上の為、規格は統一化され、部品の互換性が図られた。紛争は五年にも及び、勝者のないままに終結した。紛争中に熱核兵器が使用されなかったのは奇跡だと言っていいいだろう。紛争中で得られた技術は更に後発の極限環境作業ロボットドールへと還元され、更に発展していった。


 ある社会学者はこう言う。「軌道エレベーターは極限環境作業ロボットドールの揺り籠である」と。


 現在では極限環境作業ロボットドールは宇宙のみならず、陸、海、空と場所を選ばず様々な場所で様々な作業を行っている。宇宙時代の人類にとって、極限環境作業ロボットドールは、もはや単なる機械ではなく、かけがえのないパートナーとなっていた。


 軌道エレベータには低軌道、中軌道、高軌道に都市機能を持つステーションがあり、それぞれ架空の土地の名称が付けられている。『アトランティス』側は低軌道から順に『エデン』、『アルカディア』、『アヴァロン』と呼ばれ、『ムー』側は低軌道から順に『タカマガハラ』、『ザナドゥ』、『シャングリラ』と呼ばれている。


 その中の『ムー』側の地上400キロメートル上空の低軌道ステーション『タカマガハラ・ステーション』に目を落としてみる。ここは『エデン・ステーション』と並んで地上から最も近い宇宙の玄関口であり、様々な軌道周回宇宙船が発着する賑やかな宇宙港である。そのため、官民問わず様々な宇宙船ドックが存在する。また、低重力を活かした研究、工業生産の拠点であり、気軽に宇宙へ行くことの出来る観光スポットとしても有名で、全世界から多くの人々が集まる。正に宇宙都市と呼ぶに相応しく、一揃いの都市機能を備えている。


 賑やかな『タカマガハラ・ステーション』の宇宙船発着口から外れに目を移すと、一本の長いケーブルが軌道エレベーター『ムー』の民間ドックから宇宙空間へと伸びているのが見える。かなりの長さだ。10キロメートルはありそうだ。だが、そのケーブルの長さも長大な軌道エレベーターに比べると産毛程の長さもない。 そのケーブルの先を辿っていくと女性を思わせるシルエットが見える。宇宙遊泳をしている人であろうか? いや、やはりサイズが大きい。10メートル以上はある。間違いなく極限環境作業ロボットドールの一種だ。


 その極限環境作業ロボットドールは、かなり特徴的な姿をしていた。


『不釣り合いな程、大きなツインテールを持つ尻尾を生やした巨大な少女人形』


 そう形容するのが良いだろうか。そんな一風変わったシルエットを持つ極限環境作業ロボットドールだった。

 しかし、よく見るとツインテールに見えるソレは背中に装備された巨大なマニピュレーターであり、スカートに見える部分は空間制御バーニアの集合体だ。尻尾の様に見えるのは有線制御ケーブルだ。ケーブル絡まり防止の為に時折、尻尾の様に左右に振っている。無線制御式が主流の今時、有線制御式はかなり珍しい。しかも、外観が多種多様な極限環境作業ロボットドールではあるが、それでもその女性的なシルエットは一際異彩を放っていた。


 過酷な環境で作業する人々にとって、極限環境作業ロボットドールは頼れる心の拠り所であり、力の象徴でもあった。それを具現化するかの様に男性的、怪物的なデザインが多い。ユーザーが自然とそれを望む為、ドールメーカーもその様なデザインをする様になったのである。その様なデザインが主流の中で女性的なデザインの極限環境作業ロボットドールは極めて珍しかった。


 その巨大なツインテールの左側――いや、左第二腕にはアルファベットで大きく『Asteropeアステローペ』と記載されている。恐らく、このドールの固有名称だろう。

 アステローペは空間制御バーニアを器用に操り、尻尾の様な有線ケーブルを左右に振りながら両手で一辺2メートル程の箱を抱えて『タカマガハラ・ステーション』から10キロメートル離れた所までやって来た。10キロメートルといえばアステローペの有線制御ケーブルが延長ケーブルの追加無しで移動出来る最大距離だ。

 アステローペが箱を抱えて宇宙を飛ぶ様はまるで少女がお使いかピクニックにでも出かけるかの様にも見える。確かにアステローペが抱えている箱は大きめのランチボックスに見えなくもない。

 時折、コントロールセンターにいるであろう操縦者と何かしらの通信を行っている様だった。



〈こちらアステローペです。ソラさん、そろそろ目標地点です。準備と確認をお願いします〉


〈こちらソラ。了解。目標地点確認。手順通りミッション遂行中。最終段階に移ります。カウントダウン30秒前〉


〈こちらアステローペです。ミッション遂行状況問題無し。カウントダウン確認。20秒前です〉


 アステローペとソラと呼ばれた操縦者と思われる人物の会話は、お互い少女の様な声であるが、その緊張感はひしひしと伝わって来る。更にソラと名乗った人物ははカウントダウンを続ける。


〈軌道投入5秒前、4、3、2、1、投入!〉


 アステローペは静止すると、タイミングを合わせて静かに抱えていた箱を離した。箱は静かにアステローペの手をゆっくりと離れていく。そして、ゆっくりと羽のように太陽電池パネルを展開した。アステローペが手にしていた箱の様な物体は、小型の人工衛星だった様だ。人工衛星の軌道投入――これがアステローペの今回のミッションだった様である。


 アステローペはまるで飛び立つ鳥を眺めているかの様に離れていく人工衛星を見送ると、右手の人差し指と中指を頭にかざし決めポーズの様な仕草を取った後、くるりと大げさに一回転し、『タカマガハラ・ステーション』へと帰還し始めた。


 しかし、アステローペの操縦者と思われるソラは帰還先の『タカマガハラ・ステーション』にはいない。いるのはアステローペの整備要員のみである。アステローペの操縦者は遥か400キロメートル下の地上から専用回線を通してコントロールされていたのである。しかも、驚くべき事に主だった操縦者、保守要員は大人ではない。その殆どが女子高生なのである。

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