化け物は寂しさを知らない

 人魚屋で犬野郎、熊男、魔術師を捕まえてから数日たった。


 犬もどきどもは薬も抜けきり野に放たれ、相変わらず路地裏をウロウロし、大将の犬野郎は城の牢屋でワンワン元気に吠え、熊男は尋ねられるまま供述し、魔術師は悲しい目をしては元王子様を困らせているそうだ。


 あのとき王子様の毒は誰一人消滅させなかった。

 元より死んでいる化け物たちだ。特殊な例とはいえ内臓一式なくても動いている化け物もいることだし、人間とは作りが違う。


 生きていたときを模倣するあまり、痛みやことばに反応してしまうが、消滅したりはしないのだ。


「いやしかし、王子も食うねぇ」


「約束だったからな」


 女王である妹から報酬という名のお小遣いをようやく貰い、いざ賭場いくさばへと賭けていこうとする俺の襟首を掴み、長ったらしい名前の元王子様は人魚屋へやってきた。


 元従者たちのことを思ってだとかそんな感傷的な理由でなく、約束の白花紅はっかこうの焼き立て菓子を食べるためだ。なんとも食い意地の張ったことである。


 元王子様が俺を連れてきたのを見て人魚屋の女主人であるレミアは、店に机の材料を運び込みながら、代わりに俺たちが机と椅子を作ってくれるなら菓子を作るといってくれた。


 留守にしている間に店内を荒らされたレミアは、俺たちも店を荒らす手伝いをしてしまったことを知らない。手軽に労働力が手に入ったと喜び、ご機嫌ですらあった。


 触らぬ蛇に恨まれることはない。王子も俺も黙して机と椅子の材料を運び込み、組み立てることに集中した。


 そして焼き菓子が焼けるいい匂いにつられるようにして、休憩しているわけだ。

 レミアは犬みたいに鼻が利くとからかいながら、白花紅の焼き菓子をくれた。


 しかし俺も大好物である白花紅の焼き菓子のほとんどは、犬に似ても似つかない王子の腹の中に入ってしまったのだが。


「……それよりも、いい加減、王子というのはやめないか」


 俺としては次から次へと焼き菓子に伸びる手を止めてほしい。非難の目を王子様の右手に向けてみたが効果はなかった。


 俺は仕方なく、王子を止めるためにも口を開く。


「シィシェ……あー……王子」


 名前も付けて止めれば、効力がありそうだと思ったのは失敗だった。俺が名前を憶えてなかったからだ。


「ルディでいいといったろう」


「いいじゃねぇか、王子で。様は取れてるだろ、様は!」


 あだ名と思えと皮肉の名残であった敬称を消した呼び名を告げると、王子はご不満そうに、また焼き菓子を口に運ぶ。


 食欲の権化だということは知っているが、盛大に呪歌を使ってからしばらくは何処かの医院長に飯を奢ってもらったので満足していたのではなかったのか。


 今度は俺が不満で眉を寄せる。


「今度からイナミの相棒になるというのに」


「いや待て、それは聞いてねぇぞ……?」


 好物の取り分による不満など吹き飛ぶ話であった。

 あの妹は一体何を考えて、この大食漢を今後も俺と一緒に働かせようなどとしたのか。早急に問い詰めなければなるまい。さもなくば命の危機がまたやってきてしまう。主に食欲のせいで。


「今朝方、王女がこっそりと」


「今朝……俺が寝ているのをいいことに何やって、いや、もしかしてナニしてたのか……?」


「……今朝はしていない」


 今更あの妹にどうこういうつもりは尻尾の毛一本ほどもないが、まさか、この真面目な男にそのようなことが……驚きのあまり、俺は手に持っていた焼き菓子をポロリと落としそうになった。


 床に落ちる前に王子の手が菓子を救っていったので悲劇は起こらなかったが、俺にとっては色々とどんな顔をすればいいかわからぬ出来事である。


「いや、まぁ……とにかく、あいつ、なんて?」


「……兄様をよろしくね。あなたなら素敵なお目付け役あいぼうになれるわ……と」


 相棒ということばに何か含むものを感じるが、妹がよろしくなどというということは、決定事項だということだ。


 俺は悲しみのあまり、王子の手から菓子を奪い、口に運ぶ。少しの酸味と蜂蜜に付けてあったのだろう甘みが、サクッとした生地と一緒に幸せを運んでくる。

 だが特大の不幸をお見舞いされた気分である俺を現実以外に連れていくには少し足りない幸福だ。


「夜狩人の相棒ってお前、絶対家計は火の車ってやつだろうが……」


 王子が俺と犬もどきを捕まえていた間、どれほど俺は命の危機に面し、財布事情を心配したことか一緒にいたので王子も知らないわけではあるまい。


「ははは」


「はははじゃねぇよ!」


 だが王子は笑って上下に手を振った。笑って誤魔化す気であるのだ。

 俺は八つ当たり気味にもう一つ菓子を手に取ろうとして、気が付く。

 皿の上にはもう焼き菓子がなかった。


「さて、菓子もなくなったことだ。組み立てを再開するか、相棒」


「おま……次、次焼けたら俺に半分は食わせろよ! 双子にも持ってかなきゃなんねぇんだから、思うより食えねぇからな!」


 双子に勉強して貰った分を踏み倒すと後々面倒だ。

 俺たちは一部材料を持ち込んで、レミアに大量に菓子を焼いてもらっていた。それだって、王子の食欲を満たすほどの量は用意していない。


「ははは」


「だから、はははじゃねぇよ!」


 俺はこれからのことを思い、大きく、長く、ため息を吐く。妹の決定に逆らえるほど、兄の地位は高くない。

 俺は悲観と共に椅子の脚だろう木材を手に取る。


「ったく、しかたねぇな。相棒」


「だからルディ、と……?」


 決まり文句のように呼び名を訂正しようとした王子……間抜けな顔をした相棒に、木槌を渡し、俺は尋ねる。


「相棒。なんだ? 王子がいいか?」


 仕方ない。兄の地位は高くないし、悪態をついてしまうようなことでも、この元王子様の危機には走って駆け付けてしまったのだ。もうちょっとくらい付き合って相棒なんてしてみるのも……誰かさんがクレムナムでも寂しくないだろう。


「いや」


 そんなことを思っていた俺と違って、芸術作品である相棒は一緒に仕事をやってきたなかでも見たことのないような顔で笑う。


 クレムナムに似つかわしい、まぶしすぎる笑顔だった。

 これだから、顔のまぶしい奴は苦手だ。


 俺も椅子を組み立てながら、少しだけ笑った。










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化け物は寂しさを知らない 亀吉 @tsurukame5569

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