ジャキルは粛々とそれを語る
ぽつりぽつりと街灯の灯り始めた街道を、ヴィヴィの操る馬車が走る。
走り方は少々雑だが、どうにか事故も問題も起こさず、彼らは真っ直ぐ王宮へと向かっていた。
やがて橙に染まった空が次第に藍色へと変わり、ほとんど日の暮れかけた頃。
どん、と背後から大きな音がして、御者台にいたセイジュは仰天して振り返る。
見れば、馬車の屋根の上で、ユーシュが着地したてのように、片膝立ちの体勢で座り込んでいた。セイジュは目をむく。
「な、お前、どっから飛んで来たんだよ!?」
「細かいことはいいんだよ。お前らが呼んだから急いで来たんだろうが」
涼しい表情でユーシュは立ち上がる。彼の格好もまた、黒燕尾の正装だ。
「タンフウの妹は?」
「馬車の中だよ。待ってろ、一旦止まるから」
「止めなくていい。そのまま走らせろ。王宮にタンフウとナギを二人にしちまった。急いで戻るぞ」
そう告げると、ユーシュは屋根から逆さまの状態でぶら下がり、扉を開ける。そのまま彼は前転するようにして、器用にくるりと馬車の中に入った。
呆気にとられ、しばらく硬直したセイジュだが。扉が閉まったのを見て、ようやく前に向き直る。
「……あいつ。細っこい体のどこにあんな身体能力を隠し持ってたんだよ」
「そりゃ、ジャキ様ですからね。これくらい何てことはないですよ。物見台から動いてる馬車に飛び降りるくらいの立ち回りは平気でやってましたし、狼くらいなら素手で殺れます」
「嘘だろ!?」
「嘘です」
「嘘かよ!?」
「狼は群れだったので、流石に武器も併用してました。素手は熊でしたね」
「……嘘だろ?」
「それは本当です」
「……嘘だろ。あの怠惰の権化みたいな奴が……」
にわかには現実を受け止めきれない様子で、セイジュは首を横に振った。
馬車の中に転がり込んだユーシュは、苦しむフウカとそれを抱きかかえるショウセツを見るや、フウカの首元に手を向けた。
彼の瞳孔が開き、フウカの首筋に絡みつく精霊を見据える。
「ジャキル・ユリエイシュー・シリウス・ジェイが命じる。
去ね」
途端。
ふっと、フウカの身体は脱力した。途切れ途切れで荒かった呼吸が穏やかになり、顔色はだんだん正常に戻っていく。
安堵してショウセツは深く息を吐き出した。
「ありがとう。……お前のそれは本当、便利だよな」
「馬鹿言え。慣れるまで日常生活には支障出まくりだぞ」
舌を出し、ユーシュは顔をしかめた。
ケラススの血筋から、稀に精霊に愛される者が生まれるのとは対照的に。
同じケラススの流れを汲むにも関わらず、『ジェイ』の名を持つ者の一部は、精霊に恐れられた。
嫌われている、という表現の方がより近いかもしれない。
ひとたび彼らが名乗りを上げるだけで、精霊たちは逃げ帰る。故に、ジェイ家の名の元に動く時、彼らは精霊の恩恵を受けることは敵わない。精霊に愛される者と真逆である。
フウカがサンの影武者であるとの手紙が届き、タンフウとユーシュが史学会に訪れた際。二人を見てセイジュが驚いたのは、突然の来訪だったからというだけの理由ではない。強盗の一件で警戒したセイジュは史学会の周りに、
皆の前でユーシュが本当の名を名乗った時に、暖炉の火が消えたのも、気配をいち早く察した精霊が、その場から逃げ出してしまったからだった。
シナドの憑けた精霊から解放されたフウカは、気が抜けたのか、そのまま気を失ったように眠っているようだった。寝息は安らかだ。
しかしショウセツは不安そうに彼女の顔を覗き込む。
「……大丈夫だよな」
「顔色は良い、大丈夫だ。抗って疲れたんだろ。着くまで寝かせといてやれよ」
安心させるようにはっきり言って、ユーシュはショウセツたちの向かいの椅子へ、どかりと座った。
改めて安堵し、ショウセツはフウカの髪をそっと撫でてから。顔を上げ、ユーシュにおずおずと問う。
「なあユーシュ。今更だが、……お前は良かったのか」
「何が?」
「これからお前がすることは。否応なしに、またお前を表舞台に引き戻す。
確かにサンの婚約を穏便に『今回』止めるにはそれぐらいしか方法はないだろうが、根本的な解決じゃない。完全にどうにかするには本格的にお前が向こうに戻るしかないし、人生を左右する話だ。サンだってそう同意できないだろう。簡単な話じゃない。
お前は。家のしがらみから逃れたくて、天文連合に来たんじゃなかったのか」
その問いかけにすっと目を細めると。
ユーシュは肘掛けに頬杖をついたまま、目線だけショウセツに投げる。
「そうだな。その辺の事情を話すと、本一冊くらいの分量になっちまうから省くけど。
簡単に言えば。俺が憎んでるのはジェイの方だから、ケラススの方はそこまで支障はないんだ。単に面倒だから逃げていただけで」
ぽつりと零すように、ユーシュは続ける。
「あいつの案は。なかなか、名案だと思ったんだ」
「あいつの案」
「タンフウが言ったことだよ。『どうせ逃げられないなら、いっそ全部認めた上で、正式に受け入れてしまえばいい』ってね」
身を起こして、ユーシュはショウセツに向き直った。
手足を組み、彼は真顔で淡々と言う。
「天文連合に来たところで。結局、俺は完全には逃げられなかった。誰にも気付かれないように処理してたし、天文台までは嗅ぎつけられないよう水際で食い止めちゃいたけど。
追手は、すぐ近くまで来ていた」
思いもよらないユーシュの告白に、ショウセツは黙り込む。無論、ショウセツはそういった動向にこれまで気付くことはなかった。
僅かでも事情を知っていたのはタンフウだけだ。彼とて、子細の全てをユーシュから聞かされていたわけではない。
ユーシュはふっと表情に影を湛え。伏し目がちに、静かに告げる。
「あの日。ザザたちが珍しく街で怪盗に入ったのは、俺を嗅ぎつけた輩を潰すためなんだよ」
はっとして、ショウセツはユーシュを見つめた。しかし彼と目線は合わない。
無表情のまま、ユーシュはぼそりと呟く。
「史学会に強盗が入ったのはそれと無関係だ。不運に浸って馬鹿みたいに責任を感じたりはしてない。
けどな。それでも、腹は立つんだ」
努めて感情を表に出さないようにしている素振りだったが。それでも彼の眉間には、無意識に皺が寄っていた。
怪盗ジーザの予告日と、史学会に強盗が押し入った日が被ったのは、偶然だった。おそらく強盗は、彼らが酒場に行く隙を見計らって襲ってきたのだ。怪盗に合わせたわけではないのだろう。
ユーシュが止めなければ、彼らは酒場で薬の混入した酒を飲まされていた。薬で深く眠らせ、その隙に難なくセイジュを連れ去る手筈だったのだ。
けれどもその二つの日が重なった結果。タンフウは身分の開示を求められ、彼を庇ったサンは家に連れ戻されることとなってしまった。
ユーシュはようやく目線をショウセツに戻す。
「似たようなことはどうせまた起こる。いつまでもザザたちに頼るわけにはいかない。
だったらいっそ、正々堂々ケラススとしての身分を明かして、表に舞い戻っちまえばいいと思ったんだ。
今回ちょっとばかし牽制して、他の厄介事も片付きそうだったら、俺は仮登録を辞めて姓を捨てる。そうすりゃ向こうだって文句はないだろ。俺の存在を懸念する必要はなくなるはずだ」
なるほど、と彼の話に概ねは納得しながら。
しかし頭の片隅でもたげた疑問を無視できずに、ショウセツは口を開く。
「言えないなら言わなくていい。野暮だってのは承知してるが。どうしても、気になることがある」
「何だ、言えよ」
「俺が不思議に思ってるのは。
同じ貴族でありながら。身内の反応が、お前とサンとじゃまるきり逆ってところだ」
ぴくりと、微かにユーシュの指先が動く。
しかし無言で彼はその先を待った。
「サンの身内は。おそらく、あいつを案じて探し回っていた。裏で目的があったにせよだ、少なくともサンが無事に家に戻ることは望んでいた。
けどユーシュの場合。案じてというよりお前の存在を危惧して、もっと差し迫ったものがあるように聞こえる。そしてキュシャになるなら、むしろ相手に都合がいいときたもんだ。
男女の違いはあるにせよ。あまりに反応が違う気がしてな。
仮にケラスス家の跡目争いがあるにしたって、だったら放蕩息子のお前は単に放っておけばいいだけの話だろ。そこまでする必要はない」
「いいとこに気付いたな。そのとおりだよ」
ユーシュは笑みを浮かべる。
しかし今回その笑みには、少々、苦々しさが含まれていた。
「聡明なお前に。三点、ちょいとばかし整理した情報を聞かせてやろう」
そう言うと、ユーシュはおもむろに両目を閉じ、指を一本立てる。
「一つ。『王家は精霊に愛される者を欲しがっている』。
二つ。『精霊に愛される者はケラススの血筋から生まれる』」
言いながらユーシュは二本目の指を立てた。
整理した情報、とユーシュが言い置いたとおり。それらは既にショウセツも知っている、あるいはそうと予想できる事柄だった。目新しいことは特にない。
だがショウセツの困惑に構わず、ユーシュはちらりと彼の表情を伺うように片目を開けると。
すっと三本目の指を立てる。
「三つ。『ケラスス家は黒髪が多く、現王家は代々ほとんど金髪である』」
「な……!?」
突きつけられた情報に動揺し、ショウセツは思わず立ち上がりそうになる。だがフウカを抱えていることを思い出し、そのままとどまった。
「確かに。……確かに、そのとおりだ。今まで、そこまで考えている余裕はなかったが。まさかお前」
「さぁて。俺は、とある事実を三つ列挙しただけだ。想像も考察もご自由に頼むよ」
今度はいつものように悪戯めいた笑みを浮かべ、ユーシュは頭の後ろで腕を組んだ。
「お前と同じで、俺は私生児だ。けどお前と違うのは。残念ながら、あちらさんは俺の存在を裏じゃ曲がりなりにも『認めてる』ってところだな。
そこが厄介で面倒なところだから、山奥に引きこもっていたわけなんだが」
肝心なことは明言しない。
しかし彼の言うことは、ほとんど回答に等しかった。
「それは。……これからお前のすることは、むしろ火に油を注ぐんじゃないか」
「まだ向こうさんはサンの価値を知らないし、あいつらなんかに知らせやしないさ。
それに、もし知れたとしたら。今度は真っ向から全面抗争だ、裏でごちゃごちゃやりあうより余程も分かりやすいだろう。
どのみち俺は名乗り出たほうが、後々都合はいいんだよ」
「……お前ごと、サンをとりこもうとしたら?」
ショウセツの問いかけに、一瞬だけきょとんとした後。
ユーシュは、けらけらと笑い声を立てた。
「俺はこれっぽっちも興味はないが、あいつ主導なら面白いだろうな。
どちらかといえば。俺は、今の王家は滅んじまえと思っている。あいつが中に入り込んで変えてくれるってんなら、それはそれで万々歳だ。
だけど。あいつがそれを望まないなら、無理強いはさせたくないからな」
そこまで言って、不意にユーシュは真顔に戻った。
また頬杖を突くと、彼は物憂げに外を眺める。
「前は。甘ちゃんでいい子ちゃんのお嬢様のことは、少々ならずとも癇に障っていたんだがね」
ユーシュにつられて、ショウセツも窓の外を見つめる。
完全に日は落ちてしまい、暗い。豪奢な建築物が立ち並ぶはずの通りは、等間隔で立つ街灯に照らされ、かろうじてその輪郭がぼんやりと分かるばかりだった。
ヴィヴィの肩に、鳩が止まる。
馬車を繰る手は止めず、片手で鳩を一撫でしてから足にくくられた手紙を外した。やはり片手で器用にくるりと丸められた手紙を広げると、彼はそれにちらと目を通す。
すると、ヴィヴィは「ヒッ」と小さく息をのみ、初めてその飄々とした面持ちを崩した。
「……こいつはやべぇな」
引きつった口から、ぼそりと低い声が漏れ。
意を決したように息を吸い込むと、彼は神妙な声音で背後に語りかける。
「ジャキ様。ジジの野郎からとんでもねぇ連絡が来ました」
「なんだ」
御者台側の窓のカーテンを開き、ユーシュが覗く。
後ろは振り返らずに、ヴィヴィはやはり神妙な口調のまま告げる。
「サンカお嬢様が。シナドに連れ去られたと」
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