ナギは衆目に姿を現す

 数週間前、天文連合。


「組織を、変えよう」

「組織?」


 タンフウの発言に、セイジュは首を傾げた。

 ずっと考察に没頭していたために、よれよれだった身なりをどうにか整え。多少はましな見てくれになったタンフウは、四人をぐるりと見回す。


「天文連合と史学会を統合して。名目上、んだ。

 精霊学だけではなく、人文科学、自然科学、それら多種多様な分野との関連を包括的に研究する精霊学ギルドとして、新たなギルドを申請する」

「どうしてまた」


 タンフウはセイジュを一瞥し、ゆっくりと説明する。


「精霊憑きは、現時点においてはどうあがいても希少な存在だ。無関係の史学研究所にいた時ですら、セイジュは連れて行かれそうになった。隠れていてもいつかは見つかる。

 なら。どうせ逃げられないなら、

「なるほど」


 いち早く理解したショウセツが、膝を打った。


「精霊憑きは精霊学ギルドにとっちゃ垂涎の存在だ。こぞって欲しがる。

 けど既に別の精霊学ギルドに所属しているのなら、そう外から手は出してこられない」


「そういうことだ。たとえば今、セイジュが連れ去られたとしても、下手すりゃ『精霊学発展の寄与のため』ともっともらしい名目で逃げ切られてしまうかもしれない。

 けれど既存の精霊学ギルドに所属している精霊憑きが連れ去られたとなれば、僕たちはギルドへの不当な妨害行為であるとして正面きって戦える」


 王立研究ギルドでは、他のギルドの研究を阻害する行為は明確に禁止されている。被験体などの研究資材も含め、他のギルドが得ている成果を掠め取ろうとすることは、キュシャの間で最も恥ずべき行為の一つであるとされ、露見した際には厳罰が課されるのだ。


 セイジュは感心したように腕組みする。


「その辺の精霊学ギルドに連れて行かれたら、被験体としての扱いだって、どうなるもんか怪しい。だけど他ならぬ俺らの組織なら、自分たちの裁量でできるもんな。

 今までどおり、俺は三食昼寝付きの悠々自適な生活のままだ」

「少しは働けよ」


 呆れてセイジュを見やってから、タンフウは続ける。


「事が落ち着いたら。セイジュだけじゃなく、フウカもうちに所属させる」

「だけど女はキュシャになれないだろ?」

「それこそ表向き『被験体』としてだよセイジュ。兄の僕がいれば無理筋な話じゃない」


 タンフウの話を聞きながら、くつくつとショウセツは笑った。


「おーおー、一度に二人もの精霊憑きを抱えるのか。新参のくせにとやっかまれるな。

 だが。それは今更か」


 言いながら、しかしショウセツは楽しそうだ。

 申し訳なさそうにタンフウは彼に告げる。


「この案だと。名目上、専攻は精霊学になる。柔軟に研究を行えるような枠組みにするつもりではあるけど」


 この話は、史学会の二人が来る前にユーシュとツヅキにはしてあった。二人からは既に了承を取り付けてある。

 そもそも精霊学と天文学との結びつきを受けての、今回の思いつきだ。天文学を専攻している彼らの場合は、多少の軌道修正をすれば、基礎研究と言い張りどうにかこじつけることができる。

 けれどもセツの研究分野だけは、少しずれていた。セイジュの場合は科学史なので多少は近いものがあるが、彼は思いきり人文分野だ。


「当事者の意思が大事だという話をしておいて、皆のやりたいことをないがしろにしているのは分かっている。

 けどセイジュたちが今後、穏便に暮らせる方法は、ぱっとこれしか思いつかなかった」

「いいさ。俺は問題ない」


 だがショウセツは、すんなりと受け入れた。


「前にも言っただろう、元々は精霊学に興味があったくちだ。むしろ俺は従来の縦割りより、お前が作ろうとしている横割りでの研究が望ましいもんでね。

 こんなにも壮大なテーマを堂々と研究できるなんて、願ったり叶ったりだ。やってやるさ」

「……悪いな、セツ」

「いいんだ。それよりも俺は。……俺たちが平穏に暮らせるのなら、こんなにもありがたいことはない。

 そのためなら、曲げることは厭わないよ」


 穏やかにそう言ってから。

 ショウセツは、不意に真面目な表情に戻る。


「ただ。急に天文学と史学が精霊学に転向なんて、認められるか?」

「今回の件が明るみになったのは。僕たちのやってる分野が上手く噛み合った結果だ。それをもっともらしく持ち込めば、不可能な話でもないと思わないか。

 結果的に精霊学の発展に繋がるのなら、きっと上はなんでもいいと考えるだろう」

「……確かにな。表に出せるか否かは別として、既に成果はある」


 口元に手をやり考え込みながら、ショウセツは頷いた。

 タンフウはユーシュに目を向ける。


「文章は僕がどうにかする。

 許認可の申請の方はユーシュ、頼んでいいか。できれば新年祭までにどうにかしたい」

「どうにかって、あと二週間だろ? 順当に手続きを踏むなら早くて一ヶ月。けど年末年始を挟むから二ヶ月近くは悠にかかるぞ」

「そこをごり押しでどうにかしろ」

「……お前、吹っ切れたら急に無茶苦茶を言うようになったよな」


 ユーシュはがりがりと頭をかいて、渋面を浮かべる。


「だけど、さすがの俺でもそっちは無理だ。ケラスス家はギルドにほとんど関知してない。ねじ込みようがない」

「ジェイ家の方でも無理なのか?」

「セイジュ。お前、ジェイ家をなんでも屋か何かだと勘違いしてるだろ。一応、俺らも人間なんだぞ。できることとできないことがある」


 ユーシュの言葉に、ショウセツはしばらく考え込む素振りを見せると。

 やがて彼は一人頷き、真顔のまま名乗り出る。


「分かった。仕方ない、俺がやろう」

「セツ、誰かあてを知ってるのか?」

「上と寝てくる」


 あまりにさらりと告げたために、ユーシュは不思議そうな表情のまま止まり。

 一瞬遅れて、意味に気付いた。


「待て待て待て待て待て!?」


 ユーシュと、合わせてセイジュとが、ショウセツの腕を両側からがしりと掴む。


「おいちょっと待てセツ、何を血迷ってる!?」

「セツおま、ちょ、おま、お前!?」

「血迷ったわけじゃない。手っ取り早く裏口で通すにはこれしかないだろう。男でも大丈夫な理事なら何人か知ってる」

「俺はそういう『知ってる』を聞いたわけじゃないんだよ!?」

「男って、お前、セツ!?」

「男相手は十年ぶりだが、まだいけるはずだ」

「何がどういけるんだよ!?」

「お前、やめ、セツ!」

「そしてセイジュお前はさっきからうるせぇ!!」

「セツ」


 混乱した様子で騒ぎ立てる二人に割って入り、穏やかな声でタンフウが遮る。


「頼むからやめてくれよ。そんな手段を使ったら、解決した後もサンは心から喜べない」

「……そうだな。そのとおりだ」


 彼の言葉に、ショウセツははっとして瞬きし。

 自己嫌悪に陥ったように額へ手をやる。


「悪い。つい、そういう方向で考えちまうんだ。嫌な癖だ」

「全くだよ。ひやひやさせるな」


 ばしりとショウセツの腕を軽く叩き、ユーシュは息を吐き出した。セイジュはまだショウセツの腕にしがみついたまま離れない。

 気を取り直すように頭を振ると、ショウセツは話を戻す。


「立場を考えるなら。この件は、リーリウム家に頼むのが一番早いだろう」


 元々、王立研究ギルドを提唱したのはリーリウム家だ。現在の王立研究ギルドの理事にも、多く名前を連ねている。

 だけど、とユーシュは首をひねった。


「今の状況で、できるか? 今や敵視されてる、史学会も含んだ要望だぞ」

「だからこそだ。厄介な史学会を野放しにするより、ツヅキもいる天文連合と統合した方が、手綱は握れると考えるかもしれない。

 単純にギルド維持にかかる予算だって減るだろ。別分野のギルド同士であることはともかく、ギルドの統合自体は推進しているからな。

 俺も手伝う。もっともらしい文面をつくってねじ込もう。そういうのは得意だ」

「ほとんど賭けだな。可能性はなかないが、弱い」


 難しい表情を浮かべるユーシュを見て、ショウセツは少し考え込み。

 彼は、おずおずと口を開いた。


「……史学会が敵視されてるのは。実は、完全に個人的な事情も、多分ある」

「お前の昔の話か?」

「昔の話といえば、そうだが。その。……お前らが知ってる話じゃ、ない」


 普段、歯切れ良い話しぶりのショウセツだが、今はいつもと違って煮え切らない。

 しばらく彼は逡巡してから。やがて、意を決したように背筋を伸ばした。


「絶ッ対にサンには黙っていろ。いいな、絶対だ」


 彼に似つかわしくない、険しい目つきでそう言い置いてから。

 ショウセツは、渋面を浮かべて言う。

 

「俺の父親は。おそらく、サンの叔父だ」

「はあ!?」


 セイジュが口をあんぐりと開けた。


「待てよ。サンの叔父って……つまりお前、サンと従兄弟なのか?」

「……単純な血の繋がりだけ考えれば、そうなる」

「じゃあなんだよ。お前も貴族? 貴族多すぎない?」

「バカ言え、私生児だ。むしろ身分としては最底辺だよ。父親が認めれば多少は違うが、あいつは表向き一切認めてない」


 がりがりとこめかみを人差し指でかきながら、ショウセツは嫌々説明する。


「証拠はない。けど母親曰く、タイミング的にはその可能性が一番高いんだそうだ。

 あいつもそれは承知している。けど、醜聞を嫌って徹底的にそれをもみ消したんだ」


 ツヅキもまた唖然として、うわ言のように呟く。


「まさか……そんなことが。いくらなんでも、偶然が過ぎる」

「そう突飛でもないさ。俺の故郷、ルイーザはリーリウム家の所領だ。別荘地だから時期にはそれこそ要人がわんさかやってくる。客は必然的にリーリウムの系列の人間ばかりなんだよ。ハクトー家もそうだろう。夏には大抵、こっちに来ていた。

 お前は覚えていないだろうが、ツヅキ。俺たちは子どもの時に会ってるぞ」

「は!? 嘘だろ。どうして言ってくれなかったんだよ」

「言えるわけないだろバカ野郎!」


 ぶっきらぼうに言い捨て、ショウセツは頭を抱えた。


「ともあれ、そういう訳だ。俺も奴を嫌いだし、奴も火種となりかねない俺が大嫌いだが、だからこそ俺の存在は無視できないはずだ。

 そこを、脅す」

「脅す」

「中身は察しろ。最後の手段だが、もしサン経由で頼み込んで通らないなら、懇切丁寧にしたためる俺からの嘆願状を渡してもらおう。息子のこれくらいの頼みなら、きっとおそらく渋々間違いなく嫌々絶対に聞いてくれるだろうからな」


 そう言うセツの目つきは、淀んで据わっている。

 何を書くつもりなのか聞くことはできず、一同は黙り込んだ。


「本当は一切合切、関わりたくない。あんな野郎に一片たりとも借りを作りたくないんだが。この際だ、利用できるものは利用しないとな」

「分かる。ものっすごく分かる」


 ユーシュは一人、心底同意するように頷いた。


「だけど、サンへの連絡手段がない。またユーシュか、どうにかツヅキ経由で頼み込むか……」

『その為におれがいるんだろうが』


 タンフウが思案している途中で、霊狐――ナギはタンフウの肩に飛び乗った。


『おれなら屋敷に忍び込むくらい、造作もないぞ』

「だけど、あんたの姿は見えないだろ」

『契約した今なら、お前が望めば、他の連中に見えるようにすることもできる。

 だけど忘れてないか。そもそもあのお嬢さんなら、おれのことは普通に見えるはずだぜ』


 あ、と思わず声を上げた。ナギの言うとおりだ。

 タンフウが納得したところで、しびれを切らしたショウセツは尋ねる。


「なあタンフウ。その、霊狐は何て言っているんだ?」

「ああ、そうか。お前らは見えないんだったな」


 タンフウとユーシュは霊狐ナギの姿が見えるが、他の三人は見ることができない。セイジュは風精シルフのおかげか、霊狐の存在を認識することはできるが、はっきりと見聞きすることまではできないらしかった。

 タンフウはナギに視線を戻す。


「さっそくだけど、皆にも見えるようにしてもらえるか。その方が話が早い」

『別にいいけど、ちょいと面倒だな。だったらいっそ、人の姿になるぞ。それでも見えるようになるからな』

「そんなことできるのか?」

『おれを誰だと思ってる。造作もない。むしろ霊狐のまま見えるようにするよか、人間の姿になっちまった方が、楽なんだよ』


 そう言うと、ナギはぴょんとタンフウの肩から飛び降りる。

 次の瞬間。

 ぼん、と白煙が立ち上った。居間中に充満したそれは、彼ら五人をむせ返らせる。


 やがて視界を覆う煙が薄れた頃、タンフウの目の前へ現れたのは、彼よりも少し背丈の低い人間だった。

 身にまとうのは、彼らと同じく白いシャツに、サンが着ていたのと同じ狐色のベスト。体格は細身であり、ズボンはぶかぶかで少し生地が余っているようだった。

 だが対象的に上半身は、豊満な胸に押し出され、今にもシャツがはちきれんばかりになっている。


「む。服の大きさを間違えたか」


 無造作に胸を鷲掴み、人の姿になったナギは眉間に皺を寄せた。

 口を尖らせてあちこち体の様子を確認するナギは、今や、街で間違いなく人目を惹くだろう、色白で派手な顔立ちのだった。


 その光景を、彼らは食い入るように見つめる。

 しかし誰よりも驚いているのは、他ならぬタンフウだった。


 彼は一歩たじろぎ、上ずった声で尋ねる。


「……お前。メスだったのか」

「一度もオスだと言った覚えはないぞ」


 腰に手を当て、けらけらとナギは笑い声を立てる。


「だけどな。おれたちの場合、別にそこはたいした問題じゃないんだ。オスになれと言われればオスになるし、メスになれと言われればメスになれる。

 お前がそっちを好むなら、男になってもいいぞ」

「やめてくれ。これ以上むさ苦しくなるのはごめんだ」


 渋面を浮かべ、タンフウはそれを拒否した。

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