タンフウは真っ直ぐにその名を告げる

 王宮の広間。

 室内には豪奢な調度品が飾られ、優雅に流れる音楽を背景に、上品に会話を繰り広げながら紳士淑女が行き交っている。


 黒燕尾の慣れぬ正装に身を固めたタンフウは、吹き出す冷や汗と緊張とを必死に押し込めながら、会場を目立たぬように練り歩き、様子を窺っていた。

 彼の腕を取る、真紅のドレスを纏った女が、扇子で口元を隠しながらタンフウに囁く。


「随分と、緊張しているみたいね」

「当たり前だろう。こんな場所で緊張しないわけがない。逆にどうしてお前は、そんなに堂々としていられるんだよ」

「胆力の差かしら。

 しかし、ケラススの紋章を見せただけですんなり入れてしまうのだから、名だたる王宮の警備もずさんなところがあるわね」

「……その口調は、気色悪い」

「あら。だってこの場で素をだしたら、困るのはあなたでしょう?」

「そうだけど。……気色悪い」

「ひどい人」


 くすくすと、タンフウの腕をとった金髪の美女は上品に笑う。

 複雑な心境で彼女を見つめてから、タンフウは視線をそらした。


「それより。見つかったか」

「この人出だもの。そう簡単にはいかないわよ。……っと」


 だがタンフウの連れは急に声を低くし、まるで三日月のようにすっと目を細める。


「お出ましだぜ。殺気がぷんぷんしてやがら」


 壁際にいる、一人の女を睨めつけた。

 彼女の目線の先にいる人物を、タンフウも目で追う。図らずも彼女と同じ赤いドレスに身を包んだ女は、タンフウからしてみれば他の来客となんら変わりないように思える。

 けれども彼女には、はっきりと匂い立つように女の異質さが見分けられるようだった。


 顔をしかめて、彼女はタンフウの袖をぎゅっと握りしめる。


「やばい。あいつ動くぜ」

「待てよ、まだ夜会は始まったばかりだ。陛下の話は始まっていない」

「バカ言え、タイミングなんかあちらさん次第だろ。御本人は会場に来たんだ、わざわざ譲位の発表まで待つかよ」


 ちらとタンフウは、青い顔で上座にいる皇太子を一瞥する。彼女の指摘に、確かにそのとおりだと頭の片隅では冷静に思ったところで。

 すぐ隣にいたはずの彼女は、にわかに宙へ飛び上がった。ぎょっとしてタンフウは女の手を掴もうとするが、既に遅い。


 彼女は、一飛びで相手の元に降り立つと。

 女の喉元に、強かに食らいついた。

 ギャア、と人間のものではない叫び声が、会場に木霊する。


!」


 思わず叫んだ。

 来客から、悲鳴が上がる。しかし何が起きているのか、彼の位置からでは人垣に阻まれ確認することができない。逃げ惑う人と、近付こうとする野次馬とに邪魔され、すぐにタンフウは近付けなかった。



 人をかき分け、ようやく彼がそこに駆け寄った時には、既に決着はついていた。

 『ナギ』に襲われた女は、変わり果てたぼろぼろの風体だったが。やがてその姿は崩れ、その場から塵のように消え失せた。

 またしても、周りから悲鳴が上がる。


 同じくドレスが引き裂かれ、悲惨な有様のナギは、すました顔をしてタンフウを一瞥すると。するんと姿に戻る。

 会場の動揺は、更に広がった。


 狐の姿に戻ったタンフウの霊狐、ナギは、そのまま彼に駆け寄って、肩にぴょんと飛び乗った。

 それを見た人々は、今度はタンフウを遠巻きにして一斉に後方へ下がる。こわごわと彼を見つめる人だかりに、タンフウはぐるりと円状に取り囲まれた。

 表面上は動じぬ素振りを貫きながらも、密かにタンフウは深く息を吐き出す。



 混乱の中、一人、円の中心へ取り残されたタンフウは、次にどうしたものかと辺りをぐるりと見回したが。

 彼の行動を待つまでもなく、背後から呼びかける声が聞こえた。

 振り返ると、そこに揃い踏みしていたのは、国の要を担う貴族の重鎮たちと、それを警護する近衛兵だ。彼らの登場に、会場は一斉に静まり返る。


 タンフウはナギを肩に乗せたまま、臣下の礼にならって跪いた。


「このような晴れやかな場でお騒がせをしまして、申し訳ございません。

 お見苦しいところをお見せしまして、皆様には大変失礼を致しました」


 落ち着いた口調で、敵意がないのだとまず告げた。

 しかし彼が続けて言葉を発する前に、「お前は」と誰かの詰問するような声に遮られる。


 ちらりと横目で伺えば、声を上げたのは彼にも見覚えのある貴族の一人だった。

 相手を確認し、次にどんな言葉が振ってくるかを既に悟って。タンフウは、顔を伏せたまま唇を噛みしめる。


 貴族の男は、忌々しげにタンフウを指さした。



「貴様は、確か。かのミカゼ家の息子だな」



 静まったはずの会場に、再びどよめきが広がった。

 一瞬、タンフウはその言葉に息を止め。



「はい。現在は姓を失っておりますが。

 シナド・ミカゼが長男、タンフウ・ミカゼでございます」



 それを認める。

 ざわめきの声は、更に膨らんだ。



「逆賊の息子が」

「恥ずかしげもなく生きているなんて」

「だから、あんな霊狐などを」

「忌々しい」

「まさか父親同様に」

「親も親なら」

「恐ろしいことを」

「何故このような場所に」

「不埒なことを企んで」

「どうして外を出歩けるのかしら」



 雑踏の中から意味を持つ言葉が、途切れ途切れに彼の耳に届く。

 聞こえぬふりをすることは、受け流すことは、できない。


 ギルドに暮らし、久しく忘れていた罵倒の声が。

 一つ一つ、一音一音、彼の背中にのしかかる。


 声と一緒に彼を押しつぶすのは、彼らの目。

 恐れから蔑みへと変わった視線が、タンフウの背に突き刺さる。

 頭を下げていても、はっきりそれが分かった。


 タンフウに突き刺さる、目、目、目。

 人々から一斉に向けられた目は、悪意を持って彼を射抜く。



 しかし肩に乗る霊狐は、まるで彼を勇気づけるかのようにゆるりと尾を振り、頬を撫でた。

 その気配に、タンフウは目を見開くと。無言でじっと、波が過ぎるのを待った。



 やがて、言い訳も抵抗もすることなく、静かに待ち続けるタンフウに痺れを切らしたのか。

 先ほどよりは穏やかな口調で、彼に問いかける別の声が響く。


「お前は確か、天文連合のキュシャだろう。学者風情が何故このような場所にいる」


 後半の問いには、まだ答えず。

 タンフウは頭を垂れたまま、述べる。


「数日前に受理されたばかりですが。現在の私の所属は、天文連合ではございません」


 なめらかにそう答えてから。

 すっと顔を上げ、タンフウは朗々と告げる。




「現在、の所属するギルドは、精霊学ギルド。

 『精霊せいれい文理ぶんり科学かがく総合そうごう研究所けんきゅうじょ』です」

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