セイジュはその光景に戸惑う

 日の沈みかけた王都。街灯の灯り始めた裏通りを、黒塗りの馬車が滑らかに駆け抜ける。

 まもなく夜の帳が降りようとしている黄昏時。人通りは少なく、すれ違う馬車も、近くを歩く人の姿もない。かたかたと規則正しい音を立てながら、リーリウム家の馬車は静かに王宮へと進んでいた。


 しかし。

 突然、正面から凄まじい突風が吹き付けて、御者は思わず手を止める。違和感を感じ取った馬がいななき、馬車を止めた。

 冷や汗をかき、御者が息をついて顔を上げると。馬車の正面には、いつの間にか人影が現れていた。


「そのまま、止まっててくれませんか」

「なんだ、お前!?」


 馬車の前に立っていたのは、赤毛の青年。

 セイジュである。


 彼は馬車に右手を向けて広げ、道を阻むように立ちふさがっていた。

 セイジュは首を傾げると、間の抜けた調子で御者に頼む。


「ちょっと、中の人に用事があるんですけど。開けてくれませんかね」

「何を言ってるんだ。できるわけないだろう。どけ、小僧!」


 しかし御者は苛々と一喝し、セイジュを睨んだ。

 残念そうにセイジュは眉を下げ、頭をかく。


「やっぱ駄目か。じゃあ、しょうがない」


 そう呟くと、セイジュはふっと、真剣な表情になり。

 掲げた右手を、御者に向け構え直す。

 すると。


 ごうっと低い音を立て風が吹き、渦を巻いて御者を取り囲んだ。強力な旋風つむじかぜのようなそれは、彼一人だけを風の中に閉じ込める。すぐ近くにいるはずの馬は、微かにたてがみがなびくばかりだ。

 風に巻かれて思うように息ができず、御者は、ひいっ、と悲鳴を上げる。


「ば、化物!」


 男は転がり落ちるように御者台を降りると。彼は中にいる人物には目もくれず、そのまま一目散に逃げていった。

 セイジュは彼の捨て台詞に顔をしかめ。


「悪かったな、化物で」


 けれども気楽な口調で、思い切り舌を出して男を見送った。

 男の姿が完全に見えなくなったところで、セイジュは物陰に顔を向ける。


「セツ。止めたぞ」

「お疲れ」


 建物の影から姿を現したのは、ショウセツだ。

 そして、後ろからもう一人。彼の他に、見慣れぬ青年の姿があった。


 異様に白い肌に、同じく真っ白な髪。ただし目の色だけは真っ赤だ。メガネを掛け、耳には紅いピアスがついている。寒がりなのか外套をぴっちり着込み、一番上までしっかりとボタンを閉めていた。

 ショウセツは青年を振り返って言う。


「ヴィヴィ。ツヅキの方に連絡頼む。ひとまずは確保したと」

「はいはい。滞りなく連絡しますよっと。はあ。人使い荒いんだから」


 ヴィヴィと呼ばれた青年は、ぼそぼそと単調に返事をした。眉の下がった面立ちで、一見すると気弱そうであったが、中身はそうでもないらしかった。


 ショウセツはセイジュの隣に並び、緊張した面持ちで呟く。


「まずは第一段階突破だな。ここからが本番か」

「……大丈夫かな」

「こればっかりは、話さなきゃ分からないな」


 ショウセツは懸念を浮かべた顔で、馬車を見上げる。

 馬車の中には、サンカ・リーリウムに扮したタンフウの妹、フウカが乗っている筈だった。


 今回、一番不明瞭だったのが、他ならぬ彼女の意思だ。

 嫌々ながら強要されているのか。

 騙されているに過ぎないのか。

 それとも、父親の思想に完全に賛同しているのか。

 彼らが接触した時に、彼女がどう動くかは分からなかった。


「俺もできるだけ、説得できるよう試みるが。

 もし完全に父親に毒されていた場合は。分かってるな」

「……全力で、止めるんだろ」

「そうだ。相手もおそらく精霊憑き。お前じゃなきゃ対抗できない」

「嫌だなぁ。俺と違って、どうせこの日のために訓練とかしてるんだろ。勝てる気がしない」

「厄介そうだったらすぐに助けを呼ぶさ。……さあ、行くぞ」


 それ以上は決意が鈍るとばかりに、ショウセツは話を切り上げ。馬車の扉を、軽くノックした。


「……誰ですか」


 中から、少女の固い声が聞こえる。

 ショウセツとセイジュは目で頷きあい。緊張を紛らわすように唇を舐め、ショウセツはそっと扉を開いた。


 中には一人、夜会用の白いドレスをまとった少女が座っている。

 一見、サンと似た容貌の少女だった。茶色の髪に、茶色の目。卵型の顔も、睫毛が長くぱっちりと開かれた目もそっくりだ。サンのことをよく知る彼らからすれば別人だと分かるが、そうでなければ、ぱっと見は本人と見分けがつかないかもしれない。

 けれども注視してみれば、彼女の瞳の色には違和感がある。目に、色硝子を入れているのだ。


 突然に現れたショウセツたちを、だが彼女は怯えることなく迎えた。しゃんと背筋を伸ばし、むしろ毅然とした態度で、彼女はじっとショウセツを見据える。


 しかし。顔を見合わせた二人は、そのまま沈黙した。

 最初は瞳に冷徹な光を湛えて対峙していた少女だったが、次第にその目が、動揺に揺らぐ。


 セイジュが不審に思いはじめたところで。

 ようやく、ショウセツは震える声で呟く。


「……シースィ」

「……ハクレン?」


 彼女は、目を見開いた。

 その反応に突き動かされたように。ショウセツは地面を蹴って、馬車の中へ飛び込んだ。口にしたことで、動揺がよりあらわになった少女を、力任せに抱きしめる。


「シースィ。シースィだ。間違いない、君だ」

「嘘でしょう。どうして、何故ハクレンがここにいるの」


 戸惑いながら、しかし先ほどの警戒は解いて。

 素に戻った様子の少女は、ショウセツの腕の中で信じられないといったように彼を見上げた。


 混乱しながら、セイジュは呆然と成り行きを見守る。

 しかし困惑しながらも、『ハクレン』というのが、ショウセツがキュシャになる前の名前だったということは、どうにか思い出せた。


 驚きが覚めてきたのか、少女は身動ぎし、くぐもった声を上げる。


「ハクレン。お願いだからそろそろ離して。苦しい」

「嫌だ。離さない」

「ただでさえドレスがキッツいのよ。お願いだから」

「やだ」

「……離せって言ってんだろバカハクレン!」


 どすの利いた声で叫んだ彼女は、ショウセツを強かに蹴り飛ばした。引き剥がされ、彼は馬車から転がり落ちる。


「はは。……本当に、シースィだ」


 しかしショウセツは泣き笑いのような表情で顔を緩め、その場にへたり込んだ。



 一方、状況が飲み込めずにいるセイジュとヴィヴィは、揃って顔を見合わせる。


「なあ。この状況、俺らはどうすればいいの?」

「そうですね。爆発すればいいのにと思います」

「だよな。今は一応、修羅場だよな。堂々といちゃつくのはやめてほしい」

「ほんとそれですね。爆発すればいいのにと思います。します?」

「お前が言うとシャレにならないぞ」


 軽くヴィヴィをたしなめてから、セイジュは遠慮がちにショウセツへ尋ねる。


「おい、どういうことだよセツ。説明しろ」

「ああ、そうだな。悪い」


 ようやく我に返って、ショウセツは服をはたきながら立ち上がった。


「前に少し、話したことはあっただろう。子どもの頃、売られていった幼なじみがいるって。

 シースィは、……フウカは、その幼なじみだ」


 少し険しい表情でショウセツを睨むシースィを、フウカを、愛しげに眺めてから。

 ショウセツは、ほうっと息を吐き出した。


「タンフウから、妹のことを聞いて、もしかしてとは思ってたんだ。けど、まさか、本当にシースィだったなんて」


 タンフウ、という言葉に。フウカの目が、瞬く。


「……兄さん?」

「そうだ。お前の兄さんだ。あれからずっと、ずっとシースィのことを……フウカのことを探していたんだ。ジェイ家の力を借りてまで探し回って。

 そしてようやく、お前のところに辿り着いたんだ」


 ショウセツの言い草に、ヴィヴィは少しだけ不満そうに唸りを上げる。


「さり気なく酷い言いようじゃありません?」

「事実なんだからしょうがなくね? だってジェイ家だろ」

「心外だなぁ。僕はすこぶる良心的かつ善良な市民に過ぎないのに」

「全否定はしないけど、怪盗がそれを言うのかよ」

「僕はただの諜報部員ですし。うちの姫様と馬鹿ジジに振り回されてる可哀想な青年ですし。人に危害を加えたことなんか数えるほどしかありませんしおすし」

「あるのかよ」

「そりゃあ、ありやがりますよね」


 しれっとヴィヴィは言った。


 フウカはショウセツに言われた言葉を噛みしめるように、うつむき加減で両手を握りしめる。その顔には、嬉しそうな笑みが浮かんでいた。


「そうなの。兄さんがずっと、私のこと。

 ……けど」


 次の瞬間。

 素早くフウカは、ショウセツのみぞおちに拳を叩き込む。


「あんたは、私のことを探してくれなかったわけね?」

「……探してなかったわけじゃない。けど、俺のできる範囲じゃ限界が」

「どうせ研究が楽しくて没頭していたんでしょう。知ってる」

「ぐえ」


 食い込んだ拳に捻りが加えられ、ショウセツは呻き声を上げた。


「……あぁ。間違いなくお前だ。シースィだよ」

「連呼しなくても私はシースィよこの軟弱者」

「うん。分かってる。そうだな、お前の言うとおりだ」


 ショウセツは苦しげに咳き込む。それでもなお彼は、顔を上げにこやかに笑んだ。


「ともあれ。感慨に浸ってる場合じゃなかったな。本題に戻ろう」


 頬を叩き、無理矢理に表情を引き締め、ショウセツは再びフウカに向き直る。

 ヴィヴィは密かに舌打ちした。


「ちっ。あと少し引っ張るようだったら燃やしてたんだけどな」

「黙ろうな?」


 セイジュは背後からヴィヴィの口を塞いだ。

 二人のやり取りは耳に入っていない様子で、ショウセツは淡々とフウカに告げる。


「時間がないから単刀直入に聞こう。

 シースィ。君は父親の、シナド・ミカゲの皇太子暗殺計画に賛同してるのか」

「そんな訳ないでしょ」


 きっとフウカは鋭い眼差しを向ける。


「叶うことなら、今すぐあのクソ親父をぶん殴って自由になりたいわよ」

「よかった。それなら話が早い」


 ほっとしてショウセツは肩の力を抜いた。


「一緒に王宮まで来てくれ、シースィ。力を借りたい。その後で、お前のことも一緒に助ける」

「元々向かわされる予定ではあったけど、王宮って。力って。一体、どうすればいいの」

「シースィはただ、俺の言うとおりに合わせてくれればいい。詳しいことは道中で説明しよう」


 早口で告げられたショウセツの言葉に、戸惑いつつもフウカはほとんど無意識のうち頷く。

 だが。


「ぐっ……!」


 急に、彼女は首元を抑えてうずくまった。苦しげに息を詰まらせ、首元をかきむしる。

 動転して、ショウセツは彼女の肩を掴んだ。


「どうした、シースィ!」

「セツ。その子の首」


 セイジュがじっと目を凝らしながら、緊迫した声を上げる。


「よく見えないけど。首に、紐みたいなものが巻き付いて、締め上げてる」

「……そういうことかよ」


 彼はフウカの首元を睨みつけた。だが、ショウセツの目には何も見えない。

 即ちそれは、精霊の仕業によるものだということだ。


 息も途切れ途切れに、フウカは訴える。


「あんのクソ親父の仕業よ。意に沿わぬことをしたら、こうなるの。油断した。

 私の体にも、皇太子同様、奴の手の精霊が、一体」

「分かった、もう喋るな」


 フウカの体を抱き上げて、椅子の上で横にする。案じるように彼女の手を握りながら、ショウセツはセイジュに叫んだ。


「おい、セイジュ。王宮へ急げ。これをどうにかできるとしたら、タンフウかユーシュしかいない。どのみち行き先は王宮なんだ。早く走らせろ!」

「待てよ。御者はいないんだぜ」

「どうにかしてお前が動かせ!」

「嘘だろ!?」


 素っ頓狂な声を上げるセイジュは無視し、ショウセツは次にヴィヴィへ告げる。


「この首の奴を早めにどうにかしたい。先にユーシュを呼べないか」

「はあ。人使いが荒いですねぇ。たった今、情報を飛ばしたところなのに。けれど」


 ヴィヴィはすっと左腕を伸ばした。

 彼の腕に、どこからともなくやって来た鳩が止まる。


「ま、仕方ありません。他ならぬジャキ様のご友人とあらば、特別です。超特急で言付けをお届けしましょう」

「ジャキ様?」

「ユーシュのことだろ。そろそろ覚えろ」


 余裕のない素振りで冷ややかにセイジュを一喝して、ショウセツは馬車の扉を閉める。セイジュは苦笑いして肩をすくめた。

 ヴィヴィは御者台に登り、手綱を握る。


「じゃあ、馬車もサクッと僕が走らせますんで」

「お前、そんなことまでできるのか!?」

「僕は『まるち』で『はいぶりっど』な『すぅぱぁがい』ですので」

「……全く意味がわからない」

「僕とてもすごいアルヨ」

「馬鹿にしやがって……」


 慌ててヴィヴィの隣に座り込んだセイジュは、苦々しい表情で呻く。

 彼ら四人を載せて、馬車は再び王宮に向けて走り出した。

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