ツヅキは真剣に兄と対峙する

 いるはずのない弟の登場に戸惑い、リュセイは呆然として立ち止まった。

 しかし彼はすぐに我に返りツヅキに向き直ると、厳しい声で彼を問いただす。


「誰の許可を得てここに入った」

「兄さんに用事があると言ったら、快く通してくれました。たとえ身内だとしても、もう少し警戒させたほうがよろしいかと思います」

「お前に言われる筋合いはないな」


 唸るように言って、リュセイはすげなく早口で告げる。


「悪いがお前の相手をしている暇はない。今は非常に立て込んでいる。用があるなら家で待っていろ」

「兄さんが焦っているのは。

 新年祭での殿のに、肝心のお嬢様がいなくなってしまったから……ですか?」

「……何?」


 立ち去ろうとしたリュセイは、ツヅキの言葉に足を止めた。

 しかし表情はぴくりとも変えず、ツヅキへ凄む。


「自分が何を言っているのか分かっているのか。懸想の妄言だとしても、にわかに許されることではないぞ」

「妄言だったらどんなに良かったかと思います。

 しかし。それが妄言でないことは、他ならぬ兄さんがよくよくご存知でしょう」


 自らを奮い立たせるようにツヅキは居住まいを正し、けれども何から告げるべきか迷って。

 やがてツヅキは、努めて落ち着いた声音で、真っ直ぐ兄を見つめる。


「分かったんだ。どうして僕が近衛兵を落とされたのか」


 ツヅキの真意が分からず、リュセイは眉間に皺を寄せた。

 構わずツヅキは話を進める。


「近衛兵の最終面接の時に、『王族以外で尊敬する人物、忠義を尽くに足る人物を答えよ』と問われ。僕は、サンカお嬢様の名前を答えた。

 だけど、それが間違いだったんだ。

 ケラスス家の血を引く人物を、ましてその時点で何らかの要職についていない人物のことは、答えてはならなかったんだ」


 ケラスス家の血は、元々の王家へ、アンゼローザの系譜に通じる。

 そこに連なる者の名を答えることは、暗黙に彼らを支持することと同義だった。

 勿論、その事情を知る者はほとんどいないし、真実を知る者が正直に答えることはないだろう。しかし純粋な回答であるが故に、万一の際には危険であると判断されたのだ。

 もしもケラスス家の出自が明るみとなった時。王家ではなくケラスス家の方へ組する可能性がある人物のことは、その時点で排除されたのだ。


 ツヅキはそれ以上は語らない。だがリュセイに彼の意図を伝えるには、それで充分なようだった。

 初めてリュセイは顔色を変え、低い声で問う。


「……お前。それをどこで知った」

「歴史を紐解いて、探り当てたよ。兄さんが散々悪く言っていた、史学会のショウセツがね」


 その名前に、リュセイは僅かに顔をしかめた。

 ツヅキは一歩、前に進み出る。


「兄さんは周りの流言に惑わされず、自分の目で見たものを理性的に判断できる人だ。だからタンフウのことだって、ちゃんと本人を見て評価をしてくれている。

 なのに不思議だったんだ。会ったこともない人物のことを、噂話でしか知らないショウセツのことを、どうしてそんなに忌み嫌っているのかって」


「当たり前だろう。本来、拝謁することも叶わぬはずのお嬢様と、あろうことか共に暮らしてまでいた相手だ」


「確かに、僕だってお嬢様が史学会にいると知った時には卒倒しそうになった。兄さんが危惧するのは分かる。

 それにしたって、今回は過剰だ。もうお嬢様は家に戻ったのに、それこそもう二度と会わないだろう身分の相手を、どうしてここまで警戒する必要があるんだよ。しかもお嬢様を軟禁状態にしてまでだ」


 ツヅキはぐっと拳に力を込め、リュセイを見据える。


「兄さんは、王家との縁談が台無しになることを恐れていたんだ。

 だからあんなにも厳重にお嬢様を見張らせていたんだろう。公式に発表をしてしまうまで、間違っても綻びが出ないように。

 そしてお嬢様が婚前に男所帯で生活をしていた、だなんて、知られてはことだから。天文連合にも口裏を合わさせたんだ。一番、それが齟齬の出ない形だから」


「何故そう考える。王家に嫁ぐには、リーリウム家の順番は一番遠いだろう」


「確かにそうだ。けれど公衆の面前で、お嬢様が『精霊との契約権限を持つ者』であることを示せたら。きっと王家は、お嬢様を欲しがる。

 他ならぬ、王家の敵になりかねない血筋を取り込めるなら、王家にとってそれは願ってもない話のはずだ」


 ショウセツは、サンを取り巻く現状について考察した時、話の流れで『リーリウム家が他の候補者を蹴落とそうとしている、と言われる方がしっくりくる』と言った。

 それは図らずも正解であったのだ。


 もうリュセイは答えない。ただ、ツヅキの話を待っているようだった。

 直感で、ツヅキがほとんどを悟っていることが分かったのだろう。言い訳をすることは潔くないと、考えたからかもしれない。


「タンフウがお嬢様に呼ばれて話をした時。お嬢様は『皇子に輿入れして、女性もキュシャになれるように中から変えてやる』と、そんな軽口を叩かれたと聞いた。

 だけど僕の知っているお嬢様は、冗談でもそんなことを仰る方じゃない。常に前を向き、夢を抱いて希望を捨てない方だけれども、可能性がゼロに等しいことに縋る方じゃあない。

 ……サンカお嬢様は、はなからこのことを知っていたんだ」


 ユーシュがサンに会いに行った時、しかし彼女はそのことを話さなかった。

 自分個人のことは言わずに飲み込んだ、彼女の心情を思って。ツヅキは、更に強く拳を握りしめる。爪が食い込み、彼の手のひらの皮膚に傷をつけた。


「そうか。……お嬢様が、そんな話をされていたのか。

 ならば仕方ないな。お前は誤魔化せない」


 リュセイは諦めたようにそう言うと。

 息を吐き出し、正直に告げる。


「お前の言うとおりだ。今夜、新年祭で話が動く手筈になっている。

 今日は長らく旦那様たちが待ち望まれた日なのだ。なんとしても成功させなければならない」

「精霊憑きの影武者を使ってまで、ですか?」

「……そこまで知っているのか」


 リュセイは驚いたように目を見開く。


「彼女は、いわば保険だ。旦那様たちは、もしや直前でまたお嬢様が逃げ出されるのではないかと大変危惧されていた。そんな時に、別の家で働いていた侍女に、年格好が近い精霊憑きがいると聞いたので、こちらに来てもらったんだ。

 まさか本当に彼女に動いてもらう羽目になるとは思わなかったがな」


 何食わぬ様子でリュセイは言った。

 彼の口ぶりだと、どうやらタンフウの妹は、リュセイの許可を得て既に動いているようだった。

 はやる気持ちを抑え、ツヅキは核心をつく。


「一つだけ、分からないことがあるんだ。

 王家とお嬢様との婚約は、既に成されてしまったものなのか。

 それとも。今夜の新年祭をきっかけに、話を進めるつもりなのか」


 リュセイは黙ってツヅキを見つめ返す。

 射抜くような兄の眼差しに臆し、怯みかけるも。彼は、耐えた。

 そして。


「――後者だ」


 リュセイは、ぼそりと告げる。

 その言葉にツヅキの顔には一瞬、晴れやかな色が浮かび。

 しかしすぐに、ぐっと唇を引き結んだ。


「今なら。まだ、お嬢様と王家との婚約は止められる」

「邪魔をするな、ツヅキ」


 リュセイはさらりと剣を抜いた。

 ツヅキの顔の横に、抜身の刃が向けられる。


「これはリーリウム家の悲願なのだ。お前の一存で止めていいものではない。

 サンカお嬢様は、一介の貴族として甘んじていいお方ではない。不幸にも王家と縁遠い年の巡りにお生まれになってしまったが。お嬢様のお力を陛下に示せば、必ずや縁談はまとまるだろう。

 お嬢様の導きにより、国はよい良い方向へ向かう」


 ツヅキは微動だにしない。すぐ顔の横には鋭い刃があったが、もう彼は臆さなかった。ただ目の前の兄を真っ直ぐ見据えている。

 感情的になりそうになるのを必死に堪え。ツヅキは、抑えた声で尋ねる。


「それが。お嬢様の不本意なことであってもですか」

「貴族とはえてしてそういうものだ。個人よりも、皆のこと、国のこと、より大きな目的を優先する。それが貴族に生まれた者の務めだろう。お嬢様もそれは重々、承知していらっしゃるはずだ」


 分かりきっていたはずの兄の答えに、俯いた。

 だがやがて意を決したように顔を上げ、ツヅキは訴える。


「旦那様たちの計画は、思い通りにはならない」

「……どういうことだ」

「皆は影武者の彼女のことを、単純な替え玉くらいに思っているようだけど、実際にはそうじゃない。

 それは全部、かつて皇太子殿下の極秘の行啓の情報を流し、暗殺を目論んだシナド・ミカゼの差し金だ。彼女はおそらく父親であるそいつに脅されている。お嬢様を騙らせて、皇太子殿下を暗殺するつもりだ。

 その上で現王権を完全に打ち倒し、サンカお嬢様を女王にするつもりなんだよ」

「なんだと?」


 一瞬、リュセイは動揺するが、しかしすぐ表情を引き締め。

 彼は冷静にツヅキを詰問する。


「その言葉。信じるに値するのか。お前がお嬢様の婚約止めたさに吐いた、虚言ではないという証拠はあるのか」

「……ない。だけど」


 一歩、ツヅキは前に進み出た。

 リュセイは更に剣を近付けるが、ほとんど頬の皮膚に触れる間際になっても、ツヅキは引かない。



「少なくとも、お嬢様はそれを望んではいない」



 ツヅキは、腰に刺していたナイフを抜き、すっと構えた。

 リュセイの持つ剣と比べ、それはあまりに短く、頼りない。

 しかしツヅキは微塵も怯むことはなく、どこまでも真っ直ぐな目でリュセイを見据えた。


「兄さんは。僕がどうして近衛兵を志願したか、知っているはずだ。

 僕はあの時、サンカお嬢様をお慕い申し上げていたからだ。不純な気持ちを抱えたまま、お嬢様の隣にいるわけにはいかなかった。

 ……僕は弱い人間だ。近衛兵の試験に落ちたときだって、今回だって、すぐに折れてしまう。主人となるべきお方にまで心配をかけてしまう始末だ。

 僕には、お嬢様を守る資格なんかない。けれどたとえ資格がなくたって。僕はいつだって、心だけは常にお嬢様の騎士でいるつもりだった。

 僕は、命を賭してもお嬢様の意思を守る」


 互いに身動きをとらぬまま、睨み合いが続く。

 やがて。


「……全く。甘いな」


 根負けしたのは、リュセイの方だった。

 ふっと緊張を緩めると、彼はツヅキの顔から剣を離し、切っ先を下げる。


「敵に手の内を洗いざらいぶちまける奴があるか」

「だって、兄さんは敵じゃない。そうだろう」


 気が抜けたようにツヅキは深く息をついた。


「兄さんは、皇太子殿下に危害を加えようとしているなんて夢にも思わなかったはずだ。

 そんな不名誉な形でお嬢様が成り上がることなど、旦那様もろとも認めるはずがない」

「全くだ」


 リュセイは剣を鞘に戻す。


「よもや。シナドの陰謀に利用されていたとは、ハクトー家の名折れだ。

 全く、彼もつくづく厄介な父親を持ってしまったものだな」


 数週間前に話をした、弟の同僚である人物の姿を思い出し、リュセイは苦笑いを浮かべた。

 手早く身なりを正し、リュセイは踵を返す。


「行くぞツヅキ。お嬢様はさておき、奴を止めねばならん」


 兄の言葉に、ツヅキは目を瞬かせる。

 振り返ったリュセイは、彼の言わんとすることを悟って、珍しく破顔して笑みを浮かべた。


「その様子だと。お嬢様が怪盗に連れ去られたのも、どうせお前らの差し金なんだろう? もし本当にお嬢様が誘拐されたのなら、お前は取り乱して俺に話をするどころじゃなかったはずだ。

 全く。ただの学者たちと思いきや、とんだ連中だな」

「……敵わないな」


 ツヅキもまた、苦笑いを浮かべ。

 リュセイと共に、駆け出した。

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