サンは彼女の登場に衝撃を受ける

 冬至の夜。

 ウィオラ家の邸宅では、華々しい夜会が開かれていた。


 一年でもっとも夜の長いこの日。太陽の弱る期間が終わり、その力が復活することを祝って、各所で祭りが開かれる。貴族間でもそれは例外ではなく、四大名家の間で毎年順番に夜会を催すことがしきたりとなっていた。


 この年の主催は、ウィオラ家である。

 リーリウム家が長女、サンカ・リーリウムは、この日、ウィオラ家主催の夜会に訪れていた。

 彼女が社交の場に姿を現すのは久しぶりだった。ここ数年は寄宿舎付の学校へ通っていたため、ほとんど顔を出すことはなかったのだ。

 幼少からこういった場に慣れているサンは、社交とてそつなくこなすが、決して好んでいる訳ではない。楽しめる場面もあったが、基本的には肩が凝るため、いつもであれば憂鬱さが勝つ。

 だが、今宵は珍しく心躍っていた。夜会への出席を名目に、久々に外出することができたからだ。

 史学会から家に戻って以来、彼女は一歩も家から出ていない。屋敷の中を歩くにも使用人たちの目が光り、随分と窮屈な思いをしていたのだ。

 だから今回ばかりは、夜会の誘いに心から感謝していた。


 夜会用の豪奢なドレスは、白を基調とし、フリルや刺繍など要所要所で淡い青があしらわれている。冬の妖精のようなそのドレスは、今夜のために仕立てられたものだ。髪は丁寧に結い上げられ、胸元はドレスの色と合わせた煌めく青の宝石で飾られている。

 美しく成長した彼女の姿は、久々に衆目の前に姿を見せたことと合わせ、人々の関心を惹いていた。


 主催のウィオラ家の者へ挨拶を済ませたところで、顔なじみの令嬢が彼女の元にやって来た。当たり障りのない挨拶を交わした後、彼女はしとやかに扇子を広げると、サンに小声で囁く。


「お聞きになりましたか? 今宵は、ケラスス家のご令嬢がいらっしゃるそうですよ」

「まあ」


 素直に驚いて、サンは感嘆の声を上げる。


「お身体が弱いとお聞きしているけれども、大丈夫かしら。ユーカ様でしょう? 寒さが苦手だそうだから、心配だわ」

「あら。ご存知なのですか?」

「ええ。一度、お会いしたことがあります」

「そうだったのですね」


 拍子抜けした、といった様子で小首を傾げると。

 彼女は、やはりひそひそ声で言う。


「あまりに姿がお見えにならないものですから。てっきり、ユーカ様はの方かと思っておりましたの」


 彼女の言葉に。少しだけ、サンは顔を曇らせた。




 四大名家の一つであるケラスス家には闇がある。

 それは王国に住む者なら誰もが知っている、公然の秘密だった。


 王国の暗部であるジェイ家。だがその母体となったのは、彼らと真逆の表舞台に立つ貴族、ケラスス家である。

 元を辿れば、彼らは王家直属の『裏の組織』であり、王族の側近だった。表立っては処理できない事柄を、かつてはジェイ家が一挙に担っていたのだという。

 しかし現在では、その後ろ暗い仕事のみが一人歩きし、王家との繋がりは絶たれ、本家であるケラスス家とも袂を分かってしまった。


 と、表向きはそういうことになっている。

 けれども実際には、ケラスス家とジェイ家とは未だに密接な関係にあるのだと、まことしやかに噂されていた。それはケラスス家が、幼少期の血族について極端に秘密主義であることに由来している。

 彼らは成人するまで、滅多に表に出てこない。赤子が生まれても祝宴は身内のみで執り行われ、子どものうちは外部とほとんど接触をもたない。時には気が付かないうちに、死んだと報じられることすらあった。


 故に。彼らは生まれた子どもの適正を見極め、『ケラスス』に属する者と、『ジェイ』に属する者を選り分け、属性が確定してから表に出ているのだ――という話が、貴族の間で囁かれていた。

 勿論。噂を囁く貴族たちも、当事者のケラスス家の者も、表ではそういった風聞の存在すら匂わせることはない。




 サンも当然、この噂のことは知っていた。けれども根拠のない話を種に、影で面白おかしく盛り上がるのは、好きではない。まして、知っている相手なのだから尚更だった。

 気にしないふりをして、サンは穏やかに微笑む。


「表には滅多に出てこない方ですからね。けれど、こちらに顔を出されるのだから、彼女はケラススよ」

「そのようですね。要らぬ心配をしたようです」


 くすくすと、彼女は笑う。

 合わせて一緒に笑みを浮かべながらも、心の中でサンはため息をついた。

 社交の場で出会う同世代の貴族の娘たちと会話をするのは、苦ではない。学校を卒業し、滅多に友人と会うことがなくなった今は、むしろ彼女たちと会話することは楽しみですらあった。

 しかし口さがない噂話や、それに興じるふりをするのは、ひどく疲れる。


「あら。噂をすれば」


 静かなざわめきが耳に入り、彼女は口元に扇子を当て、振り返る。つられてサンもそちらに目をやった。

 先ほど到着したばかりの令嬢、ユーカ・ケラススは、一通り方々へ挨拶を済ませたところのようだった。


 纏うのは、深い紺色のドレスだ。金の糸で縫われた刺繍が明かりに照らされ、きらきらと光っている。美しい金髪は月のように映え、まるで夜空のようだった。

 すらりとした細身の長身に滑らかな肌、どこか憂いを湛えた青い瞳。ユーカ・ケラススの纏う神秘的な佇まいは、見る者の心を捉えた。その姿を見つめる貴族の子息が数人、ほうっとため息を吐き出すのが聞こえる。


 会場の中でもとりわけ眩い美しさと、滅多に姿を見せぬ令嬢が現れたという物珍しさとで、会場の関心は一斉にユーカ・ケラスス嬢に向いていた。

 しかし当の本人は、心許なさそうに視線を彷徨わせている。心なしか、顔色が悪い。

 ユーカの顔を見つめ。サンは、息をのむ。


「……大変」


 思わず漏れ出たその呟きが、届いたのか。ユーカは、サンの方へ顔を向けた。その視線を捉えると、サンはユーカの元へ足早に歩み寄る。


「お久しぶりです、ユーカ様。覚えておいですか」

「勿論ですわ。お久しぶりです、サンカ様」


 サンの挨拶に、か細い声で、にこりとユーカは応じる。

 だが、次の瞬間。彼女はふらつき、よろりとサンの腕にしがみついた。

 苦しそうな息を漏らし、ユーカは青い顔を上げる。


「申し訳ありません。少し、気分が」

「……まあ、それはいけないわ。無理をされたのね。休んだほうがいいわ」


 サンはユーカの腕をとったまま出口まで誘導し、隅で控えていたウィオラ家の執事に告げる。


「ユーカ・ケラスス様が、ご気分が優れないようなの。どこか休める場所はないかしら」

「ご案内いたします」


 速やかに執事は応じ、二人は別室に通された。

 ユーカをソファに座らせ、水を一杯手渡したところで、再びサンは彼に頼む。


「彼女は人見知りなの。きっと慣れない夜会で緊張しているのよ。

 悪いけれど、外に出ていてもらえるかしら。彼女には私がついているから」

「かしこまりました。入り口に人を付けておきます。なにかご入り用がございましたら、お申し付けください」


 一礼し、執事は部屋を辞す。室内には、サンとユーカの二人だけとなった。

 執事が立ち去り、たっぷり数十秒は経つのを見計らってから。

 サンは、呆れ顔でユーカを覗き込む。


「……なにをやっているのよ、!」


 その言葉にユーカ・ケラスス嬢――もといユーシュは、にやりと笑う。


「あれ。随分と早くバレたな。何かマズった?」


 途端、声音はいつもの彼に戻った。

 ぺろりと舌を出すと、ユーシュはさっそく姿勢を崩し、怠惰に背もたれに寄りかかって足を組んだ。

 彼をまじまじと見つめてから、サンは気が抜けたようにため息を吐き出す。


「安心しなさいよ。私以外は見事に騙されていると思うわ」

「なら良かった。表の礼儀はあまり習ってないもんでね。ボロがでないか心配だったんだ」


 今となっては、声も態度も見慣れたユーシュのものだったが、先ほど会場でみせた立ち居振る舞いは高貴な令嬢のそれであった。疑問に思った者はいないだろう。

 見た目だけなら、態度以外は今でも非の打ち所のない美女だ。とても男だとは思えない。


「むしろ似合いすぎていて腹が立つわ」

「そいつはありがたいね」

「本当に腹が立つわ……なんでそんなに似合ってるのよ」

「……そこまで連呼されるとさすがに俺も複雑なんだけど」


 苦い顔つきになり、ユーシュは少し姿勢を正した。

 入り口の扉にちらりと目をやってから、サンは険しい表情になる。


「それよりも。どうやって潜り込んだのよ」

「そいつは企業秘密だ」

「あなたねえ……! 何をしているか分かっているの? バレたらとんでもないことになるのよ。よりによって、ケラスス家を名乗るなんて」

「大丈夫だ。あいつは滅多に表舞台に出てこない。バレることはないさ」

「あいつって。ユーカ様のこと? どういうことなの」

「サン」


 ユーシュは彼女を覗き込み。

 手にしていた扇子で、そっとサンの口を塞いだ。


「頼むから、聞いてくれるなよ。

 史学会の『サン』は、俺の身元を知っても別に後悔はしないと思うけど、おそらく『サンカ・リーリウム嬢』は危険を感じると思うからさ。

 どう考えようとしたって、知ってしまった後だと取り返しはつかないだろ。

 俺はお前と、できれば対等でいたいんだ。頼むよ」


 いつもの彼とは違う、真面目な響きのその言葉に。

 サンは悟って目を見開き、口を閉ざした。

 どこか淋しげな表情で、ユーシュは彼女の口元から扇子を外す。


「だから前に言っただろ。どこに狼や蛇が潜んでいるか分からないってさ」

「……自覚しているの。それはほとんど答えと同義よ」

「明確に答えなければ正解じゃあないさ」


 低い声で言葉を交わし、二人は互いに目を逸らした。

 気まずい空気を払拭するように、サンは話題を変える。


「みんな、元気? ツヅキはまだ完治はしていないみたいだけれど」

「あいつらは相変わらずだよ。けど食事係が二人も消えて、お陰様で困窮しっぱなしさ」

「研究報告は終わったんだし、少しは自分で作る努力をしなさいよ」

「それが出来たら苦労しないね。だから困ってるんじゃん」


 笑って答えてから。

 ユーシュは、不意にその顔からすっと表情を消した。


「けどな。そう暢気にしている場合じゃあなくなっちまったんだ」

「……どういうこと?」


 彼は真顔でサンをじっと見つめる。


「お前。自分のおかれた立場について、どこまで知ってる?」






 話を聞き終えたサンは、分かりやすく感情を表に出すことはなく、唇に人差し指を当て考え込んでいた。

 やがて彼女は、落ち着き払ったまま静かに口を開く。


「一つ、気になることがあるの。

 タンフウの妹は、私の影武者としてリーリウム家に来ているんでしょう。

 でも。それって、本当のことなのかしら?」

「どういうことだよ?」


 怪訝にユーシュは聞き返した。

 サンはゆるゆると首を横に振る。


「ジェイ家の情報網について難癖をつけたいわけじゃないの。むしろその逆よ。彼らはその道では、他の追随を許さないと聞いている。

 だからこそ、がそちらに行ってしまったんじゃないのかな」


 顔を上げ、サンはユーシュに告げる。


「私はね。彼女の存在について、少なくとも現時点では知らされてないのよ。

 けれど。他ならぬ私の影武者なのに、本人に知らされないなんてこと、ある?」

「……まさか」


 目を見開いたユーシュに、サンは頷いてみせる。


「その影武者という事実そのものが。私のみならず、リーリウム家の人間には伏せられているんじゃないかな。

 つまり。タンフウの妹は、リーリウム家が私の影武者として雇った人間じゃない。タンフウのお父様……シナド・ミカゲの一派が、そうさせるためにうちに送り込んだのよ。

 実行のタイミングで彼女は私と入れ代わって、『サンカ・リーリウム』として彼らに加担するつもりなんじゃないかしら。

 一旦その既成事実さえ作ってしまえば、後から私を連れていく方が簡単だもの。表向きの女王は彼女に演じさせて、必要なことは裏で私に強要させればいいんだから」


 さらりと彼女は、自分に降りかかるかもしれない恐ろしい可能性を口にした。他の者であれば少なからず動揺したかもしれないが、ユーシュは動じなかった。


「……そうか。納得するかどうか分からないお前を無理に動かすより手っ取り早い。自分の手の者にさせるんだったら、これほど楽なことはないからな」


 サンは暗い面持ちで、扇子をもう片方の手へ軽く叩きつける。


「そうすると。私よりまず、タンフウの妹こそ危険だわ。

 彼女が積極的に協力しているのか、逆らえずにいるかまでは分からないけれど。

 失敗した時に、全ての咎を負わされるのは彼女よ」

「……そうか。ちょっと待てよ、嘘だろ」


 ユーシュは口を引き攣らせる。


「実の、娘だぞ?」


 短いその言葉に、しかしサンもユーシュが何を言おうとしているか悟って、顔をしかめた。


 おそらくタンフウの妹は、最初からサンに成りかわり皇太子を打ち倒す役目を担うべくして、これまで育てられてきたのだ。他ならぬ、父親のシナドの差し金によって。母親が亡くなった際に知人が彼女を引き取ることを申し出たのも、裏で彼が手を引いていたのだろう。

 そしてサンが成人するのを待ち、満を辞してリーリウム家に潜り込ませた。

 十数年も前から周到に練られていた計画なのだ。


「くっそ。あいつに言いたくねぇな……とんだクソ親父じゃねぇか。既視感があり過ぎて俺まで腹が立ってきた」


 ユーシュは髪をぐしゃりとかきむしりそうになるが、今は髪が丁寧に結われていることを思い出し、不満げにそれを止める。

 サンは二人の他に誰もいない室内で、しかし注意深く視線を送り、誰も聞いている者がいないことを改めて確認すると。扇子を広げ、小声でユーシュに耳打ちする。


「本当に内密の話だけれど。

 彼らが動くのは、おそらく年明けの新年祭の時よ。

 長年、臥せっていらした皇太子殿下は、体調の悪化を理由に、まもなく正式に皇太子の位を、息子の長男皇子に譲位される。その宣旨が成されるのが新年祭の時なの。

 それより前に人の集まる王室の公式行事はない。目的からして人目の多い場所で実行するのでしょうから、きっと狙うのはそこだわ。

 だから急いでいるのよ。これで皇太子殿下が譲位してしまったら、元も子もない。権力から退いた人物を打ち倒しても、効果は薄いもの」

「そういうことかよ」


 合点がいったようにユーシュは目を細める。


「分かった。言わせて悪いな、ありがたい。その方向で、あいつらとも検討しよう。

 ……が。その前に、もう一つの本題だ」


 ユーシュは、扇子を持つサンの手を掴んだ。

 驚く彼女の目を見つめ、ユーシュは真顔で尋ねる。


「サン。あんたは、どうしたい」

「私?」


 きょとんとして彼女は聞き返した。


「事情は知っちまったが、俺たちはあくまでとことん蚊帳の外の人間だ。渦中にいるのはお前だろ。

 もし仮にお前があいつらの理想に賛同して、この世界を変えるために女王になりたいと言うのなら。

 俺たちは、止める理由がない」


 真摯に言い募った、ユーシュの問いに。

 一呼吸置いて、サンは静かに答える。


「私は女王にだなんてなるつもりは毛頭ないわ。あくまで私たちは臣下よ。

 国は安定している。それを手前勝手な理由で揺るがすなんて許されることではないわ」

「そういうことを聞いているんじゃない」


 しかしユーシュは顔をしかめ、サンの手首を握る手に力を込めた。


「そんな優等生の回答をわざわざ聞きにきた訳じゃないんだよ。

 今回のことだけじゃなく。これから先のことまで全部含めて、お前はどうしたいんだ。あんたを狙う輩から逃げるために、ずっと軟禁状態のままで過ごしていくつもりなのかよ。

 可能かどうか、なんて難しいことはひとまず考えるな。

 今は、着ているドレスのことも、背負ってる立場のことも全部忘れて、『サン』としての本音を言えよ。

 お前は曲がりなりにもキュシャになりたかったんだろう。

 家を、姓を、身分を捨てて、自分ただ一人としての言葉を言えよ」


「……私、は」


 その言葉に、唇が震える。

 俯き加減に目線を伏せると、彼女はしばらく膝の上に置いたもう片方の手を見つめていた。

 しかしやがて、彼女もまたその手に力を込めると。


「私は。女王にもなりたくないし、皇子だろうが誰だろうが、どんな人かも分からない人と結婚だってしたくない」


 サンは顔を上げ。

 潤んだ瞳で、ユーシュを見上げる。


「まだ、未来のことは分からない。けど、今の私は。

 私は、もっと学びたい。ただの助手じゃなく、私自身の力で研究をして、もっと色々なことが知りたい。

 そして、叶うことならば。史学会と天文連合のみんなと、一緒にいたい」


「その言葉が聞きたかった」


 立ち上がり、ユーシュはサンの頭にぽんと手をやった。


「待っていろ。俺たちが、必ず助ける」


 彼女の顔は見ずにそう告げると、ユーシュは頭の後ろで腕組みし、気楽な口調に戻って言う。


「この俺を働かせるんだ。ものすごく面倒極まりなかった。この借りは高くつくぞ。

 後で、とびきり美味しい飯を作ってもらうからな」

「上等じゃないの」


 目元を拭い、サンは好戦的な笑みを浮かべてみせる。


「腕によりをかけて、とびきり美味しい料理を作ってやるわ。あなたたちのお腹がはち切れるまでね」

「そいつは楽しみだ」


 ようやく振り返ると、ユーシュもまたいつものように、にやりと笑った。

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