タンフウは静かに決意する

 夜会の翌日。太陽が既にかなり高くまで昇った頃、ユーシュはタンフウの部屋を訪れた。

 ノックの音に返事がないのを訝しみながら、勝手に彼の部屋を開くと。

 ぎょっとして、ユーシュは思わずたじろぐ。


「なんだよ、この部屋。どうしたんだよ」


 タンフウの部屋は、所狭しと本や書類が広げられ、足の踏み場がない状態になっていた。

 紙の束に埋もれ、机が見えない。ベッドの上には開かれたままの本が何冊も置かれ、一部は床へ雪崩れていた。

 しばらく閉め切ったままだったのだろう室内は、空気が淀んで息苦しい。暖炉の火はとうに消えてしまったらしく、部屋はだいぶ冷え込んでいた。

 研究報告に取り掛かっていた時より遥かにひどい。


 扉の開く気配に振り返ったタンフウは、「ああ」とようやくユーシュの存在に気付いて顔を上げた。その目にははっきりと疲労が滲み、深く隈が刻まれている。髪はいつも以上にぼさぼさで、毛布にくるまっているため服も皺だらけだった。



 冬至の夜会まで間がなかったため、史学会で話をしてから、その日のうちにユーシュはすぐさま王都に赴いていた。なので彼はしばらく天文連合を空けていたのだが、ツヅキによればタンフウはここ数日、ずっとこんな調子だったらしい。部屋にこもり、ほとんど外に出ていないらしかった。


 焦点の定まらぬ視線をやっとこちらへ向けたタンフウに、ユーシュはおずおずと尋ねる。


「お前、……寝たのか?」

「寝るって。まだそんな遅い時間でもないのに」


 言いながらぼんやりと視線を窓にやり。

 外が明るいことに気が付いて、タンフウは気が抜けたように呟く。


「……朝か」

「朝だよ! 朝どころか、そろそろ昼だよ!

 今日の午後にはセツたちが来ることになってるだろ。あまりに降りてこないから様子を見に来たんだけど。お前、どうしたんだ?」


 ユーシュの問いかける声へ、タンフウは熱に浮かされたように答える。


「……黒点の。観測記録を、見ていた」

「黒点?」

「ずっと。太陽と、精霊について考えていたんだ」


 手にしていた書類にじっと目を落とし、タンフウはぶつぶつと話し始める。


「この前、父さんは『まもなく太陽が極大期を迎える』と言った。あの時は訳が分からなかったけど。父さんの話は、まるで『精霊の活動と太陽の活動が連動している』とでも言うかのような文脈だったんだ。意味もなく突然そんなことを口走るとは思えない。

 だから、調べてみた」


 タンフウは紙を数枚めくった。

 そこに記されていたのは、上下に波打つ形状のグラフだ。


「知っているだろう。太陽は約十一年周期で、活動の極大期と極小期を繰り返している。そして太陽の活動が活発になると黒点は多くなり、逆に低下すると少なくなるんだ。

 黒点の観測記録をさらい直した。あまりに古い記録は流石に見当たらなかったが、そこから先はこれまでの周期をもとに計算した。

 結果、アンゼローザが精霊の力を使って世界を救ったとされる時代は、父さんの言うように太陽の極小期だった。

 逆に今は、極大期になるところだ。ここ最近の黒点の出現数が随分と多い」


 観測記録と思しきその書類を一旦、傍らに置くと。タンフウは今度、近くに積み上げてあった本を手に取って、ぱらぱらとめくる。

 ユーシュには見覚えのない書籍だった。背表紙の題から察するに、精霊学の学術書である。


「こんな本、どこから持ってきたんだよ」

「セツに見繕ってもらった」

「なんであいつが」

「この前の話で、精霊学に妙に詳しかっただろ。聞いてみたら、どうやら史学に来る前は、精霊学ギルドにいたらしいんだ。合わなくてすぐに辞めたって言ってたけど」


 言いながらタンフウは頁をめくり、やがて目当てのところに行き当たる。

 そこには、ここ数十年の精霊の観測記録が記載されていた。先ほどの書類も引き寄せ、グラフと照合する。


「精霊の目撃情報は。太陽活動周期と連動していた。極小期にはほとんど観測されないが、極大期になるにつれ精霊の目撃情報は増えているんだ。

 おそらく。精霊の活動は、太陽の活動と密接に関係している」

「だから、今まであいつらは動かずに潜んでたのか。サンの成人を待ってたってのもあるだろうが。そもそも精霊の力が強い時でないと、契約することができないかもしれないから」

「……気付いたのは。それだけじゃない」


 心なしか重々しい声で、なおもタンフウは続ける。


「太陽の活動と関係が深いというのなら。他にも何か、太陽や、宇宙からもたらされる何かが密接に影響するかもしれないと思った。

 そして調べるうちに行き当たったのが、隕石だ」


 またもやタンフウは別の書類の束を取り出す。簡易に製本されたその書類は、どうやらどこかのギルドが作った論文のようだった。


「隕石は、宇宙から地上へ直接もたらされる物質だ。そのエネルギーに、精霊の出現が誘発されている可能性があるんじゃないかと仮定した。実際、隕石の落下が確認された場所近辺で、精霊が観測されたという事例はいくつかあった。

 勿論、ぱっと僕が考えつくくらいだ。先行研究はあった。けどこの論文では明確な結論が出ていない。隕石の落下場所や隕石そのものに近付いて、精霊の出現が観測されないか、人為的に精霊憑きを作ることはできないか実験を行ったが、有意性は認められなかった。

 けれども。この研究には、一つの視点が抜けていた」


 論文の文面をすっと指でなぞり。タンフウは、静かに告げる。


「被験者はいずれも大人。子どもに対して実験は行われていない」

「……子ども」


 視線は論文に落としたままで、タンフウは頷く。


「セイジュに聞いたんだ。風精シルフ憑きは先天的なものなのか、後天的なものなのか。かなり幼少期からだけど、後天的なものだと言っていた。

 二十二年前、セイジュの出身地には隕石が落ちている。そしてセイジュが風精シルフ憑きになったのは、それとほぼ同時期だ。

 そしてもう一人。セツの知り合いに、セイジュみたいな精霊憑きの子がいたらしい。その子も幼少期、後天的に水精ウンディーネ憑きになった。出身地までは分からなかったけど、その子は親の形見として、隕石を加工して作った髪飾りを持っていたんだそうだ」


 そこまで一息に話すと。

 タンフウは、ようやく顔を上げてユーシュを見つめた。


「たった二つの事例だ。検討もなにもあったものじゃない、想像に近いものだよ。

 だけどここから、無理矢理に仮説をひねり出すならば。

 隕石は極大期の太陽と同様、精霊の活動を活性化する作用がある。

 そして隕石が地上に落下した際、近くにまだ未成熟な子どもの存在が認められた場合。それは


 彼の話に、ユーシュは黙り込んだままだった。

 再び視線を論文に落とし、タンフウは慎重な口ぶりで言う。


「これはあくまで僕の仮定で、何の証拠もない話だ。無理矢理にも程がある。

 けど、もしこの仮説が正しいなら。

 僕の妹は、フウカは。……セイジュと同様に何かしらの精霊憑きである可能性がある」


「……なんだって?」


「王都で暮らしていた頃。僕の家の近くにも、かつて隕石が落下したことがあったんだ。それをあいつは自分で拾って家まで持ち帰ってきた。

 僕の知る限りでは、フウカが精霊憑きだったという事実はない。けど当時は僕も子どもだ。悟られないよう親が隠していた可能性はありうる。

 この仮定が事実だとしたら、だからこそフウカが選ばれたんだ。少なくとも一種類の精霊の力を行使するところは、サンの力がなくとも見せつけることが出来る。この上ない説得力だろ」


「そうか。……ますますもって、お前の妹はうってつけだったって訳だな」

「そのとおりだ。まさしくフウカはサンの影武者として『適した人材』だったんだよ」


 そこまで話し終えると。

 タンフウは、は、と自嘲気味に息を漏らし。顔を歪めて、頭を抱える。


「……子ども。子どもだよ。大人じゃ、駄目なんだ。今からじゃどうにもできない。肝心なことは、何も解決しない」

「タンフウ?」


 彼の様子に戸惑いながら声を掛けたユーシュに、タンフウは泣き笑いのような表情を浮かべてみせた。


「彼女が。特別でなければ、いいと思ったんだ」


 ぽつりと呟き。タンフウは自分の両手をぎりりと強く握り合わせる。


「フウカが。セイジュが。サンが。精霊憑きが、特別なものじゃなくなればいいと思った。他の必要とする誰かが、意図して精霊憑きになれるなら、皆が狙われる理由はなくなる。

 でも、駄目だった。現状の研究じゃ、知識じゃ、技術じゃ、どうにもできない。

 そればかりか。調べれば調べるほど、皆の特殊性がはっきりするばかりだった。

 精霊自体は過去にも何度か観測されている。けれど精霊憑きは、精霊学ギルドの論文でメインで取り上げられたことがない程度に、存在が滅多に確認されていない。前回の極大期から、ぽつぽつと数人、その存在が噂されただけだ。

 あいつらは珍しすぎる。……どうしたって、逃げられない」


 握った拳を額に付け、タンフウはうずくまった。

 しばらく呆然と彼の姿を眺めてから、やがてユーシュは静かに言う。


「数日調べただけのお前が真理に辿り着いたら、精霊学ギルドは全部お払い箱だよ」

「そうだな。……そのとおりだ」

「それにしたって。本当、たいしたもんだけどな……」


 唸り声を上げ。ユーシュは、にわかに前髪をかきあげた。

 じっと虚空を見つめてから。ややあって、彼はぼそりと言う。


「……うん。そうだな。公平じゃない。俺も話しておくよ」

「話すって。何を?」

「ケラススの人間は。ほとんどが、生まれつき精霊を見ることができる」


 タンフウは目を見開き、ユーシュを見上げた。

 数日前、タンフウが霊狐と天文連合の側で話していた時のことを思い出す。ここ数日は慌ただしく彼に問えずにいたが、確かに彼は霊狐の姿と声を、タンフウと同様しっかり認識していた。


「ただし。精霊と契約できるほど『精霊に愛された』人間……精霊との契約権限を持つ者は、歴代でもそういないんだ。

 セイジュの精霊憑きと、サンのそれとは根本的に意味が違う」


「偶発的なものではなく、自分の意志で精霊憑きになれる、……ということだけじゃないのか?」


「まあ合ってはいるが、全部じゃないな。そもそも憑けるわけじゃない。

 セイジュは字面通り、精霊に『寄生』されている。本人の意思じゃない。

 本来、精霊はそう人間に関与するものじゃなく、森や川と同じようにただそこに『在る』ものだった。けどセツの言ったように、アンゼローザ以後、彼らは自然界に存在することすら難しくなってしまったんだ。

 近年ようやく、姿を保てる個体が増えてきたが、それでも不安定だ。だから彼らは姿を保つため、人間に寄生して、安定したエネルギーを得ながら存在している。

 それが精霊憑きの正体だ」


 腕組みして、ユーシュは渋面で続ける。


「お前の言うとおり、確かにあいつらは現状で珍しい。

 だけど今は数が少ないが、今後、精霊憑きは増えてくる。極大期に差し掛かったんだから尚更だ。やがて大人でも人為的に精霊憑きにする方法が発見されるだろう。多分、こっちの懸念は時間が解決してくれる。

 けれど。サンの存在だけは、どうにもならないんだ」


「……精霊憑きと、精霊と契約することとは、具体的にどう違う?」


「精霊憑きは、基本一種類の精霊だけだ。

 だが契約は一種に限定されない。複数の精霊と契約を取り交わすことが可能だ。

 加えて。精霊憑きが、自分に宿った精霊一体だけの力を扱えるのと違い。サンの場合は、一度とある精霊と契約を交わせば、契約した精霊と同種の精霊、全てと包括的に契約を交わしたことになるんだ。

 つまり一度に何体もの精霊を行使し、精霊憑きより遥かに大規模な力を使うことができる。

 セツの『先祖返り』という言葉どおり。精霊の力さえ戻れば、アンゼローザのような凄まじい規模の力を使うことが可能だろう」


 かつて聖女アンゼローザは、精霊たちの力を借りて、世界が滅ぶという未曾有の危機を食い止めたという。

 しかしこれは改竄かいざんされてしまった歴史だ。一般の目には触れない禁書の類でしか、当時の情報は遺されていない。未来に生きる彼らに、何が起こったか詳細をうかがい知ることは叶わなかった。

 けれどもそれが真実であるならば、アンゼローザの駆使した精霊の力が、どれほど凄まじいものかは容易に想像がついた。世界をも救う力である。

 そしてこの力を行使しうる人物が存在すると知られれば。権力者をはじめ、力を欲する者が黙ってはいないだろう。

 自由に生きることを願う、彼女の意思とは無関係に。


「セイジュもお前の妹も。勿論、今は危険だ。

 だけどサンだけは。二人以上に、何が何でも隠し通さないといけない」


 そこまで話すと、ユーシュは表情を緩めて舌を出した。


「俺ら以外に話すなよ。対外秘の禁忌だ。俺が殺される」

「分かってるけど。……いいのか。ここまで話してくれるとは思わなかった」

「正しく認識しといた方がいいと思ったからな。

 あいつは。そちら側に行くことを、望んでいないんだから」


 物憂げな面持ちでユーシュは額に手を当てた。


「サンに関しては、精霊憑きと別個に考えた方がいい。そっちと違って、考えてどうにかなることじゃないんだ。

 まあ。セイジュもお前の妹も、今の段階じゃ特別だけどな」

「そうだな。……結局、何も解決策は見つからなかった。僕は馬鹿みたいに悪あがきしただけだ」

「何を言うんだよ。宇宙との関連は俺も知らなかった。そこまで調べただけで上等だろ」

「……僕には。これくらいしか、できないから」


 弱々しく笑みを浮かべてから、タンフウは俯く。


「ユーシュ。僕には、何もないんだよ。

 セツみたいに深い知識やそれを活用する頭もない。

 ツヅキみたいに直接大切なものを守れる力もない。

 セイジュみたいに人を和ませることなどできないし、風精シルフがいるわけでもない。

 ユーシュみたいに器用にうまく立ち回れやしないし、実家の存在はむしろマイナスだ。

 みんな凄いものを持っているのに。僕は、サンとフウカが巻き込まれているというのに、何もできそうにない。

 父さんに言われたとおりだ。僕は無力だよ」


 ユーシュは、タンフウのその言葉に怪訝な表情を浮かべると。

 息を深く吐き出して、タンフウの目の前、本と書類の散らかる上に、どかりと座り込む。


「俺に言わせればな。お前の武器は、その性根だよ」


 ユーシュの言葉に呆気にとられ、タンフウは顔を上げた。

 胡座の上で頬杖をつき、ユーシュは彼の瞳をじっと見据えて言う。


「無自覚みたいだから言うけどな、タンフウ。

 お前、自分が死ぬほどお人好しだってことに気付いてないんだよ。

 でなきゃ、ジェイ家から家出した放蕩野郎なんかを、みすみす受け入れるもんか。

 お前も確かに訳ありなんだろうが、お前の訳ありは過去の話で、俺たちはほとんど現在進行系だ。それをまとめて面倒みてやってんだ、充分過ぎるほどにお人好しだろう」


 ユーシュは彼の胸に、とんと人差し指を突きつける。


「お前がすごいと言ったその俺たちは。あんたが受け入れてくれてなきゃ、まずここにいないんだってことに気付け」


 そう言って、返事は待たずにユーシュは立ち上がると。

 「ああそうだ」と呟き、思い出したようにポケットの中に手を入れた。


「サンから預かってきた」


 そう言って、ユーシュはポケットから取り出したものをタンフウへ放り投げる。

 空中で受け取って確認すると、それは懐中時計だった。この国で、もっぱら身分の証明に使われるものだ。表面には、盾と百合の花のあしらわれた意匠が刻まれている。


「セツのと一緒に貰ってきた。リーリウム家に代々仕える家のものだと。自由に使ってくれて構わないそうだ。

 『差し出がましいようだったらごめん、不要なら捨ててくれ』ってさ」


 タンフウは手のひらの中に収まったそれの蓋を、おずおずと開ける。

 中には、きっちり現在時刻が刻まれ続けている時計と、小さな一枚の紙切れがあった。


 ユーシュは更に付け加える。


「『』って」


 紙切れには、見覚えのある筆跡で文字が書かれていた。

 サンの丁寧な字で、手紙にはこう記されている。



『お父様のことは、あなたとは何も関係ない。

 どうかあなたは自由に生きて』



「……本当に。君って人は」


 口をついて出た言葉は、しかしそこから先を続けることはできず。

 タンフウは胸元で、じっと手紙と時計とを握りしめた。


 しばらくその様子を静観していたユーシュだったが、やがて彼はまた口を開く。


「なあタンフウ、さっきの話だけどさ。

 言っておくけど、俺の家とセイジュの風精シルフは、自分で得ようと思って得たものじゃない」

「分かってるよ。だけど、それでも現在、二人が持っているものだ」

「そのとおりだよ。疎ましいものであったとしても、時には力になる。俺もセイジュも、今はそのつもりだ。利用できるものは、とことん利用してやる。

 だからこそ、だ。

 ……強要するつもりはない。けど多分、今のお前はそれを使いそうな気がしたからな。ついでに俺からも差し出がましいことを言わせてもらうよ」


 窓に目をやり、ユーシュは外に広がる森を眺めると。

 悪戯めいた笑みを浮かべ、にやりとタンフウに告げる。



「この前の霊狐が。ずっと心配そうに、その辺をうろうろしているぞ」



 その言葉に目を見開き。

 タンフウは、音もなく静かに立ち上がった。

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