4章:花の名前
タンフウは憂鬱に都を訪れる
ヒズリア王国の王都、フロルリッジ。
『王国の万華鏡』とも呼ばれる豊かで華やかな都は、他国からも羨望の眼差しを向けられるほどに美しく栄えている。照明技術の発展により、広い道には等間隔で
事件から数日。タンフウはこの煌びやかな王都へ、久しぶりに足を踏み入れていた。ユーシュの仮登録手続をしたとき以来だ。
その王都の中でも、民衆は滅多に訪れることのない中枢機関の立ち並ぶ区域。この一角にある王立病院を、タンフウは訪れていた。
そこには先日からツヅキが入院している。面会の許可がおりたので、代表して見舞いに来たのだ。
あれからツヅキは、砦の騎士たちにより応急処置が施された後、王立病院へ搬送された。
時間が経ちかなり失血していたため、一時は容態が危ぶまれたが、国一番の医療技術を誇る王立病院の尽力と、彼自身の生命力により、ツヅキは無事に意識を取り戻した。
主治医の話では、数週間もすれば退院できるという。しばらく無理は禁物だが、力仕事でない天文連合にならば問題なく戻れるだろう、と医師は彼に告げた。
タンフウは、黙って頭を下げる。
病室を訪れると、ツヅキは眠っていた。
静かに枕元まで近づき、タンフウはツヅキの顔をのぞき込む。顔色はまだよくないが、生気は戻ってきていた。安堵して、彼は静かに息を吐き出す。
持参した花束を窓辺の花瓶に生けてから、脱力したようにタンフウはベッド脇の椅子に座り込んだ。
「ごめん、ツヅキ。
僕は。君が身を
換気のために少しだけ空いた窓から、ふわりと風が舞い込む。暖められた室内に吹き込んだ鋭い冷たさの冬風は、白いカーテンとクレマチスの花とをふわりと揺らした。
「もしかしたら。君や、サンのことを考えれば、その方がよかったのかもしれない、けど」
その先を言葉にすることはなく。
タンフウは、膝の上で肘をつき、じっと額を抱えた。
ツヅキは、まだ目を覚まさない。
******
王立病院を出ると、門の前には黒塗りの馬車が停まっていた。見た目こそ実用重視で装飾はほとんどなかったが、その造りの丁寧さと入念に手入れをされている様子から、貴族の家のものと分かる。タンフウは馬車を避けるようにして、大回りで通り過ぎた。
が、その傍らに佇む人物の姿が目に入り、タンフウは立ち止まる。
端正な顔立ちながら鋭い光を湛えた目つきに、鍛え上げられたすらりとした長身。丁寧に整えられた黒髪と騎士の服をぴしりと着こなす様は、立ち姿だけで相手へ襟を正させる威圧感がある。
その厳粛な雰囲気を持った騎士には、見覚えがあった。
相手もこちらに気付いて、口元だけ表情を崩す。
「久しいな、タンフウ殿」
「……リュセイ殿」
ツヅキの兄、リュセイは、驚くタンフウの側まで颯爽と歩み寄った。
「突然すまない。君が本日、ツヅキの見舞いに来ると聞いてね。待たせてもらっていたのだ」
リュセイの言葉に、タンフウは身を堅くした。
一命をとりとめたとはいえ、ツヅキが重傷を負ったのは事実だ。職務上、表面では平静を装っていても、内心は身内の被害に穏やかならぬ心情でいるのだろう。
しかしリュセイは鷹揚な声で言う。
「そう構えないでくれ。ハクトー家も、リーリウム家の方々も、君には感謝しているんだ。
遅くなったが礼を言わせてくれ。君がツヅキを背負って砦まで運んでくれなければ、間に合わなかったかもしれない」
そう言うとリュセイは腰を折り、深々と一礼する。目上の人物から頭を下げられ、居心地の悪い思いでタンフウは曖昧に返事をした。
顔を上げると、リュセイは少しだけ影の差した面持ちで呟く。
「あいつは使命をまっとうしたまでだ。ツヅキもお嬢様の盾となって怪我をしたならばきっと本望だろう。
逆に。もしもこれでお嬢様に何かあれば、あいつは今度こそ思い詰めていただろうから」
リュセイの発言にタンフウはどきりとした。ツヅキが天文連合に所属する際、彼から聞かされた話が頭をよぎったからだった。
しかしリュセイはそれ以上は深入りせず、一つ、咳払いをして話を変える。
「今日、君に会いに来たのは、ツヅキの礼を言いたかったこともあるが、他でもない。サンカお嬢様からの依頼だ。君に、今回の件で直々に謝辞を述べたいというのだ。
悪いが、時間をとってもらえるかな」
リュセイに促され、リーリウム家の所有するという馬車に乗り込む。二人が乗り込んだのを確認すると、馬車はなめらかに走り出した。曇りのない大きな窓から、次第に王立病院が遠ざかっていくのが見える。
茶色い
日の射し込む側のカーテンを閉めると、向かいに座ったリュセイは、落ち着かない様子のタンフウを一瞥する。
「身元を開示しなかったらしいな」
その一言に、凍り付いた。座り心地のよかったはずの椅子が、途端に堅くなったように感じられる。先日の砦でタンフウに向けられた、騎士たちの疑念の眼差しが蘇った。
「気にしている騎士がいたので弁解しておいた。身内に不名誉な者が出たので、明かすのを恥じたのだと。それで彼らは納得していた」
「……お心遣い感謝いたします」
低い声で、どうにか答えた。
リュセイは足を組み、窓の外へと目を向ける。
「君の判断は正しかった。身元を明かしていたら、事態は面倒なことになっていただろう。お嬢様ともども、立場が危うくなっていたかもしれない。
皇太子殿下の暗殺をもくろんだミカゼ家の者の嘆願を、そう聞き入れてはもらえないだろうからな」
捨てた懐かしい名前に、胸が詰まる思いがする。
もしあの時タンフウが家名を名乗っていれば、リュセイの言うとおり騎士たちの目は厳しくなっていただろう。
しかし彼が躊躇した結果が、今だ。代わりに名乗ったサンの身分が明るみとなり、彼女はあの場所から去った。
サンはタンフウの苦しみを、分かっていたのだろう。
彼女は、史学会とツヅキのみならず、タンフウをも助けたのだ。
「悪いな。蒸し返す気はなかった」
「いえ。事実ですから」
感情のこもらぬ声で、タンフウは事務的に答えた。
外の景色からタンフウに視線を移し、リュセイはにわかに問う。
「君は。父親のことを恨んではいないのか?」
「そういう感情で捉えてはいません。わざわざ恨んでやるほど、僕は父親のことを考えていませんから」
「なるほど。賢明だ」
やはりそっけない声で告げたタンフウの答えに、リュセイは納得したように頷いた。
「私個人としては、君のことは信頼している。
君はとっくに家を捨てているのだし、キュシャとしての堅実な評判も聞き及んでいる。ツヅキをお願いしていることも、感謝しているんだ」
リュセイは険のある目つきを和らげた。その表情は、天文連合でのツヅキを彷彿とさせる。見た目から話しぶりまで、ほとんど似ていないというのに、確かに彼らは兄弟なのだと思わせた。
「今回のことは、君にとっても災難だったろう。だがサンカお嬢様のことは、事情を知らなかった君がとやかく問われることはない。君たちに害は及ばないだろう。安心するといい」
彼の言葉に、タンフウは内心で複雑な思いを抱えながら、安堵したふりをする。
リュセイは、サンが天文連合へ頻繁に出入りしていたことを知らない。
天文連合とサンとの関係は、配達の仕事で顔見知りであった、という体にしてあった。ただしツヅキとは顔を合わせておらず、強盗に襲われた日に近所の天文連合に助けを求めた際、初めてツヅキと対面して正体が知れたのだ、ということになっている。
前提は嘘ではない。実際に彼女は配達員として働いていたし、セイジュが来る前から顔見知りだったのは事実だ。疑われようはなかった。
だが、天文連合にとっては穏便に処理されたはずのその事実に、何故かちくりと胸が痛んだ。
居住まいを正し、「ときに」とリュセイは固い声で尋ねる。
「タンフウ君。君は、自分の立場というものを理解しているな?」
「……重々、承知しております」
「それを理解していないのが史学会の連中だ」
先ほどの表情と一転。苦々しい面持ちで、リュセイはタンフウを見据えた。
「この後、お嬢様からも話があると思うが、一つ天文連合の方々にお願いしたいことがある。
サンカお嬢様は名目上、これまで天文連合に研修に行っていた、ということにしてもらいたいのだ。
幸い天文連合にはツヅキが所属している。元騎士の庇護の元、長期の視察に行っていた、ということにしてもらいたい」
目を瞬かせて、タンフウは聞き返す。
「それは構いませんが……どういうことです?」
「サンカお嬢様が、史学会にいたという事実を明るみにしたくないんだ」
リュセイは吐き捨てるように言う。
「知っているだろう。あの男の、史学会代表の悪名は」
「……いいえ。あいにくと、噂話には疎いもので」
「なるほど、そうか。君のところは森の中だものな」
腕組みしてリュセイは低い声で告げる。
「『マグノリアの毒夫』ことハクレンといえば、奴の地元で知らない者はいない。避暑地ルイーザを根城にしていた高級娼婦、モクレンの落とし子だ。
母親同様、甘言で女性を惑わし、いくつもの家庭を破滅に追い込んでいる」
「…………」
タンフウが口を挟む余地なく、リュセイは続ける。
「ショウセツというのは、キュシャになった時に変えた名だ。それでも奴の浮き名はついてまわって、特区の史学研究所にいた頃にも問題を起こしている。本人の希望もあったが、その実は厄介払いとして奴らを追い払うようにして出来たのが、史学会だ。
そんな危険人物のところに、たとえ一瞬でもお嬢様が近付いたなどと、外に知れては事なのだ。分かるだろう」
ため息をつき、リュセイは頭を抱えた。
「ご本人は否定されていたが。万に一つでも、お嬢様がその毒牙にかけられていなければよいのだがな」
深呼吸を悟られないように、静かに息を吸い込んでから。
タンフウは、抑えた声で述べる。
「……お嬢様とは、深い関わりはありませんでしたが。僕が見た限りでは、懸念するような事態は起こっていないと思います」
「何故そう思う?」
「天文連合に助けを求めに来たとき。彼女は等しく二人のことを案じていました。
それにもし彼女が毒されていたのなら、ツヅキが手負いになった際、お嬢様はツヅキを運ぶより史学会の救助を優先したはずです」
「……なるほど。理には適っている。少し安心したよ」
言葉どおり、リュセイは厳しい表情を緩めた。
いつの間にか、景色が変わっていた。公的機関の立ち並ぶ区画から、貴族の家が立ち並ぶ区画に入ったのだ。似たような規格で立ち並んでいた建物に代わり、凝った装飾の施された豪華な建造物が目に眩しい。
窓の外に視線を投げ、タンフウは目を細めた。景色を気にするふりをしながら、今の会話を思い返す。
リュセイが騎士として、仕える家の令嬢を案じているのは分かる。
しかし。
――そんなの。今のセツには、関係ないじゃないか。
しかし喉まで出かかったその言葉は、すんでのところで押しとどめられた。
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