ツヅキは冷静に采配を振るう

 それにしても、と話題を変えるようにショウセツは店の中を見回す。


「今日は随分、空いてるな」


 つられてタンフウも顔を上げた。洋燈ランプの灯る小綺麗な酒場は、それなりに広いが人はまばらだ。カウンターに数人と、テーブル席には彼らの他に二組の客しかいない。


「空いてる店を選んだんじゃないのか」

「逆だよ。空いてると目立つだろ。普段はこの数倍は人がいてごった返してる。何かあったのか?」


 彼らの会話を聞きつけ、別のテーブルへ配膳を終えたリタが口を出す。


「今夜は、あいつらが出るんだよ。だから大方の連中は、野次馬で出払っちまってるのさ」

「あいつら?」

「怪盗ジーザだ。知ってるだろう」


 ああ、と相槌を打った後で、彼らは一斉にセイジュを見つめた。

 居心地悪そうにセイジュは首をすくめる。


「……なんだよ。俺だってそれくらいは知ってるぞ。ここ最近、王都を賑わせてる二人組の怪盗だろ。悪どい金持ちから金品を盗んで、慈善団体や不遇な奴らにばらまいてる」


 へえ、と感嘆の声を上げてユーシュが目を見開く。


「すごい。お前でも世俗について知っていることがあるんだな」

「馬鹿にしてんのか?」

「してるよ」


 しれっと言って笑うユーシュを、セイジュは静かに睨んだ。

 ユーシュとは別の意味で感嘆の声を上げ、タンフウは隣のショウセツに話しかける。


「この辺りにも出没するんだな。王都だけかと思ってた」

「金持ちは圧倒的に王都に多いからな。けど、ちょいちょい別の街にも出てるらしいぞ。その度にお祭り騒ぎだって聞く」

「時間が時間なら、こちとら大歓迎なんだけどね」


 リタはやれやれと首を横に振った。


「もっと早い時間に出てくれりゃ、その後で大勢の野次馬が流れ込んでくれるんだけどねぇ。あいにくと今日の予告時刻は深夜だ、解散する前にうちが閉店さ。

 おかげで今夜は商売あがったりだ」


 カウンター席から酔っぱらいの野次が飛ぶ。


「ぼやくなよぉリタ、どこで誰が聞いてるか分からねーぞお?」

「ジェイ家の悪口じゃないさ、まっとうな言い分だろう。あたしらは貧乏人の側だよ。今夜の儲け分、お宝の一つでも帰りにうちに落としてってくれってんだ」


 きっぷよい彼女の返事に、げらげらと笑い声が立った。

 一人、きょとんとしてセイジュが首を傾げる。


「なんでジェイ家が出てくるんだ?」

「それは知らないんだな。あいつらは、ジェイ家の手の者だって噂なんだよ。民衆を味方につけるためとか、同じ日に実行される本業の仕事から目を逸らさせるためだとか、色々言われてる。

 だから予告の日は、各所で騎士団がピリピリしてるんだ」

「へえ」


 ツヅキの説明に頷くと、セイジュはぼんやりと麦酒ビールを口へ運ぶ。


「俺たちのとこにも来てくれないかな。金をくれる怪盗ならいつでも大歓迎だぞ」

「絶対来ないね」


 反射的に答えてユーシュは鼻で笑った。

 その反応に、ふてくされてセイジュは口を尖らせる。


「何で断言できるんだよ。恵まれない経済状況なのは本当だ」

「地図にも載ってない僻地には、流石にあいつらも来ない」

「失敬な。今秋の改訂版で今はきちんと載ってるぞ」

「わざわざあんな場所には来ないって言ってるんだ。夢を見るなよ、くどいな」


 ぶっきらぼうに言って、ユーシュは舌を出した。


 人の少ない店内では、話し声が他の客にまで通りやすいようだった。彼らの会話が聞こえたらしいテーブル席の二人組の男が、声を掛けてくる。


「おい、そこの兄ちゃんたち。良かったら、この酒飲んでくれねぇか。俺たちの連れもさっき見物に行っちまって、二人じゃ飲みきれないんだ」


 そう言うと、彼は葡萄酒の瓶を差し上げた。喜び勇んでセイジュは席を立つ。

 が、すかさず立ち上がったユーシュが後ろからセイジュの首に腕を回して、それを止めた。


「悪いね。俺たち、家が僻地なもんで、そんなに飲むわけにゃいかないんだ。店に取り置いてもらうといいさ」


 首に巻かれた腕を引き剥がし、セイジュは不満げに言う。


「おいユーシュ、せっかくの申し出を断るなよ」

「黙れよ下戸め」


 声を掛けてきた男たちに背を向け、ユーシュはセイジュの鼻面に指を突きつけた。


「誰が酔いつぶれたお前を山奥まで連れ帰るんだ」

「……お前は絶対、やってくれないだろうな」

「やらないよ。やらないけど、まずお前もやるなよ。お前の介抱で人手がかかるのは御免だ」


 セイジュにそういい含め、ユーシュは振り返る。男たちへ害意のないにこやかな笑顔で手を振ると、彼はセイジュを引き連れて席に戻った。



******



 酒盛りを切り上げ、天文連合まで帰り着いたばかりの彼らの元に、激しいノックの音が鳴り響く。

 夜更けに山奥の天文台を訪れる者など、史学会の彼らか、あるいは胡乱うろんな来訪者しか考えられない。少し警戒してタンフウはそっと扉を開く。


 途端、倒れ込むようにして、小さな来訪者がタンフウの胸に飛び込んできた。慌てて彼は、その細い身体を抱きとめる。

 飛び込んで来たのは、今日の酒宴には不在だったサンだ。この寒さだというのに外套も着ず、寝間着にショールだけを羽織った姿である。

 彼女は肩を大きく上下させ、ぜいぜいと息をついていた。急いでやって来たのだろう。しかしそれを差っ引いても、彼女の顔色はひどく青褪めていた。

 この間の一件以来、タンフウとサンはほとんど口を利いていない。だが数日前の応酬より、今の彼女を案ずる気持ちの方がまさった。


「サン。どうしたの」

「助けて」


 タンフウの声を聞くと、サンは怯えきった声で彼の腕に縋り付く。じっと彼を見上げる瞳は、普段の気丈な彼女からは想像もつかない、弱々しい光を湛えていた。

 騒ぎを聞きつけたツヅキが、尋常でないサンの様子に側へ駆け寄る。


「どうされたんですか、お嬢様!」

「……ツヅキ」


 彼の姿を見て、僅かばかり彼女は落ち着きを取り戻したようだった。

 タンフウの腕から手を離すと、サンは胸の前でぎゅっと両手を組み合わせ、震えを押し殺した声で告げる。


「史学会に、強盗が入った。セツとセイジュが、捕まったの」






 朝が早いサンは、二人を待たず先に自分の部屋で休んでいたらしい。一階で物音がして目覚めたが、明かりを付けないので不審に思っていたところ、ショウセツたちが帰ってきて事件が起こった。彼女は自室の明かりを消していたので、気付かれなかったようだ。

 強盗はおそらく二人。ショウセツとセイジュは捕まっているようだ。話の内容はあまり聞こえなかったが、そこまでは確認できた。

 そして見つからぬうちに、サンは二階の窓から逃げ出してきたとのことであった。


 一部始終を聞くと、ツヅキはそっとサンの肩に毛布を掛けた。


「お嬢様がご無事だったのは幸いでした。ご安心ください、二人は助けます」


 戸棚に差し込まれていた地図を手早くテーブルに広げ、ツヅキは難しい表情で唸る。


「ここから街の騎士団支部まで、どんなに急いでも、戻ってくるまで一時間近くかかる。……だったら」

「街に下りるより、国境の砦の方が早い。あそこなら騎士団が常駐している」


 横入りしたユーシュの声に、ツヅキも頷く。


「そうだな。それが一番だろう。僕が知らせてくる」


 ツヅキは椅子に掛けたままになっていた黒い外套を手に取った。


「お嬢様は、ここでタンフウたちと待っていてください。私が呼んで参ります」

「駄目よ。私も行く」


 サンは毛布を掴んで立ち上がる。


「地図の道だと遠回りになるでしょう。私が一番早い道を案内するわ」

「しかし」


 ツヅキはちらりと地図に視線をやった。砦の場所は、史学会より更に東だ。砦へ繋がる道は史学会の南から伸びているが、少々迂回している。それを突っ切る道を案内しようとしているのだろう。

 だがいずれにせよ、砦に向かうには史学会を経由する必要があった。


「どうしても途中で史学会を通ります。危険です」

「大丈夫よ。ツヅキがいるもの。

 それに、外に見張りはおそらくいない。でなければ私は逃げられなかったもの。違う?」

「……分かりました。けれど、絶対に私の側から離れないでください」


 懸念の色は浮かべながらも、ツヅキは了承した。

 それを見て、ユーシュも立ち上がる。


「なら、俺たちも行こう」


 タンフウの手に藍色の外套を押し付け、ユーシュは彼に目配せする。


「騎士団に話をつけるなら、ハクがつく人間がいる方が話が早い。代表のお前がいた方がいいだろ。

 それに敵の狙いは分からないが、史学会が襲われたなら、ここだって安全とは言えない。誰かが残るよりは、いっそ全員で行動したほうがいい」


 自分も灰色の外套を着込みながら、ユーシュは窓の外をちらりと眺める。


「……満月か」


 煌々と光る月を睨み、彼は顔をしかめる。


「面倒だな。俺たちが移動する分にはいいが、相手にも気付かれやすい。用心しろよ」


 独り言のように呟いたユーシュの言葉に、彼らは静かに頷いた。

 タンフウの頭には、夢で交わした霊狐との会話が蘇る。



 ――ワケあり人間を、厄介な輩が嗅ぎつけているぞ。

 ――早晩、動く。



 それはこのことだったのだろうかと、タンフウは眉根を寄せた。

 と、続けて最後に投げられた、別の言葉が思い返される。



 ――気をつけろ。それは、本丸だ。



 言いようのない不気味な予感に、ざわりと鳥肌が立つ。

 去来する不安な気持ちを押し込め。タンフウは、ばさりと外套を羽織った。

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