彼らは盛大に酒場で打ち上げる

 数日後。彼らは全員、無事に研究報告を終えた。

 セイジュは最後の最後まで粘っていたが、ショウセツやサンの力を借り、どうにか論文を仕上げて提出している。期限までは一週間を切っていた。タンフウ含め、他の面々もようやく胸を撫で下ろしたが、他ならぬ本人は一番、悠長に構えていたので、それも含めて彼はツヅキを中心に説教をされている。もはや、彼らのなじみになった光景だった。


 今夜は麓の街へ、打ち上げと称して飲みに行くことになっている。いつものように昼過ぎには全員が天文連合に揃っていたが、タンフウは一足早く天文連合を出た。

 日の傾きかけた山道を歩いていると、背後から彼を追う軽い足音が響く。振り返ってみれば、追いついてきたのはユーシュである。


「待てよ。俺も行く」

「いいけど。時間には早いけど、大丈夫か」

「ちょっと野暮用でね。そういうお前はどうなんだよ」

「買い物を済ませたいんだ。街に行くんだから、ついでに」


 タンフウの回答に、ユーシュは怪訝に聞き返す。


「買い物? 何を買うんだよ」

「インクがないんだ」

「この前、お嬢様が買い出しに行ってたじゃん。その時に頼めば良かったろ」


 的確な指摘に、タンフウは口ごもった。

 ここ最近はサンのおかげで、彼らが買い物で街へ下りることはほとんどない。個人的な嗜好品ならともかく、仕事道具はいつも彼女に頼んでいるのだ。

 にやりと笑って、ユーシュは彼の顔をのぞき込む。


「お前、サンと喧嘩でもしたのか?」

「……喧嘩っていうほどのものじゃないよ」

「ほどほどで修復しておけよ。長引くとこっちが面倒くさい」


 楽しげな彼の様子に、少しむっとして、タンフウは矛先を変える。


「そういうお前はどうなんだよ。彼女にちょっかいを出して、盛大に叱られてただろう」

「別に、いつもどおりだ。一対一で話すことはほとんどなくなったけどな。向こうさんも表に出すほどは甘ちゃんじゃないよ」


 ユーシュは気楽然として、ひらひらと手のひらを振ってみせる。


「あいつは確かに貴族だよ。自然と裏表使い分けるすべを心得てる。その辺は素直に感心するな。

 分かりやすいのはお前の方だ。鈍感二人はともかく、セツには気付かれてるぞ」


 言われて、タンフウはぎくりとした。直接、問われはしなかったが、たまに様子をうかがうように刺さるショウセツの視線には、彼自身にも覚えはあったのだ。

 けど、と首をひねり、ユーシュは不思議そうに尋ねる。


「珍しいな。お前が喧嘩なんて。しかも相手はお嬢様だろ。絶対、普段だったら売りも買いもしないだろうに」

「だから喧嘩じゃないって」

「つまり、そうすると」


 タンフウの言い訳は無視し、ユーシュは眉間に皺を寄せて考え込む仕草をする。

 やがて彼は、ははあと思い当たったように目を細め、ちらりとタンフウを見やった。


「さては。バレたな?」


 タンフウは黙り込んだ。その沈黙を肯定と受け取り、ユーシュは頭の後ろで腕を組む。


「ま。そりゃバレてもおかしくないよな。なんせ相手はリーリウム家のお嬢様だ」

「……油断したんだ。今までが今までだったから、呑気になりすぎてた」

「そうだな。普通はその辺に手紙が放ってあったって、何とも思わないからな。

 けど。場合によっちゃツヅキだって知り得る立場ではあるし、ショウセツも研究の過程で行き当たる可能性はゼロじゃない。

 もっと慎重にしろよ。あのセイジュだって、何を隠してるかは誰にも分からない」


 一瞬だけユーシュは遠くを見つめ、鋭い眼差しを浮かべる。

 が、すぐに彼はにやりと破顔し、いつもの面持ちに戻った。

 タンフウはしばらく無言で彼の横顔を見つめていたが、やがて思い切ったように尋ねる。


「ユーシュ。お前、何か妙な気配を感じたりはするか?」


 唐突な問いに、ユーシュは彼を見返して瞬きする。


「これまた珍しいことを聞くな。どうしてだよ?」

「いや、根拠がある訳じゃないんだ。けど、……この前、嫌な夢を見たんだよ。何か、厄介なことが起こりそうな気がして」

「ふうん」


 真面目な表情で、ユーシュは顎に手を当てる。


「お前がそう言うんじゃ、冗談や酔狂じゃないんだろう。けど」


 立ち止まり、ユーシュは背後を一瞥する。つられてタンフウも止まり、肩越しに来た道を振り返った。

 黄昏時にはまだ早い。しかし木々に囲まれた狭い道には、既に黒い影が落ちている。

 その奥には、まだそう離れてはいない彼らの天文台が見えた。


「知ってるだろう。あいつらが来る前から、ずっと厄介でありっぱなしだ。悪いけど、そうそう見分けはつかないよ」

「……そうだな」


 外套がいとうの上から、突き刺すような寒さをまとう冬の風に襲われ、タンフウはぶるりと身震いする。

 彼らの間を通り過ぎた風は、森の中に飛び込み、怪しげにざわりと梢を揺らした。






******



 客入りの少ない酒場で、彼らは景気よく盃を打ち合わせた。

 酒場にいるのは五人だった。サンは不在だ。

 彼女は十八になったところなので、一応は成人の年齢に達していた。しかし見た目が若く、街では十六で通しているので、知人に会うと不都合があるから、と今日の飲みを辞したのだ。

 だが、先日の一件も彼女が来ない原因の一端であるような気がして、タンフウは面白くない。

 乾杯を済ませ、一口酒をあおった後で、彼は悟られぬように深くため息をついた。無理に流し込んだせいで、度の強い蒸留酒が、ひりりと喉を焼く。


「誰かと思ったら、セツじゃないか。いいのかい、こんなところで飲んでいて」


 両手に皿を持ち、早々に料理を運んできた女主人がショウセツに声をかけた。彼女の口振りからして、顔見知りらしい。

 グラスを傾けながら、ショウセツは頬杖をつく。


「いいんだ。見て分かるだろう、今日は誰にも絡まれたくないからここに来たんだ」

「そうは言うけどねぇ。あんた、ここ数ヶ月はてんでご無沙汰だって話じゃないか。あっちこっちで女共が不満を垂れてるよ。この前はサラが、マシュウのところでくだを巻いてたって聞いた」

「……分かった。後で行くよ。会ったらそう言い含めておいてくれ、リタさん」

「あいよ。あんたも大変だねぇ」


 苦虫を噛み潰したような顔で、ショウセツは一息にウイスキーを飲み干した。

 リタは手慣れた仕草で皿を並べながら、からからと笑う。


「可哀想だから、この一杯はあたしの奢りにしておくよ。

 帰りは夜道に気をつけな。その辺で入れあげた女に会っちまったら、家に帰れなくなるよ」


 さっそく空いたグラスを回収すると、颯爽とリタは厨房に戻っていった。

 からりと音を立てて氷を回し、ユーシュは長く伸びた前髪の下からショウセツを覗き見る。


「色男も大変だな」

「そういうつもりじゃなかった。……退くのが少し早すぎたな。しくじった」

「あれだけ貢がせといて、お前からは何もしなかったのか」

「時間がなかった。それにそもそも、今回のは頼んでない。放っておけば自然となくなると思ってたんだ。けど、認識が甘かった」


 物憂げなショウセツの言い草に、ツヅキは厳しい表情を浮かべる。


「なんだよそれ。女性から一方的に巻き上げて、まるでジゴロじゃないか」

「そうだよ。否定はしない」


 ツヅキは彼に言い募ろうとしたが、それをセイジュが制して擁護する。


「そう責めないでくれ。……セツの支援者パトロンがいなけりゃ、史学会は成り立たなかったよ。お前らが想像してるより、俺たちの給料は多分ずっと少ない」


 苦々しく告げたセイジュの言葉に、ツヅキは黙った。

 ぽつりと、零すようにショウセツも続ける。


「俺にとってのそれは、生きる手段だったからな。染み着いて抜けきらないんだ」


 ため息はつかない。けれども彼は、あらゆる憂いを飲み込むように、二杯目の酒をあおった。

 口を尖らせ、ユーシュは軽い口調で小首を傾げる。


「なんだ。てっきり、大勢の中から本命のお相手でも探しているのかと思った」

「サンの言うことを真に受けるなよ。あいつに理由は言ってない、そう思っても仕方ないだろうがな。

 俺は身を固めるつもりはない。どうせ相手を放置する未来しか見えない。作らない方が無難なんだろう」


 天文連合のテーブルの上に積み上げられた菓子の箱を思い出し、タンフウは苦笑いを浮かべる。


「お前はそのつもりでも。今の感じじゃ、向こうが放っておかないだろ」

「冗談。彼女たちは丁重にお断りするよ。どうせ伴侶にするなら、もっと骨のある奴がいい」

「骨のある奴」

「たとえばサンはからかい甲斐があるけど。あいつより、もう少し面倒くさい奴の方がいい。俺にくってかかってくる位の方が面白いだろう」


 ショウセツはすっと目を伏せる。


「昔に一人、そういうのがいた。けど、あいつはどこかに売られていったからな」


 彼の言葉に、タンフウはどきりとして自分のグラスを握りしめた。数年前の光景と、数日前のサンとのやり取りが頭をよぎり、胸の奥がずきりと傷む。

 ショウセツの話に義憤にかられて、今度こそツヅキは声を荒げる。


「売られたって、人がか!? どうしてそんなことがまかり通るんだよ」

「ツヅキ。悪いが、王都でお前が見てきた暮らしと、俺の知っている暮らしは随分と違う。

 俺は庶民も庶民の、下の方の出だ。田舎の方じゃ、生活のために人が売られることは、そこまで珍しいことじゃないんだよ」


 ショウセツは穏やかに笑った。

 その淋しげな笑みにツヅキは何も言うことができず、またもや黙り込んだのだった。

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