ツヅキは神妙に居住まいを正す

「なあサン。お前、いい加減その帽子取ったらどうだ?」


 天文連合と史学会の面々とが共に食事をするようになって、半月あまりが経った頃のこと。

 夕食時、サンが食事を作り終えテーブルに料理を運んでいた最中、にわかにショウセツがそう言った。

 ぎくりとして、サンは不自然に動きを止める。


「……え」


 ゆっくりとサンは振り返った。彼女と目を合わせたショウセツは、手にしていた本をぱたりと閉じ、こてんと首を傾げる。何故取らない、とその目は如実に物語っていた。

 助けを求めるようにサンはセイジュを見遣るが、しかしセイジュもまたショウセツに同調する。


「別にいいじゃん。どうせここにいる連中はみんな知ってるんだし。気にする奴なんかいないだろ。

 そうだろ、お前ら」


 セイジュは天文連合の三人へ視線を向けた。

 狼狽うろたえるサンを余所に、タンフウとユーシュはセイジュの問いにほぼ同時に頷く。


「ああ、知ってるよ。女だろ?」


 事も無げにユーシュが答えた。タンフウも曖昧に笑って肯定する。

 しかしただ一人。彼らと異なった反応を示した人物が居た。


「女?」


 ツヅキが驚いて顔を上げた。彼は天文連合の二人を見回した後で、当事者のサンを見つめる。サンは俯き、まるでその視線から逃げようとするかのように帽子を深くかぶった。

 その反応に目を見開き、セイジュが声を上げる。


「え。ツヅキお前、まさか今まで気づかなかったのか?」

「いくら寝ぼけてることが多いからって、それはないだろ。お前、本当鈍感だな」


 続けてユーシュにも言われ、ツヅキはまた困惑しながらサンに視線を移す。

 サンは冷や汗を流し、小さく身をすくめた。だが彼女の反応をよそに、ショウセツはサンの後ろに歩み取り、帽子に手をかける。慌ててサンは両手で帽子を押さえた。


「いやあの、ちょっ……! 止めろこのバ会長!」

「はっ、うるさいこのばかサンが」


 しかし抵抗むなしく、手を振りほどかれてあっけなくサンの帽子は奪われた。あの時と同じように、帽子からは背中まである長い髪の房が流れ落ちる。ショウセツがその髪を括る紐をも取ると、サンの背に柔らかい栗色の髪がふわりと広がった。


 その瞬間。

 ツヅキの眼差しが、変化した。


 困惑していた彼の目が、動揺の色に変わる。しばらく彼女を凝視してから、信じられない、といった様子で彼は一歩、後ずさった。

 サンは苦々しい表情で、おずおずと顔を上げる。諦めたのか、もうツヅキの視線からは逃れない。

 彼女の視線を真正面から捉えて、ツヅキはようやく確信したように息を呑み。


「お、……お嬢様?」


 彼の呟きに、しん、と室内が静まり返った。

 それまでツヅキの反応を楽しんでいた彼らも、予想だにしなかった発言に、あっけに取られているようだった。当の本人もまた、自分の発した言葉に耳を疑っているとでもいうように、じっと固まっている。


「……は?」


 セイジュが間の抜けた調子で呟いた。

 その呟きに突き動かされたかのように、再度ツヅキは言葉を発する。


「サンカお嬢様っ!?」


 ツヅキの叫びが、部屋に反響した。

 周りの人間はただ黙って、ツヅキとサンの二人を見比べるばかりだ。


「……馬鹿」


 続いて居間に響いたのは、これまで聞いたことのないサンの低い声色と、深い深い彼女のため息だった。






******



 ツヅキ・ハクトー。

 それが彼の、昔の名前だった。


 今となってはもう過去のことで、現在のツヅキとは縁のない家の事柄。

 まだ彼が一般市民として、姓を所有していた頃の話である。


 ツヅキの生まれたハクトー家は、それなりに歴史を重ねる騎士の家であった。その家に生まれたツヅキは、幼少より騎士となるべくして教育を受けて育った。

 騎士の家に生まれついた者にとって、王家に仕えることは何よりのほまれとされる。故にツヅキもまた当たり前のようにそれを目指し、王家直属の近衛兵になるべく十五から十七の年まで騎士養成所に通っていた。仕えるべき主はいたが、ツヅキは次男であり、既に兄がその家に仕えていたため、彼にはそれが許された。


 近衛兵になるには、最難関の試験を突破する必要がある。何千、何万という若者が志願し、毎年その中で通るのはたったの数人。キュシャとは比べものにならない難易度だ。

 それでもツヅキは剣の腕も学も立つ優秀な青年であり、家柄も申し分ないため、周りからは合格候補の筆頭と目されていた。

 実際、彼は優れた成績でもって次々と試験を突破していった。


 が。ツヅキが近衛兵になることはついぞ叶わなかった。

 、として、最終試験にて落とされたのだ。


 確かに彼は愛国心が強く、たまに言動が行き過ぎるきらいはあった。

 ただ騎士の家の出にそういう者は多かったし、常軌を逸するまでの発言をした覚えはツヅキにはない。

 しかし問い合わせても、彼の何が否とされたのか、詳細が明かされることはなかった。


 原因が剣術や学問であれば、研鑽けんさんを積み翌年以降に再び試験に望むこともできただろう。だがツヅキの場合、問題が思想であるとされた以上、それは望めない。過去に同様の理由で落とされた者も何人かいたが、彼らはその後、試験を受けることすら許されなかったのだ。

 試験後、ツヅキの打ちひしがれようは目も当てられなかったという。




 さて、ここでツヅキの家に話は戻る。


 ハクトー家は、大方の騎士の家がそうであるように、代々とある貴族に仕えている。

 それがリーリウム家。サンの実家である。


 身分の上下はあるものの、サンとツヅキは幼馴染として一定以上の面識があった。ツヅキが近衛兵を志願しなければ、ツヅキが順当にサン付きの騎士になっていただろう。

 彼には、兄と同様、リーリウム家に仕えるという道も残されてはいた。当時、家を離れていたサンからも、こちらに戻ってはどうかとの言葉があったという。


 しかしツヅキはそれを断った。この状況でリーリウム家に仕える道を選ぶのは逃げであるように思えたし、何よりも主に失礼であるとツヅキは思ったのだ。

 幸い、ツヅキはその優秀な試験結果に目を付けられて、各所からお呼びの声が掛かっていた。その中の一つが、キュシャへの推薦の話である。だからツヅキは潔く剣を捨て、学問に生きることに決めたのだ。


 こうしてツヅキはキュシャになる道を選び、天文連合に所属して現在に至る。






******



 二人が事情を説明し終えると、再び居間には沈黙が支配した。

 目を閉じたまま、サンは低い声で呟く。


「……ツヅキ」

「はい」

「あなたは、昔から本当に誤魔化しや嘘が苦手な人ですね」

「……申し訳ございません」


 ツヅキは話の途中から、サンに向け片膝を付いて座り込んでいた。昔からの癖であろう。


「あのね、ツヅキ」

「はい、何でしょうお嬢様」

「まずはそうと呼ぶのを止めて。そしてその体勢も止めなさい」

「ですが、……はい」


 サンの顔を見てツヅキは渋々それに従う。庶民の少年の格好をしたサンの命令に、見た目のいかついツヅキが従っているというのは、端から見てどこか不思議な光景だった。


「そっか、だからツヅキを避けてたんだな。

 キュシャのくせ無駄にツヅキの体格がいいのも、そういうことか」


 納得してセイジュが頷いた。

 話を聞けば、サンのこれまでの行動も合点がいく。下手にツヅキと接触すれば、自分の正体が露見しかねない。だから彼を避けていたのだろう。

 でも、と言い置いてセイジュは首を傾げる。


「別に隠すことでもないのに。家の事は捨てて個々人になる、それがキュシャの鉄則だろ。ツヅキだって仕えてるわけでもないから関係ないし。心配しなくても誰もサンをお嬢様扱いしないって」


 あまりにセイジュが軽い調子で言うので、タンフウはもしやと思い、セイジュに尋ねる。


「……お前、知らないのか?」

「何が?」


 どうやら予想どおり実態を知らない様子のセイジュに、タンフウは説明する。


「リーリウム家っていったら、このヒズリア王国の四大名家の一つだぞ。建国当時は王家と並び称された名門貴族だ。

 学問の保護・推進に積極的な家系で、王立研究ギルドの制度を提言したのもリーリウム家なら、先々代の王妃もこの家の出だよ」

「え、本当に? そんな凄かったんだこいつの家。うわ、本当かよサンのくせに」


 セイジュがやはり軽く言ってのけた。彼の発言に呆れ、手を額に当ててタンフウは軽くため息をつく。


「お前な……少しはこの国の事情くらい、知っておけ。本当に史学専攻か?」

「失敬な、俺だってそれくらい知っているぞ。ただ俺の興味がある分野にあまり出てこない名前だから頭に入っていないだけだ」

「それは知らないというんだ。本当専門外には無頓着なのな、お前」

「忘れてただけだ。別にすぐ思い出せなくたって、普段は困らないんだからいいだろ」


 口を尖らせてセイジュが反論すると、ショウセツが横から食いつく。


「ほほう。知ってはいるというんだな。なら、他の四大名家の名を上げてみろ」

「リーリウム家だろ。それから……ジェイ家?」

「それはケラスス家の闇の方の俗称だバカ。ロッサ、ウィオラ、ケラスス、リーリウム。常識だぞ、セイジュ」

「史学おばけに言われても説得力ないよ」


 矢継ぎ早に言われ、うんざりとセイジュは舌を出した。


 タンフウは悟られぬよう、彼女の顔を盗み見る。

 サンはその小さな顔に、沈んだ色を湛えて佇んでいた。いつもであれば彼女とて会話に絡んでいてもおかしくはない。だが、彼らの会話はほとんど彼女の耳に届いていないようだった。



 サンが一番知られたくなかったのは、彼女の性別ではない。

 一番彼女が怖れていたのは、家柄と身分が露見する事。

 そしてそれに伴い史学会から追い出され、家に連れ戻される事だ。


 女であっても、一介の庶民であれば何の問題もない。キュシャにはなれないが、研究所への出入り自体は禁止されていないからである。

 実際、単なる事務員ならば女性も働くことが認められている。大規模なギルドであれば、女性が事務員として働いていることもさして珍しくはないのだ。


 しかし、それが名家のお嬢様となると話は違ってくる。

 十中八九、彼女は家出中の身だ。それを知って尚かつ弟子として留め置いておくのは、史学会にとって分が悪すぎる。

 おまけにサンの家は、いくらなんでも身分が上過ぎた。本来ならば、会話すら一生することのない相手なのだ。



 やがて一通りセイジュへの説教が終わったのか、ショウセツはサンを振り返った。


「さて。どうする、サン」


 びくりと身じろぎしてから、サンは観念したように肩を落とす。


「……流石に。これ以上、会長たちに迷惑はかけられないね」

「そういう話をしているんじゃない」


 強い口調でショウセツは彼女の言葉を遮った。

 驚いて、サンはショウセツを見上げる。


「お前はどうしたいんだ、サン」

「……私?」

「重要なのは、サンの意思だ。俺たちのことを引き合いに出すなよ」


 分厚い本を肩にかけ、ショウセツは淡々と続ける。


「俺たちはキュシャだ。お前がどこの誰であろうと関係ない。

 お前がここにいたいならいればいいだろう。俺にたいした権限はないが、与えられた裁量の範囲内で、サンの居場所は守る。お前がそう望むなら、変わらず俺たちの助手であり雑用であることに変わりはない」

「……会長」


 目を見開いてサンがセツを見上げる。

 やがて彼女は、震える声を必死になだめながら、うわずった声で訴える。


「……私は、ここにいたい。もっと、もっと学びたい!」

「ならよし。それでこの話は終わりだ」


 すっぱり言い切ると、ショウセツは少しだけ口元に笑みを浮かべて、サンから視線を外した。

 成り行きを見守っていたセイジュが、呑気に口を開く。


「まあいいじゃん。何にせよ、今は俺たちのところにいるんだしさ。雑用係が急にいなくなられても困るよ」

「そうそう。食事係なのも変わらないし」


 頬杖をついてユーシュもにんまり笑った。


「口を慎めよ、セイジュとユーシュ」


 ツヅキはすっとフォークを手に取り、後ろ手で二人の間の空間に突き刺す。耳元で空を切る音がして、セイジュはひっと口をひきつらせた。

 据わった目つきでツヅキは釘をさす。


「お嬢様の意思なら、僕はそれを尊重しよう。

 けれども不遜ふそんな態度や物言いは粛清対象だからな。万一お嬢様に仇なしたら、たたっ斬るぞ」

「……お前、サンの騎士になるのは蹴ったんじゃなかったのか」

「たとえ正式な役職でなくとも、えてして騎士とはそういう生き物だよセイジュ。

 だから僕のナイフの錆になりたくなければ、よくよく肝に銘じておけ。セイジュが一番怪しい。事と次第によっちゃあ容赦なく吊るし上げるからな」


 威圧する態度にならないよう、申し訳程度の笑みを浮かべてはいるが、それが余計に不気味さを助長していた。

 怖気づいたセイジュは、おそるおそるツヅキを仰ぎ見る。


「……お前、そういう奴だったっけ? もっと寝ぼけてなかった?」

「主がいないのに、騎士になる必要はないだろ。どっちかっていうと、これが僕の素だ」

「騎士ってそんなにガラ悪いのかよ。どっちかっていうとそれ裏社会の人間だろ」

「全くだ。ハクトー家よりジェイ家の方が向いている」


 セイジュと違い全く臆さず、ユーシュはけらけらと笑った。


「それにしたって、こんだけ近くにいて気付かないなんて、どんだけ鈍感なんだって話」

「うるさいな。ここのところ研究報告のことしか考えていなかったんだ。

 それにサンには怖がられていると思っていたから、不用意に近付かないようにしていたし」


 つい今までのくせから彼女の愛称で呼んでしまい、ツヅキははっと口を噤んだ。


「……申し訳ございません」

「それでいいのよ、むしろ」


 しばらくの間、信じられないといったようすで呆然としていたサンだったが。

 彼らのやりとりと反応を眺めて、ようやく彼女は満面の笑みで頷いた。

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