セイジュは不安げに懸念を語る
人数は似たり寄ったりでも、史学会と天文連合とでは状況がまるで異なる。
天文連合は今でこそ人数の少ない弱小組織であるが、以前はそれなりに活気のある天文台だった。人数の割に設備が充実しているのもその為である。
しかしながら、次第に次第に所属するキュシャの数は減っていき、気付けば長く天文連合で働いている人間はタンフウ一人になってしまった。
そうしてタンフウは、当時二十二歳にして天文連合の代表となるに至ったのである。
彼からしてみれば、ひどく不本意ではあったが、他に誰も成り手がいなかったのだから仕方がない。
そのまま天文連合は、ユーシュ以外に人が増えることもなく現在に至る。
別の日、お茶の相手に今度はセイジュを迎えながら、タンフウはそんなことを思い出していた。間もなく夕暮れという時間で、炊事場ではサンが籠もって食事を作っている。ショウセツはまだ史学会で、ユーシュとツヅキは自室で眠っていた。
「俺たちとタンフウたちとでは、似ているようで大違いだよな」
そうセイジュは言って頬杖をつき、棚に無造作に置かれている観測器具を眺めた。深緑のベストから覗くループタイが曲がっていたが、指摘はしない。いつものことだったからだ。
居間には、天球儀やアストロラーベなどの古い器具がそこここに置かれている。昔いた研究員のもので、今は使用していない。研究室や私室に置くのは邪魔であるので、ここに放置してあるのだ。置き方によっては装飾品にもなるのだろうが、しかし天文連合のそれは埃を被っているため、見栄えは良くない。
セイジュは天球儀を手に取りながら尋ねる。
「天文連合って、何年くらい続いているんだ?」
「確か、数十年は昔からだと思うよ。詳しくは覚えてないけど」
「数十年か。……羨ましいな。俺らのところは人数も少なければ歴史も浅いから」
辺りを見回してセイジュは僅かにため息を漏らした。石造りの天文台は年季が入っており、数多の古びた観測器具は昔の繁栄をうかがわせた。
実際、一昔前の天文連合はそれなりに名の知れたギルドだった。
だが数年前、古参のキュシャ同士の派閥争いをきっかけに、次々とキュシャたちは別のギルドに移籍してしまったのだ。
天文連合には、少々訳ありだったツヅキと、まだ居候の身だったユーシュ、そしてタンフウだけが残された。
彼が残留した理由。
それは単純に、タンフウが誰にも付き従っていなかったからである。
当時の天文連合には、タンフウ以外にも若手のキュシャがいた。しかし彼らは、移籍する年配のキュシャに付随する形で引き抜かれていったのだ。
タンフウは誰とも敵対せず、誰とも友好的に付き合っていた。
しかし、誰とも深入りをしていなかった。
特別な誰かとの信頼関係がなかったタンフウは、誰かから特別に声をかけられることもなかったのである。
とはいえ、そこそこ先輩からも同輩からも信頼を得ていた彼は、その気になれば後を追っていくことも出来た。誰も咎めはしないだろうし、向こうで彼は歓迎すらされたであろう。
彼がそうしなかったのは、ひとえに疲れたからだった。もう大勢の中で、当たり障り無いように泳いでいくことが面倒だったのである。
だから彼は、今の天文連合が好きだった。
ここには三人しかいない。ごく少ない繋がりで、生きていくことが出来る。
不本意ながら代表になってしまったタンフウにとっては、ほとんど人がいないというのが幸いであった。
頭によぎった過去の出来事を記憶の奥底に押し込め、タンフウは紅茶を淹れた。セイジュの前にカップを置き、自分の分もテーブルの対岸に置く。
天文連合も三人。史学会も三人。
この些細な輪は殊勝なことだ、とタンフウは思った。
「俺たちは、ずっとこのままかもしれない」
砂糖とミルクを紅茶に注ぎながら、セイジュはぽつりと呟く。
「元々、史学自体が専攻する人数が少ないのに、こんな辺境の研究所に好きこのんで来る奴なんかそういないだろうからな。それに、サンは……」
言ってから、はっとしてセイジュは口をつぐんだ。しかしタンフウは察して、彼の台詞を代弁する。
「女の子、だよな」
「お前、知ってたのか」
頭をかいてセイジュは気まずそうに肩をすくめる。
「うん。だから、史学会はもしかするとこのまま終わってしまうんじゃないかって時々思う。
サンはどうやっても史学会に入れない。有望なんだけどな。勿体ないくらいに。セツに食らいついていけるくらいだから。けど、どうにもならない。
このままだと、史学会は何も引き継がれることは無いまま終わっていく。セツは、自由に研究が出来るのならばそれでも構わないと言うけど、自分たちだけで終わるのはやっぱり寂しいよ」
一口紅茶を飲んで、セイジュは視線を宙に泳がせた。タンフウも紅茶を口に運んでから、まだ砂糖を入れていなかったことに気付く。角砂糖を溶かしながら彼はセイジュを見つめた。
「それは僕たちだって同じだよ。天文連合だって危ないことに変わりはない。ユーシュだってまだ仮登録だし、もしかしたら別の研究所に行ってしまう可能性だってあるんだ」
「それはそうだけどさ」
普段と違い、真面目な表情でセイジュは語る。
「俺たちには天文連合と違って歴史が無いから。
全部模索していかないといけないのは面白くて怖い。二人だけっていうのは、凄く気楽で楽しいけど不安もあるよ。
たまに、これは単なる俺たちの自己満足なんじゃないかって思うことがある。それはどの学問でも言えることなんだろうけど、特に俺たちの場合、過去を扱うものだから。これから先が見えないんだ」
ぐるぐると紅茶をかき混ぜながら、セイジュは角砂糖を追加した。渦を巻く水面は少しずつ固形の砂糖を液体に溶かしていく。
静かにセイジュの手元を見つめながら、タンフウは小さく息を漏らした。
セイジュと比べ、タンフウはまるでその逆だった。
このままであればいい。
ずっと変わることなく、連綿と先々まで続いていけばいい。
その願いは矛盾を孕むものであったが、構わなかった。変わる事なく穏やかに日々が過ぎてくれる事が、タンフウの願いだった。
甘い紅茶を飲み干すと、気を取り直してセイジュは告げる。
「何にせよ、今はやることをやるしかないんだけどな。おれたちが今、早急にしなくちゃいけないのは、研究報告だ」
急に現実味を帯びた話になり、自分で振った話にもかかわらずセイジュは報告の進行具合に不安を覚えたのか頭を抱えた。
以前のショウセツとの話を思い出し、タンフウはセイジュに尋ねる。
「セイジュの研究分野は、科学史だっけ?」
「うん。人の関わりや国の動きよりは、人が創りだした
「だったら、どうしてそのものずばりの科学分野を専攻しなかったんだよ?」
「まあ、それもそうなんだけどな」
苦笑気味にセイジュは答える。
「科学は好きだけれど、科学の探求はそこまで好きじゃないんだ。俺は第三者の目線から、いずれ歴史になる科学の歩みを見ていたいから」
第三者、というセイジュの言葉に、タンフウは無意識にぴくりと反応した。
しかしセイジュはそうした動きに気付かないようだ。
安堵して、タンフウは悟られぬようそっと息を吐き出し、ぎこちなく笑った。
隣の
「飯はまだ?」
「今、サンが作ってるよ」
寝ぼけて寄りかかるユーシュを嫌そうに押しのけながらセイジュは答えた。目をこすり、ユーシュは流れるような仕草で手を伸ばして、タンフウの飲みかけの紅茶を飲み干す。いつものことなので、タンフウはもはや何も言わない。
続けて彼は、セイジュの紅茶も当然のように飲み干した。
「おま、それ俺の」
「セツはまだ向こうで、相変わらずツヅキは寝てるのか」
セイジュの言は無視し、部屋を見回しながらユーシュが呟いた。飲み干されたカップを覗き込み、セイジュは不満の声を漏らす。
飲み物を口に入れ、ようやく目を覚ましたらしいユーシュは勢いよく立ち上がった。
「よし、セイジュ。眠れる獅子を起こしに行くぞ」
「おし。分かった、援護は任せろ」
気を取り直したらしいセイジュも立ち上がると、連れだって二人は螺旋階段を上っていった。
姿が消えたのを見届けてから、タンフウは脱力し、椅子の背もたれに体重を預ける。
自分のことではない。けれど、思わず反応してしまった自分に嫌気が差して、タンフウは目を閉じた。
――自分はそうなれているはずだ。なりたいはずだった。
――何故、そこで反応してしまう必要があるのだろう。迷いも何もないはずだった。
思考を打ち切って頭を振ると、先ほどの二人のように彼は勢いよく立ち上がる。
ユーシュに飲み干されてしまった紅茶のカップを片付けながら、窓の外の夕焼けにタンフウは目を細めた。
しばらくして、階段から騒がしい二人分の足音が降りてきた。
最初に軽やかに降りてきたのはユーシュだ。それからしばらくして、セイジュが焦った様子で転がるように居間に飛び込んできた。
居間に辿り着くなり、彼はユーシュに抗議する。
「お前、おれを置いて逃げんなよ!」
「だってアイツ怖いんだもん。いやぁ本当怖かった!」
言葉とは裏腹に、楽しげに笑いながらユーシュは言い訳する。俺のが余程怖かったよ、と言いながらセイジュは階段の方を見遣り、ツヅキが降りてこないことを確認してため息をついた。
タンフウは呆れ顔でセイジュに尋ねる。
「何したの、お前ら」
「いや、ツヅキを起こそうと思って部屋に行ったんだよ」
「その時点で若干の悪意を感じるけどな……」
「なんだよ、親切に起こそうとしただけだろ。
で、そっと顔の上に濡らした布を置いたら、それをはぎ取って俺の方に投げつけて、ドスの聞いた声で『殺すぞ』って言われた」
「おい、死ぬぞ!」
「そうだよな! 魔王に殺されるかと思った!」
「違う、ツヅキの方が死ぬから!」
「大丈夫だ。専門家の監修の元、安全に配慮して実験を行っている」
「史学と天文学に一体何の関係があるのか言ってみろよ」
やれやれとタンフウは額に手を当てた。
セイジュはまた悪戯めいた表情に戻って、無邪気にタンフウへ言う。
「次はお前が行ってこいよ、タンフウ」
「断る」
タンフウは即答した。悪趣味な悪戯の片棒を担ぐのはごめんだったし、ツヅキから睨まれるのも願い下げであった。
それにセイジュたちの手段は悪質だったが、そういった強行策でもないと、ツヅキはそうそう起きないことも知っていたのだ。
彼の返答にセイジュは残念そうな声をあげたが、「じゃあ」とちょうどテーブルを拭きにやってきたサンに視線を向ける。
「よし、ならば次はサン、お前がツヅキのところに特攻してこい」
「ええええ! 嫌だよ! 二人で行ってくればいいじゃん!」
サンはセイジュの台詞に過敏に反応し、高い声で拒否した。
そのあからさまな拒絶の色に、三人は沈黙する。自分でもそれに気付いて、サンは気まずそうに俯いた。
セイジュは苦笑して、出来るだけ軽い口調で言う。
「まあ。ここで、サンのツヅキ嫌いが露呈されたわけだが」
「違うって! 嫌いな訳じゃない!」
慌ててサンは否定した。
肩をすくめ、セイジュは真面目な口調で改めてサンに問いかける。
「けどさ、そういえばお前、ツヅキとあまり喋ってないよな。苦手なのか?」
「ま、まぁ……確かに喋ってはいないけど、さ……」
口の中でぼそぼそとサンは言った。普段の彼女らしくない。
「嫌いな訳じゃないよ。ただ、あまり話す機会がなかっただけで」
曖昧に笑んで、サンは逃げるように再び炊事場に戻っていった。
セイジュもそれ以上の追求は止めたようだ。ユーシュと顔を見合わせると、二人はまたツヅキを起こしに上の階へあがっていった。
ぎこちないサンの態度を見ながら、そういえば、とタンフウは数日前にツヅキから相談されていたことを思い出す。彼もまた、サンから避けられていることに気付き、それを気にしていたのだ。
ツヅキはまだサンが女だと知らない。彼女がツヅキを避けるのは、おそらくそれが原因ではないかとタンフウは勘繰っていた。だとすれば、彼女に何かしただろうかと真面目に思い悩むツヅキは少々不憫だ。
しかし黙っていてくれと言われた以上、それをタンフウからツヅキへ正直に言うわけにもいかない。
ツヅキに同情はしつつも、いずれは時が解決してくれるだろうと、大した気負いもなくタンフウは思った。
そして実際、数日後。思いもよらぬ方向で事態は進展したのだった。
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