配達員は快活にギルド間を行き来する

 全員が朝食を食べ終えた頃。再び天文連合にノックの音が響いた。

 今度こそは配達員だろう、と思いながらタンフウは扉を開ける。


 案の定、扉の向こうに立っていたのは、大きめの鞄を提げた顔なじみの小柄な配達員であった。ゴーグルを乗せた焦げ茶のキャスケット帽を整えてから、配達員は爽やかに挨拶をする。


「おはようございます。天文連合宛にお手紙です」

「ありがとうございます」


 微笑み返し、タンフウが手紙を受け取る。彼が手紙に視線をおとしていると、ふと配達員が部屋の中に視線を向けた。

 すると配達員はぽかんと口を開け、大きな瞳を見開く。


「セイジュ!?」


 甲高い声でいきなり名を呼ばれたセイジュは、驚いて玄関を振り返ると、彼もまた目を見開いた。


「サン! お前、どうしてここにいるんだよ」

「それはこっちが聞きたいよ。自分は仕事で配達に来たんだ。セイジュこそどうしたんだ? いつもだったらまだ寝ている時間だろ」


 サンと呼ばれた配達員は、意気込んでセイジュに聞き返した。

 問われたセイジュは言葉を濁す。


「それはまあ、おれにも色々事情があるんだ」

「ただの迷子だろ」


 容赦なく隣でユーシュが言い放った。セイジュは非難がましい視線をユーシュに送るが、どこ吹く風で彼は目を反らす。

 サンはユーシュとセイジュとの間で視線を行き来させてから、首を傾げてセイジュに問いかける。


「……また迷子?」


 顔をしかめながら、セイジュは低い声で言う。


「なんだよお前、なにか文句あるのかよ」

「いいや、別に?」


 そう言いつつ、サンはにやにやと口元を緩ませる。


「いつも引き籠もってばかりだからだろ。だから言ってるじゃん、たまには外に出ないと」

「外に出たから迷子になったんだよ。もういい、俺はもう外に出ないことに決めた」


 若干、ねた様子で言うセイジュに、肩をすくめてサンはため息をつく。


「あのな。そういう理由を付けては外に出まいとしているのが悪いんだよ。少しは会長を見習え」

「やだよ。なんで遊び人のあいつを見習わなくちゃいけないんだ」

「セイジュよりはマシだよ、多分」


 気安い口調でやり取りしてから、サンはしゃんと背筋を伸ばした。改めてタンフウに向き直り、サンは自己紹介する。


「申し遅れました。配達員としては皆さんと顔なじみですが、自分は史学会会長補佐、兼、事務員のサンと申します。この度はうちのセイジュがお世話になりました」


 流暢りゅうちょうな物言いでサンは頭を下げ一礼した。その勢いで帽子がずれそうになるのを慌てて右手で押さえながら、サンは続ける。


「申し訳ありませんが、もうしばらくセイジュをここに置いてもらえませんか。自分はこれで仕事が終わりなので、今からうちの会長を呼んできます。セイジュがお世話になったお礼をさせますので」


 タンフウは、天文連合と史学会とを行き来する距離の長さを思い返しながら、手を横に振る。


「呼ぶったって、時間が掛かるだろう? 別に気にしなくて良いよ、たいしたことをしたわけでもないし」

「お気になさらず。すぐに戻りますから」


 にこやかにそう言うと、そのままサンは快活に身をひるがえし、外へ駆けていってしまった。


「ちょ、おい!」


 勿論、遅れて発したセイジュの言葉を気に留めることはない。あっという間に姿を消したサンの後ろ姿を見送りながら、またもやユーシュは嬉しそうに笑った。


「あーあ。これで戻ってこなかったら、本当に笑えるのにな」

「笑えねぇよ」


 頭を抱えてセイジュはぼやいた。戻ってこないことはないだろ、とタンフウは慰めるように言い、空になったカップを取って紅茶のお代わりをセイジュに注ぐ。


「けど、時間は掛かると思うけどな。走ったところで、距離はかなりあるだろうから。もうしばらくゆっくりしていきなよ」


 大人しくセイジュは頷き、また紅茶をすすったのだった。




 しかし予想に反して、サンが戻ってきたのはあれから二十分も経たないうちであった。


 二杯目の紅茶をセイジュが飲み干した頃、再び扉は叩かれた。

 三杯目の紅茶を淹れようと構えていた手を止め、タンフウはセイジュと無言で目を合わせる。ユーシュも目線をあげ、些か残念そうな眼差しで扉を見つめた。


 想像より遥かに早いノックの音に、タンフウは困惑の面持ちで玄関を開ける。もしや別の来客かとも思ったが、そこに立っていたのはサンだった。先ほど提げていた鞄の代わりに、今度は大きな紙袋を両手で抱えている。


「どうしてそんな短い時間で来られるのさ?」


 思わず開口一番、サンに尋ねる。


「……直線距離では、とても近いですよ?」


 うかがうような眼差しで、サンは袋越しにタンフウを見遣った。

 続けてタンフウが何かを問う前に、しかしサンは素早く一歩下がると、一緒に来た長身の青年を前に出す。


 青年はサンより頭一つ半ほど高い。タンフウと比べても青年の目線は高く、彼からは見上げるようだった。

 年こそ彼らと大差ないだろうが、そのたたずまいはセイジュと対照的に落ち着いた物腰で、実際の年齢よりも幾分か上に見せている。

 彼が静かに一礼すると、濃い灰色の髪がさらりと揺れた。


「初めまして。史学会の会長を務めます、ショウセツと申します。この度はうちのセイジュがお世話をかけました」


 重低音の心地よい声色でショウセツは丁寧に挨拶をし、手を差し出した。学会で発表する機会があれば、さぞかしよく通る声だろうに、とタンフウは密かに思う。

 タンフウもまた手を差し出し、微笑んで握手をする。


「こちらこそ初めまして。天文連合代表のタンフウです。わざわざ御丁寧にありがとうございます。

 そんな大それた事をした訳ではありませんし、どうぞ気にしないで下さい」

「いや、セイジュを保護して貰って本当にありがたい」


 にわかに言葉を崩し、ショウセツは語気を強めた。


「あなた方に保護して貰わなければ、きっとこいつはまだ森の中を彷徨さまよってどこかでぶっ倒れていたでしょう。本当にありがとうございます助かりました」


 一息に言ってしまうと、ショウセツは部屋の奥にいるセイジュに視線を向ける。


「おいセイジュ、お前もなんとか言ったらどうだ」


 いきなり話をふられたセイジュは、空になったカップを受け皿に戻し、慌てて頭を下げる。


「え、あ。どうもお世話になりました」


 その抜けた口調に、一同は脱力した。

 ため息をついて、ショウセツはゆっくり頭を振る。


「あのな、このクソ忙しい時期に、なんだってお前はいつもいつもこういう事をやらかすんだ。偶然サンがここに来てなかったら、また夕方までうろうろと徘徊はいかいすることになってたんだぞ。

 それどころか今回はおまけに財布まで忘れやがって、今度こそどうなっていたか分かったものじゃなかった」


 セイジュは苦い表情を浮かべながら「まぁ何とかなったんだからいいじゃん」と手を振った。まるで口うるさい親に説教されている子供である。

 そんなセイジュを見て、ショウセツはやれやれとばかりに額へ手をやり、本日二度目のため息をついた。


「え、まさかとは思うけど、これって日常茶飯事なの?」


 普段より少しばかり高いトーンで、楽しげにユーシュが尋ねた。

 ショウセツとサンは二人ほぼ同時に頷いてみせる。


「残念ながら、その通りだ」

「うん。非常に残念だけどね」


 二人の反応を見て、ユーシュはにやにやと笑い混じりにセイジュを振り返る。


「お前、本当駄目人間だな」

「駄目人間言うな」


 間髪入れずセイジュは否定するが、ユーシュは楽しげにスプーンで紅茶をかき回すばかりだ。

 諦めたようにセイジュから視線を外すと、ショウセツは気を取り直すように顔を上げる。


「それにしても、俺たちのギルドと天文連合がこんなに近いとは思わなかったな。まさかこの辺に、他にもアカデミカがあるとは」


 ショウセツは感嘆して腕を組み、手をあごへ当てた。タンフウはショウセツの言葉に引っかかって尋ねようとするが、その前にユーシュがサンへ質問を投げる。


「そうそう。どうしてこんな短い間に戻ってこられたんだよ。こいつを放棄してしばらく帰ってこないとかだったら面白かったのに。

 街経由だとこんな早いはずないし、どこを通って来たのさ?」


 「面白くねえよ」とぼやくセイジュはさておき、サンの代わりにショウセツが説明する。


「森の中を抜けてきた。森を突っ切るなら、ものの十分足らずでここまで抜けられるんだもんな。驚いたよ」


 へえ、とタンフウは感心の声を上げる。しかしよくよく考えてみれば、迷いながらもセイジュは、朝の段階で徒歩にて天文連合に辿り着いたのだ。確かに二つのギルド間は、さほど離れてはいないのだろう。

 彼らの反応を見ながら、サンは物言いたげな様子でちらりと他の四人をうかがった。


「あのさ。双方に聞きたいんだけど。……もしかして各々、自分たちの研究所の位置を把握してない?」

「自分の研究所の位置ぐらい把握してるぞ、馬鹿にすんな」


 遠くから反論したセイジュに全員が疑いの眼差しを向ける。一斉に集まった視線を感じて、セイジュはたじろいだ。

 サンは首を横に振って、先ほどの言葉に付け加える。


「違うよ。どの道を通れば着くかってことじゃなく、この街や山全体から見て、どの辺りに自分たちの研究所があるのかってことをさ」


 言われてショウセツはしばらく考える素振りをしたが、やがて首を横に振り否定する。


「いや、漠然としか知らない。普段使う道さえ知っていれば困ることはないし、主要な施設は史学会しかないものだと思っていたからな」


 その言葉にタンフウも頷く。反応はないが、他の二人もどうやら同意見で相違ないようであった。

 彼らの反応に、サンは肩をすくめてみせる。


「呆れた。あんたたち、史学会と天文連合が互いに近くにあるって今の今まで知らなかったのか? てっきり、史学と天文学とで全然分野が違うから、交流もないものなのだと勝手に思っていたのに」

「サンは知ってたのか?」

「知ってるもなにも。言っておくけど、この天文連合も史学会も、給料明細やら国からの連絡やらを毎月毎月あまさず届けてるのは自分なんだぞ? 嫌でも最短の道が頭に入るさ」


 サンの言う通り、天文連合の面々とサンとは少し前から顔なじみである。

 街から離れているためか、天文連合への配達は大抵の配達員が嫌がるようで、今までは頻繁に配達員の顔ぶれが変わっていた。

 しかし数ヶ月前にサンが来てからは、以来ずっと配達員はサンだ。それは史学会に届けるついででもあったのだろう。帰る場所が史学会で、天文連合と短い距離で行き来出来る道を見つけたのならば、天文連合への配達はさほど大変なものではない。


 四人を見回し、サンは得意げな笑みを浮かべる。


「こういうところはキュシャは駄目だよな。自分の学問ばかりにかまけて、肝心な自分の周囲については全然なんだから」


 腕を組んで言うサンの頭にショウセツは手を乗せ、髪をぐしゃぐしゃとかきむしりながら、薄く唇を歪める。


「ほー。なかなか生意気な口をきくようになったな。そのキュシャになりたくて弟子入りしてきたのはいったいどこのどいつだ」


 言って、ショウセツはサンの頬をつねった。軽く悲鳴を上げ、サンは身をよじってそれから逃れようと試みるが、身長の差からか容易にはいかない。


「いたたた、痛い痛い止めろセツ、離せこのバ会長!」

「は、黙れ馬鹿サンが」

「その身長で攻撃するのは横暴だ!」

「小回りがきくんだから、それを生かせよちんちくりん」

「うるさい、キュシャにはそんな立ち回り必要ないだろお!?」


 最後に思い切り頬を引っ張ってから、ようやく彼はサンを解放する。じっと恨みがましくショウセツを睨みながら、つねられた所を押さえてサンは大人しくなった。

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