五、妖怪絵巻語り・雷獣


 玄信とすずかの二人は、日が頂に昇り切る間に都のあちらこちらを歩き回った。

 目的は玄信の雷獣退治のための拵(こしら)えである。


 彼らがまず入ったのは、小さな古着屋。

 玄信は淡い紺の着流しを一丁だけ買った。訳を聞くと、余り目立つ格好はよくないということ。

 次は刃物屋。

 だが玄信が買ったのは刃物ではなく三尺の木刀。それも、玄信がその昔彫ったものであると言う。刀で打ち合っても折られるのなら始めから使い捨ての得物で挑む、という考えか。

 刀は武士の魂かと思っていたすずかにはコレは少々の驚きだった。

 そんな歩みの中であらゆる所に目を配った。

 

 どこにどんな店、寺があるのか。

 どこからが都の陰なのか。

 どんな人間が生きているのか。

 

 半日ほどで、その形(なり)を把握できた。

 そして昼も過ぎ、腹の虫が鳴った頃に二人はあの蕎麦屋を訪れる。当然の如く、先客などいなかった。


「おぅ。やっぱり捕まったか」


 暖簾(のれん)を潜る女を見て、親父は半笑い顔で言う。こうなるであろうことを予想していたかのように。

 蕎麦屋の親父。昨日とまったくかわらぬ態度である。

 すずかは少し申し訳ない気持ちになった。

 いかに直接奪ったのは玄信の金であるとは言え、親父の手取りにも関わる悪事をしてしまったのだ。


「すいません――お代を踏み倒そうとしてしまって」


 だが、親父は怒るどころか気の毒そうな顔をした。


「おめぇこそ可哀想になぁ。この人殺しの金に手を出したのが運の尽きだった…! あな口惜しや! おめぇの両親に申し訳が立てられねぇ!」


 親父は義憤に燃える眸子で、親の仇のように玄信を睨む。

 ――これではまるで何かよからぬことをされてしまっ

たかのようである。


 どうやら親父の中では、玄信は若い女を手篭めにした悪党外道ということになっているらしい。


「何を馬鹿な! 三代目よ。儂、まだ何もしとらんよ?」


「まだ何もされてませんよ!?」


 親父は再び玄信を睨み、低い声で念を押す。


「だがよ……いいかてめぇ。また飽きたら殺すなんてのはやめろよな?」


「いやまて三代目」


 と、玄信が片頬で笑う。


「儂もそこまでは考えてねぇ」


(――どこまでなら考えている……?)


 胃が締まる。

 またしても危機である。

 一難さったら、また一難。

 いやさ、気紛れで殺されては堪ったものではない。


「つうぅ、ぅ」


 すずかがその胃痛に呻きながら顔を上げると――二人の大人が苦笑していた。


「――まぁ、脅かすのはここまでにしようさな」


「う………え?」


 親父の言葉の意味を理解するのに数瞬かかった。揶揄われたのだ。

 安堵――からの嘆息。彼らの冗談がすずかの心臓と胃に良くない影響を与えているのは間違いない。


「あまり私の胃を虐めないでくださいよ……」


「そいつぁすまねぇ。しかし、おすずよぉ」


 親父は至って真面目な顔である。


「こいつなら本当にやりかねないぜ? これに懲りたら盗みはバレねぇようにやんな」


「えと……気をつけます」


 親父的にはバレなければ良いらしい。

 ただ――すずかは今度同じような事をしたら、次こそは胃に穴が空くということだけはわかってしまった。


「儂はそんなことはしねぇさ。何せ、この陰陽師殿は志を半ば共にする同士だからな」


 と、玄信は笑っている。


「なるほど。こいつは可哀想になぁ。逃げたくなったら、何時(いつ)でも遁げろや」


 親父もまた、大層楽しそうに笑う。

 女に危険な目にあって欲しくはないと言いながらも、やはりこの蕎麦屋に男二人は窮屈だった様子。だから、来てくれるのなら男のような女でも嬉しいのだろう。

わかりやすい親父である。


「よしっ! ならこのままでちょうどいいな。てめぇに頼まれてた例のモノ、見つかったぜ。金物屋のくそジジイに譲ってもらうのに、少し骨が折れたがよ」


 親父はその流れのままに声を張り上げた。

 例のモノと聞いて、玄信の眸子が光る。


「ほぅ。ようやくか。ではさっそく見せてくれ」


「ちょっと待ってろ」


 言って、足下の方に手を伸ばす。そして少し探った後。


「これよ」


 薄汚れた巻物を台に置いた。

 巻物といっても、別段古い物でもなく、擦り切れやら糊の弱さが目立つ粗雑なもの。縛る獣の紐は既に千切れかけていたが、親父はそれを勢いよく開く。

巻物は半ばほど明らかになり、その内に秘められたものが溢れ出す。


「これは――妖怪の、絵巻?」


 描かれていたのは、おどろおどろしい怪異異形の数々。

 牛鬼、天狗、火車、蜃気楼に船幽霊まで。

 正に百鬼夜行に百物語という有様である。

 巻物全体では何十にも及ぶ妖怪の姿が描かれていることだろう。

加えて、それら一つ一つに図鑑のような奇譚説話(ものがたり)が記されている。


「こいつぁ、ちょうど大阪が騒がしくなった頃に都で流行った絵巻物よ。妖怪絵巻なんぞ、それこそ陰陽師の娘なら読んだことはあるだろうがな。一町人にとっちゃあ珍しいもんだぜコレは」


 絵巻というと、ソレらはもっぱら寺の僧侶や虚無僧、あるいは芸能を生業(なりわい)とするものが持つモノである。

 古くは平安の頃より妖怪の絵巻はあるが、宗教や芸能に身をやつさぬ者の内、個人で所持するものは公家くらいだ。

 近年になって、町人の私腹も肥え、このような遊びに手を出すものも増えたが、それでもこのボロ屋台の親父が持つのは少し奇妙なことだった。

 すずかが疑問符を浮かべていると、玄信はそこに補足をいれた。


「お前さんでもさすがに紙の価値は知っとるだろう? これは都中でかなり安く撒かれてたのよ。出元もしれねぇってのにな」


 厠(かわや)でも紙など使わないし、写経も紙傘も何度も使い回すこの時世。安いというなら、使い方はどうあれ、町人たちはこぞってこの巻物を求めたはず。

 それは同時に描かれた妖怪の認知度が高まったということでもある。


「この巻物は、件(くだん)の辻斬りどもが“妖怪”なんぞと呼ばれるのに少なかぬ由縁があるということだと――儂らは踏んでおるわけよ」


 と、玄信は思慮の顔で言う。

 確かに。そも、数少ない生存者からの噂のみで“妖怪”が広まるのはおかしいと思っていたところである。

 漠然(ぼんやり)とした印象のみが、一つの“妖怪”の名に収斂(しゅうれん)するなど、他に意図がなければありえない。

 つまり異業の辻斬りに対して誰もがこぞって思い描く像が一致するからこそ、彼らには“妖怪”の名が付いたのだ。

 人々の思い描く共通の虚像(すがた)――というのがこの絵巻の妖怪図かもしれない、と。

 ならば逆に――この絵巻に書かれる妖怪には現(うつつ)の“妖怪”に似ているところがあるはずなのだ。

 この巻物はこちら側の切り札――否、唯一の手がかかりであった。


「して三代目。“雷獣”は?」


「ここら辺だな」

 

 黄ばんだ紙には海、山、川、空、数々の魑魅魍魎が異様なほど色鮮やかに描かれている。

 その中で、親父が指す先には『かみなり』の題目とともに一際大きな絵があった。

 

 まるで天を覆うように渦巻く雲。

 木々を揺らし、荒波を巻き起こす嵐の中心に、

 ――雷獣がいた。


 鼬か犬か、その『容』ははっきりしない。

 見ようによっては貍にもとれる四足の畜生。

『かみなり』という題だというのに、雷光は描かれていない。


 そして、脇に書かれることには――

 

 ――雷獣の事

 雷獣ハ 神鳴リニ乗ル獣ナリ

 夕立雲在ルトキ 人家ヲ荒シ甚ダ猛々シク天ヲ翔ケル

 

「これが……雷獣」


 すずかが一人呟く。

 見る人が見なければソレはただの動物の絵姿とかわらない。だが、陰陽師たるこの女にはその何たるかが察せられたのだ。

 対する親父はどうも正直な性分らしく、見た目からの率直な感想を口走る。


「――んん。まぁ、なんというか。この絵じゃどこが雷なのかサッパリだがよぉ。てめぇらはどうだ?」


「ここはその道の者に聞くがよかろうて。で、どうだ?」


 と、話題を振られたのは無論、すずかである。

 この手の話題は陰陽師の専門と思われがちだが、実は陰陽師の呪術は平安に適したものであり、妖怪のような怪力乱神とは直接的な関りはない。

 本来の陰陽師の敵は鬼――見えないモノである。

 そんなことを蕎麦屋や武士に言っても仕様がない。


「まず、そもそも妖怪は陰陽師の門と少し違うので――私の考えということでいいんですか?」


「お、おう?」


「ふむ。違う――か。話してみろ」


 二人が了承したのを見て、すずかは息を整えた。

 濁った瞳に智性の光が宿る。これは自身の実力を知らしめる良い機会でもあり、俄然、気力がみなぎっていた。

 気配がかわる――少なからず、二人の男たちは彼女のかわりように驚いていた。


「この場合――妖怪や怪異というのは、ある種の依代(よりしろ)だと考えられるんです」


「依代? 御神体のようなものかね?」


 御神体。祭祀の中心を担う神が宿るされる物のことだ。

 当たらずしも、遠からず。


「似たようなものですね。ただ、妖怪は目に視える必要がない。当初は目に見えぬ観念を見えぬままに容にするための要素であった、ということです」


 親父はもちろん、玄信の方も不思議そうな顔をしている。

 妖怪を造り出したのは人――というような語りに戸惑っていた。


「――いわゆる怪異がはっきりした形で成立し始めたのは大体、源氏の時代以降なんですが。それ以前はもう少しあやふやな存在だったんです。妖怪の祖先でいうと、『モノノケ』――というのがわかりやすいですかね」


「『物の怪』か。ソレは妖怪と同じで、異形の総称ではないのかね。地方各地の伝説でもそういう風に使われているが――違うのか」


「総称と言った意味では近いと思います。ただ、さっき言った通り、初めはこれに決まった『容(かたち)』はなかったんですよ」


 カタチ、というのは象徴としての形を指している。

 観念の上では様々な『モノノケ』の形状があるが――これは普通、知覚で捉えることができないものだ。

 これを視る者、これを識る者、これに『容』を与える者こそが宗教者と呼ばれる者たちだ。


「この島に古くから在る『穢れを祓う』という思想は、文化というものが形になり始めた時代になって、より強くなりました。結果――人の死や出産の穢れだけでなく、障り、病、怨みといった事柄も『穢れとして祓えるもの』とする

風潮が生まれはじめた」


 祓いの思想は、殊に中世貴族階級の中で強大なものとなり、平安期の多くの官職には穢れを除く技術や技法――呪術が求められた。


「この技術を藤原の時代に確立させたのが、朝廷での地位争いに敗れかけていた思想集団――『陰陽師』です」


「物の怪を祓う陰陽師か……。俺は『宇治拾遺物語』の安部晴明くらいしか知らねぇが……本当にそんなふざけたことをしてたのかよ?」


 そこで親父が首を捻る。

 妖怪や鬼が想像のものと捉えられるようになって久しい時世である。まさか遥か昔に、口八丁だけで権力の中枢についていた者がいては不愉快となるのも当然だろう。

 だが、その在り方は歴史の必然であったに違いない。


「諸々の事情によって呪術的な仕事を任される前――陰陽師の主な仕事は国家のための定式的な卜筮、星の観察、暦の製作、時刻の計測――というように、窮めて地味なものだったんですよ。ですが、国家に対する儀礼だけでは彼らは存えることはできなかった。貴族の求めに応じて、個人に対する儀礼を行うように変化するしかなかったんです。

 そのための依代として、『モノノケ』あるいは『鬼』が盛んに用いられたんです」


 中でも陰陽師が他の官職よりも特異であった点は――

 ソレが悪意ある『呪い』の使用を可能にしたからであろう。これが存続の大きな由縁であり、『呪い』に対する陰陽師の在り方が妖怪とも関わりがある。


「『モノノケ』とは『物の氣』です。物とは、あるゆる対象に使われる言い代え。氣とは目に見えぬ力の総称。つまりは『目に見えぬ何かの状態』が『モノノケ』なんですよ」


「いや、それじゃあ何の説明にもなってねぇじゃねえかよ」


「それでいいんですよ」


 親父の疑問を飲み込むように、すずかは静かに言い放った。


「あるゆる障りや病を語る時に、この『中身』のない怪異が役に立った。この時の『モノノケ』は結果として、何の誰それの怨霊だとか、政敵の生霊とか――兎に角、儀礼に依って解決できる問題として、呪術者によって『容』が与

えられるんですよ。――だから依代です」


 特定のモノノケがいる、とするのではなく状況や状態に応じて属性を変えうるのがモノノケだ。

 これは妖怪のような確かな『容』を持たないが故に、広く、あらゆる人間の『祓い』に用いることができる。


「悪意・害意を一つの穢れとして祓うことで『場』の浄化を量ったんですよ。確たる理由を周囲に公開することは、そのまま対立の抑止にもなった。あるいは逆に、対立を表面化させ、公の場で観念上の攻撃を仕掛けることもできた

んです。――というのが、私が教えられた『モノノケ』の使い方です」


 長く語ったすずかは、深く息を吐く。

 彼女も今の説明で親父たちが理解したかはわからなかったが―――それは問題ではない。

 親父は疑問符を浮かべながらも、一応は納得した様子である。玄信は考え込みながら、何度かあいづちをうっていた。


「なるほどそうか……陰陽師は式神にて穢れを祓うというが――怪異や鬼もまた陰陽師の道具に過ぎぬということか」


 ここまでくれば、思惑はなったと言えるだろう。

 胸中ですずかはほくそ笑んだ。

 『場』を制する。

 ここまでの流れによって思考の土台は既に、すずかに都合の良いように変革された。

 貶めることなかれ――元より、相手に何となくわかった気分にさせるのが陰陽師の仕事である。


「ただよぉ……物の怪と妖怪と何の関わりがあるってんだ?」


「少し話が逸れましたが――妖怪はこのモノノケの流れを汲んでいるんですよ」

 

 鎌倉時代になり武家政権が台頭すると、権力中枢から徐々に呪術者が外されていった。

 陰陽師、宮仕えの高僧もまた例外ではない。

 都の文化――即ち、呪術師――は時代とともに徐々に島中に拡がっていったのだ。

 その呪術師によって『何かよく分からないもの』の説明に物の怪のような考えが使われた、というのが正しいか。


「恐らくですが、都から流れた呪術者が――モノノケよりも具体性のある『妖怪』という存在を創り、禁忌の暗示や、特定の人物への恨みを説明したんではないでしょうか。

 ――都と言う知識の集いから放たれた呪術者の説明は、かなり強い説得力を持っていたはずですからね」


「んぅ? おめぇの言い分はよくわからねぇが――妖怪もまたいないってぇのか? 怪力乱神はただの幻術(めくらまし)だってか? おいおい……ソレは、面白くねぇなぁ」


 親父は興が削がれたように言う。

 どうやら彼は存外に『妖怪』を好んでいたようである。

 イカサマとは言いつつも陰陽師の口から妖怪がいない、などと語られたのがつまらないに違いない。


「いえ、妖怪はたしかに在ると思います。ただソレを認めるのが人である以上、人の考え方の影響を受ける、ということです」


 いる、のではなく在る。――妖怪は現象である、とするのが、すずかの立場である。


「……つまり?」


 すずかの説明では親父はさらに混乱してしまった様子。

 そして隣の玄信に救いを求めた。

 黙々と語りを聞いていた剣豪は一つ、咳払いして返す。


「要は神仏と同じだ。ただ在るだけで加護とやらを与える。それは広まり盲信されるが故だが、今の妖怪もまた知識のみが独りでに歩いているといったところか」


「まぁ、そのようなものです」


 すずかの言いたい事は概ね玄信の言った通り。

 妖怪はある種の文化や状況に生じる『場』であると同時に、信心に依って成り立つ――変化し続ける観念だと考えられる。


「さて」


 親父が微妙な顔で肯いたところで、話を進めなければなるまい。

 妖怪全般の話はここまで。

 語るべきは“雷獣”である。


「――ただ、畜生の妖怪となると属性は限られるかなと」 


「ここでようやく雷獣の話につながるのかね?」


「はい。仮に、妖怪が私の考えるようなものだったなら、ある程度は型に嵌められる、ということです」


 型に嵌める――先人たちが考えたであろう雷獣の在り方を見る。


「一つは禁忌の暗示。――山間部への出入りを禁止する場合や雷自体の危険性の依代として使う場合ですかね」


 雷獣の絵を見る限り、雷は書かれていない。

 代わりに、嵐のようなものが渦を巻いている。

 ならば雷獣自体が『嵐の中の雷』、あるいはそれを操るものと言える。

 局所的な雷の危険――山火事なども含め――の他にも、嵐としての広い範囲に渡る田畑の被害を暗示した妖怪ならば、この絵の説明にもなる。

 田畑が荒れる――獣の仕業とする、という簡単な図式である。

 そこで玄信は一つ指摘した。


「雷は恐ろしいから避けろ、と。しかし、神ならばある意味では奉れば効能はあるが、妖怪相手にソレはない。これでは呪術者に益はないが?」


「………この場合はそうなりますかね」


 この考えには、一つ難しいところがある。

 ただ危険性の象徴ならば『雷神』とした方がいいのだ。儀礼による制御が行える方が呪術者にとって都合がよく、また利益にも繋がる。

 殊に、空を視ることである程度の予見が可能な『雷』に関しては、見かけ上の扱いは他の天災よりも易いものなのだ。

 故に、すずかは別な考えを用意していた。


「もう一つの解釈――というよりは、その先としての考えに『信仰の零落』というものがあります」


「この畜生が元は神だった――と?」


 神が狗に変化する。

 人の考えは、女心や秋の空よりも移りかわりの早いものだが、一時でも信じていた神を畜生に貶めて殺す――という思想は武人にも肯けなかったようである。

 だが、ソレは玄信の早とちりだ。

 零落したのは神ではなく人々の信仰なのだから。


「これは雷を倒すための依代じゃないかという話です。雷の形象が『神』から『妖怪』へと移り変わることで、自然に対する勝機が生まれたんですよ」


 実際に自然現象を操作する訳ではなく、観測する人間を操ると云う事。


「古来から、雷というのは普遍的な崇拝の対象だった。ただ、文化の発達に依り、祭事儀礼の効能が疑われた結果――雷神の信仰に上書きする容で、倒されるべき『妖怪』が生まれた、という可能性です」


 そこまで言って、半ば寝ていた親父に声をかける。


「親父様は、絵巻の物語は読んだんですよね?」


「お、おぅ。一応、一通りは読んだぜ?」


 この絵巻には絵に書かれた短文の他に、怪異譚が少々長めに記されていた。

読むまでもなく、その内容の如何を何とはなしに理解できていたのだ。


「この雷獣の怪異譚では畑が荒らされたり、恐ろしいものとして書かれているのでしょうが――最後には人に退治されたんじゃないですか?」


 親父は一度、瞠目して、驚嘆の声を上げた。


「……おぉ! そうだそうだ! なんだ!? それが陰陽術かっ!」

 

 喜々として返す。そう、すずかはまさに現象を型に嵌めたのだ。陰陽術といえばそうである。


「体系化されている――とまでは言いませんが、このように雷獣は結果として倒され、雷の霊威は『人の手によって覆せるモノ』になった。相手は畜生ですから、山に入れば『雷』を退治だってできるようになったんです」


 この絵巻の雷獣は嵐から顕れた雷そのもの。

 雷と獣をわけて書くよりも、より二つの密接が強い。

 そしてソレはいざとなれば、容易に滅ぼすことのできる

 畜生でしかないのだ。

 雷は脅威ではあるが、恐怖ではなくなった。

 

 ――自然崇拝の零落である。

 

「雷に対する敬意や崇拝の緩和の依代――ソレが雷獣の正体かもしれません」

 

 一つの結論として、すずかはそう告げた。

 本当はもっと様々な解釈をして然るべきだと、考えていたが――説明としてはこれで十分。

 玄信の方はこれである程度は満足したようで、薄く笑っている。親父の方は半ば聞きつつも、半ば別な事を考えているようだ。


「うむ。昼間はどうも、奇妙なことばかり言っていたが――お前さん、存外に話せるな。朱子学をやっとる友を想い出すほどだ」


 陰陽師は適当な妄言を吐く――と決め付けていたであろう玄信だが、理窟を知って認識を改めたようだ。

 友人とは誰のことかわからないが、玄信の知り合いとなると京の学者だろうか。

 玄信に褒められると、すずかも少し嬉しくなった。


「ありがとうございます。あと私の札は――我流で秘伝な奥義という事で一つ」


 兎も角、これでようやく汚名が返上できたと安堵した。ここまで話せばイカサマ扱いはされないだろう、と。

 そこで、ついでとばかりに補足を入れる。


「後は、村落への普及の理由ですが――。これは人の感覚の問題かと」


「と、いうと?」


「人間というのは普遍の中に一つだけの異常があると、敏く反応する性質があります。喩えば鬼人というのも各地の伝承では片足とか角有りなだけで、それ以外は普通な場合が多い。ナガアシ――なんていう鬼もいますし。後はそう

ですね。

 ――背が高いだけで、私は男扱いです」


「言われてみりゃあそうだなぁ? よく見りゃわかりそうなもんだが、聞くまでは確信が持てなかったぜ」


 突如割ってはいった親父が中々に酷い事を言うが、すずかの弁舌は止まらない。


「たった一つの特徴――というか象徴(めじるし)が、全体の属性を決めてしまうんです。この場合は雷という異常が、強烈に、ただの獣の印象を高めているんですよ。――各地に雷獣が広まる理由はこれかな、と」


 雷が降る夜。

 獣が一つ見られるだけで、“雷獣”になり得るということなのだ。

 強く言い切ると、彼らは暫し沈黙した。


 雷獣がなぜ生まれたか。

 なぜ広まったか。

 

 全てがそうであるとは言えないが、例の一つぐらいにはなっただろう。

 聞き終えた玄信はなるほど、と深く肯いている。


「いや、なかなかに面白い話を聞いた。お前さんの妖怪の話は禅坊主や親父の知るところとはまた違うのだな。

 一先ず、儂もお前さんの意見を推しておこう――それならば本当に雷獣が居ても儂は斬れる」


「――?」


 言葉の意味がすずかにはわからなかったが、聞く間もなく、困り果てた親父が口を挟む。


「絵の方はもういいだろ? そろそろ現(うつつ)の話をしてくれや。そうでなけば来た意味がねぇぞ」


「ふむ。まぁそうか」


 まだ妖怪の話をしたかったのか、名残惜しそうに髭を磨りながら、玄信が唸った。

 その実、親父が難しい話について行けなくなっただけなのは明白だが、二人は異を唱えなかった。


「でもこの絵、私の説明とあまり繋がりがあるようには見えませんね――すいません」


 妖怪について無駄に熱く語ったすずかであったが、どうもその辺りへの理解には及ばなかった。

 途端、現に話が戻り――凛然とした気は霧散していた。というよりも、語りきって満足したのだ。

 まさか現の“妖怪”もまた、信仰の零落した姿である――などというのは流石にないが。


「音だな」


 かわりに、玄信は呟くように言った。


「神鳴り、というのはそも、神の唸りの事だろう? そして“雷獣”は現れるたびに雷鳴のような轟音が鳴る」


 夜の都に似つかわしくない甚だ猛々しい音。轟音こそが唸りであったか。

 たしかに、それは雷に通ずるところがあるかもしれない。


「……でも」


 それだけでは足りない。

 物音の妖怪ならばこの巻物にも沢山書いてある。

 その中から雷獣が選ばれる理がない。

 そこで親父がぽん、と手をうち身を乗り出した。


「わかった! 体が光るんじゃねぇか? 正体は禿げ頭の坊主でよぉ!」


「――三代目がソレをいうかね」


 玄信が忍び笑いで親父を詰る。親父は自分の後退する髪を思い出してか、顔を赤くして項垂れてしまった。

 しかし、すぐに玄信は納得したような顔になる。


「………光ってのは関りあるやもしれねぇな」


 それに関してはすずかも同意だった。

 雷の最もわかりやすい特徴は闇夜を照らす雷光(ひかり)。雷の化身というならば、光輝くのが道理であろうか。


「だがコレが辻斬りである以上、自分で灯りをもつ訳がねぇ。夜中に人を襲う奴が自分から居場所を知らせるのはうまくねぇからな。ならばその光は――」


「――何かに反(かえ)された光――刀ですか」


 思い当たるのはそれか。

 刀を折るという“雷獣”。それは刀を折るほどの“業”を持つということなのだ。

 単純に刀でコレを行うとしても、よほどの名刀ならばあるいは可能なはずであ

る。


「刀かはわからねぇ。だが此奴が人ならば、その得物こそが異業(ころし)の正体だろうな」


“雷獣”の雷獣たる由縁はその武具。

 得物に強烈な印象があれば――ただの人であっても妖怪になる。


「なるほどなぁ。――存外にわかってきたじゃあねぇか」


 次第に固まる“雷獣”の姿。

 途端、三代目が瞳をぎらつかせる。蕎麦屋らしくもない恐い笑みを浮かべていた。


「……で、どうする?」


 それこそ悪代官の顔で親父が言う。一拍の間もなく。


「日が落ちたら、儂が“雷獣”を退治するさ」


 何ともないように言う玄信。

 だが、すずかにはその方法がわからない。

 それもそのはず。夜の町にくり出すという正攻法は朝一番に同心飛車丸に止められたばかりなのだ。


「でも玄信さん。後数日は動けないんじゃ?」


 しかしその言葉で、逆に親父の笑みは確たるものになってしまった。


「同心共がようやっと本気で働き始めたっつうことか。そいつぁまた好都合だなぁ」


「おうよ」


 二人は妙に納得した風で肯き合う。


(彼らは一体。……何を言っている?)


 ――逆。

 すずかと親父たちとでは認識が違う。

 それを悟り、その真意を暴こうと玄信の顔を覗き込んだ。

 覗き込んで相貌を直視してしまう。


「今宵は――妖怪退治に相応(ふさわ)しかろうて」


 やはり玄信は笑んでいた。

 地獄の悪鬼がこの地で笑う。

 

 男はまた、殺すことを考えている。

 

 幸いにして――今宵は葉月の十五夜。

 年のうちで最も美しく月が映える夜。

 なよ竹の姫が月に還ったその日であった。

 

 天に真円が開く夜。

 仲秋の名月。

 曰く、その穴は古来より怪異、天人が出てたると云う。

 ならば雷獣も天に昇っていくやもしれない。

 

 蕎麦屋で食をとった二人は、一度寝床に戻った後。

 日の落ちるとともに外界へ出た。

 

 いざ――夜の都へと、妖怪を殺すために。

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