四、番外同盟Ⅱ
「旦那ぁぁっぁっ!」
若人の大声が響き渡る。
すずかの混乱はいかばかりか。彼女の多大な期待に反して、その男は隠れ忍ぶ気が微塵もなく。
「どれっしぃ!」
謎の掛け声と共に開け放たれる木戸。
――声の通りの男である。
現れたのはすずかより一回りは小さい小男。
息荒く、野鳥のように落ち着きない男である。
歳は二十ばかり。細い小顔に、猛禽類を思わせるキレのある目つき。橙色の着流しも黒い羽織に十手を挿した粋な姿は、何処から見ても町方同心。
闇を生きるどころか明かりを護る者たちである。
それを見た途端――すずかの視界は暗転し、
(武蔵=果たし合い=通り魔)
――状況理解。
この日初めての目覚しい思考をみせ、最高の解を導く。
「同心さんこの人です!」
か弱い女の面皮で玄信を指差した。
「―――」
「な―――なにぃッ!」
指を差された男は心底、不思議そうに首を傾げる。
案の定、策が通じたのか。
入って来た同心は汚物を見る目で玄信を一瞥した。
その眸子は鷹のように鋭く、敵愾心に嗔(いか)かっている。
「まさか、まさか旦那ぁぁ」
ケッ、と吐き棄てるように言う。
「――アンタが男色に目覚めるとはなッ!」
「つぅぅ…!」
彼の批判は玄信に向いていたが、衝撃に呻いたのはすずかのみに違いない。
「…………いや、こいつはこれでいて女だぞ」
「お、女ぁ?」
「女ですよ。女です。――女ですよね?」
男はその嘆願に驚いて、造形隅々まで眼を見張る。細かく確認して漸く、疑いの眼は晴れた。
そして態(わざ)とらしい破顔である。
「失礼しやした! いやぁよく見なくとも、可愛らしい女子(おなご)じゃねぇですかい。初めは旦那が女形の野郎でも手篭めにしたのかと思ったが、こりゃ眼が曇っていたみてぇでさぁ。
さすが! 武蔵の旦那は見る目がある! こんなに、あぁあ、た、逞(たくま)しい? おなごはそうそういねぇ!」
(逞しいは褒め言葉じゃねぇよ!)
などと、心の内で苦痛に呻く女を無視して、玄信は同心に語りかける。
「この女はおすず、といってな。怪異を門とする“妖怪退治”の同胞だ。……お前さんも少し落ち着け」
ん――と、すずかはそこで己の間違いに気づいた。
「……じゃあ貴方は、この人殺しの外道野郎を捕まえに来たわけじゃないんですか?」
すずかの言い分に対して、二人の相貌に苦笑が満ちる。――少しだけ素が洩れていた。
しかしどうやら早とちりであったらしい。
この鳥のように騒がしい男こそ、玄信が信ずるに足るとした情報通だったのか。
「申し遅れやした。某(それがし)、表は町方同心。裏は京都所司代(きょうとしょしだい)の下で働く密偵でして。人殺し外道の武蔵の旦那を“妖怪”の件で協力させてやっておりやす。名を冬見飛車丸と呼んでくだせぇ。
――無論、偽名ですがね」
真反対のこんこんちきでさぁ、と訳も分からぬことを言って部屋にあがり、無造作に座り込む。
それでちょうど三竦みの形になった。
「はぁ、よろしくおねがいします。冬見……さん?」
飛車丸とは、またフザけた名前だった。
偽名――こうも堂々と偽名だと言われると、そう呼んで良いかもの難しいところである。
首を傾げるすずかのために、玄信は解説を入れた。
「要は密命というやつだ。京都の見廻りってのは殺しの権までは持ってねぇ。どんな辻斬り下郎も一応は御上の秤にかけにゃならねぇ。喩えそれが妖怪みてぇな人間でもな。
だから、京都所司代は野良侍やら浪人に話を流して辻斬りの始末をさせるって腹積もりよ。こんなのは表で話せる事じゃねぇ、だからこういう輩が密かに動いとる」
なるほど、とすずかは納得した。
つまりは新免玄信を含む何人かの武士は奉行所から殺しの依頼を受けているようなものなのだ、と。
裏で手を曳くのは二代目京都所司代、板倉伊賀守勝重。すずかでもその男は知っていた。
彼は元々仏門の人間であり、将軍家康のたっての願いで都の治安を守る所司代に就いたという才人である。
今は相当な老年ではあるが、持ち前の厳格さと優れた手腕で多くの者を裁いたという実力者だ。あまりの手練手管に町民も侍も恐れながらも尊敬の念を抱かざる負えないと言われるほどの方なのだ。
その名声の手前、裏での政争、権謀術数(はかりごと)の真実など町民に明かせる事ではない。
そして――玄信が、所司代が“妖怪”を警戒していると言った根拠はここにあったのだ。殺しの依頼は既に行われているのである。
所司代は“妖怪”がただの町民どもの噂として将軍や他の城主に認識されている内に、“妖怪”を殺してしまわねばならないのだろう。
この飛車丸も隠密といえば隠密なのだ。
伊賀といえば忍者(しのび)発祥の地の一つでは?――という思いが胸を過ぎったが、口に出すまでには至らなかった。
意外な大物の登場が瑣末なことを気にする余裕を許さなかったのだ。
「まぁそういう事情で、本姓は明かせんのですよ」
飛車丸はそこで笑みを浮かべた。意地悪な笑みであったが、眸子はまた鋭く耀いていた。
「しかし旦那ぁ――また、大通りで人を斬ったということで。いい加減にしてくれやせんかねぇ」
「証人はいたろうて? それも何十人も。アレは果たし合いだ。法度(はっと)には触れねぇさ」
二人は冗談のように言葉を交わしながら、しかし、どこか殺伐とした視線を交わす。同志というには、少し緊張感がありすぎる。
「まっ。色々、言いたいことも訊きたいこともありやすが……少々時が足りないので本題に入りますがね」
と、飛車丸が無理に話を進める。
「――言われた通り、報せはちゃんと持ってきやしたぜ」
二人の顔を見回す。この時になって、飛車丸は真剣な表情になっていた。
「それでまぁ。ここ数日、“雷獣(らいじゅう)”についての噂やら死体
やらを見て回った訳でさぁ」
切り出された言葉に、途端、すずかは唸ってしまった。
――雷獣!
彼らは既に、最も恐ろしいという“雷獣”に目をつけていたというのか。
「さほど――おかしなことかね」
玄信はそこで、すずかの方を覗き込んだ。感情の機微をまた悟られたのだ。
「あ、いえ……」
渋ってしまう。宮本武蔵の実力は伝説通り、天下無双。およそ一体一の殺し合いでは負けを知らない。
だが今回の相手は人ではなく“妖怪”である。
対人の技ではどうしようもない可能性もあるのだ。技ではなく、敵は超常の“業”を使う。
最も人を殺めたという“雷獣”は刀を折る。消えぬ傷を残す。凶暴にして狡猾。残虐の猛獣である。
蕎麦屋で聞いた“妖怪”の中でも一番に恐ろしいモノだろう。
「……どうしてですか? “妖怪”がもし人だったとしても強さで言ったら一番強そうですよ?」
本来、強さ――などと安直な言葉を使うべきではないのだろう。それは感覚と感情に基づいた指標になることは疑いない。
だが、玄信は感情ではなく確たる思考を基にして結論しているようだった。
「そうかね? 儂は此奴が一番斬るに易いと思っとる。此奴を斬る事が、後の“妖怪退治”に繋がるともな。
そのあたりはほれ。同心の話を聴けばわかろう」
斬るに易い――一体全体、どういう意図か。
飛車丸に視線が集まる。
彼は、へぃ、と言って続きを話し始めた。
「昨晩――これまた偶然にも、町方同心の鈴木戸四郎(すずきとしろう)と掘正之進(ほりしょうのしん)両名が件の正面橋で殺されちまった。
無論、やったのはクソ忌々しい“雷獣”畜生。某が此奴らを見つけた時
には、もう――遅かった。だが……結果としちゃあ、これが決め手になりやした」
死体の姿を思い返したのか。悔恨の念抑えがたく。彼の表情の陰には隠しきれない情があった。
同心二人。昨日の間に、為す術なく切り殺されたと言うのか。
すずかにしてみれば、あの正面橋で一日にして二度までも人斬りが起こったこともまた衝撃であった。
「いや、しかし……さすが天下の宮本武蔵といったところでしょうかね。全く察しの通りで。同心の間(こっち)では誰も気づかなかった。
いやまぁ、あれだけの惨状を見せつけられりゃ、たしかな見分ができねぇのも無理はねぇ。責めるべきことではねぇでしょう」
様々な念もあって、彼は前置きを長く語る。
彼の同胞の死を蔑ろにしたい訳ではないが、すずかは痺れを切らしてしまった。
「えと、つまり――?」
「……へぃ。きちんとたしかめてみりゃこの“雷獣”。死体の傷以外はただの辻斬りとまるでかわらねぇんでさぁ」
“妖怪”が――辻斬りと同じ?
「場所も時も、金目の物を盗ってくあたりも、そこいらの辻斬りとかわらねぇ」
「やはりな」
玄信が口を真一文字に結んで、深く肯く。
飛車丸は吐き棄てるが如くに続けた。
「事実、刀折られた浪人ってのも辻斬り目的で夜中彷徨っていたような連中ばかりでしてね。殊に陰に屯(たむろ)した、お禄も少ない野侍が多い。まぁ――要するに、駄賃稼ぎなんでしょうよ」
「駄賃稼ぎですか? そんな俗物な……」
先ほどの玄信の“雷獣”への評価の意味がここに至ってようやく咀嚼された。
「殺され方は異常だけど、その殺し自体は他とかわりがない………ということですか」
「おそらくな。だからこそ此奴に限っては頭のつくりまではそう儂らとかわらねぇのさ。目的は明らかだろう。――“雷獣”はただの辻斬りだ」
ただの辻斬り。人に過ぎない心の在り方。
異業の裏に隠された――人らしき思考の残滓。
「いやはや、まさか“妖怪”がただの辻斬りみてぇな真似する訳がねぇと、誰もかもが思い込んでいた訳でさぁ」
どこか悔しそうに同心が言う。苦渋の顔である。
それもそのはず。彼らは京都所司代設置以来のこの大事で、今のいままで大した成果も得られていなかったのだ。
だというのに唐突に外野から現れた男が“妖怪”の手掛かりを看破した。それが喩え高名な剣豪であっても、口惜しいことだろう。
所司代一同が烏合の衆となったようで、悔しく想うのも無理からぬことなのだ。
「これはやはり。戸四郎と正之進の死体を見て納得いったことでして。“雷獣”の野郎。アレだけのことをしておきながら金はしかと盗みやがった……!」
そして、悔しさは――同胞の命にも関わっている。
「戸四郎は無惨にも身体を二つに斬られ、一方は橋の上に一方は川原の坂に棄てられていた! 正之進に至っては逃げようとした背に見舞われちまって――その骨がひしゃげたように砕かれ、死んでた」
「……すいません」
と、すずかは耐え切れず謝罪した。
光景を想像することに耐え切れなかったのだ。
同心の搏動する身体からは憤怒と悔恨の合わさった激情が漏れ出していた。
それは一瞬だけ耀き、すぐに消えた。
「……気にしねぇでくだせぇ。あいつら二人。無念だろうが、“雷獣”を退治すりゃ弔いにもなりやんで」
見え隠れする彼の激情。飛車丸の眸子は鋭利な刃であるだけでなく、危うい暗さをおびていた。
玄信はそこに苦笑まじりで言葉を投げる。
「そこまでわかったならお前さん。所司代の方も動き出すのではないかね――?」
挑みかかるような声。挑発の意思が感じられる。
途端、飛車丸の相貌は――小狡そうな笑みにかわった。
烏(からす)だ。
烏が人を嘲るような、そんな顔。
明らかに腹に一物がある様子であった。
(なぜ――? ここで半目する意味があるの?)
不安に曇る女の表情を見て、不動の相貌の玄信を見て、
彼は喜色満面で答える。
「実は所司代の方では既に手配は済んでましてねぇ。今日から数日、京都町方の同心与力。総がかりで怪しい所を見張らせるそうで」
ほぅ、と静かに玄信は息を吐いた。
つまり――彼にとって玄信の役目はもう終わっていたのである。この宣言をするために飛車丸はここに来たのだ。
「へへ。旦那には申し訳ねぇが、所司代はこれでカタをつけるつもりですぜ。そうそう。わかってると思いやすが、旦那にはこれに関わってもらう訳にはいかねぇ。これは京都奉行の仕事でさぁ、播州の浪人がこれに加わるのはおかしな話でしょう?」
歪んだ瞼の奥で、光る。
これ以上――所司代の誇りを失ってなるものか、と。
決意。その意地のために彼は、利用するだけ利用して、
玄信の手は借りぬという。
「……そんな」
彼の言は全く理に適っていた。
だが、それが不条理に思えてならなかったのはすずかの未熟さ故か。返せる言葉もなく、ただ顔を顰めるしかない。
ただし玄信は違った。
――磐石(かたく)。
まるで動じる余地がない。
彼が浮かべているのもまた笑み。やはり、と頷いた時と同じ表情。
再び、両者の間の空気が緊張に震えた。
「……これでは“雷獣”を探しにはいけねぇなぁ」
呟いた言葉は、どこか皮肉を含んでいた。
それが気に入らないのか同心はさらに目を細める。
「旦那ぁ。どうせ何か企んでるんだろうが、やめといた方がいい」
牽制。――薄笑いを絶やさないまま鷹の目で玄信を射た。続いて、すずかを捉える。
「すまないねぇおすずさん。恃(たの)まれてたのはこっちだが、調べてきたのもこっちなんだ。“雷獣”は一先ず、同心一同に任せてもらいやすぜ?」
強く言い含めるように語る。
その語りには――勝手に動けば容赦はしない、という言外の圧力がかかっていた。
(うわ……この人も、苦手かも)
すずかは心の中で泥を吐きだす。
玄信の手柄云々については気にすることはなかったが、この態度のかわりようが鼻についたのだ。
もしや――この何ともいえぬ小物めいた狡猾さが彼の気質であったか。
それこそ当の本人が怒るのが筋なのだが、玄信はもう話は済んだとばかりに手をひらひらと振っていた。
「わかったわかった。お前さん方が“雷獣”を追い詰めることに期待しよう。――しかし、しっかと儂の言は活かせよ」
飛車丸はその奇態にさらなる警戒心を抱いた。
だが、抱いたところで何かできる訳でもなく――彼は素直に帰ることにしたようだった。
「……では、そういうことで」
警戒を解かぬまま何度か振り返り、部屋を出て行く。
黒染め羽織が羽ばたくように。
====
届けられるのは吉報とばかり思っていたすずかは、撒き散らされた凶報に途方に暮れてしまっていた。
“妖怪退治”は始まって早々に動きを封じられてしまったのだ。それも立場が違うとはいえ志を近くする者によって。
「……あ、どうしましょう? なんかさっそく裏切られたような気が……」
「裏切りではあるまいよ。アレはあれで正しいのだ」
「正しい?」
「気質(ヤマイ)ではあるが、悪癖というほどでもあるまい。むしろ、冬見飛車丸。所司代には勿体無い逸材だろうて」
訳のわからぬ賞賛を述べる。これで良いのだ、と彼は微笑して肯いていた。
その思惑の一片も理解できないうちに、玄信が意気揚々と立ち上がる。
「さぁ出るぞ。――日の光のあるうちに支度をせねばなるまいて」
「ちょ…」
突然である。
彼はまだ何も語らぬうちに行動をしようとしていた。
せっかちとは言わぬが、勝手がすぎる。
(まったく――何を考えてやがるのか!)
と、心の憤慨は口には出さず。すずかは玄信を手で諌めた。どのように動くにしても、まず言ってやらねばらないないことがある。
「……待ってください」
張り詰めた声に、玄信は訝しんだ。
「何かね?」
「玄信さん。私が――役に立たないって言いましたよね」
と、剛(こわ)い声で呟く。
――要は根に持っていたのだ。
己の力量を否定され、頭の弱い可哀想な奴と思われたのが――あくまで、すずかの予想であるが――はなはだ癪だったのである。
先ほどは流れた話題であったが、自称陰陽師すずか。
その秘術をみせらいでおくべきか、と。
「ほぅ……何か幻術(めくらまし)でもみせてくれるのかね?」
玄信はそこで昨日と同じ、髭を摩(さす)りながら皮肉な笑みで笑って返した。諧謔(たわむれ)の類と取ったのであろう。
すずかとしては、その笑みを消してやりたくなるのが心情である。
「……私の持っていた袋は?」
「あれなら、ほれ。そこだ」
そうして玄信の指差す方を見る。部屋の隅に、唯一といえる彼女の所有物――厚い肩紐が二つ付いた荷袋――を確認できる。それを見て、すずかは意を決した。
「驚かないでくださいね?」
信じてもらえるかどうか、心配な顔で前置きを入れて。
「私、陰陽術が使えるんです。――式神とか」
胸を張って言い張った。
……言い張ったのだが。
――沈黙。
「――気が狂(ちが)ったか?」
頭が無事かどうか、心配そうな顔をされた。
視線が痛い。
痛いが、すずかは怯まなかつた。
「えぇ、まぁ……そう言われると思ってましたよ!」
犬の吠えるように言って、部屋の隅から自らの荷を引き寄せる。糸口を大きく開かせて、腕を差し込んで漁った。
「えっと、たしかこの中にぃ……あった」
荷物袋の中を少し弄る。そして目的の物を見つけてニヤリ、と片頬を歪ませた。
「さぁ、イカサマ扱いはここまでですよ。陰陽道の力を教えて差し上げます!」
威風堂々とした宣言。
「……お前さん。さすがにそいつぁ見苦しい。冗談はほどほどにしたが良かろうて」
またしても憐れみの視線を向ける玄信。怒る気にもなっていない。面倒そうでさえあった。
しかし、その態度が逆に感情を昂ぶらせるのか。
すずかの笑みは最早とまらなかった。破顔一笑。喜色満面。堰を切ったように昂揚が抑えられないのである。
「もう、しょうないなぁハルノブくんはぁ」
言葉と共に、勢いよく引き抜かれた右手。
その手に握られるのは――
「おんみょうどうのふだ!!」
「ぬぅ!?」
その耳を疑った次は、目を疑うことになる。
陰陽道の札――それは奇妙な札。
ちょうど収まらないくらいの細長い。わずかに厚みのあるソレは札というより板に近い形状である。全体の色調は光沢のある真珠の如き純白。
しかし、一面だけはまるで黒漆でも塗ったかのように淡く光を跳ね返している。
目に見えるほど明らかに、奇妙な道具である。
「ふふふ、ひひ。ふっひひひ。では今から、私の秘術をおみせしましょう……!」
仰天する玄信の様をいい気になって眺めながら、下品な笑いを洩らす。
正に、都の化かし屋のような口振りであった。
すずかは黒面を玄信に向けて、自らの眼前に掲げる。
指がその側面に添えられ、力を込める。
そう、それこそが札の使い道であったのか――と、玄信が次なる奇事を警戒した時。
「つっ」
力が込められる。
「う……………?」
――しかし、うまくきまらなかった。
「あれ?……あれ」
頓狂な声をあげて、何度も何度も力を込める。
それでも何も起きなかった。
――これは困った。と、思ったのは紛れもなく両者である。
「あぁ、えと。……今は少し、法力が足りてない、ということで」
「陰陽道なのに……法力、なのかね?」
「えぇと、日光! 日光です。光を当てれば力とか込められますんで。あ、アマテラス? 大日如来、的な感じで。後で――…あとで、おみせしましょう」
だんだん声の調子が下がっていく。
逆に、謎の道具で呆気にとられていた玄信の意識は漸く現に帰ってきた。
呪術などありえないと決めつけていたようだが、もしかしたら“妖怪”の如く怪しい技法を使うかもしれぬ、という思いが彼の帰還を長引かせていたに違いない。
だが――ここに至って呪術の類ではないという確信を得たようだった。
「そいつぁ、南蛮の小道具だろう? 珍しい物を自慢したいのはわかるが……人を騙すにはうまくねぇな」
新免玄信は昔、亡き父の縁故で九州に暮らしていたことがあった。故に南蛮(そと)の文化に少し明るいのである。
この札は京都の陰陽師というよりは、向こうで見た洋細工や西洋棚の色彩に似ていたのだろう。それ故の判断に相違ない。
つまりこれは彼なりに理に適った考えだったのだ。――だったのだが、思いの通じなかった自称陰陽師はひどく落胆してしまった。もう項垂れるに他はない。
「……陰陽道…です」
食い下がるすずかに、玄信はもう憐れみの視線を投げることはしない。
「なるほど、イカサマ扱いが苦痛だったかね。ふふふ。では後で見せてもらうとしよう。どんな仕掛けか知らねぇがよほど自信があるようだ。はははっは――ははははは――!」
というよりも、優しげな父性の顔であった。
「さ、そろそろ行くかね」
しれっと言い切って、時がもったいないとばかりに出支度を始める。
最早、彼は話を聞く気をなくしてしまっていた。
「つぅぅ……後で、見てろよ…!」
悔しさに唸る。
(まったく、こんな時に――役に立たないなんて……!)
と、心奥で泥を吐きながら、外に出る支度をする。
この状態では――玄信も話を聞いてはくれまい。
すずかは説得を諦めて、手に握った札を窓辺にそっと置いた。
幸いにも空は、雲一つない秋晴れ。
日の強さは十分だった。
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