第5話

 木製の長椅子の上で、メルは目を覚ました。

 そこは大草原のど真ん中。見渡す限り草しかないその場所に、ポツンと長椅子と標識だけが置かれている。

「あれ、停留場……?」

 確かに利用客の少ない停留場ではこんな風に椅子と標識だけが立っていることも多い。

 しかし、昨日の時点ではこんなものはなかった。というか、もしもあったらメルはわざわざ数十分かけて歩くような真似はしなかっただろう。

 普通に考えるなら、昨日の間に停留場が設置されたと見るべきだ。だが、置かれている長椅子も標識も、お世辞にも新しいとは言えない、年季の入ったものだった。

『誰からも忘れられたものは無くなってしまう』

 昨夜の青年の言葉を、メルは思い出していた。つまり、ここにもかつては停留場が存在していて、メルが草原に残った痕跡を見つけたことで、停留場の存在が戻ってきたのだろうか。

「……なんか微妙に損した気分」

 呟いて、メルは長椅子から立ち上がる。

 と、タイミングを見計らったかのように、遠くから馬のいななきが聞こえてきた。今まさに飛空馬車がやってきているのだ。

 メルは慌てて髪を整え、ワンピースの裾を正す。そうしているうちに、翼の生えた四頭の馬が引く大きな馬車が、空中を滑るように降りてきた。

 ちょうど目の前に止まった馬車の扉を開け、メルは前方の隅に腰を下ろした。昨日と同様、乗客はまばらだった。

 メルが乗り込んだのを確認すると、馬車は滑るように地上を離れる。


 近くの窓から遠ざかる草原を眺めていると、人のよさそうな顔をした車掌がメルに話しかけてきた。

「珍しいですね、ここから乗ってくる人がいるとは。ここ、何かありました?」

「……どういう意味です?」

「いやぁ、ずいぶん昔に何かがあったらしいってことは知ってるんですがね。それくらいしか分からないもので」

 メルは少し思案してから、微笑んだ。

「いえ、何も見つからなかったんですが、いい歌は浮かびました」

「歌ですか! ちょっと聴かせていただいても?」

「ええ。リスィという歌です」


 直後、飛空馬車の車内に鈴の音のような澄んだ歌声が溢れかえった。

 歌は開け放たれた窓から流れ出し、大草原の遥か上空にも響き渡っていく。

 そして風は歌声を乗せて、大草原を、大空を、駆け抜けていく。

 遠く遠く、どこまでも。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

草原に響く遥かな歌 逃ゲ水 @nige-mizu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ