第5話

 「えっと……暗くてよく分からない……、あっ。あった。浩助、ここよ。秘密の抜け道」

 「マジであるじゃねえか、学校の塀の下の抜け穴。おまえこれ一人で掘ったのかよ……」

 浩助は懐中電灯を抜け穴に向けた。私がこの夜の侵入のために掘った穴だ。

 狭い穴を二人してくぐり抜ける。当然狭い。くぐり抜けた後、頭の上がじんわり痛んだ。今朝浩助に作って貰った特大たんこぶ(頼んではいない)が、狭い通路に擦れたのだ。……痛い。

 「で、浩助。なんで附いて来てるのよ……」

 「おまえが何やらかすか分からないのに、家で寝ていられるかよ」

 確かに浩助の言うとおり、あの後冷静に考えてみたら、今朝の行動は無茶だったかも知れない。でも、浩助の心配なんて今度ばかりは無用だよ。

 私はあの後の午後の授業の夢のなかで、また啓示を受けた。異世界へ行く方法についてのね。対価としてまた先生の指示棒とお叱りを受けたけど、安いものだ。だって今度ばかりは本当にうまく行きそうなんだもん。

 それで、放課後になって人目を避けつつ抜け穴を掘ってたんだけど、なぜかそこにばったり浩助が現れて、今夜の計画のことを話さなくちゃいけない羽目になったって訳。

 「なぁ、おまえほんとにそろそろ大人になれよ……」

 「あっ!着いたわよ!」

 あらかじめ鍵を外していた窓から視聴覚室に入る。月明かりだけが頼りの深夜の教室は、暗すぎて怖さを感じる余地すらなかったけど、持参したキャンプ用のLEDランタンのスイッチを入れると、やはり不気味な雰囲気が出てくる。近隣の住人に気付かれないようにするためか、浩助はとっくに強い光の懐中電灯をポケットの中に詰め込んでいる。

 さてと、と私は呟いて、ショルダーバッグを教卓の上に置き、儀式の準備に取りかかる。

 まず、机と椅子を端に寄せて、真ん中に広いスペースを作る。そしてバッグからロール状に巻いた臙脂えんじ色のラシャ紙を取り出し、床一面に広げる。中央に椅子を一つ置くと、事前に視聴覚室に用意していたパーティションでそれをぐるりと囲み、それらもラシャ紙で覆い尽くす。椅子の一歩手前にキャンドルを置けば――あっ、忘れてた。椅子を一時退避して床のラシャ紙にチョークで魔方陣を書いて……これで完成。

 「異世界に行くのも大変なもんだな」

 なんだかんだで手伝ってくれた浩助が額をぬぐいながら言った。こういう時に男手があると役に立つ。

 私は中央の椅子に座り、持ってきたペットボトルから椀に甘酒を注ぐ。それから口に少しずつ含んでいく。少しだけ頭がぼうっとする。

 「甘酒と異世界にどんな関係があるんだよ……」

 「関係ないよ。でも、なんとなく酩酊状態に近い方が、異世界にトリップするのに良いと思うの」

 私は椀を椅子の脇に置く。そして背筋を伸ばし、姿勢を整える。

 「なぁ、晴琉香」

 「何?今集中してるんだけど……」

 「仮に、だ。地球がひっくり返るくらいにあり得なさそうなことだけど、万が一、……万が一だぞ、もし異世界へ転生したとしたら、それでいいのか?」

 浩助はなんだか寂しげな表情をして言った。

 「何言ってるの。嬉しいに決まってるじゃない」

 「本当か?それが本気で考えた答えなのか?もしおまえが異世界に転生したとしたら、この世界に残された人はどうなる?」

 浩助は語気を荒くした。

 「両親は?友人は?……俺は?異世界ものにありがちな、冒頭にだけ登場するサブキャラとして、いないも同然になっちまうのかよ?おまえにとってこの世界は消滅したも同然になっちまうのか?残された人がお前をいくら想い返そうとしても、その想いすらなくなっちまうのか?」

 「うーん、そっかぁ……。でもそのことはあまり気にしなくてもいいんじゃない?」

 「なんでだよ」

 「もし……いや確実なんだけどね、私がこの儀式を成功させて異世界へ転生できたとしたら、間違いなく浩助は後から附いてくるんでしょ?」

 「いや、そんなの分からねぇだろ……」

 「分かるよ。浩助はそういう人だもんね」

 「うっ、それは……。あぁ、もう良いわ、お前にこんなこと聞いたのが馬鹿だったよ。それに儀式が成功するなんて万が一にもありえねーから。あーあ、なんでなんでこんなこと聞いたんだろ、俺」

 浩助は表情を隠すように顔を背けた。しかしそのせいで、キャンドルライトの光が当たってむしろ私からはその顔がよく見えるようになった。暖色のライトのせいか、浩助の頬が赤らんでいるように見えた。

 「じゃあ、やるわよ」

 私は薄目にして、小さく口を開けた。

 「ワレヲイセカイテンセイサセテクダサイカミヨ、ワレヲイセカイテンセイサセテクダサイカミヨ、ワレヲイセカイテンセイサセテクダサイカミヨ……」

 呪文を唱え始めた。ここに来る前に考えたやつ。お粗末なものだが、呪文なんていわば自己催眠みたいなもの、だとどこかに書いてあった記憶がある。呪文は精神力を高めるためのもので、呪文の言葉の中身なんてどうでもいいのだ。

 「ワレヲイセカイテンセイサセテクダサイカミヨ、ワレヲイセカイテンセイサセテクダサイカミヨ……」

 何度も呪文を唱え続ける。一度、遠くで猫の鳴く声に集中力をかき乱されかけたが、すぐにまた詠唱に集中する。浩助は黙って私を眺めているのだろうか……。甘酒が効いている。呪文がゲシュタルト崩壊して言葉の意味がなくなっていく。頭上の、校舎の屋上よりももっと高く広がる天空が、ぐるぐるまわるイメージ。

 突然、教室に風が舞い込んだのか、髪がなぶられる。窓は閉め切ったはずなのに。薄目を全開に開きたくなるが、堪える。徐々に瞼が重くなり、完全に閉じられる。

 バランスを失い、とてつもなく高い所から落ちている感覚。成功したの?周囲は青空、雲、眼下にはどこまでも平原が続く。飛行機の窓から覗いたような地上。本当に始まるんだわ、私の異世界の冒険が!……と思ったところで暗転し、暗い闇の中で浮いている。巨大な怪物の胃の中にいるような感じで、何の音も聞こえない。どういうことなの?しかし突然いかめしい声が聞こえたきた。

 「異世界へようこそ、勇者よ。我は転生者を案内する者だ」

 キター!異世界キター!ほんとにあるじゃん、異世界。やったわ!大成功♪夢が叶っちゃった!

 「我にはおまえの心が分かる。異世界があると知って喜んでおるのだろう?」

 「す、すごい!なんで分かったんですか!?神ですか、あなたは?」

 「いや神では……まぁ、そんなところだ。しかし勇者よ。異世界はおまえの思うような形では存在しない」

 「え?どういうこと?」

 「異世界は確実にある。しかしリアルな形ではない。この世の現実とはただ一つ、おまえが生きてきた世界だけだ。だが勇者よ、案ずることはない。異世界は実在するのだ。おまえたちの心の中・・・にな」

 「……えっと。私難しいことはよく分かんないなぁ」

 「完全に理解する必要はない。今から言うことだけを肝に銘じておけばよい。異世界というのはな、異世界ものを書く作者とそれを読む読者の心の中に存在するものなのだ。リアリスティックな異世界という場所があるのではない。そうした具体的な場所があると考えて、それを追い求めてはいけない」

 「えぇー。異世界はないってことなの?」

 「いや、あると言っているだろう。ただ、それは思念的なものだということだ。しかし勇者よ。嘆く必要は無い。むしろ喜ぶべきだ。思念的なものであるからこそ、人間は想像力を総動員して、幻想的な世界を作り上げるのだ。人間は無いものを有るかのように想像できる、唯一の生物だ。もし異世界が現実的な場所として存在したら、想像力をそれ以上駆り立てることは出来なくなってしまう。それではつまらない。想像力を無限に広げられるからこそ、異世界は魅力的になるのだ」

 「分かったような分からないような気がするけど、確かに、私って、いろんな異世界を妄想するのが楽しかっただけなのかも。実際に異世界があったら、それ以上想像できない、かぁ……うぅ、言われてみると、その通りかも」

 「うむ、理解したようだな。勇者よ、もうこれ以上異世界転生を試みてはならない。もし転生が成功したら、異世界を想像する楽しみがなくなってしまうからな……」

 「うん、分かりました、神様。私、異世界転生はもう諦めます!その代わり、もっとたくさん異世界ものの小説を読んで、いろいろ想像して楽しむことにします!」

 「よし、では帰らせよう。お前が元いた現実の世界へ」

 「ちょっと待って神様、なんかあなたの声、聞いたことがある気がするんだけど……」

 「ゴホンゴホン。しまった、声を作るのを忘れかけ……何でもない。早く帰るぞ、勇者よ。我は忙しいんじゃ。これ以上我を引き留めるのはやめるぜよ」

 「なんか口調がおかしくなってるような気がするけど……あれ?なんか光が射し込んで……」

 ――パチン

 

 

 目が覚めた。手を叩くような音で。視聴覚室に戻ってる。顔を上げると、浩助が慌てて、ポケットの中に何やら突っ込んでいた。携帯式の扇風機と、糸に結ばれた五円玉――。一体何に使うのだろう。

 「勇者よ、目覚めたか」

 「えっ、浩助?勇者って?というかその声……」

 「あーっ!な、なな何でもない何でもない!と、ところでそれよりも、異世界は行けたのか?」

 「うーん、なんか違う世界に行ったような気がするんだけど、あそこは私の想像してた異世界と言うには違うかなぁ。真っ暗な闇の中で、神様に話しかけられたの」

 「へぇーそうなんだ……。で、異世界なんて現実にはないと告げられたんだな」

 「え?なんで知ってるの?」

 「うわっやべ……じゃなくて、な、なんとなくそんな気がしただけだよー」

 「なんか怪しいなぁ。でも浩助の言うとおり、異世界は想像上の産物だから、その場所に行きたいとは思わないように、みたいなこと神様に言われたの」

 「なるほどー。それはそれは。神様が言うんなら、本当なんだろなー」

 「うーん、でもなんか言いくるめられた感じがするのよね。でも実際神様の言う通りなんだよね……。私もう、異世界転生しようとするのはこれでやめるよ」

 「よしっ、これで解放される!」

 浩助がガッツポーズしかけて慌てて腕を引っ込めた。

 「なんか腑に落ちないなぁ……浩助すごく変だよ。ま、いっか。私眠い。……もうこんな時間か、お休み……」

 「おいちょっと待て!ここで寝るな!この視聴覚室の魔方陣だとかパーティションだとか、俺一人で片付けさせる気かよ!おまえも親に黙って出てきたんだろ?」

 「ごめん、眠気が……もう無理……」

 浩助が何やら叫んでるが、聞こえない。夢の中に誘われていく……。異世界の夢でも見るのかな?

 瞼の重さにはあらがい難く、私は心地よい微睡まどろみの中に落ちていった。

 

 ◇

 

 ――翌日。

 起きると家のベッドで眠っていた。浩助が連れて帰ってくれたのかな?学校へ出てきて真っ先に視聴覚室に向かったけど、昨日のものは全て片付けられていた。

 自分の教室に行くと浩助が机に伏して眠っている。

 「浩助、おはよう」

 「おはよう……じゃねーよ!」

 浩助の目のまわりにくまができている。

 「今はツッコむ気力もない。頼むから寝かせてくれ」

 浩助はまた机に伏せた。ごめんね、浩助。ゆっくり休んでね。

 それから私は浩助の隣の自分の席に座り、手鏡と化粧ポーチを取り出して、頬にファンデーションを塗り始めた。

 「おまえ何やって……って何だその髪型!?」

 「今頃気付いたの?」

 私はギャル風の巻き毛にしていた。目の方も、付け睫毛とアイラインを引いて大きく見えるようにしている。クラスメイトの目線をやたら感じるけど、みんな驚いていた。そんなに似合ってるかなぁ……?

 「おまえ化粧なんてしたことないだろ?なんで?」

 「少女漫画のヒロインっぽいでしょ~?」

 「……はぁ?」

 私は昨晩ぐっすり眠ったおかげで今朝は早めに起きた。暇だから、妹の少女漫画を勝手に読んでたら……、はまっちゃったっ。一度漫画を閉じて自分なりに妄想してて、しばらくそうしていると、ふと思ったの。こんな素敵な世界がきっとあるはずだ、いや、現実を・・・こんな・・・素敵な・・・世界に・・・変えて・・・いける・・・はずだ・・・、って。

 「異世界は駄目だったけど、私、少女漫画のヒロインになるわ!」

 「もう勘弁してくれ……」

 浩助は崩れ落ちてとうとう眠ってしまった。私は化粧をしながら妄想を繰り広げる。ふふん。きっと現れるよね。私の王子様みたいな人が。

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異世界で勇者となった少女の夢 朝楽 @ASARAKU

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